51話
「楽しいね~」
太陽にも負けないくらいの眩しい笑顔を僕に放つ。
「でも、そろそろ帰らなきゃ」
僕達が抜け出していることは、もう先生にバレているのかもしれない。
そう思うと、すごく胸が締め付けられた。
怒られることは誰だって嫌なものだ。
「そうだね。帰ろっか」
僕達は大海原を背に、割れた貝殻が散乱した砂浜を歩き始めた。
目の前に見えるずぶ濡れの彼女の後ろ姿は、ここで過ごした時間を惜しんでいるようにも見えた。
「そうだ!」
彼女は突然立ち止まり、後ろを振り返った。
僕も彼女に釣られるかのように後ろを振り返る。
目の前に広がる穏やかな海と静かな空は、まさに平和の象徴だ。
誰もが見ることのできる景色だが、その感じ方は人それぞれで唯一無二である。
僕の少し後ろにいる彼女はこの景色を見て何を思うのだろうか。
「すごく綺麗」
限りなく薄めて簡略化させた感想を僕はボソッと呟いた。
もちろんそれは独り言のつもりではない。
彼女の言葉を引き出すための手段でしかなかった。
しかし、そもそもそんな安易な罠に引っかかるような軽率な奴ではなかった。
何も言葉が返ってこない。
その瞬間、僕の発した言葉はただ内容の薄い独り言と化してしまった。
こうなるともう仕方がない。
「ねぇ、君もそう思わない?」
少し強引ではあるが、彼女の目を見て同調を求めようとした。
しかし、目は合わなかった。
なぜか彼女は目を閉じて空を見上げていたのだ。
「え、どうしたの?」
「北野くんもやってみなよ」
彼女は口だけを動かした。
意味はよく分からなかったが、とりあえず真似をしてみる。
「やってみたけど、よく分かんないよ」
「……感じるの。全身で、今を」
なんて難しい要求をしてくるのだ。
この状態では美しい景色を存分に感じることが出来ないではないか。
「どう?」
「いや、どうって。やっぱり分かんない」
「分かんないんじゃなくて、分かろうとしてないんだよ」
「そんなこと言われてもさ……」
「私は感じるよ。私達を照らす太陽の存在も、海の優しさも、鳥のさえずりも。木々のざわめきから北野くんの居場所まで全部分かる」
僕の右手にそっと何かが近づく気配を感じた。
彼女の左手が僕の右手を包み込む。
冷たい海に入った後だからか、彼女の手もひんやりと冷たかった。
「時間は進むの。私達はそんな今を生きてる。だから、私は大切にしたい。今感じることのできる全てを」
彼女の言葉で心の中がじわっと熱を帯びた気がした。
彼女の言葉が刺さったというよりも、言葉が贈られてきたという方がしっくりくる。
僕の左手にも右手と同じ温もりが伝わる。
目を開けると、彼女が僕に向かい合って立っていた。
彼女越しに見える海と空は一段と綺麗に感じた。
「今日は北野くんとこうやって過ごせて、とっても楽しかった!」
今日一番の笑顔で僕を見つめてくる。
真正面から彼女の顔をまじまじと見たのは初めてのような気がした。
「僕も楽しかったよ。途中で抜け出して本当に良かったと思ってる」
僕が予定通りにいちご狩りをしていた過去は楽しかったのかは分からないけど、彼女と一緒に抜け出して、海ではしゃいだ過去は本当に楽しかった。
「そっか。北野くんに頼んで良かった~」
繋いだ両手をゆらゆらと揺らしてくる無邪気な彼女。
まるでカップルみたいだった。
「ねぇ、そういえば北野くんって私の名前知ってる?」




