第二十話 燁煊の本音
あれから凌雪(瑤心)は、時々私についてきて恵仁堂の手伝いをしてくれるようになった。
時には従者を従え、野菜をたくさん届けてくれたり、蘇璃の作ったたくさんのお菓子を皆に分けたりして、今では恵仁堂の人気者だ。
まあ、原神は愛の神・瑤心だと思えばそれも当たり前だけれど……。
今日は浮かない顔をしているので、話を聞いてあげるとしようか。
「元気がないようだけれど、何かあったのですか?」
私は、縁台に座って子供たちを眺めている凌雪の隣に、そっと腰を下ろす。あれから、凌雪は凌媛羅に陥れられ命の危機に遭った。司命葉に書かれてはいないので、それに少し焦った。
「靈麗……」
「元気がないようですし、体の具合でも良くないのかと。」
「ううん……大丈夫」
「大丈夫と言った顔では、ありませんね」
そう言って、横から顔を覗き込んだら、視線を子供たちからゆっくりと私の方に移した。
「靈麗、皇太子殿下の傷はどうだった?」
あの日、私が彼を治療するため煊王府に向かったのを知っているからか、ずっとそれが気になっているのだろう。
「殿下の傷は大丈夫ですよ。利き腕ではないですし、矢が当たった場所は筋も骨も逸れていたので。治療しましたから、もう痛みはないはずです」
「そうなの。良かった……」
「それより、寧王殿下とのご婚約おめでとうございます」
そう言って笑いかけたら、少しはにかんだように小さく頷いた。
このまま歴業では、寧王と添い遂げてほしい。
皇太子である凛宸には近づかず。
様子を見ているだけでも、凛宸はもうすでに瑤心である凌雪が気になっているようだ。
私の神力は人間には使えない。
神の力は「歴業の干渉」を避けるため、人間界では禁じられている。
天界の神の処方や鍼で、その気を散らすしかない。
この間、治療と言って心を感じてみたが、既に凌雪への気持ちが大きく膨らみ始めていた。
―本人はまだ気づいていないが、時間の問題だ。
凌雪から気持ちをそらす薬を飲ませてはみたが、これ以上になればそれも及ばなくなる。媛羅がもう少し、自分に惹きつけてくれればよいものを……。
しかし、どうしても一つだけ疑問が残った。
「愛の女神瑤心の原神」を持つ凌雪を、人間が嫉妬とはいえ、あのように嫌うことなどあるのか?
凌雪を嫌う理由も、ただの嫉妬だけではないような……。
力が使えれば、あの女子の魂を見ることができるのに。
それは一体なぜなのだ。
「靈麗、私は寧王殿下と幸せになれるのよね」
そう口にするということは、凌雪にも迷いが出てきた。
「原神が凛宸」である皇太子が、瑤心である凌雪に向かう前に、早く寧王と結んでしまわねばまずい。
「寧王殿下以外で、凌雪は誰と幸せになれるのですか。殿下は、あなたを大切に思っています。彼ほどの人は現れないでしょう」
「やっぱり、父上と同じことを言うのね」
「凌大将軍のおっしゃることと同じだからこそ、間違いがないのです」
「それは、分かっているのだけれど……」
「けれど?」
「寧王殿下はとてもお優しい方で、最近ではたくさん文をくれるの。皇宮に咲くお花が見頃になるたび、お誘いしてくれたり。王府にかわいい猫たちがいてね、いつでも遊びに来ていいと。でも、兄上が優しいのと何も変わらないような……」
「みんな凌雪を大切に思っていますからね。それなら大将軍とも変わらないのでは?」
そう言って笑うと、凌雪は思わぬことを言い出した。
「靈麗、皇太子殿下は姉上にお優しいのかしら」
その言葉に、凌雪が皇太子を気にかけ始めたことを感じる。
寧王との婚姻までに、何とか気をそらさないと、今皇太子に気持ちが向けば、皇太子の気持ちが媛羅との婚姻前に一気に凌雪に向かう。
凛宸の歴業を成功させるためには、何が何でも凌雪から離さないと。
妻になる凌媛羅を最後まで愛するように……。
「皇太子殿下はお優しいですよ。
前も凌媛羅とご一緒に恵仁堂に来られました」
