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第二十六話 私達の運命

――田植えの前の閑散期。

私、皇太子主催の狩り・翠陽遊猟(すいようりゆうりょう)が行われた。


秋の収穫祭時の狩りは、男だけで行う弓や鉄砲を競う軍事訓練も兼ねたものだが、この翠陽遊猟は、女子(おなご)も参加する優雅な格式高い狩りの大会だ。





なだらかな山の麓の、獣道(けものみち)や草地は整備され、翠陽原には金と紅の天幕が風にたなびいていた。



皇族や重臣の一行は、次々に馬や駿馬で到着し、貴夫人たちは草の上に敷かれた綿繍の敷布を踏んで天幕へと歩み入る。


獲物は放し飼いの鹿や小鹿、野兎などで、あらかじめ訓練されたものが用意されていた。



夜には天幕で軽い宴も催され、秋の狩りに比べてかなり気楽だ。


やがて観覧席に設けられた場所に、母后も蘇貴夫人も優雅に並び、皇帝陛下は中央に座した。




私は濃紺に金糸の龍紋があしらわれた狩衣に身を包み、愛馬玄風の上から堂々と視線を巡らせる。



女子達も皆動きやすいような姿で袖が短く、裾も馬に乗りやすいような格好だ。




凌媛羅は、橙色に花の模様の狩衣で、意外と馬も軽く乗りこなせていて驚いた。



凌雪は、深紅に黒糸の花鳥模様の刺繍があしらわれた狩衣で、兄玄洵と馬に人参をあげている。


韓昭によれば初めての参加に備え、凌孟昊が馬に乗れるよう特訓したらしい。


皇太子主催という事もあり、始まりの挨拶は陛下ではなく私からだった。


こうして一つ一つ、将来皇帝になる準備を学んでいくのだ。






「諸君!本日は晴天に恵まれ、絶好の狩り日和である!『翠陽遊猟』ここに開催する!」


私の声が草原に響き渡り、群臣たちが一斉に一礼する。


狩りの開始を告げる、銀の角笛が吹き鳴らされると、皆一様に色とりどりの狩り衣を翻し、臣下の妻たちも男女一斉に騎乗して、放たれた鹿や野兎を追って山の方へ駆け出して行った。





