表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/100

第十四話 隠せない煊王の苛立ち

春冠祭(しゅんかんまつり)がとうに過ぎ去り、温かさが日増しに増え始めたこの頃、宮中で藤の宴が開催される事となった。


池のほとり映月堂(えいげつどう)あたりに咲き乱れた藤棚が、さわやかに風で揺れながら私の執務室前の廊下にも、甘い香りを満たしている。


ちょうど(さる)の刻(三時ごろ)、宮中の鐘が三つなった。


それは、これから始まる母后や貴夫人が開く、

女子(おなご)の茶会を知らせるためのものだ。


茶会が終わり(とり)の刻(六時ごろ)が来れば、次は宴が始まる。


皇帝陛下に招待状をもらった、皇族、重臣やその家族の面々が皆一堂に集まり、無礼講で心行くまで酒を楽しむ…というのが通例だ。


今日の宴は私の婚姻の事もあって、陛下が凌媛羅(りょうえんら)を、皆の前で披露する場でもあり一層賑やかになるだろう。


先日の朝議後、父の側室・()貴夫人が、寧王の婚姻について思わぬことを告げた。


寧王李璿(ねいおうりせん)の背後には、恐らく慶淵王(けいぶちおう)がいる。

ゆえに私は、“李璿の結婚には何か裏があるのでは”とずっと思案していた。


けれど貴夫人は言った。

――寧王が、凌雪にずっと思いを寄せていたと。

私の婚姻が決まるずっと前に、凌家との繋がりを切望していたと。


凌孟昊(りょうもうこう)が義父になる事の意味よりも、凌雪を得る事の方が大事だと言う。


私は、ありとあらゆる策謀と、凌孟昊との姻戚関係を警戒しつつ、父の言う通りの婚姻を結ぶ事が、 当たり前だと思っていた。


それがこの国の皇子である以上、当然のことだとずっと信じて来た。


でも寧王の考えは、違うと言うのか?


――初めて会った時から凌雪をお慕いし、何度も眠れぬ夜を過ごし

会うたびに恋焦がれし寧王の気持ちを、どうか叶えてやってください。――


貴夫人が言ったあの言葉。


二人はいつ会っていたのだ?


韓昭(かんしょう)からも沈嶺(しんれい)からも、そんな話聞いた事もない。


恋焦がれるほど逢瀬を重ねるなら、一つくらい耳に入って来てもおかしくないだろう。


私は、信じがたい理由に思わず眉をひそめた。



「殿下」


その時、(しょ)を記していた私の、そばに居た韓昭が、突然話しかけて来る。


「なんだ」


「あそこに凌雪(りょうせつ)さんがいます」


そう言われて、茶会に集まる女子の声のする方にふと視線をやり、すぐに手元の筆にそれを戻す。


「なぜ凌雪の事を、私に言う」


――婚姻相手の媛羅の事ならまだしも。


「え?気になるのと思いまして」


「気になる?何ゆえにだ?」


責め立てるように言うと、韓昭はくすりと笑って

“殿下はいつも玄洵の妹とおられると、楽しそうなので”。と、そう言った。


楽しい?

「私はいつも、平常心だが??」


「そうではなくて…

凌雪さんといる殿下は、本来の殿下らしいと言いますか…

心配したり、気にしたり、言いなりになったり。

私も見ていて、少しうれしいのです」


「言いなりになどなってない!頭が上がらないのは母上だけだ」


「この間、彼女の言いなりで、土鍋を混ぜておられましたよね」



そう言われて土鍋?と、ふと考えてみた。

恵仁堂(けいじんどう)へ、視察に行った時の事か?



