第三十二話 狐火豊祭の神・玉狐神君
一年ぶりの狐火豊祭の為に、一か月間人間界で仕事をする。
本当に楽しみでしかない。
私は狐族の王。
霊火を灯し、豊穣を司る神——玉狐神君。
商売繁盛・五穀豊穣を役目として皆を見守っている。
この一年に一度の狐火豊祭は、私にとっては大事な祭りで、人々が住まう大地に、狐が出す霊火によって豊穣の力を撒く。
人間が野に灯篭を置き、それを狐火に見立てて神を迎えるのだ。
私は地上に降り、その様子を見るのが毎年とても楽しみであった。
その折、最大の福を与える人間を一人だけ選ぶ。
行いが良く、私欲ではなく人のために生きている霊性の高い人間の事だ。
もし選ばれれば、その人間は驚くほど成功し豊かな人生になる。
その人間を選ぶため、昨日司命殿に行った。
あそこには、人間の一生を記した運命の葉がある。
そして葉の色は、その人々の行いによって色が変わるので、とてもわかりやすい。
白金、緑、黄色、赤、黒、そして今にも枯れそうな葉。
それは運命の流れでも色は変わり続け、枯れそうな葉はもうすぐ人間界での命が終わる者の葉だ。
いつもその中の美しい白金の司命簿葉の中から、私は”その一人”を適当に選んでいた。
本来行いが最期まで良い者を選びたいのだが、行きつく先は見る事が出来ぬため、後でその葉が黒く色変わろうとも仕方がない。
中には富を得る事で、人格が変わってしまう場合もある。
司命殿に行くと、燁煊と司命老師が、何やら深刻な顔で相談しあっていた。
それは歴業に出た凛宸と瑤心の事だという。
心配などせずとも、ほとんどの人間が司命簿葉の通りの人生を送るではないか。
ただ難を言えば、内容が詩のようになっていてはっきりとわかりにくい事だ。
だから記したものでさえも覚えているのが難しい。
≪本来上神仙の為に作られたもの≫ではない、他の人間の人生を遂行する羽目になってしまった二人。
平凡な人生を送り、無事歴業を終えるはずだったのに…
愛する人を守って最期を遂げる瑤心。
そして愛する人と結ばれるが、その死に苦しむ凛宸となってしまった。
なぜそれを司命殿では悩んでいるかというと、人は瑤心の原神に抗えないからだ。
凛宸が、婚約者媛羅ではなく、愛の神瑤心に振り回され、その歴業が失敗するのではと、皆憂慮している。
でも聞く話によると、愛する者が誰なのかは、明記されている訳ではないらしい。
だとしたら瑤心が、凛宸を守って最期を迎え、凛宸が瑤心と結ばれて、苦しんでいればよいだけでは?と、私は思った。
燁煊は、≪上神仙の歴業はそんな簡単な話ではない≫とそう憤っていたけれど…。
私は地上に降り、早速凛宸の様子を見に行くことにする。
神格が違うので、燁煊と違い人間界では狐の姿か、狐火豊祭の当日に人間の姿になれるだけだ。それがちと、わずらわしい。
弟子の白狐は、今朝瑤心を見たと言っていた。
その後私も凛宸を久々に見たが、相変わらず天界一、二の男前だ。
あれが灰になってしまうのは、ちと惜しい気がする。
切ない話を凛宸から聞かされて、一肌脱いでやろうと思ったが、狐の姿のままではどうする事もできない。
私が動けるのは狐火豊祭当日だとして、凛宸のそばに昼間居た、私に草や葉を投げつけてきたあの女…
―――あれはいったいどういう事なのだ。
…なぜあのような者が、凛宸のそばに。
玉狐神君の本来の姿のまま、私は凛宸の別荘の『碧霞山荘』の庭の椅子に腰を掛けて考え事をしていた。
私の風貌は、風にたなびく艶やかな銀髪に流れるような切れ長の目。
ツンととがった鼻先に雪の様な白い肌で、凛宸に負けないほどの美男子と自負している。
衣も柔らかな白銀の絹でできており、誰が見ても一目で白狐の神だとわかってしまいそうだ。
