37話
今日もKと書かれた重い扉を開けると、もう既に遥香が作詞をしていた。
「なんでそんな遅いの」
「先生に呼び出されたんだよ」
「ふ~ん」
嘘だと思っているのか、とても不服そうだ。
「あ、祐に朗報があるんだけど」
まだ僕は座ってすらいない。
閉めたばかりのドアの前に立ったまま遥香との会話のラリーを続ける。
「朗報? 何?」
「ここのカラオケの店長さんがね、私達が毎日来るから覚えてくれてて、ここで部活してますって言ったら、じゃあこの部屋部室にしていいよって言ってくれて」
「え? どうゆうこと?」
「だ~か~ら~、毎日この部屋を無料で使っていいよって言ってくれたの~」
話の流れを一発で理解することのできない僕に遥香はイライラしているようだ。
頬に空気を溜めて怒り顔を作っている。
僕は数歩だけ歩き、いつも座っているソファーの前に辿り着いた。
「それ本当? なんか申し訳ないなぁ」
「でも私はそう言ってもらえて、もっと真剣に頑張らないとダメだなぁって思ったけどね」
背負っていたリュックを清掃の行き届いた綺麗な床に下ろし、ソファーに座った。
リュックからこの前買ったばかりのノートを一冊取り出し、1ページ目を開く。
作詞部を引退するまでに、このノートがすべて埋まっていることは多分あり得ないだろう。
もちろんやる気がないわけではない。
テーブルを挟んだ向かい側に座っている遥香はスラスラとシャープペンを走らせている。
呼吸することを忘れたかのように絶え間なく動き続ける彼女の手を見て、僕は1つ疑問が浮かんだ。
『本当に遥香が考えているのか。実は僕の知らない歌詞を真似してるだけなんじゃないのか』
僕はそれが無性に気になって、彼女のルーズリーフを覗き込んだ。
すると、眉間にしわを寄せて彼女は言う。
「こら~。まだ完成してないんだから見たらダメ!」
「はいはい」
疑問はそう簡単に解決しなかった。
僕は立ち上がり、ドアの方へと向かう。
「どこ行くの?」
「あ、ドリンクバーは使っていいのかな?」
「店長さんは飲んでいいよって言ってたけど、あまり飲みすぎないようにね」
「分かった」
「店長さんにもお礼言っときなよ~」
「はーい」
部屋のドアを閉めて、ドリンクバーに向かって歩き出す。
このままフロントに行って、店長にお礼を言おうかとも思ったけど、まず店長の顔も名前も知らないことに気付いた。
だから、とりあえず今は喉を潤すことだけに集中しようと決め、白いマグカップにコーヒーを入れて、部屋に戻った。
やはりそこは数分前と何ら代わり映えのない殺伐とした空気が流れている。