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第四十七話 永遠に消えない二人の想い

私が、寧王の軍営を訪れてから一週間。

李璿(りせん)から届いた文には、言い過ぎたことを詫びる言葉と、私への気遣いが綴られていた。

――そして、三日後に凌雪が東宮を訪れるので、話を聞いてやってほしいと。


私はあの日太子府に戻ると、いつものように媛羅(えんら)が庭先の東屋で酒を飲んでいて

口論になった。

…でも、媛羅が言っていた事は、全て紛れもない事実だ。


あれから凌孟昊(りょうもうこう)にも、凌雪の事は諦めろと諭された。媛羅も同じ娘だから大切にしてほしいと懇願される。まさか凌雪(りょうせつ)も同じことを言いに来るのだろうか…

それを考えると、深いため息が私から漏れる。


三日後、約束の刻に凌雪は、東宮の私の執務室を尋ねて来た。

韓昭(かんしょう)は気を使い、外にいると言って部屋を出ていく。


部屋に入り、私に一礼した凌雪は、王妃らしく柔らかな薄紅梅色(うすこうばいいろ)の長衣に身を包んでいた。その袖には金糸で織られた牡丹の刺繍がほどこされている。

髪は高く結い上げ、金の歩揺に紅玉をあしらった華やかな簪が一対。光にきらめくそれは、揺れる度に王妃の気品を際立たせた。


だが紛れもなく、愛らしいその表情(かお)は、私が愛した凌雪のままだ。


「皇太子殿下、この度は貴きお時間を賜り誠に恐れ入ります」


「凌雪…」


その声に、思わず足が一歩踏み出される。


「今日私が参りましたのは、姉凌媛羅の事でお話が」


「……」


この先凌雪が何を言うのか、私には大体見当がついた。


今目の前にいる凌雪は、もうあの頃の凌雪ではない。――そう心が感じた。


「皇太子殿下、どうか姉を受け入れてください。このままでは、姉も殿下も不幸になってしまいます」


凌雪は潤んだ目で、私に懇願する。


「不幸?私はとっくに不幸だ。幸せな寧王と違って」


寧王との事を考えたら、凌雪に嫌味しか出てこない。

二人の事を想像しただけで、胸がかきむしられる程に苦しいのに、今凌雪は、これ以上私に何を言おうというのだ。


「私の決意を…無駄にしないでください…」


その時、震えるその声と共に、凌雪の頬に一筋の涙が伝った。


「凌雪…?」


それを見て、思わず彼女の方に手を伸ばしそうになる。


「あの時、どんな思いで殿下を諦めたのか…お分かりですか?」


「……」


絞り出される声が、微かに震えている。

それを見て、私は緩く拳を握った。


「涙が枯れるという事は、こういう事なのだと思い知りました。私は父に…生まれて初めてぶたれたのです」


「凌孟昊が凌雪を?」


「臣下として、殿下の為にできる事をしてほしいと父に懇願され、心でその意味を理解するのに、幾日もかかりました。子供じみた、殿下を諦めきれない気持ちが、ずっと心の中に渦巻いていてとても苦しかった。

なぜ私だけが、と…

あれから色々な事が耳に入るたび、もしかしたら殿下にとって、私は婚姻前の気の迷いかもしれないとも思いました」


「それはない!絶対に!」


咄嗟に私は凌雪の傍まで行き、その両手を思わず取ってしまう。


「そう思っていただけるなら…あの時誓いましたよね。私たちの気持ちはずっと変わらないと。殿下ならこのような状況は、仕方のない事だと、頭ではご理解されているはずです」


「凌雪…」


「現実に向き合わなくてはなりません。殿下は、その背負われたお役目を全うするために」


「お前にはできるのか…私ではなく、寧王と添い遂げる事が…」


「それが、皇太子殿下を守る事になると父に言われました。もし私が、煊王(けんおう)殿下の元に行けば必ず寧王殿下は反旗を翻す。そうなれば兄弟で争いが避けられず天黎(てんれい)の国が大変な事に。そして、皇太子殿下のお命まで危険にさらされると…」


