第三十六話 妖魔の正体
玉狐神君から、凛宸のそばに居る凌媛羅が妖魔だと聞き、私は急ぎ天界へ戻ると、凛宸の父戦律神蒼炎を訪ねていった。
「燁煊、久しぶりだな。司命老師は元気にしておられるか?」
蒼炎は、現在霊山蒼霊峰にて、剣術の修行の為ここに籠っている。とても霧深く、天界兵の軍・瑞霊軍の精鋭数人のみしかいない場所だ。
彼らは不測の事態に備え、常に己を研鑽していた。
そして皆凛宸の歴業が終わるのを、ここで待っている。
蒼炎は、穏やかな笑みを浮かべ私に茶を勧めた。
「はい。日々忙しくされています。相変わらず口うるさく」
「それは、頼もしいことだな。お元気で何よりだ」
茶器を口に運びながら、そう言って笑った蒼炎の目は、凛宸の優しい目に本当によく似ている。
穏やかそうに見えるが、戦術にかけて天界では蒼炎の右に出る者はいない。
彼が持つ宝器『蒼震戟』は、蒼天を震わす神の戟雷鳴と共に敵を打ち、魔界をも裂くと言われている神剣だ。
それは代々戦律神が受け継ぐもので、いずれは凛宸の手に渡る。
彼は今、名実ともに天界一の戦いの神なのだ。
「蒼炎戦律神、凛宸の事なのですが」
「凛宸?」
彼はその名を耳にすると、手に持っていた茶器をそっと目の前の案の上に置く。
そして姿勢を正し、私を正面から見据えた。
「実は玉狐神君が、歴業に出ている凛宸と、瑤心の様子を人間界で見て来たそうなのです。その際、凛宸のそばに妖魔の女子がいたと」
「妖魔?」
「はい。歴業での生涯は司命殿で管理しております。ゆえに、上神仙の歴業で魔と結びつくことなど、絶対にありえない。
今回凛宸の歴業では、司命簿葉も改ざんされている可能性もあり、戦律神が何かご存知ではないかと。
そう思い、ここに訪ねさせていただきました」
蒼炎はしばらく考え込んでいたが、深いため息を一つついて重い口を開いた。
「…二千年ほど前の事だ。
あれはまだ、魔界を『焱獄天尊』が治めていた頃で、私は天帝に命じられ彼を討伐しに凛宸と封神涯(天界と魔界の境)へ向かった。
当時焱獄天尊には、娘と息子がいて 娘は凛宸と同じ年位。息子はもう少し幼かったか…」
「娘と息子?」
「我々瑞霊軍はその二人を捉えたのだが、焱獄天尊を誅滅した際、息子は封印した。
そして娘の方は断魔(魔の命脈・力を断ち切る)しようという事になったのだが…」
「どうなったのですか」
「当時凛宸は、断魔ではなく封魔磐に閉じ込めるので良いのではないかと」
「封魔磐?」
「封魔磐とは、最も深き霊力を宿した天界の焔空涯にある聖岩で、万力の結界を通じて魔を閉じ込めるものだ。当時凛宸は上神仙の戦神になったばかりで、心軟(情に脆く、心が優しい)であり、焱獄天尊にも刃を向けられてしまうような、そんな力しかなかったゆえ…。
魔の息の根を止める事を躊躇った。もしやそれが…」
蒼炎はしばらく目を伏せたが、意を決するように傍に合った巻物を私に手渡す。
「燁煊、これを見てほしい」
「これは?」
「先日、巡回に出た天聖衛(天界の警備隊)からの報告だ。凛宸が封じた封魔磐が、何者かに破壊され焱獄天尊の娘がいなくなっていたらしい。
焱獄天尊亡き後、天界から派遣されていた昊玄も、今行方が分からず…。もしかして娘夜羅の逃亡と関係あるのではと、調査を進めているところなのだ」
「夜羅…」
「今の所凛宸が関わっている≪魔≫とは、それくらいしか浮かんでこない…。
なれば、あの時の判断が間違っていたと認めざるを得ないやもしれないが…凛宸の歴業に関わっているかどうかは、悪いのだが…私では見当がつかぬ…」
焱獄天尊の娘・夜羅。
それが凌媛羅だとすれば、蒼炎の言うように、なぜ凛宸に近づこうとするのだ。
まさか復讐か何かを企てているとか?
