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第二十二話 その想いに気づく時

私は民の暮らしを見る為、韓昭を連れ、久しぶりに忍びで市井(しせい)へ出かけた。

昔から私は、市井へ出るのがとても好きだ。


窮屈な宮中と違って、ここには民の気楽さや自由さがある。

ただ、良い事ばかりではないだろう。


飢えや病、税や災害。

彼らにとって、苦しい事は山ほどあるに違いない。

それを設法(せっぽう)(立て直すこと)するのが、私の役目だ。


今日は朝から、いろいろな所をまわった。

初めは大理寺(だいりじ)から始まり、その後恵仁堂とまずは政府の要所に立ち寄り、その(あと)民の暮らしを見る為に、市井に行く。


改装(変装)しているからか、誰も私を“皇太子だ”と気が付く者はいない。

市場や、長街、茶館や薬舗、そして布坊。それらのどこにも、彼らの生活があった。それを見るのが大層新鮮に感じる。


「殿下、次はどこに行かれますか?」


韓昭が香舗(こうほ)(高炉やにおい袋の店)の前で、私に話しかけてきた。

その時ふと店の奥から、凌雪の香袋に似た香りが鼻を掠める。


寧王との婚姻が決まってから、彼女にはしばらく会っていなかった。

あれから忙しくしているらしい。

恵仁堂で薬念神医の手伝いをしていたり、寧王府に猫を見に行ったりと聞く。

こちらが尋ねてもないのに、韓昭がいちいち報告してくるからだ。


凌媛羅は反省しているのか、前ほど余計なことを話してこなくなった。

この間も母后が茶会を開き、その時に会いはしたが、凌雪の事は一切触れず、私には当たり障りのない話だけして帰っていく。


婚姻を取り消すと怒ったからか?おとなしくなって楽ではあるが…

母が間に入り少し煩わしい。

茶会だ、詩会だのと理由をつけては、凌媛羅をもてなし、そこに私も同席するように毎度言う。こちらは公務があり、忙しいと言うのに。


「最後に霽月堂(せいげつどう)に行きたいと思う」


「久しぶりですね」

「新しい書画が見てみたいのだ。それから母上に文の為に雲箋(うんせん)(紙)玉箋(たません)を買おう」


霽月堂は、書画や骨董などを取り扱う文具店だ。

店主はかつて王宮に仕えていた経歴もあり、「文化人」を気取り皇族も訪れやすい。


私はそこで思わぬ人と再会する。


―――店に足を踏み入れたその時だ。

侍女の蘇璃(そり)と一緒に、店棚で何やら一生懸命吟味している凌雪が目に入る。


最初向こうは気が付いていなかったが、小さな咳払いを一つすると二人とも振り返り、私を見て慌てて一礼した。


「殿下どうぞ奥へ。

品をご用意いたしますので、ゆるりとご覧になってくださいませ」


店主の季文海(りぶんかい)が、私と韓昭を店の奥に案内する。


その時彼は、凌雪に見せていた紙をかき集め、ごっそり全部持って行こうとした。

季文海は昔科挙も志したことがあると言う。知恵者だが、こういう時気が利かない。


凌雪は困った顔をして、季文海を見た。

その時韓昭が、意外なことを言う。


「殿下、私は外でお待ちしております。凌雪お嬢さんと選んでは?」


「は?なぜだ」


「ちょっと侍女の蘇璃に、尋ねたいことがあって」


そう言うと、彼女の手首を掴み外へ連れて行った。


凌雪はそれを見て、私に尋ねた。


「蘇璃が何か。」


心配そうに聞いてくるから、私も咄嗟に嘘をつく。


「韓昭が桂花糕(けいかこう)の作り方を、知りたいそうだ。

前に恵仁堂で食べた“蘇璃の味”が忘れられないと…。」


――それは本当だった。