「そう凌孟昊が言ったのか…。その様な事を…私にも兵はある。どうとでもなった事だ!」


「すでに何度も、お命を狙われているではありませんか。それに、このような事で民に血を流させるのですか?」


「このような事ではない!!」


「煊王李煌殿下!目をお覚まし下さい!!」


「……」


「殿下もあの日、お心を決めたはず」

――なのに、私は…ずっと往生際悪く、お前を諦めきれなかったのだ。


私は咄嗟に、目の前にいる凌雪を抱きしめた。

私が愛してやまなかった、何も変わらないそのぬくもりを…。


「凌雪…。私はお前がいなければ何もできない…」


「殿下…」


「あの時の決断を、数えきれないほど後悔した。凌雪を手放すのではなかったと」


「私たちは、何があっても心は繋がっているのです。あの時の約束を胸に生きていきましょう…」


「私には無理だ!お前に寧王が触れると思っただけで、毎夜おかしくなりそうなのだから」


「…煊王殿下…」

そう私の名を呼んだ唇に、思わず手を伸ばし咄嗟に彼女をこの腕に抱きしめ口づけを落とす。


――“もうどうなっても良い”と、そう思った…。


今まで耐えて来た思いが、一気に込み上げて来て、私はもうこれ以上気持ちを抑えられそうになかった。


全ての憂いが安らぎで満たされ、頭の中から消えるのを感じる… この安らぎの中で私の心が、彼女を手放してはならないと強く覚悟を迫った。


――でも凌雪は違った。


そっと両手でこの胸を押し私から離れると、強い視線で私を見据える。


「私は寧王妃なのです。殿下…どうか…お心を強くお持ちください…」


「凌雪…?」


「私の心は、生涯皇太子殿下だけのものです。でも、私たちは現実を生きるしかない。目を覚ましてください。そしてどうか姉を受け入れてくださいませ…。この天黎の為にも」


そう言って、潤んだ目からぽろぽろと溢れるようにして零れ落ちる涙に、私は何も言えなくなった…。

不甲斐ない私のせいで、凌雪をこんなに泣かせてしまったと胸がつぶれそうに痛くなる。


―――凌雪は大将軍・凌孟昊にとても良く似ていた。


真っ直ぐな瞳も、どんなことがあっても、揺らがない強い決意も。そして、私や天黎を守るという強い思いも…。


その目に、私達は例えどう足掻こうと、一緒になる事などできないのだと思い知らされる。


凌雪が、どのような気持ちで寧王を受け入れたのか…

それがわかるのは、私が凌媛羅を受け入れた時だろう。


「…わかった…凌雪。だからもう泣くでない…」


私はもう一度、この胸にそっと凌雪を抱き寄せる。

彼女は腕の中で小さく頷くと、両手をこの背に回した。


「例えどんな事があろうとも、私達の心は決して離れないのです。そう信じてくださいませ…」


そう言った腕の中の凌雪の頭にそっと唇を寄せ、私の心でも誓う。

何があろうとも、凌雪は私の心の中で生きていくのだと。



あれから、凌雪は淡々と気丈に過ごし、私をあっさり忘れて寧王を受け入れたのだと思っていた。


――私にはそのことがあまりにも辛く、この気持ちをどうすることもできず…。


しかし、凌雪の心には確かに私が存在し、それは決して消えることなく永遠に続くのだ。



ふと気づくと、彼女の薬指にはあの時渡した翡翠の指輪がはめられていた。


「これは…あの時の?」


「普段はしていません。でも殿下に会うために着けてきました。これは私の宝物です」


「私も、お前にもらったこれを、ずっと大切にしている」


そう言って胸からあの凌雪の髪が入った小袋を出すと、彼女は微笑んで小さく頷いた。

そして、胸から自分と同じ香りの香袋を出すとそれを私にくれる。

―――“離れていても、心はそばに居る“と。


私は愚かだ。

初めての感情に振り回され、自分を見失った。


でも。それでいいと思っていた。

全てを失ってもいいと――それくらい凌雪の事は本気だった。


“自分ばかりが愛している”と、そう思っていた。

凌雪の心にいた自分は、その程度のものだったのかと。


煊王府であっさりと私を諦めると言った時も、私達の誓いの後何事もなかったように過ごし、そして今李璿と穏やかに暮らしている事も…


でも、それ以上に彼女は私の事を考えてくれていたのだ。

この天黎の皇太子であり男のくせに、つくづく自分が情けなく感じる。彼女の心を信じる事が出来ず…


寧王李璿の事は、私にとって苦痛でしかなかった。

しかしそれは凌媛羅を娶った私に対し、凌雪も同じ気持ちなはず…


「…でも私は、やはり寧王がお前のそばに居るのが嫌だ…」


そうつぶやくと、凌雪は困った顔をして苦笑いした。


「殿下はおとなげないですね」


「お前には、簡単な事の様だな!」


思わずそう言うと、凌雪は怒って口を尖らせた。


「簡単ではありません!それは私の覚悟なのです!」


それを見て辛くなり、思わずまた抱きしめる。

凌雪は、凌孟昊の娘らしく私を守るために全てを受け入れているのに…


怒らせるつもりはないのだ。

ただ、私の心がどうしても、それを認めたくない。


もうすぐ、別れの時が来る。

それまでずっと、いや、これからもずっと…

こうして抱きしめていたいのに…


私のものだけれど、私の人では…ないのだな凌雪…。


その頬にそっと手を添えて、私は最後の口づけを凌雪に落とした。


きっとそれは誰にも許されるものではない。

凌雪にでさえも許されないだろうと理解していた…。


彼女は、見たこともない様な悲しい目で私を見たが、私は最後までその手を離すことができなかった。


そして最後に彼女は、「殿下の抱えるお痛み全て、私も同じものを抱えている事を忘れないでください」と言い残し、執務室を後にする。


その後ろ姿を、私は韓昭と見送った。


「殿下…」


「韓昭…お前が泣きそうだな…」



「大丈夫なのですか?」


「心が瀕死の重傷だったが、手当てしてもらった」


そう言って微笑んだら、韓昭は安心したように笑って答えた。


「薬念神医より、名医ですね」と。


でも、この先さらに大きな試練が待ち受けている事など凌雪も私も知る由もなく…


うねりはもっと大きな波となり、私達に襲い掛かるのだった。


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