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第二十三話 私の揺れる心

私達凌家は、今年姉上が皇太子殿下と婚姻することもあり、陛下から帝誕宴(ていたんえん)(皇帝の誕生日の宴)に招かれた。


この日はひときわ賑やかで、天黎では祝日になり、首都の景都(けいと)市井(しせい)には出店がたくさん並ぶ。


皇宮にはあちらこちらに美しい宮燈が飾られ、誰もが一目で慶事だとわかった。


正殿の前に用意された盛大な儀式と、隣国から招かれた使臣たち。

そして宮廷の皆が、慌ただしく一日を過ごしている。


宦官が鳴らす太鼓の合図が鳴り響くと、宴は始まった。

「陛下、御駕到!」

太監の高らかな声に、全ての音が静まり返る。



陛下は玉座に座し皆を見渡すと、一呼吸おいてゆっくりと口を開かれた。


「今日この日、朕の寿を共に祝うべく、諸君がここに集った事、心より喜ばしく思う。

天下安寧にして、民和やかにあるはそなたらの忠心あってこそ。皆心行くまで楽しんでほしい!」


お言葉が終わると、鐘が三度なり太鼓と、それに合わせて舞姫たちが見事な舞を披露し始める。


宴では何組もの舞姫が次々に登場し、箏や胡弓の音が雅やかに流れ、招待客の賑やかな声が途切れる事はなかった。


皆美酒に酔い、皇太子殿下と寧王殿下の婚姻が決まっている事もあるせいか、皇帝陛下はご機嫌だ。



この日私は市井で会って以来、初めて皇太子殿下と顔を合わせる。


最初は決まっていた宴席も、中盤に差し掛かる頃にはそれぞれの場所に行き、皆気軽に会話を楽しむようになった。

陛下や皇太子殿下の周りには、各国の使者がお話をしようと集まってきている。


「これからは凌家の栄華ですな!」そう言って父の前に、酌をしようと並ぶ大臣たち。

そして兄上の前には、娘を娶ってほしい大臣たちが“約束を取り付けよう”と必死になり取り囲んでいる。


宴はいつになく、とても盛り上がっていた。


初めは凌家も家族で座っていたけれど、それぞれが親しき仲間と杯を交わしに散らばる。

姉は皇太子殿下の側に行き、話しかけてくる人々と楽しげに会話を始めた。


煊王(けんおう)殿下は、隣にいる姉の方を見ながら優しそうに話しかけていて、姉もとてもうれしそうだ。


…私はそれを見て、少し安堵する。

あの日霽月堂で会った煊王殿下は、様子がおかしくいつになく感情的で、私に思わぬことを吐露した。


――私は…凌媛羅にどうしても心が、動かないのだ。

私は、どうすればいい凌雪…――


そう言って私にすがる殿下が、あれ以来脳裏から離れない。


私よりもずっと背の高い彼が、私にはとても小さな頼りない子供の様に思えた。

…何かをずっと、一人で堪えて来たような…



――「凌雪?」

私だけは元の席から動かず考え事をしていたら、寧王殿下がそばにやって来た。

咄嗟に慌てて頭を下げ挨拶をする。


「何をしている。あまり楽しんでいないようだが…」


そう声を掛けられ辺りを見れば、周りの盛り上がりは最高潮に達していて、まるで私だけが違う世界に置いてきぼりになったようだ。


「本来ならば、私がおそばに行かねばなりませんのに」

そう言うと殿下はにっこりと笑い、中指の背で私の鼻筋をなぞった。


「そのようなことは気にしなくてよい。ほら皆を見てごらん?