ふいの思いつきで何とか答えたが、時々韓昭は訳の分からない行動に出るから困る。

凌雪が不振がり、首をかしげているではないか。

韓昭め。一体何なのだ。


凌雪は外に行った二人の方を、ずっと見ている。

だが店主に呼ばれたので、私は躊躇する彼女の腕を引っ張り、奥の部屋に一緒に連れて行った。


そこには隣国の珍しい紙や筆が所狭しと、並べられていて目移りする。

景都でもこのような品ぞろえは、なかなかないだろう。


美しい色の玉箋や、雲箋が数多く置かれていた。       

透かしが入ったものや、手触りがまるで雲のようなもの。

筆なじみが良さそうなものから、花があしらわれたものまで…


凌雪はこんなに沢山初めて見たと、目を輝かせた。

いつもは、店先の物しか見られないと…


店主がこの娘は誰だと言わんばかりに、凌雪を見つめている。

私が≪凌大将軍の娘だ≫と言うと、季文海は慌てて手を胸に組んで一礼した。


「これは、これは、大変失礼いたしました。殿下の婚約者の方とも知らず。次回からはこの部屋にすぐお通ししますので、申し付け下さいませ」


市井で私が凌大将軍の娘と婚約したことは、周知の沙汰だった。

なので、店主は凌雪を凌媛羅と間違えたようだ。


「あ、私は妹…」


「他にはないのか。母上にはもっと、金箔がちりばめられたものとかが良いのだ」


間違いを正そうとした凌雪を、咄嗟に言葉で遮る。

…別に季文海が間違えていようがそうでなかろうが、大した問題ではない気がしたからだ。


私に言われて、ここにはない紙を探しに行った店主が部屋を出ていったが、彼のせいで私達の間に少し気まずい空気が流れる。


それから少しして、凌雪は気を取り直し、淡い桜色の玉箋と微かな橙色の玉箋を手に取りしばらく悩んでいた。

玉箋は、玉の様につるつるとした手触りの、上質の紙で、私もよく文に使っているものだ。


凌雪を横目で見ながら、その辺りに置かれた紙を、私も適当に手にとってみる。

その横に立つと、あの凌雪の香袋の匂いがふんわりと漂って来た。


――さっき店先で匂った物とは、若干違うような気がする…。

彼女の物は、やはり心惹かれ安らぐ香りだ。


「お前は、どちらの色にするのだ」


そう尋ねたら、先ほどまでうつむいていた長い睫毛が不意に私の方を捉えた。

黒く大きな目が瞬きで揺れ、思わずそれに引き込まれそうになる。


「殿下は、どちらがよろしいと思いますか?」

――そう尋ねられてはっとした。


「用途は、誰かに文を書くのか」


「はい、寧王殿下に」


忘れていたが、そう言えば凌雪は寧王と婚姻していたではないか。

文を書くのは、別に特別な事ではないが、相手が寧王というのがなんとなく面白くない。


「私は、あっちの水色がよい」


彼女が手に持っている物とは全く違う場所にある、水色の雲箋を思わず指さす。

雲箋とは雲の様に柔らかい高級な装飾紙で、模様が施されている、恋文などによく使われる雅やかな紙だ。


「寧王殿下は花のような明るい色が、お好きらしく…。あの色はちょっと…」


――そうあっさり返されて、それも面白くない。


私は返事もせず、今度は凌雪の前の薄緑色の雲箋を手に取ろうと、少し彼女の方に身を寄せた。

すると彼女は後ずさりをして、あからさまに私を避ける仕草をする。


「なんなのだ」


「別に…あ、それどうぞ」


私は少し不審に思ったが、その紙を手に取ってみた。

今度は、彼女の方から口火を切る。


煊王(けんおう)殿下、この間はありがとうございました」


廬山峠(ろざんとうげ)での事を言っているのか?


