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第四十話 皇太子殿下の婚姻・前編 凌雪との婚儀

禁足を解かれた私は、三週間後、凌媛羅と婚儀を行う事となった。

彼女は側室という事もあり、『納側礼(のうそくれい)』が後宮の「長楽殿(ちょうらくでん)」で執り行われる運びだ。


私はその前に、凌雪との約束を果たしたい。


韓昭と蘇璃の協力を得て、急いで準備を始めるつもりではいるが、猶予はあと十日ほどだ。

他の事は兎も角どうしても、良い場所が見つからない。


李煌(りこう)様」


煊王府の庭先で、行ったり来たりしながら悩んでいると、蘇嬢(そじょう)が話しかけてきた。


「なんだ、蘇嬢」


「皇后陛下の御実家の祖廟(そびょう)をご存知ですか」

「母后の実家の祖廟?確か…瑞祥寺(ずいしょうじ)であったような」


そう答えると、周りを見渡し蘇嬢は小走りに近寄ってくる。

そして急に小声になって、話しかけて来た。


「ぼっちゃま」


「久しぶりにその呼び名を聞いたぞ」


「しっ」


蘇嬢は険しい顔になり、人差し指を自分の口元に置いた。

蘇嬢だけは、幼き頃から私の事を『李煌様』と呼ぶ。


でも私が、父帝や母后に怒られたりして、嫌な事や元気がない時だけは『ぼっちゃま。』と呼び、その後楽しい遊びをしたりして元気づけてくれたものだ。

…なんだか懐かしい。


「お耳を」


蘇嬢に言われ、その高さに頭を下げる。


昔はあんなに大きく見えた蘇嬢も、今では私が屈まなければならない。

いつの頃からだったのか。蘇嬢の小言がうるさく感じるようになり、私の最も苦手とする存在になったのは。こうしていると、昔と何も変わらないではないか。


この前も、凌雪を煊王府(けんおうふ)に招き入れるのを黙認してくれた。

今回も“凌雪と会う場所を悩んでいる”と、つい打ち明けたけれど、咎めるわけでもなく黙って聞いてくれていた。


思えば彼女はずっと、私の味方でいてくれたのに、それを見ようともしていなかったのは私の方かもしれない。


「私の兄が、瑞祥寺の坊主蘇慧心(そえいしん)なのですが」


「えっ?!」


「しっ」


思わず大きな声が出て、また蘇嬢に窘められる。


「瑞祥寺の坊主?」


小声で聞き返したら、二度ほど小さく頷き彼女は話を続けた。

「そこの住持(じゅうじ)(住職)なのです。瑞祥寺と回廊で繋がっている桂隠亭(けいおんでい)は修繕前で、今お参り時の宿泊を、受け入れてないとか。凌孟昊(りょうもうこう)夫人は確か皇后陛下と遠縁で、祖廟は同じ瑞祥寺のはず。