もう、誰がどこにいるのかもわからないだろう」


皇帝陛下の無礼講の合図に、大臣たちやその家族は、皆楽しそうに好き好きに楽しんでいる。


殿下は目の前にある酒壺から、私の盃に継いでくれていた。

小さく二人で杯を合わせ、一口目を口に含む。


私はお酒があまり強くはない。

さっきまで父が隣にいたため、口にすることは許されなかった。


でもせっかく殿下が継いでくれているのに、それを断るわけにもいかない。

小さな盃だし二、三杯なら大丈夫だろうと、寧王に合わせて飲み始めてみる。


久しぶりに口に入れたが、甘くさわやかな喉越しだ。


ふと見ると、他の国のひときわ変わった様相の(ほう)を身に着けた一人の使臣が、皇帝陛下に何やら熱心に話しかけているのが、目に留まった。


「あの、陛下と話されているお方は隣国の方ですか?」


「あれは景国(けいこく)の使臣だ。兄上の正室になる蕭烈微(しょうれつび)の事を話しているのだろう」


「蕭烈微?」


「景国の公主で、今蒙成国(もうせいこく)に遊学に出ているらしい。本来なら兄上の正室になるはずなのだが、蒙成国からなかなか帰ってこないのだ」


「正室…」


「二年ほど前からなかなか進まぬ話だ。

本来ならば側室よりも、最初に正室として蕭烈微を迎えるべきなのだろうが…」


「そんなお話があったのですね」


「蕭烈微は、他の女子とは違うゆえ。性烈にして桀駕(けつが)(気性がはげしく、従順でない性格)だから、景国王も手を焼いている。何度か会った事があるが、反骨精神があり暴れ馬のような女だ」


