第三十四話 二人の気持ちが通じる時
蘇璃と韓昭さんを見送り、仕方がないので兄と二人で"灯篭を流そう"という事になり川辺に行くと、すでにたくさんの人が集まってきていた。
暗く大きな流れに、まるで本当の狐火のように幾つも連なった灯篭が流されていて、とても幻想的だ。
土手になったところには、柳の木が規則的に植えられているので、それがゆらゆらと揺れ、初夏の夜にふさわしく“しゃら、しゃら”と涼し気な音を立てている。
兄上が持っていた、流し灯篭の灯りが突然消えて、周りの人に火を持っていないかと尋ねたら、皆“灯篭を着けたから、もう消した”と口を揃えて言った。
兄が”廟まで行って火を貰ってくる”と言いだす。
周りにはたくさんの人がいるので大丈夫だろうという事になり、私は少しの間そこで待つことにした。
すると、一人の見知らぬ男の人が、私に声を掛けてくる。
彼は男の人なのにとても妖艶で、肌が透けるように白い。
そして、初めて会うのに、なぜかとても懐かしい感じがした。
「瑤心」
「瑤心?」
違った名前で呼ばれ、もしかして人違いなのかと思っていたら、彼はそのまま話を続けた。
「その灯篭に書いてある事は、叶いそうかい?」
そう言われて足元にある火のついていない灯篭に目をやると
≪良縁成就・心契永縁≫と、書いてある。
「姉と私が婚姻するので、祖母が願ってくれたのです」
「婚姻?なんだか気が乗らないようだね」
そう言われて、思わず彼の顔を見た。
この人は一体何なのだろう。
体から、さっき行った白玉廟の香の匂いがとてもする…。
「≪心契永縁≫というのはね。心が契りを交わし、永遠の縁になると言う意味なのだよ。深く結ばれた愛の事なのだ」
「心が契りを…?」
「あなたが迷っているなら、心の迷いを兄様に話すと良い。本心を打ち明ければ、心が嘘のように楽になるよ。 」
そう言った妖艶な男性は、その指先を私の頬にすっと滑らせると、何かを確認するかのように、横目で視線を柳の木の方に動かした。
私もそれを見ようとしたら、ふっと耳元に顔を近づけて来る。
「兄様は、君の味方だから。忘れないで。今宵が良い機会だ」
そう言い彼が、優しく微笑んだその瞬間の事だ。
誰かが背後から、私の手首を勢いよく掴んだかと思うと走り出したので、慌てて、忘れないように側においてある灯篭を手にした。
「兄上?」
白狐の面をかぶっているが、どう見ても衣が兄上と同じだ。これは兄上だ。
不意に男の方を振り返ると、彼はにっこりと笑いながら私にひらひらと手を振っている。
兄の知り合いかと思ったが、どうやら違うようだ。
私が知らない人と話しているから、また驚いたのかもしれない。
兄上に手を引かれ、土手の上の柳の木の下まで来ると、流し灯篭を胸に抱き息を整えた。
「兄上、どうしたのですか。びっくりしました」
私が、息を切らせながら思わずそこに座ると、兄も機嫌が悪そうに、同じように私の隣に座る。
「火は、あったのですか?」
そう強く尋ねると、狐の面を着けたまま小さく首を横に振った。
私が怒っているのが分かったからなのか、しんみりと反省しているようにも感じる。
何も話しかけてこない…
兄は、二人の間に置いてあった灯篭を手に取ると、私がお祖母様の為にそこに書いた願い事をじっと見ている。
「兄上…お祖母様のこの願いが、叶えばよいと思いますか」
「……」
黙ったままの兄も、何か思う事があるのだろう。
さっき会った、不思議な人に言われたからだけではなく、兄上に話してみようか。小さいころから、いつも困っていると助けてくれて、どんな相談にも乗ってくれた。
兄なら、この苦しい私の気持ちを、理解してくれるのではないだろうか…。
あの人も言っていた。≪今宵が良い機会だ≫と。
そこから見える、川面を流れていく灯篭の揺れる灯りを見ていると、私の内にある不安も揺れ、自分の想いを兄上に話してみようと心に決める。
「兄上…聞いてもらえませんか…。
実は…私は皇太子殿下の事が好きなのです。お慕いしているのです」
兄は、黙ったままそれを聞いていた。
返事をしないのは、きっと驚きで、何を返していいのかわからないのかもしれない。
「きっと兄上は、驚いているのでしょうね。でも私は、もう心を偽ることが、できそうにありません」
「……。」
「“陛下の勅旨だから仕方がない”と、何度決心しても、煊王殿下のお顔を見る度に、それが揺らぎ、耐えられないのです。
きっと、兄上は姉上と仲睦まじい姿を、祝福しなければならないと言うでしょう。
私もそれが殿下の幸せなら、それでいいのです。姉上と幸せになっていただきたい…。
でも寧王殿下と私の婚姻は、取り消してもらえるよう、父上にお願いしてくれませんか。兄上にしか、頼める人がいないのです…」
「……」
兄上は私の打ち明けた真実に、言葉を失った。
それほどの事なのだ。
それはわかっていた。
でも、兄で駄目ならばこの後、父に皇太子殿下への気持ちを話さねばならない。
そして…≪寧王殿下と婚姻はできない≫と。
「私は…煊王殿下の何事にも一生懸命な所が好きなのです。
常に民の事を考え、私の事も命がけで救ってくださった。
誰よりも責務を全うされようとしている、そのお姿に心惹かれています。
今足にお怪我をされて、どんなにご不自由な事か。きっと公務に戻れず、苦しい思いをされている事でしょう…私も苦しいのです。あのお怪我は私を庇ったせいなのですから…」
自分で話しているうちに、感情が高ぶって涙がこぼれる。
でも、私がこんなに一生懸命打ち明けていても、隣にいる兄はなんの返事もない。
兄上にしてはさすがに無責任だと、徐々に腹が立ってきて、私は涙を拭いながら兄に詰め寄った。
「何とか言って下さい、兄上!意を決して、打ち明けたのですよ…いつもなら一緒に、考えてくれるではないですか!!」
泣きながら拳で胸を叩くと、小さな声で≪凌雪≫と言う。
その声は、一瞬違う人の声のように聞こえた。
面をつけている為、声がこもっているからか?
