第三十九話 禁足中の逢瀬
私は、凌雪と約束した通り、復帰した日に父帝に二つの上奏文を啓奏した。
一つは凌媛羅との婚姻の解消を願い出たもの。
もう一つは、寧王と凌雪の婚姻の解消を願い出たものだ。
朝議が終わり、臣下達が皆下がった後に父帝にお声がけする。
静まり返った空気の中、御前に差し出された上奏文を読み終えた皇帝陛下は、眉間を深く寄せた。
「煌よ。これは一体何なのだ」
玉座に座した陛下は、ゆっくりと立ち上がる。
手にした上奏文を床へ叩きつけると、紙が音を立てて舞った。
跪いたまま頭を下げた私の背は、全く揺るがない。
この決意は、とても固かったからだ。
―――あの日、凌雪と私は約束した。
今までどうしても、踏み出すことができなかった自分の気持ちに、手を取ってくれたのは凌雪だった。この私ができる事なら、彼女の為に、どんな事でもしてやりたかった。
彼女がそばに居てくれるなら、私には怖いものは何もない。
―――そう思っていた。
「これは、凌雪に心を寄せているがための、お前のただの我儘ではないのか」
「……陛下。私は凌雪を慕っております。されど、今この身は私情にあらず。……このような形でしか、申し上げるすべがございませんでした」
「お前には帝位を譲る事、民も朝も望んでいるのはわかっているな。だが此の上奏、まるで帝家の秩序を乱す背信行為ではないか!李璿はお前の弟ぞ!」
そのお声は正殿に響き渡り、陛下は珍しく感情的になられた。
あまりのお怒りに、剣をも持ち出しそうな勢いだ。
私のすぐ前に立ち、見下ろされていて、怒りの感情を必死で抑えられているのがわかる。
「お前に煊王府での禁足を命じる。朕が良いと言うまでじっとしていろ」
「陛下!」
「今後、凌雪に私的に会う事は断じて許さん。予定通り、凌媛羅との婚姻を進める。婚儀は来月一日吉日に行う事と決めた!」
「父上!」
「父ではない!皇帝陛下と呼ぶのだ!」
「陛下、どうかお考え直しを!」
「煌よ、お前は自分の置かれた立場が、ちゃんと理解できておらぬのか。
寒心失望(心から落胆し、心が冷え切る事)もひとしおぞ!
李昶の動きに、今何一つ油断できないと言うのに…。
朕か、慶淵王か、今どっちつかずの璿を刺激してどうするのだ!」
「私は決して諦めません!」
「もうよい!下がれ!今日の所は顔も見たくない!」
そう怒鳴ると、父帝は冕服の袖を翻し玉座に戻っていく。
私はゆっくりと立ち上がると、父帝に深く一礼し踵を返し出口に向かった。
「煊王よ!!この話は誰にでも言うでないぞ。特に寧王には!!」
そう叫んだ父帝に返事をしないまま、私は煊王府に戻る。
どの様にしたら、凌雪とのことがうまく行くのか。
私は煊王府に向かう馬車の中で、ずっとそれを考えていた。
あっという間に一か月など過ぎる。それまで外に出られぬとなると、手も足も出ない。
父帝が少し落ち着いたころを見計らってもう一度話してみようか。
それとも、母后に相談するとか…
いや、母は凌媛羅とうまく行くことを願っているのだ。
相談なんてしたら、更に婚姻の日を早められかねない。
「殿下」
「なんだ」
ずっと考え事をしていたら、韓昭が心配そうに声を掛けて来る。
「御公務復帰一日目に、陛下に禁足を命じられるなど…」
「今までも禁足のようなものだったのだから。一日や二日くらいよい」
「一日か二日なのですか?」
そう言えば、陛下は日数を言ってなかった。
まさか婚礼の当日まで、王府に閉じ込めておく気なのか?
