第二十八話 助けに来た神医
それから、どれくらい意識がなかったのか。
辺りは日が落ちはじめ、気が付けば傍に凌雪が倒れていた。
慌てて抱き上げ、彼女の頬を掌で小さくたたく。
「凌雪!凌雪!」
だがその目を開ける事はなく、一抹の不安がよぎった。
でも手を握ればあたたかいし、呼吸もしている。
少し安堵し上を見れば、木がうっそうと生い茂っており、どうやらその茂みの中に落ちたらしい。
動くと全身に強い痛みが走ったが、どうやら私たちは、命だけは助かったようだ。
きっと奴らが私たちの亡骸を、すぐに確認しに来るはず。早くこの場を移動しなければ危険だ。
あれから玄風はどうしただろうか。
韓昭も狩りが始まってから、ずっとその姿を見ていない。
凌雪の意識も戻らないし、これからどうすればよいのだ…。
「うっ」
立ち上がろうとしたら、右足に激痛が走り動くこともできない。
このままここにいるわけにもいかず、途方に暮れた。
「ふ…っ…」
「凌雪?!」
どうやら彼女も、目を覚ましそうだ。
―――やっと意識が戻り、彼女も無事だったと胸をなでおろす。
「良かった…。無事だったのだな…」
思わず熱いものが胸に込み上げてくる。
もしもこのまま凌雪を死なせてしまったら、私はどうしてよいかわからなくなるところだった…。
「皇太子殿下…」
彼女はゆっくりと体を起こし、辺りを見渡すと≪ここは、息絶えて天に来たのか?≫と聞いて来た。
「私たちは生きている。安心せよ」
そう答えると、凌雪は思わず崖の方を見上げる。
「あそこから落ちて、助かるなんて…嘘みたい…」
「木の間に落ちたのだ。それが支えになって助かった。どこか痛いところはないか?怪我をしているかもしれない」
そう尋ねると、自分の体を触り大丈夫だと答える。
そして彼女はゆっくりと立ち上がり、私に手を差し出した。
「悪いが凌雪。おそらく日の落ちる方角にすすめば、翠陽原に出る。すぐにそこまで戻って、誰か助けを呼んできてくれないか…」
やつらがまた、凌雪を襲うかもしれないと思えば、一人で行かせるのはかなり不安だ。でもずっとここに二人でいては、それ以上に危険だ。
「嫌です」
そう言って凌雪は私の側に座り込み、こちらを見た。
「ここにいては危ないのだ。きっとこの日暮れの様子から、あれから半刻は経っている。もうすぐ奴らがここに、私たちの亡骸を確認に来るだろう」
「殿下も行きましょう。一人だけ置いてなんて行けません!」
そう言って涙をいっぱいにためて、私の手をぎゅっと握った
「私は、右足が動かない。おそらく骨が折れている」
「そんな…」
彼女は心配そうに私の右足を見た。
「だから一人で逃げろ。助けを呼んできてほしい。もし途中で韓昭に会えばここにいると言ってくれ。目印はあの杉だ」
右方向にあるひときわ背が高い杉の木を、そう言って指さす。
すると彼女が思わぬことを口にした。
「ここって…翠陽原…崖下の一本杉…もしかしたら、あの木の奥に靈麗の薬草小屋があるかも…」
「薬念神医の?」
「はい。私時々薬草取りを手伝いに、一緒に来ていて。あそこに逃げましょう。あの場所は誰にも見つけられないと、そう言っていました」
「見つけられない?」
「よくわからないけれど、目隠し的な何かがあるとかないとか…」
「では、お前も見つけられないのではないか」
「それが、大丈夫なのです。私にしかわからない目印を教えてくれたので」
そう言うと凌雪は私を抱き起し、抱えて薬草小屋まで行くと言う。
私よりもずっと小さな細い体で、汗だくになり一生懸命だ。
右足には激痛で力が入らないが、肩を貸してくれたら左足で何とか移動できた。私達は助け合い、一本杉のたもとに何とかたどり着く。
すると木の裏手に一本の細い縄が垂れ下がっていて、凌雪がそれを引っ張ると、茂みだと思っていた場所が扉の様に開き、隠れ部屋の様になっていた。
―――薬念神医は一体何者なのだ。
これをあまり、不思議に思っていない凌雪も凌雪だ。
「中に入って、扉横の紐を引っ張ると締まります」
そう言ってその扉を閉めると、手慣れた様子で壁一面にある棚からいくつかの薬草を取り出した。
中は割と広く、薬草の匂いが立ち込めている。
光が差し込む窓が二つあり、その外は枝で茂っている為外からは見えないそうだ。
神医の隠れ家らしく、百はありそうな壁一面の引き出しには、用途に分けられた薬草が、全て入っているらしい。
聞けばここに薬念神医と何度もきて、たまに薬草の取り扱い方を学んでいると。恵仁堂でそれがとても役立っていると、優しい笑顔を私に見せた。
本当にこの場所は、外から見つからないのだろうか?