「暴れ馬…」


「まぁもうすぐ国に戻るらしい。そうなればおとなしく、兄上に嫁いでくるだろう」


「その後、姉上はどうなるのです」


「まぁそれは、初めからわかっていたことゆえ仕方がない。

それに兄上には、世継ぎの事もあるから、あと何人側室ができるかもわからないし」


それを聞いて、胸の奥がざわつくのを感じる。


「なんだか嫌です。沢山の側室とか…」


思わず口をついて出たら、寧王殿下が心配そうに横から顔を覗き込む。


「凌雪?」


「どうして女は皆、そのような政治の道具として扱われなければならないのですか」


涙を浮かべる私の顔を見て、彼は慌ててとりなし始めた。


「必ずや娶らねばならないわけではない…いや、でも陛下に言われたら私も断るわけには…」


そう言っておろおろし始める。

この時代、権力のある家に女として生まれた以上、それは仕方のない事だとはわかっている。

男は沢山の女子を選ぶ。この目でそれを、当たり前のように見て来た。


でもなぜだろう。今はどうしても、心がそれを認めたくない…


私の独りよがりな、ただの勝手な理想なのだろうか。

さっきから飲んでいるお酒が、少し回ってきたのかもしれない。


―――女に生まれた事が嫌になる。

靈麗は“寧王と幸せに”と言っていた。


本当に幸せなれるのだろうか。

姉上の母君が側室だったが、幼き頃、母の苦しみも何度も見て来た。


女は一人の人を愛し、男は多くの女を娶る。

それが当たり前で、だけど私の心がそれを強く否定している…。

“殿方の大勢のうちの一人などに、なりたくない”と。


「沢山の中の一人など、私は嫌です…」


そう言ってぽろぽろと泣き出した私に、寧王殿下はおろおろし始める。


初めは泣いている私を、一生懸命なだめようとしていたが、周りに≪寧王も隅におけぬ≫と次々に冷やかされ始め、居場所を失い、私を抱きかかえると席を外そうとした。


「凌雪、少し風に当たろう」


そこに兄上が来て≪雪児は酒が飲めない≫と寧王殿下に告げると、殿下はなぜ早く言わないのだと…近くにいた父もなぜ飲んだのだと、側に来て怒っている。


そんな私たちを、皇太子殿下と姉上も壇上から黙って見ていた。


皇太子殿下の冷めた視線が、少しだけ痛い気がする…


でも良いのだ。

私のことなどどう思われようと…姉上と仲睦まじければ。

そんな風に自分に言い聞かせる。


その時、皇太子殿下にそっと腕を絡めた姉上に、彼は優しく微笑みかけた。


―――私は寧王殿下に付き添われ、映月亭で休むことになる。


酔って熱い頬に、そばの池の水面から吹き抜けて来る夜風が、涼やかで冷たくとても気持ちが良い。


…遠くから風に乗り微かに聞こえる、胡弓や筝の音。


先ほどまでの喧騒が、まるで嘘のようだ。


隣に座った寧王殿下が、侍女が運んだお水を口元に運んでくれた。


「酒が強くないのなら、もっと早く言えば良いものを」


「私は酔ってなどいません」

そう強く言ったら、殿下は≪それが酔っていると言うのだ≫と笑った。


二人で並んで、映月亭の側の池のほとりを眺める。

水面が静かにそよいでいて、月明かりが映りゆらゆらと揺れている。

それがこの映月亭の名前の由来なのだろう。


座っていると、いよいよお酒が回ってきたのか、なんだかうつらうつらと眠たくなってきた。

横にいる寧王殿下の肩に、頭を預けているととても楽な気がする。


「初めて会った時ここで、凌雪は泣いていたな…」

その時寧王殿下が、ぽつりとつぶやいた。


あの日は姉上の事を、韓大臣の娘に≪妾の子の癖に≫とからかわれ、言い返した私が父上に、皆の前でこっぴどく叱られた日だ。


姉上は、自分が庶子である事を、ずっと悩んでいたのを知っていた。

だからこそ、姉上の気持ちを考えると、いたたまれなかったのだ。


…皇太子殿下が蕭烈微を娶れば、正妃の子と比べられ、姉上の子も同じように悩むのだろうか。


「あの日、私は父帝に自分を認めてもらえず、とても落ち込んでいたのだ。

常に兄上と比べられてきたし…。兄上さえいれば、私は必要のない人間なのではないかと悩んでいた。

…でもお前が、父が私に期待しているから叱るのだと」


「……」


「そう言ってくれたから、心が嘘のように軽くなり、私も前を向けたのだ…」


殿下はそう言って私の手をそっと握った。

私は思わず彼の顔を見返す。


「凌雪がいたから、今の私がある。あの言葉とその笑顔に、私は心掴まれた。

私にとってお前は唯一無二の存在だ。

…この先もし…側室を娶るように言われたとしても、私は出来る限り断るようにする」


そう静かに言った殿下の声を、耳元で聞きながら、ぼんやりと水面を眺め≪それは無理な事だろう≫とそう心の中で思っていた。


皇太子殿下が、蕭烈微を娶るように…

…蕭烈微からすれば、姉上がいるのと同じように…。


寧王殿下もいつの日か、側室を娶るだろう。


――唯一無二の存在になど、ここでは誰もなれないのだ。


その時夜空に、陛下の生誕を祝う花火が勢いよく上がった。

大きな音の後に、小さく散りばめられたような音が、いくつも軽やかに響く。


私はそれに、なぜだかゆっくりと手を伸ばしてみた。


鮮やかな色とりどりの色が何層にも重なり、それは大輪の花のようにとても華やかで…

誰もが手を伸ばしても、決して届くことなく触れる事さえもできない。

―――それはまるで皇太子殿下のようだ。


この花火を、殿下も姉上と一緒に見ているだろうか…