そうなると困る!どうにかして、凌雪に会う方法は、ないものだろうか。
「韓昭。お前、今蘇璃とはどうなっているのだ」
「蘇璃?どうなっているとは??」
「慕いあっているのだろう?」
そう尋ねると、韓昭が驚いた顔で私に言い訳を始める。
「そのような事、断じてございません」
「では、祭りの日に二人で灯篭を流していたのは何なのだ」
「手伝ってほしいと、言われたからですよ!
私はあれから、ずっと殿下を探していたのですから」
なんだか、あの日の事はよくわからないことが多い。
蘇璃は韓昭といい感じだと、凌雪が言っていた。
凌雪以外は、誰もいなくなるし。
それに凌雪に近づいていた、あの楽師の様な妙な男は、一体何者なのだ。
今でも解せぬ。
「まぁいい。韓昭、頼みがあるのだが。 」
「はい。なんなりと」
私は凌雪に侍女の格好をさせ、煊王府に連れてきてほしいと彼に頼んだ。
「侍女に?」
「蘇璃に、協力してもらってくれ。お前と蘇璃とで凌雪を煊王府に連れ来てほしい。
蘇嬢の目以外は、ごまかせるはず。当日は禁足中だからと、皆に暇も出しておく」
「殿下、凌雪さんと会えたとして、媛羅さんとの婚礼の日取りは一体どうするおつもりなのですか。」
「それを、凌雪と相談するのだ。早速文を書く。すぐに凌府に届けてくれないか」
「はい」
「凌孟昊と玄洵に、決して気づかれぬように」
こうして私は凌雪に文を書き、それを韓昭に託す。
―――相談したいことがあるので、すぐに会いたいと。
禁足中なので、できれば煊王府に来てほしいと。―――
するとすぐに、韓昭が凌雪からの返事を持ってきた。
そこには≪自分も大切な話があるから会いに行く≫とだけ書いてある。
その文は、前に霽月堂で私が買ってやった、玉箋に書かれていた。
そして、凌雪が煊王府に来る当日。
韓昭は、蘇璃に頼んで凌雪を外に呼び出した。
凌雪に、霽月堂の奥の部屋で、侍女の衣に着替えてもらい、韓昭と蘇璃と連れ立って煊王府に来てもらうと言う算段だ。
その日は、禁足で暇だからと、ほとんどの使用人に二日休暇をやった。
だが蘇嬢は残り、朝から私の様子を、何度も見に来る。
「使用人が少ないので、私が忙しくなったではないですか」
「では、お前にも休暇を与えようか」
そう白々しく言うと、“自分がいないと困るだろう”と、また部屋を出ていく。
――いる方が困るのだ。そう思ったけど言わなかった。
それから後一刻ほどで、凌雪の到着が迫ってきた時だ。
蘇嬢がまた茶を持って、私の部屋へ入ってきた。
今日、何度目の茶なのかわからない。
「もう茶はいらぬ。水腹になるではないか」
「李煌様。私が気づかぬとお思いですか」
いきなり真顔で聞いてきた蘇嬢に、思わず背中が寒くなる。
小さい時から、私の悪戯はすぐ蘇嬢に露見した。
なぜだかわからないが、全てをいつも見通している。
その時、私をいつも窘めていたのと同じ表情で、こちらを見た。
「蘇嬢…」
名を呼ぶと、彼女はため息を一つつき小さく首を横に振る。
「私は、どんな時でも李煌様のお味方です。
しかし、味方と言っても、すべてを肯定するわけではありません。
間違っている事を、正すのが私の役目なのです」
「……」
「今日来られるのは、凌雪様ですか、凌媛羅様ですか」
「……」
「わかりました。答えられないという事は、媛羅様なのですね」
「え…?」
彼女は、どちらなのか答えなかった私に、わざと媛羅だとそう言った。
「私も今から、他の使用人と同じように休暇をください。
夜まで芝居を見に行きたいので、戻りません。
