娘の婚約者に無能者を選んだのは私だが、そのせいで娘が希代の悪女になりそうで怖い
筆頭侯爵家の当主は混乱していた。
彼の愛娘が一通の報告書を提出してきたからだ。
それは、王太子の弟とその実家を破滅させる内容だ。
娘は王太子の婚約者だが、無能な婚約者のことなど全く愛していないはず。
父親である当主も、娘の口からは罵倒以外、聞いたことがない。
一方、王太子の弟は才能美貌共に恵まれた素晴らしく有能な男。
こちらこそが優秀な娘の婚約者にふさわしい。
誰もがそう思っていたはず。娘も同じだったはず。
それなのになぜ。
「わたくしの婚約者殿は無能ですが、たったひとつのことだけは有能です」の直後にあった話です。
※6月6日 異世界恋愛部門で日間3位になりました。読んでくださった方々、ありがとうございます。
正気か、と疑う。
「我が愛娘よ。この報告書の意味が判っているのか?」
デスクの上に広げられた報告書を指で叩けば、美貌と優秀さを兼ね備えた我が愛娘は。
「ええ。流石にこれ以上おめこぼしをするわけには参りませんでしょう? 罪には罰を、違いますかしら? お父様」
「……」
確かに表面的には全く正しい。
目の前にある報告書の内容はこうだ。
王太子殿下をハニートラップにかける陰謀が発覚した。
謀主は王太子の弟君。
主犯、しかも三度目。大逆である。
更に弟君の母君である王妃殿下、並びにその実家が積極的に手を貸していた。
これもまた大逆である。
添付された証拠や証言の数々からして、事実であることは間違いない。
我が王国の法に照らせば、王太子の弟君は、継承権剥奪、断種ののち辺境追放。
王妃殿下は幽閉。その御実家は取り潰し。その辺りが順当な刑罰だ。
だがだ。
ここで弟君を公的にも私的にも破滅させれば、我が愛娘の相手は、あいつに決定するということだ。
王族や王位の継承権をもつ遠縁を見渡しても、余りに若すぎるか、既に既婚者しかいない。
流石に、我が愛娘と結ばせるために、既婚者を裂くというわけにもいかない。
「それともお父様は、王家の権威を傷つける無法を容認せよと仰るので?」
「……」
仰りたい。いや、言いたい。
だが容認してくれ、とは言えない。
愛娘の口から出た理屈は、忌々しいほどに正しいからだ。
我が国の王家が長子相続であることは、王家と貴族と平民の間で結ばれた大法典によって定められている。定められた法を適切にかつ公平に執行する、いや執行しているかに見せることが王家の権威の源泉だ。少なくとも重要な源泉だ。
法に照らせば、正当な権利者から簒奪を企むことは不法である。
だが、それでは、あいつが。あいつが本当に次代の王になってしまう。
我が愛娘が、あの愚鈍と無能の塊の妻になってしまう。
なんとかここで思い留まらせて――
「すでに、この報告書は陛下及び大臣がたにも提出してありますわ」
「!」
思わず呻き声が出てしまう。
すでに遅かった。
もはや王家すらこれを無視出来ない。
王太子の弟君は才長けているため敵も多いのだ。
美貌と知性を利用してお手つきにした貴族の子女が複数いる、当然その係累も数多い。
王太子の弟君が、次代の王であることには暗黙の了解があった。
だからこそ、今までは誰も声をあげなかった。
だが裏では激しい憎しみを買ってもいたのだ。
確か農業大臣の娘のひとりも、孕まされたあとで不審死を遂げた筈だ。
もちろん胎の子が弟君の種である証拠も。不審死が弟君の手の物だという証拠もない。
後処理は流石、と評すべきものだった。
しかし証拠がなくても、娘を奪われた親の心は納得などしていないだろう。
同様な恨み憎しみが一斉に噴き出すだろう。
もはや王家と筆頭侯爵家と王妃の御実家の力をもってしても庇えない。
もちろん、愛娘の相手であるあいつがまともならば、愛娘の行動は間違っていない。
未来の王妃たる愛娘が、未来の王である婚約者を守る行動。全く正しい。妻の鑑だ。
本来なら、父親として、良くやったと愛娘を褒めるべき行いなのだ。
だが、あいつは。婚約者殿は。
君主制の欠点を煮詰めたような男なのだ!