七日後から修繕が始まるので、その前二日は兄だけになるのだとか」


「でも私がそこに行けば、凌雪に会う事が父帝に知られてしまう」


「李煌様は妓楼(ぎろう)夢華楼(むかろう)へ行って下さい」


「なぜだ!」


「しっ」


蘇嬢の話に、また自分の声が大きくなる。


「私は婚儀が行いたいのだ。なぜ妓楼などへ行かねばならぬ」


蘇嬢は私と韓昭の話を盗み聞きし、凌雪と婚儀を行う事を知っていた。


「李煌様が、凌媛羅様との婚姻前に、自棄(やけ)を起こし妓楼へ。そして凌雪様は、寧王殿下とのご結婚のご報告で母君の祖廟へ」


「一体、何の話なのだ。私は凌雪との婚儀…」


蘇嬢は、思いっきり私の口を塞ぐと慌てて辺りを見渡している。


「陛下の隠密(おんみつ)を撒く為の、見せかけですよ。夢華楼の楼主・蘇芸霞(そうんか)は私の姉なのです」


「姉!?お前の家族は何者なのだ」


「ちなみに、今まで黙っておりましたが、凌雪お嬢様の侍女蘇璃は、私の従兄の末娘です」


「……」


私は今、何を聞かされているのか。

凌雪の侍女の素性を、思わぬところで知ることになるとは。

しかし、蘇嬢の家系は何なのだ。私は今まで、何も知らなかった。


「話は、全てついています。殿下の叶わぬ悲恋を、大袈裟に涙ながらに話し、形だけでも婚儀を行いたいと。そう話したら皆泣いて感動し、私に協力すると言いました。

まず李煌様は、韓昭と当日朝から夢華楼へ」


「朝から妓楼など、違う意味で父帝に叱られそうだ」


私は、小さなため息を一つつき、一応蘇嬢の計画に耳を貸した。


蘇嬢の話はこうだ。

――妓楼の裏手に芸妓用の馬車を用意するので、それに乗り私は、韓昭と瑞祥寺へ。

凌雪は、『祖廟に参る』と言って蘇璃と瑞祥寺へ。


思うところがあるので、『住持に話を聞いてもらう為、一泊する』と家の者に伝える。

蘇慧心に協力してもらい、桂隠亭で婚儀を上げる。

そして次の日私が王府に戻ったあと、蘇芸霞が忘れ物だと(はい)を届けに来て、最後に蘇嬢が、妓楼に行ったのかと大声で叱る。


牌を預けるなど、一抹の不安が残るが、私にできる事はそれしかなかった。


それまで時間が許す限り、私は韓昭と夢華楼で婚儀の準備を進めた。

婚礼衣装などは、蘇芸霞が揃えてくれ、全て馬車に積んでいてくれる。

儀式のための道具一式は、瑞祥寺の蘇慧心が準備してくれていた。


蘇璃は事前に『お嬢様が、大変落ち込んでいらっしゃる』と凌孟昊に報告し、瑞祥寺での留宿(りゅうしゅく)を乞う。すると凌孟昊は、凌雪に気を使い≪五日くらい行ってきなさい≫と言ったらしい。


そしていよいよ婚儀当日。


朝部屋に来た蘇嬢が、貝が張られた美しい小箱を私に手渡して来た。


「これは?」


開けてみると、中には鳳凰が彫られた翡翠の指輪が入っている。


「これは、李煌様がお生まれになった時、皇后陛下が『ずっと煌を守ってほしい』と私に特別に下さったものです」


「母上が?」


「皇后陛下は、お口にはされておりませんが、殿下と媛羅様との婚姻を憂いておいででした」


「まさか。母上は、嬉々として媛羅と取り持とうとしていたぞ」


「好きにさせてやれないのが辛いと。そう憂慮されていました。涙されていたことも。『重きものを背負われて生まれて来られた李煌様』の事を、皇后陛下はずっと見守られてきたのです」


思わぬ母の本音を聞かされ、私は戸惑ってしまう。


蘇嬢は目を潤ませて私に言った。


「これを凌雪さんに渡してあげてください。今度は李煌さまが、凌雪さんをお守りするのです。例え、おそばに居られないとしても」


彼女は思わず零れ落ちた涙を、胸元から出した繍帕(しゅうば)で拭きながら、外にいる韓昭を呼ぶ。


そして、「ぼっちゃま、行ってらっしゃいませ」と深々と頭を下げ、私を見送った。


蘇嬢の思いに胸が熱くなる。

私は今まで、一体どれほどの愛情を蘇嬢から受けていたのだろうか。


それをこの時、思い知る。


夢華楼に向かう馬車の中で、私はずっと考えていた。

物心ついた時から、そばに居た蘇嬢の事を。


――蘇嬢よ。心から感謝している。

もしかして、蘇嬢がいなければ、今の私はいなかったかもしれない…


それから夢華楼に就くと、裏口から一番近い部屋に通された。

蘇芸霞が厳選した芸妓が二人呼ばれ、その二人が明日まで私の不在證(ふざいしょう)(アリバイ)を証明してくれると言う。


私は蘇芸霞に私の牌の『龍紋金牌(りゅうもんきんぱい)』を手渡した。


龍紋金牌は、皇族のみに下賜される金製の牌で、中央に龍紋が彫られた皇太子の象徴のようなものだ。これを見れば皆がひれ伏す。


蘇芸霞(そうんか)、後はよろしく頼む」

龍紋金牌を蘇芸霞に渡すという事は、私が蘇嬢を心から信頼しているという事だ。


大きく頷いた蘇芸霞は、深く一礼すると両手でそれを受け取った。


すぐに韓昭と私は妓楼の裏口を出て、蘇芸霞に用意された馬車に乗り、瑞祥寺に向かう。


いつもなら他愛ない話をして和ませる韓昭も、今日は緊張気味であまり話しかけてこない。ただ、馬車に用意された風呂敷包みを見て“凌雪さんの婚礼衣装姿は美しいでしょうね。”とだけ言った。


瑞祥寺に就くと、蘇慧心(そえいしん)が出迎えてくれてこちらに向かい丁寧に手を合わせ、頭を下げてくる。私も心からの感謝を込めて、彼に頭を下げた。


「今日は、ご配慮に感謝する」


「皇太子殿下。良くいらっしゃいました。ご縁とは天意であり、これもまた、仏のご縁でございましょう。魂のめぐりあわせなのでございます」


蘇慧心は穏やかで、本当に素晴らしいお人柄だった。

本当に蘇嬢の兄なのだろうか?


