変な自販機
「着いたぞー。ここだよ、ここ」
「は? ここって……いや、どこだよ」
夜、友人の家からの帰り道。おれは断ったのに、奴は「駅まで送る」と言ってきかない。かと思えば、途中で急に「寄りたい場所がある」と言い出し、仕方なくついてきた。ところが到着したのは、ただの道路だった。
周囲を見回すが、特に目立つものはない。「近くに知り合いの家でもあるのか?」と訊ねようとしたところで、奴はニヤリと笑った。
「ふふふ、この自販機だよ」
「はあ? それって、ただの自販機だよな?」
おれは自販機をじっと見つめた。赤くて、少し古びた普通の自販機だ。品揃えも値段も、どこにでもあるものと変わらない。
「まあ、お前にとっては普通かもな」
「ん?」
「ははは、まあ、見てろよ」
奴はそう言うと、硬貨を入れて缶コーヒーを一本買った。
「別に普通……ん? 今、音が……」
「気づいたか。ほーら」
振り返った奴の手には缶コーヒーが二本あった。一度しかボタンを押していないのに、しかも二本の缶は別の商品だ。
「この自販機はな……俺に恋してるんだよ」
奴は自慢げにそう言って、おれに一本を投げ渡した。
聞けば、ひと月ほど前にここで初めて飲み物を買ったときから、必ず一本余分に出てくるらしい。しかも、他の人が買うときは普通に一本しか出ないのに、奴が買うと二本出る。その“特典”は奴にしか適用されないというのだ。
「ほんとかよ。ただの偶然だろ?」
「本当だって。試してみろよ」
「ええ……じゃあ、お茶でも……ん、普通に一本しか出ないな」
「でも俺が買うと……ほらな! 二本出た! ははは!」
「マジか……でも、いいのか? 一本分しか払ってないんだろ? なんか泥棒みたいじゃないか?」
「固いこと言うなよ。俺が何か細工しているわけでもないし、置いて行くのももったいないだろ?」
「まあ、それもそうか……」
奴は満足げに笑っていたが、しばらく経ったある夜、電話がかかってきた。
『おい、ずっと待ってるのになんで来ないんだよ……?』
ひどく沈んだ声だった。
「ああ? メッセージ送っただろ。バイトが入ったんだよ」
『今からでもこっちに来られないか?』
「嫌だよ。今やっと終わったところで疲れてるんだよ。帰って休む。明日は大事な予定があるしな」
『キャンセルできないのか? 大した用じゃないんだろ?』
「アイドルのライブだよ!」
『ああ……高かったのか? 大手?』
「いや、地下」
『ならいいじゃないか……』
「よくねーよ。おれが応援してやらないとダメなんだよ」
『じゃあ、せめてこのまま電話を繋いでてくれよ……』
「なんだよ、気持ち悪いな……」
しおらしい態度と声に、おれは少し罪悪感が湧いた。
『早く解決したいから行くけどさ……本当は一人じゃ嫌だったんだよ……』
「行く? どこへ?」
『あの自販機だよ』
「なんだよ、そんなことでおれを呼び出そうとしてたのかよ。もう自慢はいいだろ」
『いや、違うんだ……』
「はあ?」
『あの自販機、あれから飲み物を三本出すようになったり、釣銭口から小銭をじゃんじゃん出すようになったんだよ……』
「エスカレートしてるなあ」おれはその光景を想像して、はあ、と息を吐いた。「でも、その金をもらうのはさすがにまずいよな」
『そうなんだよ……かといって、そのままにはしておけないから、仕方なく持ち帰ったけど、今夜返しに行こうと思って……でも、正直怖くてさ……』
「怖い? いや、いっても相手は自販機だろ? ホラー映画じゃあるまいし、動くわけでも、吸い込まれるわけでもないし、ははは、もしかしたら自販機に姿を変えられたりしてな」
『やめてくれよ……最近、本当に悩んでるんだ……あ、着いたぞ。うお、ほら、聞こえるか? おれを見た瞬間、小銭を出し始めたぞ、ああ、飲み物まで……』
「まるで犬だな」
『彼女はそんなんじゃねえよ……』
「ははは、まあ、確かに不気味だな……ん? 彼女?」
『よし、言うぞ……えっと、君の好意はありがたいんだけど、そういうのはもうやめてほしいんだ。え? いや、君のことが嫌いになったわけじゃなくて、ほんとだよ。この間だって磨いてあげたじゃないか。それに、アレも……え? タバコ? それはその……駅の自販機で買ったけど……でも、あの子はそういうんじゃなくて、え、いや、確かにサービスしてもらったけど、でも君のことが――』
「あー、君、君」
「あ、はい」
突然、背後から声をかけられ、驚いて振り向くと、そこにはバイト先の店長が立っていた。
「あ、電話中だった? 平気?」
「あー、まあ、はい。なんか、もうどうでもいいですね」
「そう。それで、明日もバイト入ってくれ。頼むね。じゃあ、お疲れ」
「あ、はい……いや、あの……」
おれはふと、自販機になりたいと思った。
誠実で、正当な対価を払ってくれる相手にだけ応じる、そんな存在に……。