全く、私だけいつもこき使われて…食事は御膳房に置いてある私の包子を勝手にどうぞ」
そう言って、そそくさと一礼し部屋を出ていく。
それから、残っている数人の使用人を庭仕事に追いやると、門前に出て誰にも見つからぬよう自ら気を配る。
予定していた刻になり、外からの合図で門扉を開けると、あまりにも手薄になった屋敷の様子を見て、韓昭が慌てていた。
人に見られぬよう、警戒しながら三人を私の部屋まで連れて行き、韓昭と蘇璃には隣の部屋で待機してもらう事にする。
ここまでの気苦労を考えると、凌雪と部屋で二人きりになり、私は気持ちを抑えられず、思わず、勢いよく抱きしめてしまった。
…ふわりと漂う凌雪のあの香り。
「数日しかたっていないのに…とても会いたかった、凌雪…」
彼女は、私の腕の中でじっとしていた。
私に応えるわけでも、抗うわけでもなく…
「あれから、どうしていたのだ?」
そう言って顔を覗き込むと、頼りなく私に笑う。
「どうした。あまり元気がないようだが」
「そんな事はないですよ。殿下にお会いできて、とてもうれしいのですから」
そう言った凌雪を、部屋の円卓の前の椅子に導く。
そして、私は凌雪の隣に並ぶようにし、二人で椅子に腰を下ろした。
「凌雪、実は私は今禁足中なのだ」
「……」
凌雪は、黙ったまま私の話を聞いている。
きっと、思わぬことを知らされて戸惑っているに違いない。
私は、なるべく凌雪が、心穏やかに話が聞けるよう、気を配った。
「驚かないで聞いてほしいのだが、二日前、実は陛下に上奏を出した。
媛羅との婚姻を取りやめるものと、寧王と凌雪の婚姻を取りやめるものだ。
父帝が落ち着いた頃を見計らい、もう一度話そうと思っている。
しかし急がねば、もうあまり時間がないのだ」
「姉上との婚姻が、早まったのですよね。父に聞きました」
意外にも、凌雪は冷静に話を聞いていた。
「絶対に私は、凌媛羅と婚姻はしない!」
私は咄嗟に、目の前の凌雪を強く抱き寄せる。
「殿下。私はあれから父に言われた事があります」
「凌孟昊に?何をだ」
「私の婚姻は、私の為ではなく皇太子殿下の為だと」
凌雪の口から語られるのは、私が全く想像もしていないことだった。
「それは一体、どういうことなのだ」
「今水面下で、慶淵王殿下の謀反の兆しがあると」
「……」
「陛下も父も全て把握していて、皇太子殿下もわかっている事だと聞きました。寧王殿下の動向を皆が固唾を飲んで見守られている事も」
「だから何なのだ。そんな事お前には関係ないではないか」
「皇太子殿下。私は、寧王殿下に嫁ぎます」
「一体何を言っているのだ、凌雪。訳が分からぬ!」
思いもよらぬ彼女の言葉に、同様のあまり、すがるような私の声が出る。
彼女の頬に添えられた私の両手に、凌雪はその手を優しく添え、溢れる涙をこらえきれず落とした…
「私は、皇太子殿下が無事ならそれでいいのです」
「……」
「もし兵が動けば、陛下の天黎がどうなるかわからないと聞きました。
そして、寧王殿下が皇太子殿下に抗えば、殿下のお命もわからないとも。
今まで、私たちが危険な目に遭っていたのは、全て慶淵王殿下のせいだったのですね」
「凌雪…」
「私は、少しもわかっていませんでした。
殿下を想う気持ちと同じように、お慕いしてくださっているとわかり、一人で浮かれていました。
それまで皇太子殿下がどのような気持ちで、ご自身のお気持ちを抑え、この国の為に耐えて来たのか、それをもわかっていなかったのです。
私のせいで、皇太子殿下も、寧王殿下も姉上も、皆を苦しめることなど私にはできません。それにやっと気づいたのです」