凛宸の消滅を目論んで?でも、凛宸のおかげで命拾いをしているではないか。
「蒼炎戦律神、もし何かわかればすぐに司命殿に知らせてくれませんか。事態は、一刻を争うのです。歴業の失敗は許されないのですから。凛宸の原神を守るためです」
「わかった。こちらも調査を早めよう。そちらの事はしかと頼んだぞ、燁煊」
蒼炎は、私に深く頭を下げ、巻物を桐箱にしまった。
私もそれに深く頭を下げ、蒼炎の屋敷を後にするとその足で司命殿に向かう。
「戦律神に会って、何かわかったのか、燁煊」
司命殿につくと、司命老師が心配そうに詰め寄ってきた。
蒼霊峰で聞いてきた話を、全て話し終わったころ、今度は玉狐神君が人間界から、浮き立って司命殿に戻ってくる。
天界の一日は、人間界の一年に相当した。彼が天界を留守にしてからはたった数時間ほどだ。
なので、歴業に出かけた神仙達も、おおむね三か月ほどで皆戻ってくる。
聞けば狐火豊祭は、今年も盛況だったと大層喜んでいた。
「燁煊、妖魔の話はどうなった?凛宸の父には会いに行ったのか?」
玉狐神君は呑気にそう言うと、手に持っていた沢山の土産物のうち、いくつかを老師に手渡している。それは村人や巫女たちが白玉廟に供えた供え物だ。
「はい、これ燁煊にも。福のお裾分けだ」
それが自然すぎて、思わず受け取る。
そして私が蒼炎から聞いてきた話を、玉狐神君にも話して聞かせた。
「焱獄天尊の娘なら、妖魔どころではない本当の魔ではないか。
そんなもの、絶対に凛宸と婚姻などさせられぬな」
彼はしれっとそう言って、手に持っていた山葡萄の房を、ぱくりと無邪気に口に運ぶ。
「しかし、司命簿葉には凌媛羅と婚姻すると書かれておるのだ!」
司命老師が、玉狐神君の山葡萄を取り上げながら反論した。
そうだ。≪凛宸は凌媛羅と婚姻を結ぶ≫と司命簿葉には記されていた。
でももし凌媛羅の正体が焱獄天尊の娘ならば、凛宸が媛羅と契りを交わせば、穢れで神格を剥がされ戦律神になれなくなる。
「一体どうすればよいのだろう…」
「安心せよ燁煊。凛宸はもう凌媛羅とは婚姻せぬぞ」
自信満々の玉狐神君の言葉に、老師も私も驚きで目を見開く。
「それはどういうことだ、玉狐神君。一体何をした!」
老師が震えながら、彼の胸元を両手で掴んだ。
「私が相思相愛にしたゆえ」
悪びれもせず得意げに話す玉狐神君に、私も老師も思わず息をのむ。
「…相思相愛?」
私はそう聞き返すのがやっとだった。
「昨日は忙しかったのだよ。まず寧王と魔女に病の術を掛け、おばばを操り、瑤心の兄に凛宸と同じ着物を着せたりな」
「……」
「護衛に成りすましたり、侍女に成りすましたり。化けるのも忙しかった。それから瑤心に、心術を掛けたりも」
「心術?」
心術とは心を操る術だ。本音を引き出し、感情を抑えられなくする。
「久しぶりに話したが、瑤心は相変わらず、あっさりと術にかかりやすい。凛宸を想っているのが読めたから、私が一肌脱いでやったのだ」
そう言って思い出し笑いをする玉狐神君に、司命老師も言葉を失う。
…もう、目が点だ。
「…瑤心に、術を掛けた…?」
私もそう聞くのがやっとだった。
「ふふん、凛宸はもう、瑤心に、べったべたに惚れておるぞ。
二人は相思相愛になったゆえ、もうあの魔は近づけまい」