不安に思って中に入った後、扉の方を振り返ってみる。
「皆とても心配していますね。皇太子殿下が戻られないと」
「凌孟昊も凌雪を心配している。今頃半狂乱だ」
私は真剣に話しているのに、凌雪はそれを聞いて少し笑った。
「父上は、大袈裟ですからね」
「このような事態は、大袈裟ではない。命があるのが不思議なほどだ」
私は少し呆れて言った。おそらく凌雪は、私が抱きかかえていたため無事だったのだろう…
「私は、煊王殿下がご無事で何よりです」
それだけぽつりとつぶやく凌雪の横顔を、黙ったまま見つめる。
―――私もお前が無事でよかった。そう思ったが口にはしなかった。
凌雪は、私を土間の横の上り台の所に座らせると、薬を作る準備をし始める。
選んで取り出した薬草をすり鉢で潰し、側にある桶から少量の水を取り出しそれを混ぜた。薬念にいつも教わっているからか、手際が良い。
凌雪は右足を見せるように言い、そっと履物を脱がせると怪我の場所を確認した。
優しくは触れていたが、指先が当たるだけでもかなり痛い。赤紫色に腫れあがった脛の辺りは特にそうだった。
しばらく綿布を冷やし添え、薬が出来上がるとそこに丁寧に刷毛でぬり、添え木をしてから布帯で巻いていく。
「私は靈麗までの知識がないので、その場しのぎなのですが…」
そう言って、心配そうに私の顔を見た。
そう言えば薬念神医は、矢傷も一日で直した。
大したものだと思っていたが、このような場所まで構えているとは…あの扉の仕組みからして、ただ者では無さそうな気がする。
私は、部屋をぐるりと見渡してみた。
しかしそこは、見る限り一見ただの薬草小屋だ。部屋の隅には数種類の薬草が、籠に積まれて整然と並べられていた。何事にも几帳面な神医らしい。
「お前は、薬念神医と随分親しいようだな…。どこで知り合ったのだ」
「親しいと言うか、福丸の病気を治していただいて以来、恵仁堂のお手伝いをさせていただいているのです」
「薬念は、犬まで見るのか」
私は彼が人だけでなく、動物まで診療していることに驚く。
そんな私に、凌雪は≪犬も家族ですから≫と言って、腹を立てた。
少しして彼女は衣の胸元から、麦色の紙で丁寧に包まれた、蘇璃が作った桂花糕 を取りだす。
それを”自分は良いから殿下が食べてくれ”と、そう言って。
でも私は、全く食欲が無かった。
これからの事を考えると、胸が詰まり喉を通りそうにない。
無事に凌雪を天幕のある場所まで、連れて行けるだろうか。
韓昭にこの場所を知らせない事には、ここから出るのは危険でしかない。
「お前が一人で、食せばよい」
「私は、おなかがすいておりませんから」
そう凌雪が答えると同時に、彼女の腹がなる。
それに少し気持ちが和む。
私が笑いながら”二人で分けよう”と言うと、遠慮がちに隣に腰を下ろした。
一つの桂花糕を二つに分け合い、それを口に運ぶ凌雪を隣で見ていた。
あどけなく話しかけてくる彼女を見ていると、山の中で私に言った事などすっかり忘れているように見える。
でもそれでいいと思った。何もしてやれぬ私の事など忘れて、寧王のもとで穏やかに暮らすのが、きっと凌雪の幸せなのではないのだろうか。
ぼんやりとそんな事を思いながら、私も桂花糕を口に運んだ。
韓昭が気に入っていただけの事はある。ほんのりと甘くて、癖になる優しい味だ。彼女は、お菓子の中で≪蘇璃の桂花糕が一番好きだ≫とそう言って笑った。
少しずつ日が暮れてきて、部屋の中が暗くなり始めると、凌雪が薬棚の引き出しからろうそくを取り出し、火をつけて燭台に立てる。それを手に私の隣に座ると、小さなため息を一つついた。