「あの日の姉上の事は誤解なのです。どうかお許しを」


「誤解?」


「姉上は最近では元気もありません。最初この婚姻が決まった時も、大変喜んでいたのです。殿下の事を本当にお慕いしていて…」


凌雪は少し潤んだ眼差しで、私に一生懸命話している。

私の事など気遣わず、凌媛羅の事をとりなすので必死だ。


「侍女の春桃(しゅんとう)に聞きました。殿下は最近、姉上にあまりお口も聞かれないと」


「話したくないから、話さないのだ」


「そんな。姉上は殿下を本当にお慕いしているのです。少しは慕ってあげてください」


そう何度も懇願されて、私の感情の糸が音を立てて切れる。


「なら凌雪は、お前を慕っていると言う寧王を、慕えと言われて簡単に慕えるのだな!」


「それは…」


「大層ご立派な考えだ。泣いていた次の日には、手のひらを返したように寧王と笑っていたのだから」


「……」


「寧王との婚姻の裁可が下りれば、それに合わせてにこやかに蘇貴夫人に挨拶し、姉に陥れられても、笑顔で姉を庇い私にとりなす…。お前は何も、悔しくはないのか?その本心が、私には、まったく理解できぬ!」


―――苛立ちが、止まらなかった。

私が憤ってそう言い放つと、黙ったままの彼女はその目に見る見る間に涙を溜め、そっとうつむく…


「では、一体私に何ができると言うのですか…」


震える小さな声でそう切り出し、そしてやっとの思いで顔を上げ、私を正面から見つめた。


「私の力で陛下の勅旨に、背けるはずもありません。それは殿下も同じなのではありませんか?!」


「凌雪…」


「私はあれからずっと、皇太子殿下のお怪我を心配していたのです。でもあの次の日は、朝から陛下からの勅使が来て…そのうち貴人に呼ばれ、息つく間もない慌ただしい一日でした…。