「では皇太子殿下、こちらへどうぞ」


言われるまま回廊を付いて行き、案内された瑞祥寺の離れ『桂隠亭(けいおうんてい)』。 

――最後に母上についてきたのはいつだったか。


回廊の途中にある、中庭にふと足が止まる。


そこは薄水色の紫陽花が咲き誇り、古寺とは思えない優雅さを放っていた。

ここで子供の頃、良くかくれんぼをしていたことを、ふと思い出す。

周りを見ても少し古くなってはいるが、手入れが行き届いていて、修繕しなくともまだ良さそうだ。


「皇太子殿下、お部屋はこちらになります」


静寂に包まれた、桂隠亭の一室。

元は、参拝客の宿泊などに、使われている部屋だが、蘇慧心の手によって、婚儀仕様につつましくも荘厳にしつらえられていた。


中央に置かれた白木の台の上には、絹掛けの赤い布が一枚かけられていて、その上には両端に赤い燭台が置かれている。


正面には【囍】の文字が書かれた掛け軸が下げられ、部屋の壁や床は、丁寧に赤い布で覆われていた。


燭台の横にはそれぞれ、凌雪の好きな白色の小花が、花瓶にふんわりと生けられている。

まるで蘇慧心の真心を表しているようだった。


「実は、昨日妹の蘇嬢が来て」


「蘇嬢が?」


「部屋のしつらえを手伝って行ったのです。隣の親房は全て妹が」


そう言って笑った蘇慧心の顔は、私が知っている蘇嬢の笑顔とそっくりだ。


何から何まで私の為に。

蘇嬢がしてくれたことは、一生かけても返さねばと心に誓う。


それから韓昭と私で、細かな残りの準備をしていると、寺に戻っていた蘇慧心が凌雪と蘇璃を連れて部屋に入ってきた。


それを見た私は、彼女に思わず駆け寄って強く抱きしめてしまい、韓昭に咳払いをされる。


凌雪は「出がけに兄上に出くわしてしまい、嘘が苦手で緊張した」と、言って笑った。


韓昭と蘇璃と、蘇慧心と。

ここにいるのは、『私たちを見守ってくれる者』達だけだから、安心しているのかも知れない。狐火豊祭の時の凌雪の様に、こぼれるような笑顔を見せている。


凌雪が笑っているだけで、私の心が満たされていくような、そんな気がした。

 