あの時は始め、薬師達と薬草などの在庫を調べる為、私は倉庫にいた。

すると韓昭が慌てて「玄洵(げんじゅん)の妹がいる」と言ってきたのだ。


私達よりも凌雪の方が先に来たらしく、薬師の話では“彼女は朝から、薬念と来ている”と。


それから暫くは、彼女もこちらに気づく様子もなく

忙しそうに、あちこちに走り回っていた。


途中、薬念神医(やくねんしんい)の治療室の隣にある、麻布(あさぬの)で囲われた部屋に入ってしまい、しばらく出てこないので、私は韓昭に様子を見に行かせる。


しかしそこでも薬を病人に与え、彼女は世話をしていたらしく、韓昭がバツの悪そうな顔で私の所に戻ってきたのを思い出した。


以前、媛羅を恵仁堂に連れて行った時は、じっと座ったまま嫌そうな顔をし、半刻後には“ここには居たくな”いと言ってきた。


しかし凌雪は、皆といるのが楽しいようでずっと笑顔で走り回っている。


その時は、同じ姉妹でも、こうも様子が違うのかと不思議に思い、興味本位から煮炊き部屋に入った凌雪の後をつけた。


彼女は、そんな私に”この仕事が楽しい“とそう言った――


そこでもネズミのようにずっと忙しくしていた凌雪は、私に杓子(しゃくし)を押し付け、粥を混ぜるように命令して来た。

――それに、思わず言いなりになる。


韓昭は、その様子を外から見ていたようで、それからずっと私をからかってくるのだ…


「なぜだか気になるのだ。犬の福丸のようで」


我ながらそう言ったあと、凌雪の顔が犬と重なる。


それが面白くて、おもわず顔がにやけていると、韓昭ににやりと笑われて、すぐさま真顔に戻した。


「私は、殿下にも幸せになっていただきたいのです」


「幸せ?今でも十分幸せだぞ」


「本当ですか?」


「当たり前だ。この国を担う天子で、恵まれた人生だと思っている。それの何が幸せでないと言うのだ」


「私から見れば、殿下にはご自由が全く無いように思えます」


「私が自由にどこにも行けないと?」


「いいえ。行動ではなく、心の自由がないのです」


――心が、自由ではない…


韓昭に意外なことを言われて、考えた事もなかった言葉に、どう返してよいのかわからなくなった。


するとそこへ茶会がつまらないと、ここへやってきた凌媛羅が通される。


(とり)の刻には、私も宴席に行くので、今は女子(おなご)同士で楽しんだらよかろう」


私は筆を走らせたまま、媛羅にそう告げた。


婚約したとはいえ、宮廷内を自由に行き来するのはどうかと思う。


ましてや私の執務室に足を踏み入れるのは、些か品を欠くのでは?

――ふと、彼女に対してそんな事を感じた。


「茶会では、寧王殿下と雪の話ばかりで…

私達の事は霞んでいるようです」


媛羅はそう言うと、入り口横に置いてある飴色の椅子に静かに腰を下ろす。



「別に霞んでいるくらいで丁度よい。目立てば良き事にはならぬ。

後で陛下が、皆にそなたを披露するので嫌でも目立てるであろう」


「目立っているは、妹の方でしょう。

陛下が“寧王殿下と雪の婚姻”を、お許しになるとか?」


その言葉にすぐさま反応し、顔を上げ媛羅の方を見た。


父上は今朝お会いした時“まだ結論は出せていない”と言っていた。


「そんなはずはない」


「蘇貴婦人が、皆さんにお話しされていました。

寧王殿下は、側室はいらないとまでおっしゃっているとか。

雪は幸せ者ですわね。大好きな殿方と結ばれるのですから。

貴婦人が“愛し愛されるのが女の幸せだ”と、それはもうご機嫌で」


媛羅の意図が分からないが、言い方にいちいち棘がある。


自分が側室だからと、私に腹を立てているのか?


でもそれは、父上の意向だから仕方のない事で

私には、どうすることもできないのだ。


それに李璿(りせん)が、“凌雪の大好きな殿方だ”などと、誰の口が言っている。

私が知る限り彼女が好きな男は、犬の福丸か兄の玄洵だろう?