お会いした時、殿下も大層ご機嫌悪く…。聞けば朝から姉上を叱るために、凌府に来られたとか!」


「……」


凌雪は目に涙をいっぱい貯めて、私の事を睨みつけるようにして続けた。

彼女の感情が一気にあふれ出たかのように見える…


「私の事が迷惑だと、関わりたくないからと姉に怒ったそうですね!?私はそれで、結構です。殿下に何を言われても」


彼女の目に溜まった涙が、今にもこぼれそうだ。


「でも姉に当たるのはおやめください!」


そう言うと、手に持っていた紙をその場において踵を返し、すぐに部屋を出て行こうとした。

その後を追いかけ、腕を咄嗟に掴んで彼女を引き留める。


「私がいつ、お前の事を迷惑だと言ったのだ!関わりたくないなどと、誰にも言った覚えもない!!」


「お怪我をさせてしまったのは、私のせいですから」


「あれはお前を守るためだったから、良い!構わぬ!」


そう言い放つと、凌雪はゆっくりと私の方に振り返った。

目も鼻も真っ赤にして、私とは目を合わせようともしない…。


「殿下は…私に一体どうしろと言うのですか…」


彼女の頬を伝う涙は、側にある燭台の光に照らされて

真珠の様にはらりと光って落ちていく。


「私は…」


私は、何と言いたいのだ。一体自分で何を言おうとしているのだろう。

その泣き顔を見て、さっき感情的になってしまった自分の事を後悔した。


勅旨に背くことができないのは私と同じだと、そう言われて気がつく。

―――凌雪には、どれもこれも、どうすることもできないことを…


それが一番わかっていたのは自分のはずなのに。


けれど凌雪に対して並べ立てた苛立ちの数々は全て…ただの嫉妬だ。

寧王に対する嫉妬でしかないではないか。


凌雪を陥れた、媛羅がどうしても許せなかった。


“彼女の命が危ない”と聞いた時の焦燥感と恐怖。

何が何でも助けてやると言った湧き上がる闘志…


どれもこれも、凌雪にしか生まれない感情でしかない事に…

たった今…気付いてしまった。


≪もう私は、行きます≫と、出て行こうとしたその手を私は思わず引き寄せ、その身を強く抱きしめる。


―――時が止まった。…そんな気がした。

彼女を抱きしめると、まるで乱れた琴の調べのように、心臓が波打つ。


「私は…凌媛羅にどうしても心が、動かないのだ。私は、どうすればいいのか教えてくれ凌雪…」


絞り出すようにそう言った私の腕の中で、凌雪は黙ったままじっと聞いていた。


きっと驚きで動くことが出来ないのであろう。


でも今わかった。

私が凌媛羅を慕えぬ理由が。


凌雪の命の危険に、自分の事よりも身を裂かれそうな思いをしたのも、寧王との婚姻の裁可に心かき乱されたことも…

私の中にずっとあった全ての苛立ちは、凌雪を慕っていたからだったのだと。


――薬念神医が言っていた。

愛するとは、全ての事から守りたいと思い、会いたい、触れたいと思う事だと。


恵仁堂で誰にも平等に心優しく振舞うその姿や、皆に見せるその素直な笑顔に私が心惹かれていたのだと、今やっと気が付いた―――。


でもだからと言って、凌雪が言うように今の私に何ができる?

私はここ天黎国の皇太子で世継ぎなのだ。

そうである以上、陛下に決められた婚姻の元、この国を担っていかなければならない。



そして…凌雪は我が弟寧王李璿(ねいおうりせん)の婚約者だ。


「皇太子殿下…」


腕の中で、小さく私の名をつぶやいた凌雪に我に返る。


これ以上どうすれば……


私の全てに自由はない。そんな私が凌雪に何をしてやれるのだろうか。


彼女の為にできる事は、この思いを伏せて忘れる事だけ。

―――己の気持ちを、決して口にしてはならぬ。


凌雪にとって愛し愛される相手は、寧王でなければならない。

そして私が愛する相手は、凌雪であってはならないのだから…


私はそっと彼女から離れた。


「すまない。つい感情的になって。媛羅の事でかなり悩んでいたのだ」


「……」


「母后に仲よくしろと、しつこく言われていてつい…感情的になった。見なかったことにしてくれ」


「皇太子殿下…」


「欲しいものがあれば、お詫びで全て買ってやる」


「私は別に…」


そうつぶやいた彼女に、私と同じ色の玉箋と雲箋を数枚選んでやった。

凌雪はおとなしくそれを受け取ると胸に抱える。


「殿下、この間のお怪我は大丈夫なのですか?」


最期に心配そうに尋ねて来る凌雪に、私は小さく頷いた。


そう言えば、何度も怪我は大丈夫かと聞かれた。

さっきは心配していたと、泣いていたな…

神医も、そう同じことを言っていた。


「私は大丈夫だ、もう治る。帰りはよく気を付けるのだぞ」


私は、そう言ってその肩に手を置くと、凌雪と店を出た。


これからは、もっと凌雪と距離を置かなくてはならない。

この気持ちを抑える為にも…


弟の妻として、大将軍の娘としてそして、妻の妹として見ていかねば…


―――私は皇太子煊王李煌(けんおうりこう)なのだから。



店の前に出ると、韓昭と蘇璃が呑気に豆菓子を食べていた。

きっと、韓昭が買ってやったのだろう。


蘇璃はすぐに凌雪に駆け寄り、彼女が持っていた手荷物を受け取ろうとした。


「いいの。私が持つから大丈夫」

そう言って蘇璃に微笑むと、彼女は私に深く一礼し踵を返し帰路に向かった。


韓昭は黙ったまま、私と一緒に二人の後姿を見送っている。


今やっと私にはわかった。

ーーー私が、凌雪を想い慕っている事に…。


隣にいる韓昭の横顔を、私はじっと見つめる。

…お前は私の気持ちにとっくに気づいていたのだな…


そう心の中で、つぶやきながら。


「私達も行こうか」

「殿下、何かあったのですか」

「何もない」

「でも、お顔の色がすぐれません」

「お前は顔色が良いな」

そう言って苦笑いすると。足早に市井の中を通り抜け私は皇宮に戻る。


天黎の皇太子として。――これからその責務を担う為に…





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