「私は、お前がいないと苦しいのだ。もう陛下に上奏も出した。
もう一度お願いしてみる。いや、何度でも上奏する。私は絶対にお前を諦めない」
凌雪は、そう慌てて言い放つ私の両頬を掌でそっと挟み、ゆっくりと、その儚い羽の様な唇を私に落とした。
頬に伝う涙が、一筋の光となって零れ落ちる…
これほどの想いがあるのに、なぜ私たちは一緒に居られないのか。
そして私から離れていく、愛しいその唇から聞きたくない言葉が紡ぎだされた。
「皇太子殿下、私は寧王殿下の正室になります。
ですからどうか…姉上をよろしくお願いします。
…それから、この天黎を守る素晴らしい聖君になられることを祈っておりますので…」
そう言い終わると、立ち上がろうとする彼女を、私は自分の全てで引き留めた。
そのような事、決して認める事はできず、そうなれば私は耐える事など絶対にできないと、そう思ったからだ。
「ならぬ!寧王となど決して許さぬ。
私は凌媛羅との婚姻など、もう考えられないのだ。凌雪、考え直せ」
「煊王殿下…」
彼女は、凌雪にすがるそんな私を見て泣いていた。
私はお前の為なら、ここまで情けない男に成り下がってしまうのだ。
――凌雪。
その決意がどれほど辛いものかは、わかっている。
私だって、もうお前がいない人生など考えられないのだから…
「凌雪。私と生涯を共にしよう」
「だからそれは姉上と…」
「私は、お前以外の女子は望まぬ。だから二人だけで婚儀をあげるのだ。私にとって、婚儀は誓いで約束だ。それをお前と行う」
「そのような事をして、もし陛下に知られれば大変な事に…」
戸惑う彼女を、強く抱きしめながら、私は続けた。
「凌雪、皆には知らせず、その前に私たちは二人だけで婚儀を結ぼう。
例え、離れていてもお互いを想っていると、二人で天に誓うのだ」
「殿下…」
「私は、例え離れていてもお前だけを愛すると天に誓う…」
もう私には、これ以上、寧王に嫁ぐと言う凌雪を、説得することはできそうになかった。彼女の決意は固く、きっと凌孟昊が説得したのであろう事は察しがついた。
寧王が我々に反旗を翻せば、間違いなく民を巻き込む戦になり、そして、私か寧王のどちらかが倒れる事になる。
それは、父帝も、私も、凌孟昊も、誰もが憂いていた周知の事実だからだ。
それを防ぐために、凌雪を駒に使う事になるなど、今の私に耐えられるはずがなかった。
それでも、凌雪の気持ちはもう揺らぎそうにない。
「私の女子は生涯で凌雪、お前がただ一人だ」
この胸に抱いた凌雪に、心からの苦しみが噴き出すかのような私の声。
――私は、これほどまでに惨めな男にもなれたのだな。凌雪…
彼女はこの背中に躊躇いながら手を回し、顔を伏せたまま胸に顔を埋めた。
「私も心からお慕いしております。煊王李煌殿下お一人だけを…」
こうして、私と凌雪は、韓昭と蘇璃に手伝ってもらい、二人だけの婚儀をあげる事を約束する。それが私たちの別れになるだろうと、そう心ではわかっていた。
一週間後、まだ解けぬ禁足に苛立ちを募らせていたが、あれから何も申し上げず、媛羅との婚姻に同意した私に、父帝は禁足を解く命を下された。
――――おかげで事が楽に運んだ。
蘇嬢は私の為に、ずっと見て見ぬふりをしていてくれた。
今まで私が警戒していた蘇嬢が、凌雪との婚儀に、誰よりも親身になってくれたのが意外だ。
場所は蘇嬢が考えてくれたのだから。
私は今まで、皇太子に生まれた事を、これほどまでに後悔したことはなかった。
決して切る事も、争う事もできない父の息子であることも、李璿の兄であることも…




