42話
「二組に早川っていんじゃん?」
「そうだっけ? 他のクラスのことあんまり知らなくて」
「そっか。その早川もサッカー部なんだけど、高校になってからサッカー始めたんだ。だから全然練習メニューに付いていけてなくてさぁ、すごく辛そうに見えたんだ。それでも早川は毎日練習に来て必死に努力してて、俺はそれに心打たれたっていうか、何か手伝いたいって思ってさ」
「そう思えるのが拓実のいいところだね」
「それでさ、俺は早川と部活終わりに自主練をすることにしたんだ。グラウンドに残って一緒にボールを蹴った。早川も飲み込みが早くて、すぐ上達していったんだ。そしたらさ、早川が言うんだよ。『いつもありがとね。俺のためなんかに教えてくれて』って」
拓実の目は少し涙ぐんでいた。
「いい話じゃん」
「俺もすごく楽しくて、早川から学ぶこともあって。でもある時、キャプテンが俺に言ってきたんだ」
「ここで登場か」
「『最近早川にかまってるらしいな。お前にそんな暇あるのか? 早川のことなんていいから自分のこと気にしとけよ』って」
「ひどいな」
「だろ? 俺もそれを言われた時、こいつ正気かよって思ったさ。だから、俺はその日からも早川との自主練を辞めなかった」
「正しい判断だと思うよ。拓実は間違ってないと思う」
「でもな、キャプテンが言いたいことも分かる気がしたんだ。実際、試合に出れないことも増えてきて少し焦ってた。だから、早川に教えながらも自分の練習時間も取るようにしてたんだ」
「真面目というか、ストイックというか。なんだろう。なんかカッコいい」
それが率直な気持ちだった。
「だけど、それでもキャプテンは納得しなかった」
「え?」
「『まだやってんのか。もっと頭使って考えろよ』って言ってきたんだ。さすがに腹が立ったよ」
「話を聞いてるだけなのに、僕も腹が立ってきた」
「俺はちゃんと考えた結果の行動だったのにさ、それを否定されるのはちょっとな……」
「そんな人に何言っても分かんないよ」
「宿題をちゃんとやって提出したけど、その答えが間違っているからって先生に『宿題しっかりやってこい』って怒られているようなもんだよ」
「あー、確かにそうだね」
足し算を知らない人が作った計算問題を必死に解いたところで赤丸はもらえないのと同じで、出題者の用意している模範解答が間違っていれば、どれだけ回答者が正しい答えを導き出しても無駄である。
「それで俺は部活に行くのを辞めたんだ。退部はしてないんだけど、とりあえず家の用事が忙しくてって嘘ついて休んでる」
「そうなんだ。もう辞めちゃうの?」
拓実は勢いよく立ち上がった。
「それは迷い中。俺は辞めてもいいかなって思ってんだけど、早川が心配だしなぁ。俺が休んでる時もずっと自主練してるらしいし」
僕もゆっくりと立ち上がる。
「そっか。でもその選択は大切にしないとね」
「そうかなぁ」
「何気ない選択だけど、それに左右される人だって少なからずいるわけだし。正直、僕は拓実にサッカー続けてほしいけどなぁ」
「えっ。なんで?」
僕達は屋上の柵に手を掛けて、校門へ続くアスファルト道を見下ろした。
いつも通りバスケ部の連中が声を掛け合いながら走っている。
僕はその脇を歩く女の子の姿が見えた。顔は見えないがあれは確かに遥香だった。
「実はある人にこんなことを言われたことがあるんだ。『祐の選択が自分に勇気と希望をくれたんだ』って」
校門を出た遥香は、いつも僕達が同じ時間を過ごすあの場所の方角へ歩いていく。
本当にそこへ向かったのかは分からないが、彼女なら多分そうするだろう。
僕は後で確かめに行こうと思った。
「そう言われて初めて気付いた。どれだけ自分の中で大きな選択をしても、他の人からしたらちっぽけだと思われることがある。だけど、その逆も当たり前に存在する。自分にとって些細な選択が他の人の人生を変えてしまうことすらあり得てしまう。だから、選ぶというのは簡単なことのように見えて、とても難しいんだ」
拓実は途中で口を挟まずに最後まで話を聞いてくれる。
それが周りの人から好かれる拓実の良いところなのだと僕は思う。
「そんなこと今まで考えたことなかった。その時の感情で適当に決めちゃってたこと多いわ」
「僕もそうだったよ。だけど、少しでも意識すれば何か変わるかなって思ってさ、自分の選択に責任を持って行動しようって決めたんだ」
「やっぱ北野っちはすげーな」
「そんなことないよ。でも、ちゃんと責任を持ったうえでもう一度言うけど、拓実にはサッカー続けてほしいな。チームのためにも、早川くんのためにも」
「ありがとな。もう一度やってみるよ」
「全然。頑張って!」
「おう。北野っちも頑張れよ。応援してるぜ」
キラリと白い歯をこちらに見せ、拓実は屋上を飛び出していった。
1人屋上に取り残された僕は、真っ青な空を見上げ、静かに目を閉じた。
瞼越しにも伝わる日差しの強さがなぜか心地よく感じた。
こうしていると小学五年生の時に行った遠足のことを思い出す。
あれは早生まれのセミ達が鳴き出した夏の初めの頃だった。