あの日霽月堂(せいげつどう)で≪姉上に心が動かない≫とそう言った煊王(けんおう)殿下。


姉上は、殿下の事をお慕いし、心から大切に思っている。

あの廬山峠の一件以来、姉上は毎日文をしたため、一生懸命、殿下に心遣いをしている。


それでも心が動かない…と殿下はそう言った。

今の私も、そう言ったあの時の皇太子殿下と同じだ…


寧王殿下は、こんなにも私にお優しいのに

どうして私はいつまでも、寧王殿下に心が動かないのだろう。

その事に今日気づいてしまった。


寧王殿下へのお気持ちは、父上や兄上、他の大臣のおじさまたち、靈麗や、恵仁堂の皆…その人たちと、変わらない気がする。


皆優しくて思いやりがあり、私を大切に思ってくれる人たちだ…


でもいつか寧王殿下の事を”姉上が皇太子殿下に恋焦がれる”のと同じように、お慕いする日が来るのだろうか。


あの日、自分の身を顧みず私を助けてくださった煊王殿下。

お怪我の事も、私を守るためだったから構わぬと、そう言っていた…


本当は私も蘇璃が言うように、馬上から私を抱き上げ助けてくれた時の横顔が、今でも目を閉じれば浮かんでくる。


思い出せば鼓動が高鳴り、霽月堂の事もずっと頭から離れない。


最後に渡された水色と薄緑の玉箋と雲箋は、殿下の好きな色と同じ色を買い揃えてくれた。

あの日から何度もその箋に文を書こうかと筆を執ってみる。

でも…殿下に書けることなど、この気持ち意外何も浮かばない…


―――煊王殿下は、姉の婚約者でこの国の皇太子だ。

そして私は、その弟君の寧王殿下の正室になる事が決まっている。


…今ならまだ間に合う。

―――この気持ちを、早く止めなければ。


湧き上がってくる、まだ理解できないこの想いに蓋をし、私は運命に身をゆだねるしかないのだから…


その時ふと、寧王殿下の唇が私の唇にそっと重なった。


ゆっくりと離れていくそれは微かに震え、彼の私を見る潤んだ目には、愛おしさが滲んでいる。



何が起きているのか一瞬よくわからなかった。



彼は少しだけはにかんで、静かに私の肩を抱いてその指先に力を入れた。

――この人を愛せるだろうか…

その時私の中で、小さな疑問が浮かぶ。


その時だ。


「おいお前たち!凌将軍が帰ると言っている。支度をしろ!!」

突然のその大きな声に、驚いて振り返ると、皇太子殿下と姉上が立っているではないか。


もしかして、先ほどの事を見られたのでは?

そう思うと耳までが熱くなり、瞬時に酔いも醒め現実に戻っていく。


「行くぞ!媛羅」


(せつ)~、早く来てね。お父様、待っているわよ」

こちらに氷の様に冷たい視線を投げかけるとすぐに踵を返し、足早に去って行く皇太子殿下。

呼ばれた姉上が、その後を急いで追いかけていく。


「もう行かねば。凌雪、気を付けて帰るのだよ。夜道は危ない。凌孟昊(りょうもうこう)玄洵(げんじゅん)がいるから、大丈夫だろうとは思うけれどね」


皇太子殿下の事など気にもとめず、寧王殿下は、そう言って優しくこの頬を撫で微笑む。


私はさっきの皇太子殿下が気になって、何も言えなかった。


それから私は寧王と宴場に戻り、そのまま父たちと合流し皇宮を後にする。





―――凌府に到着すると、姉はとてもご機嫌で自分の部屋に戻っていった。



それから私はまだ少し酔いが残っているので、中庭に座り一人月を眺める。

夜風が庭の木々の匂いを乗せて、首元を通り抜けていく。それがとても心地よい。


そこに兄上が杯の水を片手に、そっと腰を下ろした。


雪児(せつじ)、これを飲むと良い」


「ありがとう、兄上」


――こうして兄上と月を眺めるのも、あと何回あるのだろうか。


そう思うと、私はさみしくなり兄に寄り掛かり、この腕をぎゅっと絡めた。

≪いつまでたっても子供だ≫と兄上は笑う。


「兄上」


「なんだ?」


「私は、この家から出ていきたくありません」


「雪児…」


「兄上とも一緒に居たいし、まだまだ父上や母上と一緒に居たいのです」


そう言うと、兄はそっと掌で私の頭を優しく撫でてくれる。


「それは、私達も同じだよ。でもいつかは大人にならねばならない。その日は必ず来る。誰も避けられないのだ」


大人になるとはどういうことなのだろう。

自分の気持ちを、押し殺さねばならないのが、大人になるという事だろうか。


「私は…寧王殿下をお慕いできるかどうかわかりません」


「何かあったのか?」


「いいえ…。お兄様もいつか誰かを娶るのですか?」


「まぁそう遠くない日になるだろうな…」


そう言った兄上の横顔も、どこかさみしげだった。


でも兄上は男だからまだいい。

父上にも頼りにされて、娶られるよりも娶る方だ。

それにこの家に残れる。


「この家に生まれた以上、仕方のない事だとはわかっているのです。頭では」


「婚姻前は皆悩むと言う。

もしお前が寧王府に行っても、いつでも会えるのだから案ずるな。

寧王殿下は思っていたよりも、とても優しい方のようだ。雪児は幸せになれるよ」


そう言って兄上は、笑顔で私の肩を抱いた。



幸せになれるとみんな言う。

でも私の幸せは、本当にそこにあるのだろうか。


もし私が自由だとしたら…


私はそれでも、寧王殿下を選ぶだろうか。

―――その答えが、やがて私を巻き込んでいく運命の渦の始まりだった。





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