「聞いたことがあるわ」
「殿下は常に、凌媛羅様を気にしていて、誰よりもお優しくされておりましたよ」
「殿下が?」
「お相手が凌媛羅で良かったと」
「……」
「凌媛羅も皇太子殿下をお慕いしている様子だったので、殿下のお気持ちが傾き始めたのでしょう。お二人は幸せになれると思います」
そう言うと、凌雪は小さなため息を一つついて、私にあんず飴を欲しがった。
天界での瑤心(凌雪)は、心が乱れると私が作ったあんず飴を、ねだっていた。
この間元気がない時にあげたら、わずかに残っている天界の記憶なのか、時々くれと言う。
――心が乱れたのだな、凌雪……。
その心が手に取るように分かるのも苦しい。
この歴業が終われば、瑤心は天帝の命により私の妻になる。
なので、凛宸に心揺れるのも、歴業とは言え良い気分ではない。
――しかし何よりも大事なことは、二人が歴業に失敗せず灰にならぬことだ。
「凌雪も、寧王殿下と幸せにならねば。大切にされているのだからね」
そう言うと、あんず飴を口に入れたまま小さく頷いた。
凌雪、そのあんず飴には、心を楽にする天界の薬が入っているのだよ。
凌雪が人として口に入れた時には、聞こえた言葉が全て本当で、素直にその通りだと心が反応する……。
「寧王殿下は凌雪をお慕いしてくれている。だから凌雪もそれに応えなくてはね」
「はい」
「皇太子殿下と凌媛羅のように」
何も知らず、私の言葉に耳を傾け頷く人間である凌雪に、操ってかわいそうな気持ちがないわけではない。
けれども、これが「歴業を守るためならば仕方がないのだ」と心を鬼にする。
「靈麗には、お慕いしてくれている人いないの? とてもいい人だし、ひそかに誰かが慕っているのかもね」
そう屈託なく尋ねた凌雪に、今は苦笑いしかできない。
凌雪、私は君の幼馴染の燁煊だ。
彼女の目を見ながら、そう心の中で答える。
私の中で、ずっと温めてきた彼女への思い。
天帝は、愛の神と結ばれる。そう知ったのは、ほんの少し前だった。
父である現天帝に神に昇格した時呼び出され、瑤心の歴業が終わったら婚姻を挙げると告げられた。
その時私に喜びと同時に、小さな迷いが生じる。
それは同じく一緒に育ってきた、凛宸の気持ちに気づいていたからだ。
彼は瑤心を慕っていると、一度も口にしたことはない。
二人は、二千年前から頻繁に会うこともなくなっていた。
しかし、時折天界に戻ってくる凛宸の穏やかな瞳は、確かな愛情と秘めた思いが宿されていて、いつも瑤心を追っていた。
彼は瑤心を慕っていると、一度も口にしたことはない。
でもずっと、彼らのそばにいた私にはわかる。
瑤心を想う気持ちは同じなのだから……。
瑤心もまた、そこにいない凛宸のことをいつも心配していた。
何をしているだろうか、どこにいるのだろうか……と。
そんな二人が、人間界の歴業で結ばれたとしても、それには何の意味もない。
無事天界に戻る時には、忘川の水を再び飲む。
人間界での出来事全てを忘れるために。そして冥界の入り口から天界に戻る。
でも私は、この歴業での二人の全てを記憶したままだ。
もし二人が愛しあう姿を目にすれば、正直苦痛でしかない。
「靈麗は、どのような方が好みなの?」
「老若問いません」
質問してきた凌雪に、真顔で答えたら、子供のように笑って腹を抱えた。
凌雪……ここでもずっと、心から笑っていてほしい。
歴業での過酷な運命が、この先待ち受けていようとも。
仕方がないと分かっていても、君が泣いている姿に私は胸が痛む。
できるなら、助けてやりたいし守ってやりたい。
これから先、凌雪は寧王と添い遂げ命を終える。
恐らく司命簿葉詩からして、愛する寧王を庇って絶命するはずだ。
凛宸は妻を最後に亡くし、それに絶望した中での絶命。だが、妻は媛羅になっていた。
彼女を愛さなければ詩の通りにならない。
―――この二つの運命は、何があろうとも実現させねばならない。