しかし、兄は私の事を『雪児』と呼ぶ。『凌雪』とは呼ばないのだ。
私はそこにいる『兄』だと思っていた人をじっと眺めてみる。
でも見れば、衣は確かに兄と同じ物だ。
≪面を取ってくれ≫と言おうとしたその時だ。
その人がゆっくりと右手で自分の顔の狐の面を外し、こちらを真っ直ぐに見た。
それは‥‥――皇太子殿下だ――
驚きで心臓が止まりそうになり、言葉にもならない。
てっきり兄だと思い込み、絶対に言ってはならない人に全て話してしまった。
「皇太子…殿下…」
「凌雪…」
一体何を言われるのだろうかと、恐怖で体が動かない。
陛下の勅旨をぞんざいにして、寧王の婚約を取り消したいと本気で思っていることを、知られてしまった。
さっきの、土手下の男の人が、変な事を言うからだ。
ずっと思い詰めていたからつい、兄上にならとそう思って…
「も‥‥申し訳ありません。どうか…陛下には内緒にしてください」
そう言うのがやっとだった。それしか浮かばない。
私は、ここから逃げようと心に決め、勢いよく立ち上がった。
側にある灯篭を取ろうとしたら、煊王殿下に咄嗟に腕を掴まれ、そのままの勢いで抱きしめられる。
するとそのせいで、灯篭が土手下にころころと転がってしまった。
「灯篭が…」
まだ灯篭を気にしている私を、窘めるように、もう一度名前を呼ぶ。
「凌雪」
この状況で、一体何を言われるのだろうか。
考えていると怖くなってきて、殿下のお顔が見えないように、横に転がっている白狐の面を、丁寧にもう一度かぶせ逃げようとした。
「さっきの男は、誰なのだ。」
意外にも、的外れな事を聞かれ、思わず自分がさっきいた方を振り返るが、あの妖艶な男はいない。
「あれは…兄上の友達です」
「凌玄珣の?」
殿下は驚いて、白狐の面をまた自分で外した。
兄の友達かどうかは知らないが、兄に話せと言ったのはあの人だ。
――おかげで、厄介な事になってしまった。
「どこの、何という友なのだ」
そんな事を聞かれても、知るはずがない。
一体殿下に何の関係があるのか。
「知りません」
「知らないくせに、なぜあのように親し気に話すのか。顔を触っていたではないか!」
“親し気に”とそのように、今殿下が怒る事なのだろうか。それに、大して親しくは、していない。
「どうして殿下が、そこまでおっしゃるのですか…」
ただでさえ、余計な話をして気まずいのに、まさか一つ一つ尋問する気では?
陛下の勅旨の事、寧王殿下との破談の事。それから…
「お前の事を、慕っているからに決まっているだろう」
――――それは予想だにしていなかった、皇太子殿下の言葉だった。
あの狩りの時も“姉上を大切に思っている”とそう言っていた。
思わず気持ちを打ち明けた時も、何も言わなかったではないか。
でも今…殿下は私を慕っているとそう言う。
「…嘘」
「嘘ではない。凌雪、私がこれから話すことをよく聞くのだ」
「……」
「陛下の勅旨は、絶対だ。誰も覆すことなどできぬ。
だから今まで、私も心を偽ってきた。凌媛羅を慕う事はできなくても、受け入れる事は私の務めなのだと。
私は、景国の正室も迎えねばならぬ。ゆえに、お前への気持ちに気づいた時、誰にも悟られまいと心に決めていた」
「殿下…」
「すでに、お前と寧王との婚姻の勅旨も下りていて、どうすることもできないと思っていたからだ」
「……」
「私には何ができるのだ。凌玄珣にできる事なら私にもできるはず。お前の為に何でもしてやる。それを教えてくれないか?」
煊王殿下は、すがるような眼で私の手を取った。
「殿下には…何もしていただかなくても、よいのです…」
「凌雪」
「自分の事は、自分で何とかします。それに殿下にはお立場があります…」
「でもそれでは、お前が…」
「殿下がお気持ちを打ち明けてくださっただけで、私はもう十分です」
そう言った私の目から涙が溢れ、頬を伝って落ちた。
煊王殿下は、その涙をそっと指先で拭い、この手を両手で強く握ってくれた。
この時代、自分の想いだけではどうにもならないことが山ほどある。
それはわかっているつもりだった。
でもそれが、こんなに苦しい事だなんて…
そしてこの先もっと苦しむことになるなんて、その時の私達は、気付いてもいなかった…