神々しいにも程がある!…しかし、残念ながら人の目に見える事はない。
そんな事を思いながら、ほくそ笑んでいたら、突然人の姿をした燁煊が険しい顔で目の前に現れた。
「玉狐神君、こんなところで何をしているのです」
「これから、凛宸に会うのだ」
「そんなことしては、いけない」
燁煊は、怒りを声に含ませ手を伸ばしてきたが、人の姿のままでは私に触れることができない。
私は余裕で、この美しい銀髪を手の甲で後ろに跳ねさせた。
「狐の姿で会うから、わからないであろう。聡明な凛宸なら気づくかもしれぬがな」
「今は凛宸ではない。李煌だ」
「ふんっ。そんなことくらい、言われなくてもわかっている」
「私は医師として、凛宸の怪我の様子を見に来ました。玉狐神君は用がないのであれば、お引き取りを」
「怪我なら、私がすぐにでも治してやるぞ」
「まさか狐力を使うつもりなのですか?!人間の体は一瞬では治らない。徐々にやらねばならぬ!」
「あーもう。お前は司命老師に似て来たな…うるさいぞ」
そう言って指で耳をほじっていたら、燁煊は大きなため息を一つつき、首を横に振る。
「まじめに言っているのですよ」
「そうだ!話は変わるが、あの昼間凛宸のそばにずっと居る女は一体何者だ?」
「あれは…瑤心の姉で凌媛羅と言いう者です。司命簿葉の通りだと凛宸と婚姻する」
「そんなの、絶対に駄目だぞ!!」
突然大声で叫んだら、燁煊が人差し指を口に添え≪静かに≫と言ったが、人間には私の声は聞こえない。
「それは、どういうことです」
「燁煊。お前はここで神力が使えぬから、魂が読めぬのだな。あれは魔の女だぞ」
「魔?」
「魔界の妖魔だ。なぜ人間界に転生しているのかわからないけれど、上神仙の凛宸のそばに居られると魂が穢れてしまう」
私がそう言うと、燁煊は咄嗟に私の方に鋭い視線をやった。
「瑤心を嫌うからおかしいとは思っていた。人間が瑤心を嫌うはずがない」
「凛宸が、例え人間界ででも、魔と結ばれるはずがないではないか。司命殿の思惑は間違っているな」
「そんな…」
「私が邪魔してやりたいが、妖魔にはこの力が及ばぬ。
もし邪気が瑤心に向かえば、瑤心は神になれなくなるではないか。なぜ姉妹などになっているのだ。…これは偶然なのか?」
「今まで瑤心ではなく、凌媛羅と凛宸を結ぼうとしていた。葉に名前が書かれていたゆえ…」
「妖魔など凛宸の原神が拒む。うまくなど行くはずがないではないか。凛宸の原神は天界でも、お前と一、二を争うほど高尚なのだから」
「今回の司命簿葉の入れ違いだけでも、私たちは困っていたのに…」
「まさか…」
「…」
「妖魔が仕組んだのではなかろうか?よく考えれば、凛宸のそばに居るのもおかしい。
人間界に転生しているゆえ、魔の記憶が無いのかもしれないが、このようなことになるには、何か必ず理由があるはずだ。司命簿葉を入れ替えたのも魔の仕業では?」
「結界があるゆえ、魔は天界に来られぬ」
「しかし司命簿葉の入れ替えなど、本来絶対にあるはずないではないか?」
「……」
「でもこれで思い切り、二人を結び付けられるぞ!」
「これはそんな単純な話ではないのだ。私は今すぐに天界に戻り、凛宸の父親に話を聞いてきます。凛宸と魔との間に、何かなかったのか」
「私は絶対に今戻らぬぞ。お前一人で行け。この一か月はここに居なければ。秋以降大不作になるからな。皆の期待に応えねば」
「勝手にしてください」
そう言うと燁煊は踵をかえし、その場で急いで天界へ戻って行った。
妖魔が凛宸のそばに居るなど…妖魔と婚姻?
想像しただけで鳥肌だ。思わず身震いする。凛宸は一体どこであの妖魔とかかわったのだ?