次にお互いに、蘇芸霞が用意してくれていた、婚礼衣装に着替えを済ませる。


凌雪は、紅衣に金糸の刺繍の美しい花嫁衣裳を纏い、顔には紅紗の面紗を掛け、そこから文凰の髪飾りが、揺れていた。私は、深紅の礼服に金の冠で装い、その隣に並んで立つ。


私達は向き合って、お互いに束ねられた連理帯(れんりたい)をその手に持った。韓昭と蘇璃は並んで左側の壁際に立ち、神妙な顔つきだ。


これから、私と凌雪だけの婚儀が始まる。

――心だけでも、永遠に添い遂げると誓う為に。


祭壇から、沈香(じんこう)の香りが立ち込める中、私と凌雪はその前までゆっくりと並んで歩いていき一緒に頭を下げた。


蘇慧心の合図が部屋に響く。

「天地に一礼」

「両親に一礼」

「夫婦お互いに一礼」


私達を祝福してくれる両親はここには居ないが、天と地と、お互いに誓えれば私はそれでよかった。


三拝礼が終わると、私たちは蘇璃が差し出してくれた金の杯を左右から取り、盃を合わせて一口ずつ交わす。


「凌雪、この命ある限り、私の想いはそなただけに捧げる。

そなたと心を結び、誰が許さずとも、私はそなただけを選ぶ。

決して心離れることなく、私の心は今より永遠にそなたのものだ」


「私も、殿下だけを選びます。この心は、全て殿下だけのものです」


お互いに額を合わせた後、一礼して無事に誓いを終えた。


蘇璃がぽろぽろと泣いていて、涙を拭っている。

韓昭も、後ろに向き涙を隠していた。


私達の誓いを、二人が祝福し喜んでくれている。

私には、それで充分だった。

凌雪は、そんな蘇璃の背中をさすり、とても明るく振舞っていてその笑顔からは、喜びがあふれているように見える。


それを見られただけで、この婚儀を行って良かったと…心からそう思った。


その後韓昭と蘇璃はそれぞれ、桂隠亭の別室でそれぞれ過ごし、私と凌雪は、蘇嬢が用意してくれていた隣の親房で一緒に過ごすことになる。


きっとこれが、私達が一緒に過ごす最初で最後の夜だろう。


部屋は広くはないが、蘇嬢のおかげで、温かな気配に満ちていた。


寝台は深紅の綾錦が丁寧に敷かれ、天蓋が柔らかく垂れ下がる。

四方を囲う薄絹には、吉兆の牡丹と鳳凰が、手刺繍されており、窓から差し込む月明かりが、それらを淡く優しく照らしていた。


(ほの)かに灯る蝋燭が揺れ、私たちの影が壁に柔らかく踊る。

食卓は低い卓に整えられ、二人が向かい合う形で膳が置かれていて、その中央には、小さな香炉から緩やかに白煙が立ち上り、ほのかに甘い沈香の香りが漂っていた。


部屋に入り、寝台に座した彼女の面紗を丁寧に両手で上げると、こちらをじっと見つめる大きな瞳に引き寄せられるようにして、彼女をじっと見つめる。


「凌雪…」


私は思わずそばに居た、凌雪を強く抱き寄せた。


花嫁衣裳の彼女から、あの初めて会った日の、香袋の香りが漂い、その姿が戸惑いを感じるほど一層美しく感じる。


「凌雪…私は…」


「殿下、先にお料理をいただきましょう」


凌雪はにっこりと笑って、私に膳の箸を持つように促した。

正直、今食事など喉を通るような気がしない。


凌玄珣(りょうげんじゅん)の目をかいくぐり、凌孟昊(りょうもうこう)に悟られぬようここまでの準備は、ほぼ私だけが行っていた。


父帝にも気づかれぬよう、ずっと気を張っていたのだ。

緊張もまだほぐれぬまま、食事など、呑気にできるものではなかった。


蘇嬢兄姉(そじょうきょうだい)が、協力してくれていたとは言え、私の苦労が、全くわかっていないかのように、凌雪は、目の前で紅花鶏(べにばなどり)の煮物を美味しそうに口に運び始める。


「これ、とても美味しいです。これも蘇嬢さんが?」


「……」


「酒蒸し(こい)の切り身…お寺でお魚が食べられるなんて」


「凌雪…」


「殿下。こちらは果物ですよ。(なつめ)に、竜眼、こちらは桃に梨、柿もあります。 」


そう言っていたかと思えば、次は桃花餅(とうかもち)を手に取り、鼻に寄せ匂っている。


「これ、兄上がとても好きなのですよ」


笑ってこちらを見た凌雪の、その腕を強くこちらに引き寄せ、私はそのまま勢いよく、寝台に彼女を押し倒した。


この両手に一瞬力を込めると、下から私を見上げる目が、微かに曇る。


「凌雪、私は料理にも劣るのか」


我ながら、こんな情けない事しか言えないのかと、思わず深い溜息が漏れた。


すると凌雪が、そっと両手を私の頬に伸ばしてくる。


「殿下。あとどれくらい、一緒に過ごすことができるのでしょうか」


「凌雪…」


「この日までは、殿下のお心に刻まれると思うと楽しみでもあり、お顔が見られるこの日を、ずっと心待ちにしておりました。でももう今は、お別れする時間を待つしかありません」