皆が狩りに向かったのを確認して、私も玄風でその後を追う。


麓に着くと先にあるなだらかな山道を、馬で一気に駆け上がり一頭の鹿を追った。




どこかに韓昭がいるだろうが、今日だけは狩りの邪魔をせぬと言う配慮だろう。


山に入ってからも、その姿をまだ一度も見ていない。


その鹿の側に小鹿がいて、先にそっちを狙おうと弓を構えた時だった。






「やめてあげてください!」


そう背後から声がして振り返ると、凌雪が野兎を抱えて立っている。


「お前、馬はどうしたのだ」


聞けば凌雪の馬は元々凌玄洵の愛馬で、騎乗にいるのが玄洵ではないと気付き、凌雪を落としていったらしい。




私はそれを聞いてすぐに玄風から降りると、駆け寄って凌雪が怪我をしていないか確かめた。



「どこか怪我はしていないか。痛いところは?」


焦る私に、彼女はウサギを抱きかかえたまま後ろに後ずさりする。


「姉上は、あちらの方へ行きました」


聞いてもいないのに左前方を指し、彼女は野兎を抱いたまま踵を返すと、私に背を向けて山道を足早に登っていった。


「馬もないのに、山へ入ってどうする!」


「この先に寧王殿下がいらっしゃるので、大丈夫です」




背後から声を掛けたら、そう言って振り向きもせず一気に進んで行くので、私は再度玄風に飛び乗り“彼女を気にしない”と決めて狩りを続ける事にした。


周りには何人か見覚えのある顔が、それぞれの獲物を狙い弓を構えている。




人が多いと収獲が少なそうなので、私はあえて先ほど凌雪が≪媛羅がいると言った左≫ではなく、右前方の山道へ入って行った。


二刻ほど獲物を追っただろうか。



周りに人影が無くなり、あれから“凌雪はどうしただろうか”とふと頭に浮かぶ。



≪この先に寧王殿下がいるので大丈夫です≫その言葉を思い出すと、ため息が出た。


凌雪が、寧王といる事にも慣れねばならぬ。


その気持ちが重くのしかかり、晴れた空も澄んだ空気も、韓昭が言っていたように気が晴れるには、全く役に立たなかった。






私は狩りに疲れて、近くの小川で愛馬玄風を休ませることにする。


目の前には川べりが少しだけ開けていて、清らかな流れが、まばらな木々の間を滑りながら降りていく景色が広がる。


少し目を閉じ、水の流れに耳を澄ませてみた。

そよぐ風が頬を撫で、遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。






両手を川に入れてみると、水はほんのりと土の匂いを含み、指先をくすぐるように、さらさらと流れていく。


森の中の静寂の中にいると、この世界には自分一人しかいないような、そんな錯覚に陥った。


そして、水を両手で掬い顔を洗って、胸から帕を取り出し拭く。



私は、そのまま川べりに腰を下ろし休むことにした。


普段から一人になる時間など、ほとんどと言ってないが“このような時間も悪くないな”と思った。


ゆっくりと目を開けると、空から降る日差しが川面で反射していて、一瞬まぶしさで目が眩む。


見ると川上から、花が沢山流れてきて“何だろうか”と、それに目を凝らした。


正しくは『花が乗った笹船』だ。


思わず視線を川上にやってみると、凌雪が川べりに座り、それを流しているのが見えた。


はなから狩りなどやる気もなく、時々笹船を作り、それに摘み取った花を載せてため息をついている。




私はそれを見つけ、思わず凌雪の所まで音を立てないようにして歩いていった。




そっと彼女の隣に突然座っても、気が付きもしない。


「何をしている」


私の呼びかけに驚いた彼女が、勢いで後ろに転びそうになり、思わずその体を両手で掴んだ。



すると勢いが強すぎて、そのまますっぽりと私の胸の中に入ってしまう。



彼女は慌てて私から離れると、すぐに立ち上がり、私からまた一歩後ずさった。


私は小さなため息を一つつくと、今度は腕を前に組み、彼女の前に立った。


「一体なんなのだ。さきほどから」


凌雪の他人行儀な態度に、少し腹が立つ。


「姉上の所へ行って下さい」


「またそれか。行こうと行くまいと私の勝手だろう」


そう言うと彼女から、ふいに顔をそらした。


さっきから”姉上姉上”と一体何なのだ。



凌雪も母の回し者なのか?ふと、そんな邪推が働く。


見れば、彼女の足元には、まだたくさんの笹船が置いてある。



暇つぶしにしては、子供じみたことをしていると思い、思わず凌雪に尋ねてみた。




「それは?お前が作ったのか?」

「これは…私の想いを流していたのです」





こちらを見ないまま、凌雪はそう答える。



そんな彼女の伏せた睫毛を、意味が分からずじっと見つめた。


≪私の想い≫?寧王への…とでも言いたいのだろうか。

分かってはいるが、そんな言葉は聞きたくもなかった。




「私には、それを届ける事が出来ないので…」


凌雪は、まだそこにしゃがんで次の笹船を流す。――摘んできた、小さな花を乗せて。


届ける事ができない想い―――それなら、私にもあるではないか。






ここにいる凌雪に、絶対に伝えてはいけない言葉が…。






それを伝えれば、全てがおかしくなるから、決していう事など出来ない。


自分の想いのまま自分の気持ちを告げる事ができるなら、それはどんなに良いだろう…


「それは私にもある…」


つい口をついて出た言葉。



私も同じように、隣で笹船を手に取りそれを一つ流すと、彼女はやっと私の方を見た。


不意に重なる視線…


初夏のそよぐさわやかな風が、凌雪の前髪をそっと揺らしている。




沈黙が、小川のせせらぎと、微かな鳥の声だけを耳に届けた。


その時、目の前の桜色の唇に目が行く。



帝誕宴の時寧王と凌雪の、記憶した一枚の絵の様な光景が、咄嗟に私の頭の中に広がった。




「寧王は…」


口をついて出たその名前に、一体何を彼女に聞こうと言うのか。




すると凌雪がふと私の名を呼んだ。

「皇太子殿下…」




震える小さな声。

その方へそっと視線を移す。


少し潤んだ憂いを帯びた眼が、水面の光を帯び、星屑の様にきらきらと輝きながら、私の心を捉えて離さない。




寧王のように、それに触れる事が出来たらどんなに良いだろうか。



胸の奥に、抱いてはいけない気持ちが湧き上がる。


それを振り払うようにして、私は話題を変えた。


「馬もなくこのような所にいては、獲物は獲れぬ」


