10話
遥香から連絡がきたのは、家で夕飯を食べている時だった。
――― 北野くん! なんで起こしてくれなかったの! 感想聞きたかったのに ―――
起こさなかったのは優しさのつもりだった。だから、怒られる筋合いはない。
僕は箸をご飯の入った茶碗の上に置いて、スマホのキーボードをフリックする。
――― あんなに気持ちよさそうに寝ている人を起こす勇気、僕にはないよ ―――
送信ボタンを押し、スマホを閉じた。
今日の夜ご飯は僕の大好きなハンバーグだ。
もしまた遥香から返信が来ても、夕飯を食べきってから見ることに決めた。
ピロリン
スマホの画面が光ったが、僕は熱々のハンバーグに夢中で手が離せない。
テレビからは天気予報が聞こえてくる。明日は日本各地で雨が降るようだ。
「ごちそう様」
自分が使った食器を台所に持っていくと、母が皿洗いをしていた。
「どう? 美味しかった?」
「お母さんが作るハンバーグはいつも美味しいよ」
「ふふふっ。あんたは本当にハンバーグ好きね」
「まぁね」
僕は母に食器を渡し、自分の部屋に向かおうとすると呼び止められた。
「祐。今日、少し遅かったけど何してたの?」
「部活だよ。長引いちゃって」
「あら。何部に入ったの?」
「バドミントン」
僕はまた今日も母に嘘をついた。
「そうなんだ。人生は一度きりなんだから、やりたいことやって思い出作りなさい。お母さんはずっと祐を応援してるからね」
「うん。ありがと」
「また試合の日程決まったら教えてね。みんなで応援行くから」
母は笑顔でそう言って、また皿洗いを再開した。
僕の母は心配性な部分があるが、僕のことを全力で応援してくれる。
中学の時のピアノの発表会には毎回見に来てくれた。
発表会が終わった夜は、いつもハンバーグが食卓に並ぶ。
優しくて、料理が上手い母が僕は大好きなのだ。
『マザコン』なんて言葉はこの世から断絶すべき単語の1つだと僕は常々思っている。
ピロリン
画面が光ったスマホをポケットに入れて、自分の部屋に戻った。
ベッドに寝転がり、遥香からの返信を確認する。
――― 北野くんって意外と優しいね(笑) ―――
意外とってなんだ。
遥香は僕のことをどう思っていたのだろう。
腹が立ったが、ハンバーグを食べた後だから大目に見てやることにした。
もう一件返信が来ている。
――― 感想が聞きたくて居ても立っても居られないから、北野くんの家行くね ―――
えっ??
送られてきた時間を見ると、今から二分前だった。僕は慌てて遥香に返信した。
――― ちょっと待って。今からは無理だよ! ―――
幸いなことにすぐに既読がついた。
――― えー。じゃあ電話は? ―――
――― 僕、電話好きじゃないんだ。また今度言うから ―――
――― じゃあ明日会おうよ! お願い! ―――
明日の予定はもちろん何もなかった。
しかし、さっきテレビで女性気象予報士が「明日は日本各地で雨が降る」と言っていたことを思い出した。
――― でも、明日雨じゃん ―――
雨の日に外出するのは、僕にとって勇気のいることだ。
――― じゃあさ、明日の朝、雨が降ってなかったら会ってよ! ―――
僕はスマホの天気予報アプリで明日の天気予報を確認した。
明日は朝の三時から夜の二十二時まで雨予報だ。
――― いいよ。朝の時点で降ってなかったらね ―――
――― やったー! 私が雨なんて吹っ飛ばしてやる! ―――
無駄だと思った。さすがの遥香にだって天気は変えられやしない。
――― じゃあ明日の朝次第ね ―――
――― うん! ―――
僕は遥香の返信を見てから、スマホを閉じる。目をつぶりながら、今日を振り返った。
彼女の初めて書いたあの歌詞。
正直、衝撃的だった。
彼女は僕と同じ高校一年生だけど、単純に十六歳が書くレベルの詞じゃないと思った。
僕がこれからの人生を普通に生きて、息絶える間際に一曲書いたとしても、こんなに深い詞なんて書けやしないだろう。
本当は読み終わった時に遥香に言いたかった。
「遥香、君は本当にすごいよ。素晴らしい歌詞だね」って。
多才で、笑顔がかわいくて、クラスの人気者の彼女と、なんの取り柄もなくて、暗くて、友達のいない僕。僕達の共通点は、イニシャルがKであることぐらいだ。
しかし、僕はこうも思った。
『みんなにも届いて欲しい。もっとたくさんの人に知ってもらいたい』
僕はスマホの写真フォルダを開き、今日撮った歌詞を見直した。
ルーズリーフに書かれた文字が、何かを訴えているように感じる。
何度見ても心に響く歌詞だ。
ぼーっと歌詞を反芻していると眠気が襲い掛かってきた。
スマホを充電器にさし、パジャマに着替えた。
どうせ明日は雨だろうし、朝起きてからゆっくりとシャワーをすることにしよう。
まだ二十一時だったが、今日は寝ることした。一応、目覚まし時計を八時にセットし、布団に入った。
僕が目を閉じる前に最後に見えたのは、部屋の隅にある黒色のピアノだった。