「しかし、皇帝の勅旨は覆せない。そんな事をすればこれから先、二人が苦しむだけだ」
「そんなの、心配しなくとも良いではないか。人間界での歴業などあっという間だ。あの二人は早世だと聞いたから一、二か月で戻ってくるのでは?天界では味わえぬ、人の世の苦しみも趣があるというものよ」
そう笑うと、胸元から≪奉納≫と書かれた酒瓶を出し口に運んだ。
「凛宸は司命簿葉の通り、凌媛羅と婚姻を結ばねばならないのだぞ!!」
司命老師が、出せる限りの声を出し憤っている。
「魔と契りは、交わせぬのだろう?それはもう、どうにもならないではないか」
玉狐神君は少しだけ酔いが回ったのか、ひょっこりと尻尾を見せると≪帰って寝る≫と言い、供え物を幾つかそこに並べ、上機嫌で霊狐殿に帰って行った。――おばばの寿命を少し伸ばしておいた。と…
人間界で凛宸と瑤心が相思相愛になれば、凛宸は凌媛羅との婚姻を取りやめると言い出すかもしれない。そうなれば司命簿葉に書かれた運命に抗うことになる。
しかし媛羅は夜羅の可能性もあり、凛宸がもし結ばれれば取り返しがつかないことにもなる。それに、瑤心も必ず寧王と一度は結ばれねばならぬ。他の解釈は兎も角、それだけは名が記されているから絶対だ。
玉狐神君がしたことは、単なるいたずらでは済まされない。
「燁煊…」
「司命老師、どうすればよいのでしょうか」
「葉に記された明らかな運命は、必ずや成し遂げねばならぬ。それが宿命だ」
「でも、媛羅と凛宸は結べません。何か良い方法は…」
老師も暫く考えていた。
「魔の力が凛宸に及ばぬようにする…凛宸の気が守られるもの…原神を守るには…」
その時ふと、司命簿樹の根元を彩る、色とりどりの玉石に視線を落とし、大きく手を鳴らす。
「そうだ!紫魂石を使おう!」
「紫魂石?」
「紫の魂を持つ霊石で、魔を封じる甚大な力を持つのだ。あれを凌媛羅に嵌めさせれば、凛宸への影響が防げるぞ。それしかない!」
「私がそれを、何とかして凌媛羅に付けさせてきます」
司命老師は、小さく頷いて≪それしかないな≫と深いため息をついた。
凛宸と瑤心が相思相愛になろうとも、絶対に抗ってはいけないこの二つの運命。道を踏み外せば、二人は灰になってしまうのだ。そうなる事だけは、なんとしても阻止せねば。
「しかし、玉狐神君め。あやつに話すべきではなかった」
「でも、悪気はないのですから」
「おばばの寿命ってなんだ。人の寿命を勝手に伸ばしおって!!普通の人間なら、来世の寿命が短くなるではないか!」
司命老師はぶつぶつと怒りながらも、玉狐神君が置いて行った土産物をかき集めそれを手に、司命殿を後にする。
二人がただの人間なら良かった。
前世の過ちは、転生し償える。
もし司命簿葉の運命から誤って逃げたとしても、次の人生でまた必ず同じことが起きる。
魂が昇華するまで、それは永遠に続くのだから…
ただ二人の歴業は、一度の過ちで消滅につながるため、私達の心配は尽きない。
…しかし司命簿葉の内容に、ここまで翻弄される事は、今までなかったように思う。
天の理に従いながらも、思いを抱いて生きる人の姿は、あまりにも切なく、美しいものだと――この時ふと、私はそう思った。
そして、儚いものだなと…。