一体、どれくらいの時が過ぎたのだろう。
恐らく外は、もう日も落ちて真っ暗だ。
本来なら宴が始まる時刻だが、私たちがいない事で恐らく騒ぎになっている。
だがこの場所は、狩場の想定外の崖下だ。
生きていれば玄風が、天幕に戻っているはず。
そうすれば韓昭か、沈嶺が玄風を使って捜索に出るだろう。
しかし、この場所を探し当てるのは困難だ。
足の怪我の事もあるし、命は助かったものの…これからどうすればいいのだ。
「煊王殿下」
その時隣の凌雪が、私に声を掛けて来た。
「なんだ」
「私、殿下の足手まといでしたね」
「足手まとい?」
「もしあの時私がいなければ、殿下はきっと玄風で逃げ切れていたと思います」
「そんな事はない。下から追っ手が来て、あの時は山道を上に行くしかなかった。お前がいようがいまいが、関係ない」
「でも…」
「逆にお前がいてくれてよかった。
このような真っ暗な森の中に一人では、生きた心地がしない。それにこの薬念の薬小屋は、お前がいなければたどり着けていなかっただろう」
それは本当だ。凌雪がいたからこそ、私は生きようと思ったかもしれない。
彼女を助けなければと言う思いが、私をも生かした。そんな気がする。
「お前が死ねば、私も生きている意味がない」
このような時だからか、なぜだか不意に口をついて出た。
「煊王殿下こそ、大袈裟です。私があのようなことを言ったから、気を使ってくださっているのですね」
凌雪は、話を逸らす様にして笑った。
「気を使ってなどいない」
そう真顔で言った私を、潤んだ彼女の丸い瞳も揺れながら私を見つめていた。
私達が二人きりの時を持つことなど、恐らくこの先もう二度とない。
生きて戻れるかさえも、もうわからない。
この場所にあとどれくらい、いられるのだろうか。
もしこれが最後だとしたら、今までの私の決意は一体何だったのだろう。
自分の人生を選ぶこともできず、大切に想う人を受け入れる事も叶わぬ。
凌雪の告白に、簡単に答えてもやれない。
寧王にはできて、私にはできないだなんて。
一度きりの人生に、何の意味があるのだろうか。
「凌雪…もしもだ。もし、私がお前の事を…」
――ずっと前から慕っていた。そう言えばお前はどうする…。
そう言いかけた時だった。音を立てて開いた扉に驚き二人で視線をやると
そこには薬念神医が立っていた。
「靈麗!!」
凌雪は彼を見るなり、喜び勇んで駆け寄りながら、そのまま犬の様に神医に抱きついた。
「どうしてここに薬念神医が…」
「皇太子殿下、話は後です」
薬念神医は急いで扉を閉めると、すぐに私の足元に身を屈めて怪我を確認する。
「これは、骨が折れていますね。この治療は凌雪が?」
「この間靈麗が偶然教えてくれた、骨の怪我用の薬草を作ってみたのです」
偶然?風邪薬とかならともかく、骨の怪我など…そうそうあるものでもない。
「薬念神医、外の様子がわかれば、教えてほしい」
「殿下と凌雪がいないので、天幕で騒ぎになっています。
松明を持って韓昭や蒼羽隊が、狩場一帯を探しまわっていて。私は、思い付きでここに来ました」
「神医が?」
「殿下のお怪我に備えて、御医が呼ばれたのです。しかし折悪く皇后さまが倒れられて」
「母后は大丈夫なのか?」
「殿下の安否を心配されて、意識を失われたとか。私はちょうど凌家に、鍼治療でいて。知らせを受けたお祖母様が凌雪を心配して、私に様子を見て来いとおっしゃられ」
その話に、凌雪は涙ぐんでいる。