――そう思うと、また福丸の顔が浮かんできて、笑いが込み上げて来た。


「雪も、”寧王殿下はとても素敵な方だ”と。

寧王殿下になら嫁ぎたいと、大喜びでございます」


――私の事だけでなく、誰の事も凌雪は≪素敵な方だ≫と言うのだな。と、そう腹の中で思い、隣の韓昭を見るとふと目が合った。


「陛下のご決断が、姉として待ち遠しいです。

寧王殿下は、雪が嫁ぐには最良のお相手ですから」


寧王でなくても“最良の相手”なら、この天黎(てんれい)に五万といるはず。


「妹の雪は、寧王殿下のような素晴らしい方に愛されて、幸せ者にございます」


――黙っていれば何度も何度も……


媛羅の口から出てくる、寧王と(せつ)の名前。


それがなぜかあまりにも苛つき、手にしていた筆を思わず机になげつける。


「何度もしつこいのだ!!」


僅かに音が響き、媛羅が怯えたように目を見開いた。


自分でもなぜこんなにも心がざわめくのか、うまく説明がつかなかった。


韓昭が慌ててそれをとりなす。


「あ、殿下はお忙しくされていて…

宴席までに、終わらせなければならない仕事があるのです」


――そのような仕事は、元よりない。

韓昭が、そう言いつくろいながら筆を拾いに行く姿を見つめながら、媛羅が言った言葉にふと疑問が湧く。


愛するとは…?

誰かを愛し愛するとは、どういうことだ。


貴夫人は、寧王が凌雪を「愛している」ゆえ婚姻を賜りたいと言った。

では自分と媛羅との婚姻の間にあるものは、一体何なのか。


私にとって婚姻は、血筋をつなぐため、国家のため、――それで充分だとずっと思っていた。


寧王は凌雪と愛し愛されていると。

茶会でも、皆で浮かれ話題になるほどに…

婚姻がそれほどまでに慶び事なのか?


「殿下は、媛羅さんをお慕いしておりますよ。

寧王殿下に負けず劣らず」


そう言って韓昭が、黙ったままの私の代わりにおろおろしながら場をとりなした。


「私も殿下を、とてもお慕いしております。

お忙しいところ、申し訳ありませんでした。

私は、茶会に戻りますので後ほど」


彼女は膝を軽く曲げ、暗い顔で小さく会釈をすると

そのまま部屋を出ていった。


それを視線で見送ったあと、小さなため息が漏れる。


「一体何をしにきたのだ」


腹を立てて腕組みをした私に、韓昭が、拾った筆をもってきた。


「殿下、なぜそんな感情的に。お珍しい…」


「どうもこうも、媛羅が訳の分からぬことばかり言うからだ」


「媛羅さんは、殿下のお心が知りたいだけなのです。多分…」


「お心も何も、父に言われたからだ!

それ以上でもそれ以下でもない。私にどうしろと」


腕を組んだまま、韓昭から思わず目をそらすと

彼は私に呆れたように深いため息をついた。


「でも、あれではかわいそうすぎます。

媛羅さんは、この皇宮で殿下だけが頼りなのですから」


それは悪かったと、少し反省した。

感情的になり、つい言い放ってしまった。


皇太子という責務に、今まで何も疑問を感じたことはない。


このような苛立ちの感情が、他人のうわさ話で

心の中に湧き上がる事も初めてだ。


「私もよくわからなくなってきた。

今になって私の婚姻は、本当は必要なかったのではないかと疑問が浮かぶ」


「え?」


韓昭は、その私の言葉に驚きを隠せない。


「寧王が自分を取り巻く勢力を、一切気にせず、

ただ慕うと言う理由だけで凌雪を選んだ。

凌孟昊の権力を気にもせずにだ。それは本心なのだろうか。裏に何か…」


「それは、ご本人に伺えば、わかる事なのでは」


「本当の事を、寧王が言うはずがないではないか。」


「殿下、お着替えの時間でございます」


その時、外から内侍(ないし)が私に呼びかけた。

それに、またため息を一つつくと、椅子から立ち上がり、

その声の方に足を向ける。

――これから近づいてくる酉の刻が憂鬱だと感じながら…。


ため息とともに扉を開けた先には、紫の藤が風に揺れていた。


甘い藤の香りに、寧王と凌雪の仲睦まじい姿が頭に浮かぶ。

それを振り払うようにして、私は宴の為に韓昭と執務室を後にした。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