君主制というものには二つの柱がある。
権威と。能力だ。
このふたつはしばしば相反する。
なぜなら、君主制は権威と能力をかねそなえた君主に恵まれるとは限らないからだ。
常に権威と能力のどちらを優先するかという問題が浮上する。
だが、能力優先には大きすぎる弊害がある。
後継者争いが起きやすいと言うことだ。
これが片一方が優秀ならまだいい。
だが争いに勝つのが有能だと限らぬのは、歴史が証明している。
さらにいえば、争う当事者達が優秀である保障もない。
平凡と平凡。平凡と無能。無能と無能が争った例も枚挙にいとまがない。
となると、出てくるか出てこないか判らぬ能力が高い名君より、儀式や血筋で蜃気楼のごとく作り上げた王家の権威を維持することを重視することになる。
そういうわけで長子相続だ。
人間は血筋に弱い。生まれる前から続いている血筋なら永遠に等しい。
平凡であろうが凡庸であろうが、その血筋を引いていて長男でさえあれば権威は保てる。
だが、あいつは余りにアレだ。
あいつを愛娘の婚約者にと言われた時、私は断固として反対した。
誰があんな絵に描いたような愚鈍で無能な王子に、美貌なだけでなく才豊かな愛娘を嫁がせたがるか!
だが、王家の意図を内々で伝えられて話を受けた。
将来、愛娘はあいつでなく、その弟君と婚姻する予定なのだと。
優秀な愛娘に対して愚鈍なあいつは劣等感を抱くだろう。
いくら優秀とは言っても相手は女。
それに対してあいつは男なのに全く及ばない。
凄まじい劣等感にかられ、無能な自分から目をそらそうとあがくはず。
だがあいつはどこまでも無能だ、どんなにあがこうが無駄だ。ますます劣等感は深まる。
そうすれば問題行動を自然と起こし、それを口実に廃嫡と出来る。
そして優秀な弟君と我が愛娘を婚約させ、権威に傷をつけずに名君を得る――筈だった。
だが、あいつの無能さは、私や王家の目論見を上回った。いや危険を察知する本能と言うべきか。
あいつは娘に嫉妬するどころか、それを愛でる――フリをしたのだ。
フリなのだ。フリに決まっているのだ。
男なら隣にいる女に圧倒的に劣っていることを見せつけられてその相手を愛でられるはずがないのだ。男というのはそういうものだ。嫉妬深い性質なのだ。
だが、阿呆のくせに、あいつは狡猾にも芝居を続けた。
その上、他の女に全く見向きもしない。
ありえない。
完璧な女など、すぐ飽きるし上記の理由で憎みさえするものだというのに。
おそらく、無能な人間でも、いや無能であるがゆえに危機を感じるケダモノ的な本能は強く。
それゆえ、自分を守るために愛娘にしがみつくことを選んだのだろう。
焦った王家と私は、次々と男好きのしそうな女を見繕って送り込んだ。
だがことごとくあいつは相手をしなかった。
ケダモノ的な本能で警戒したというだけでなく。多分……性的に不能者なのだろう。
肉体的に問題がないことは確認している。精神的な不能なのだ。
もしかしたらと側近候補の中に同性愛者を入れたこともあった。
だが、全く相手にされなかった。
王家と我が家の諜報部隊が徹底的に監視し、少しでも好き心を向ける相手を探した。
だが、あいつは、あの無能で愚鈍は、他の女に全く目を向けないのだ!
何の問題も起こさぬまま、あいつは愛娘と同じ王立学園に入り、そこでも問題を起こさない。
こんな状況が続いてしまったため、いったんは何とか納得してくださった王妃と弟君が画策しはじめたのも仕方がない。
愛娘はそれを許容し、知っていたにもかかわらず、何もしなかった。
あの愚鈍に女がまつわりつこうとするのを、見守っているだけだった。
弟君も我々も、それを愛娘からの計画了承のサインととっていたのだ。
ここ数ヶ月、弟君はさりげなく我が愛娘に接近し、悪くない感触も得ていた……筈だった。
「お前は……弟君に好意をもっていたのではないのか?」
我が愛娘は、礼儀正しく僅かに眉をひそめて、心外という表情を造り。
「王族であり婚約者殿の弟君であるので、それ相応の敬意を払っていただけですわ。好意などは全く。
もし弟君でない殿方が、わたくしにあんな馴れ馴れしい態度をお示しになったら、許しはしないところでしたわ」
こんな時でも、愛娘は完璧だった。
今の言葉が真実か否かすらも判らない。この私でさえも。
だが弟君は自分の才に自信がある方だ。愛娘の態度を自分に好意をもっての態度だと考えたのだろう。
「わたくしは、将来王家に加わる身。王家の方々と軋轢など起こしたくありませんでしたわ。しかも彼は義弟となられるはずだったお方。
ですからおいたも2度は許しましたのよ。でも3度目となると、もはや仕方ありませんわ。
これ以上放置すれば、わたくしに対する横恋慕で、殿下が即位ののち反乱など企みかねませんもの」
「……」
筋が通っている。
全く筋が通っている。忌々しいほど。
「それに……殿下に対して謀を巡らした方々は、弟君だけではありませんのよ。
弟君ほどは直接的な手段ではありませんでしたけれど。
ですから弟君を処断することは見せしめとなりますわ」
背筋が寒くなった。
我が愛娘は知っているのだ。
王家と私が、殿下を排除するつもりだったと。
つまりこれは、私に対して恫喝しているのだ。
「そ、そうか……それでは仕方がないな」
もうひとつ計算外だったことがある。
王家の『耳』や、我が家の『犬』の一部が、我々よりも愛娘の言葉を聞くようになるとは!