「私が韓昭さんを、ここに呼んできましょう。もうお二人とも大丈夫ですよ」
「靈麗どうしてここがわかったの?」
凌雪は屈託なく聞いているが、それが私にも疑問だった。
今日翠陽原は、狩りがあるため立ち入り禁止なはず。
「韓昭さんたちは、知らせを受けてから殿下を探し回っているそうです。勿論、凌孟昊も玄洵も凌雪を探しています。私が天幕に様子を見に来た頃には、みんな意気消沈していてお二人の安否は絶望的でした。
しかし殿下の愛馬が崖の方から一匹で戻ってきて。もしかしたら崖の下に落ちたのではと。それを聞いて皇后は倒れられたのです」
「……」
「蒼羽隊から、“このあたり一帯を捜索したが、亡骸もない”と報告を受けたそうです。
韓昭さんがもし崖から落ちていたら、そのお体では遠くへ行けるはずがない、と。
それを聞いて、この間凌雪にこの場所を教えたことを思い出し、もし生きていればここではないかと…」
凌雪はそれを聞いて、大層呑気に喜んでいる。≪助かる時には、良い偶然が重なるものだ≫と。それからすぐに薬念神医が、韓昭を呼びに行った。
待っている間凌雪は、私の隣に座り薬念神医をずっと褒めたたえていた。
「靈麗は神医と呼ばれているけれど、本当に神様の様な人ですね」
「…あぁ…」
「美貌だけでなく、性格も良いし気難しいお祖母様のお気に入りなのですよ」
「…ふぅん…」
「優しくて恵仁堂でも、みんなに慕われていて」
「…」
「誰にも平等だし、知恵もあるし人徳もあるし」
「…」
「私も寧王殿下ではなく、靈麗となら、ずっと一緒に…」
「少し黙れ!」
一体何なのだ!
お前の命を救ったのは、この私なのに。
さっきから靈麗、靈麗と面白くない!
薬念が現れた途端、福丸の様に尻尾をふる姿に無性に腹が立つ。
『薬念神医』と、皆敬い呼んでいるのに
凌雪は、なれなれしくいつも≪靈麗≫と呼ぶ。
しかも医師を志している訳でもないのに、なぜいつも薬念と一緒にいるのだ。
≪美貌だけでなく、性格も良いし…≫
そううっとり話している凌雪が頭にくる。
私だって、貴族の女子達には≪華殿下≫と呼ばれて注目の的なのだ。
大体天黎で、私の顔も知らなかった貴族の女子など、凌雪くらいではないか。凌媛羅はずっと憧れていたと言っていたぞ!
何が、≪寧王殿下ではなく、靈麗とならずっと一緒に…≫だ!
そんな事なら、昼間の告白もわかったものではない。
このような状況に血迷い、危うく本音を話すところだった。
あの時神医が現れていなければ、どうなっていた事か。
「靈麗とならずっと一緒にとはなんだ!お前は寧王で良い。寧王だ!不敬なやつだ!」
そう声を荒立てていると、扉が外から空き韓昭が悲壮な顔で飛び込んできた。
「殿下!!ご無事でいらしたのですね」
「韓昭、一体今日はどこへ行っていた」
「それが。詳しいお話は後で。馬車を用意しております。足の状態がかなりお悪いと、薬念神医から聞きました。私が殿下を支えます。凌雪さんもこちらへどうぞ」
「母上の状態は?」
「意識は回復されました。殿下の安否がわかり、安堵で胸をなでおろされています」
「そうか…よかった」
いつも小言ばかりだが、母上はやはり私の事を気にかけてくださっているのだな。
心配のあまり気を失うなど…その母を、これ以上心配させてはいけない。
「凌雪さんも馬車へご一緒に」
彼女も韓昭に促され、私の後に馬車に乗り込む。
ここからは、また皇太子と凌孟昊の娘に戻らねばならない。
――――私の事を心配してくれている母上の為にも…。