「狩りは、好きではないのです」


「寧王は、一体どこに行った」


「わかりません。慶淵王殿下に連れられて、慌ただしくどこかに行きました」


「慶淵王に?」


「良い狩場があるから来いと」





そう言えば以前、慶淵王はこの辺の管轄の仕事をしていた。だから、地形にも詳しいはず。


でも寧王から凌雪を引き離してまで、獲物を獲る必要はない。




今日の狩りは、半分遊びのようなものだ。


現に目の前の凌雪の様に、獲物を獲れない大臣も夫人も沢山いる。


「夕刻まで、私はここで時間を潰します。殿下はどうぞ姉の所に行って下さい」


寧王と離されても、さほど気にする様子もなく、次の笹船を流す凌雪の横顔を、私はじっと見つめていた。


「凌雪、少し話さないか?ここに座れ…」


私は彼女にそばに座るように、手のひらで隣を≪ここに≫と二度ほど叩く。





初めは、“何を話すのか”と尋ねて渋ったが、再度そう言うと、彼女は仕方なく私の隣に腰を下ろした。







「この間の、霽月堂(せいげつどう)では感情的になって悪かった」


目の前の水面を見つめたまま、そう言った。


あの日、私は自分の気持ち全てに気が付いた。


その瞬間、それを心の中にしまいきれず、目の前の凌雪に吐露してしまう。


彼女にすがるように、それを見せてしまった自分は何と愚かなのだろうか。


私が、決してしてはいけない事だった。


「あの時の事は、忘れてくれ。私はどうかしていたのだ」


そしてこの凌雪への想いは、絶対に悟られてはいけない。



媛羅との切ることのできない縁も、凌雪との結ぶことのできない縁も私が皇太子であるゆえ、それは天命なのだ。


―そう思うと、とてもやり切れない気持ちにもなるけれど…。


「凌雪…私はなぜ皇太子なのだろう…」


そして今まで考えたこともなかった、湧き上がる疑問を口にしてしまった。


別に自分で決めたわけでもない。誰かに押し付けられたわけでもない。ただ初めから全てが決まっていた。生まれた場所が、ただそこであったという事だけだ。


私の言葉に、凌雪が聞き返してきた。


「ではなぜ、私は姉上の妹なのでしょうか」






なぜ妹なのか。それもまた、そこに生まれただけ。





「お前の運命なのだろうな…」


―そう、それが私たちの決められた定めなのだ。



「私は凌家に生まれなければよかったと、思っています」



この時の私は、凌雪がなぜ突然そんな事を言うのか、見当がつかなかった。



何不自由のない幸せな暮らし。家族の中でかわいがられ、皆にも慕われている。


ここ天黎国でも、凌雪ほど恵まれた娘はそういない。



「凌孟昊はいい父親だ。権力も財力もある。それに娘思いだ。そんな事を言うと、悲しむぞ」



凌雪はそれに微笑み返し、小さく頷いた。


「でも父の娘であるがゆえに、寧王殿下に嫁がなければなりません」


「寧王を慕っているのだろう?この間の帝誕宴で、お前たちは口づ…」


そう言いかけたら顔を赤くして、慌てて両方の手のひらで私の口元を塞ごうとしてきたので、咄嗟にその手を掴んでしまう。




「見たのですね!!」


「そのように怒らずとも…私だって見たくて見たのではない!」


「殿下こそ、姉とずっと仲良く二人で…」


「あれは、母上が無理やりお前たちを探しに行けと」


「霽月堂で、姉上に心が動かないと…。そうおっしゃっていたのに」


「だからあれは…」


「帝誕宴では、仲睦まじいお二人の姿を見て…」


「それはお前も同じであろう。寧王と…」


そう言い返したら、凌雪は私の方を見ないままぽつりとつぶやいた。


「私は、寧王殿下に心が動かないのです」


「でも、お前は…」


「慕われているから、大切にしてもらえる。皆口を揃えて言います。だから父のいう事を受け入れようと、そう思っていました。でも…私の心が動かないのです」




―――それは、私が全く想像していなかった、凌雪の気持ちだった。


「寧王殿下は優しくて思いやりがあり、私には勿体のない人。けれど、私はまだ婚姻などしたくないのです」


「でも、陛下が決めたことだ。それは仕方がない。誰にも変えられないのだ」


――それが私の答えでもあった。我々の婚姻は、自分で選べるものではない。陛下の裁可が全てだ。お前だけでなく私も同じだと、できれば言いたかった。


「殿下はあれからどうやって、姉上に気持ちを向けられたのですか」




そんな事を聞かれても、気持ちが媛羅に向いている訳ではない。ただそれを受け入れるのが当然の如く振舞っているだけだ。


「母上に諭され、自分の立場を考えれば

無理やりにでもその方向を見ればできる。


ただそれだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」





―――本当の気持ちは、お前に向かっているなどと口が裂けても言えなかった。






「殿下には、簡単な事だったのですね」



凌雪はきっと帝誕宴の時の私を見て、そう言っているのだろう。


あんなことを言っていたけれど、媛羅に気持ちを簡単に向ける事が出来たと…


「それは、皇帝陛下が決めたことだからだ。私はそれをやり遂げねばならぬ」





私は彼女の目を真っ直ぐに見て言った。



―――私にできる事は、ただそれだけだと。皇太子の役目を果たすことなのだと。


「では私も、凌孟昊の娘として役目を果たさなければなりませんね」




寂しそうにつぶやいた凌雪は、最後の花を笹船に乗せて流した。


その花は、川の流れの途中の石にぶつかり、笹船から落ち、それぞれはそこから離れ、別の場所へ流れ始める。



二人でそれを眺めた後、―まるで私と凌雪のようだ―と、そう思った。





私はもうここに居てはいけない。





凌雪から離れようと決め、立ち上がり草を払う。


後どれだけここにいようとも、私たちは何も変える事などできないのだから。


私がどのような想いを抱えていようと、あの花のように凌雪とは別々の場所へ流れていくしかない…


私は凌媛羅を娶り、凌雪は寧王の正室になる。

運命という川の流れには、決して逆らう事などできないのだ。


―――いつまでも凌雪に未練を残していてはいけない。




そう思い、踵を返した時だ。凌雪は震える小さな声で、私の背中につぶやいた。



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