少しずつ涙声になっていく彼女のその大きな目に、今にもあふれ出しそうな揺らめきが、みるみる滲んでいく。


――私は、凌雪にこんな思いをさせる為に婚儀を行ったのだろうか。

ゆっくりと離れた私の側に、凌雪は起き上がり、寄り添うように座った。


「凌雪。私はどうすれば、お前を幸せにしてやれるのだ」


結局結ばれぬ二人は、どうしたって虚しいだけなのだろうか。

そう思わずにいられない。


この先、私たちが一緒になれる日は本当にこないのか。


この様な思いを抱えたまま、それぞれが別の者と婚姻を結び、互いに目をそらしながら、生きていくなど私にできるのだろうか‥‥


例え心の誓いをし、その契りを交わしたとして

それになんの意味がある…


――思わず私は頭を抱えた。


「殿下…私は今日、ずっと殿下と笑顔で過ごしたいのです」


彼女はその指先で、静かにこの頬に触れると、今にも泣きだしてしまいそうな顔で、私に微笑んだ。


「凌雪…」


「私が殿下を思い出すときに、笑っているお顔を思い出したい。

だから殿下にも、私が笑っている顔を思い出してほしいのです」


そう言って、無理に力なく笑った彼女の頬に、私はそっと手を添える。


「凌雪、私はお前よりもずっと、弱かったようだ。

お前がそばに居なければ、これから先、何もできぬ様な気がする」


そう思うと、込み上げるものが胸を締め付け、思わずこの頬に涙が伝わる。


凌雪は、私の頬を伝う涙に、優しくその柔らかな唇を落としてくれた。


この国を担うであろう私には、今までどんな権力もひれ伏し、何も怖いものなどないと、そう自信を思って生きて来た。


当たり前のように、国も民もこの手中にあり、自分のすることに、決して間違いなどありえないのだと。


でも今の私は、己の運命に抗う事もできず、たった一人の女子(おなご)を、失う事に怯え、全ての自信を無くしてしまった、愚かな男だ。大切なものを、守るすべさえもわからず…


「私は何があっても、心から殿下をお慕いしております。

皇太子殿下の事だけを…

私にとって他の誰も、代わりになる事はできないのです。

例え、この身が塵になろうとも、風に乗りそのお肩に寄り添うでしょう。

私の心だけは、何があろうとも、ずっと殿下のおそばに居させてください」


本来言ってやらねばならぬ言葉を、彼女の口から先に言わせてしまう。


「私は、そばに居られなくとも、この魂で、お前ずっと想い続けるだろう。

凌雪…これだけは忘れないでほしい。私にもお前一人だけなのだと」


私の言葉に、彼女は小さく頷くと、その瞳を滲ませた。

そんな凌雪にそっと(ひたい)を合わせ、この目を閉じる。


凌雪を想う気持ちに、微塵も後悔はない。


ゆっくりと目を開き、見つめ合う瞳にお互いどちらからともなく、引き寄せられ重ねた唇。


それは狂おしいほどに甘く、私の湧き上がる情愛を抑えようとしても、もう止める事などできそうになかった。


これから別れが待っていると思えば、切なくもあり、失うと思えば思うほど、手に入れたいとすがりたくなる。


これはただの独占欲だろうか。


――いや違う。


私は、凌雪を心から愛しているのだ。

決して代わりになれる人など、この世のどこにもいないと、

私は生まれて初めて、心から一人の女子(ひと)を愛したのだ。


「凌雪…」


そっと離れた唇に、私はその名を呼んだ。

指先で、顔にかかる髪を、そっと除けてやる。


彼女の潤んだ眼差しは、ゆっくりと閉じられていき、そのすべてで、私を受け入れるとそう返事をした。


それから花嫁衣裳から伸びた白い腕を、この肩に回させ、私はその衣の帯を勢いよくほどく。


狂おしいほどに愛しき存在に溺れ、私はこれから一体どうなってしまうのか。それが想像もつかないほど苦しいものだと、この時に気付かされた。


今度は先ほどとは違い、私は優しく彼女を寝台へ導いた。


その柔らかき唇に重ねた、この漏れる吐息が、交わるほどに深くなり私の感情を捉えて離さない。心の奥が、凌雪に抗う事など決してできないと叫んでいる。


私は、もう取り返しがつかないことをしてしまった。


彼女と離れる事など、私には永遠に無理だ。


「殿下…」


この耳元に零れる小さな凌雪の声が、私の心をせつなく震わせる。


「凌雪…」


どうすればよい…。

他の誰かにお前を渡すなど、無理だ…


私の全てが、お前のものであるように

お前の全てが、私だけのものなのだから。


「お前は、誰にも渡さぬ…」


この部屋に散らばる吐息と共に、ささやかれるその言葉に凌雪の潤んだ視線が、ゆっくりと私を捉える。


それに一度頷いた彼女を、私は心の限りの愛情で包み込んだ。

――私だけの、凌雪。





ほんのりと窓から漏れる月明かりが、その瞳から零れ落ちる一筋の涙を照らし

誘われるように、それに優しく口づけを落とす。


そして、もう一度彼女を優しくこの胸に抱き寄せた。


今確かに触れる、その素肌のぬくもり。

―――生涯私は、決して忘れる事はないだろう。







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