転生してそばに居るという事は、もしかして凛宸の司命簿葉の内容もあの女が細工しているのかもしれぬ。
あぁ…司命簿葉の中身が読めれば、あの女の物も見てみるのに。
その時凛宸が、護衛と一緒に輪椅で庭に出て来た。
「あれ?薬念神医が来られたのでは?殿下、声がしましたよね」
「気のせいだったか」
「さぁ、ゆっくりですよ。ゆっくり」
護衛は、凛宸の体を気遣いながら丁寧に輪椅を押している。
凛宸、足の怪我が明日で治るようにしてやるぞ。
それに私が、これからもっと驚かせてやる。
燁煊の様な神力は使えぬが、私には地上で自由に使える狐力があるからな。
いつもは人間をからかう為に使っていたが、此度は、少し有意義に使えそうだ。
「中に入りたくなったら、呼んでくださいね」
それを聞いて小さく頷いた凛宸を庭先において、護衛のあいつは屋敷に入って行き、凛宸は輪椅に座ったまま星空を見上げる。
途中、婆さんが凛宸にひざ掛けを持ってきた。
「今夜は、薬念神医が私の足を見てくれると言っていたのに…」
“薬念”だなど、燁煊も爺臭い名前を付けたものだ。あの顔にしては、何事も古臭いのだ。
真面目一辺倒で、本当につまらぬ神だ。洒脱な私を見習えば良いものを。
凛宸~!あいつは今日、来ないぞ。さっさと天界へ行って、お前の父に会うそうだ。
その足なら私が、一瞬で治してやる。
私は凛宸が夜空を見上げている間に、狐の姿になり近づいて行った。
名を呼びかけてはみたが、やはり記憶が無く気付かないようだ。
でも相変わらず優しい声だ…私は凛宸が大好きだった。
千二百年程前の事だ。眷属の修行に励んでいた私は、早く神格になりたくて、その時仕えていた霊狐司神のいう事を聞かず結界の外に出てしまった。
その時魔の仕掛けた罠にかかり、身動きが取れなくなっていたら凛宸がそれを助けてくれる。ただの罠ではない。天の力を封じる罠で、そこにいれば凛宸自身も危険だった。
しかも凛宸は戦帰りで通りがかり、自分もかなりの怪我をしていたのにだ。
ただの狐の眷属など放っておけば良いものを…
狐は恩を忘れないのだよ…凛宸。
凛宸の足の怪我に小さな霊火を灯し、その輝きが傷を包み込んでいくのをじっと見つめる。
これでその怪我は、明日にも治り歩けるようになるだろう。
この日の夜私は、狐力で凛宸の心の声を言わせた。
そして、私にしか言えぬ本音を聴く…。
司命簿葉に書かれている事は、必ず現実になる。その流れに、決して逆らうことはできない。
あの女が妖魔であることが分かった以上、葉に書かれていた凛宸の愛する相手は瑤心だ。
良かった。これなら歴業もすんなりいくだろう。
『凛宸~願いを叶えてやるぞ~』
そう言って私は、狐の姿のまま凛宸のそばを離れる。
彼はその声に怯えていたが、≪最強の戦神もただの人間になれば怯えるのだな≫とそれを面白く感じた。
それから庭で叫んだ凛宸を、護衛が迎えに出て来る。
…指先で護衛の頭をちょいちょい、っと。
「殿下、二週間後の狐火豊祭に一緒に行きませんか?」
「狐火豊祭?」
「白狐のお面をかぶって、民が皆、願いを書き狐火に見立てた灯篭を流すのです。
この近くにある白玉廟が主で行うそうですよ。
今年は公務もないので気晴らしにいきません?。民の様子を、久しぶりに見に行ってみましょう」
「凌媛羅も、行きたいと言っていたな…」
ちょちょいの、ちょい。っと
「輪椅は私がお手伝いします。ずっと閉じこもっていたし、たまには息抜きも必要ではないかと。ですから、どうしても私と行きましょう!」
いいぞ!護衛!その調子だ。ついでにこれからも、妖魔を近づけないようにしておくれ。
「そうだな…。お前とならば行ってみても良いな」
その相手は護衛ではなく、瑤心になるのだけれどな。
私に任せておけ。明日からの一仕事に胸が高鳴る!
「寧王殿下も凌雪さんと行かれると、媛羅さんがおっしゃっていましたね」
何だと??
これは聞き捨てならない。寧王とやらを、行かせないようにしなければ。
今年は狐火豊祭の当日までに、あちこちやることが多すぎる。
明日から一か月忙しくなるな。
狐火豊祭の当日までに、いろいろ準備しておかねばならないし。
そう思うと、私の胸は喜びでとても高鳴っていた。