あいつらは影。我ら雇用主が直接声などかけぬ卑しい者。
だが、愛娘は彼らをそう扱わなかった。
働きには褒美を、そして抜きん出た者は自らの口で褒めた。
それだけだった。それだけで彼らは我が愛娘へ靡いていった。
気づいた時には、少なくとも4分の1が愛娘に握られ、残った奴等も、私や王家にどこまで忠義か判らない始末だ。
今や目の前の愛娘は、独自の諜報組織をもっている。
おそらく、殿下の周囲にも数人の腕利きがはりついている。
こうなっては病死に見せかけて退場していただく事もできない。
下手をすれば、逆撃をくらうことすらありうる。
この瞬間にも、王家や私に貼り付いているものがいても不思議ではない。
そうでなければこんな報告書は作れない。
だが、なぜだ。
なぜ優秀な我が愛娘が、あんな愚鈍で無能な、優れたところなどひとつとしてない男を守るのだ。
娘の口からも、あの男に対して、褒め言葉など聞いたこともないというのに。
「では、お父様。閣議で筆頭侯爵家として責任を果たしてくださいましね」
「……弟君は継承権を剥奪ののち断種して辺境の男爵とする。
男爵と言っても領民もいない形式的なものだ。
王妃様は北の離宮で隠遁していただく。お二方とも数年のうちに御病死となる。
王妃様の御実家はお取り潰しとする……」
「ふふ。その辺りでよろしいかと。
わたくしとしてはこれ以上連座する者が広まらないのを望みますわ」
首筋が寒くなった。
私がこれ以上殿下に何かしたら、実家である我が侯爵家すらも潰すかもしれん。
まさか。いくらなんでも……いや……。
「……お前は――」
そんなにも王妃になりたいのか、と言いかけて呑み込む。
王妃になるなら弟君が相手でも良いのだ。
お似合いの美男美女、そのほうがよいはずだ。
まさか、あいつの王妃になりたいのか!?
いや、それはありえない。
あんな愚鈍で無能な男の王妃になりたいなどあり得ない。
では、なぜだ。
私はあいつの顔を思い浮かべる。
ねむそうで愚鈍という以外、なにも印象の残らぬ顔。
細かい部分を思い出すことさえ困難な顔。
あんな男になぜ――
まさか。
あんな男だからなのか。
我が愛娘の才覚をもってすれば、たやすく操れる男だからこそなのか。
我が自慢の愛娘は。
王になりたいのか。
その瞬間、全てがつながった。
この国では、女は貴族の当主にすらなれない。まして王になど。
だが、周りの男が皆顔色をなくすような優秀な愛娘が、その立場に不満をもっていたとすれば。
自分ならもっとうまくやれると考えているとしたら。
無能で愚鈍な男を操り、実質的な王になることを考えていたとしたら。
その場合、邪魔になるのは、高位の王位継承権を持つ有能な男――弟君だ。
だからこそ、もみ消すことが出来ない証拠と手続きを準備して、このタイミングで!
「ふふ。これで残り僅かな学園生活も煩わされることなく過ごせますわ。
では、よろしくお願いしますわね。お父様」
我が愛娘は、完璧な礼を見せると、父親の私ですら惚れ惚れする楚々とした動きで退出していく。
その背中を呆然と見送る。
娘の大それた野望を阻止する手段は、なかった。
私に出来るのは、愛娘が『稀代の悪女』として歴史に名を残さないことを願うだけだった。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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他の作品も読んでもらえると……更にうれしいです。
これは
「わたくしの婚約者殿は無能ですが、たったひとつのことだけは有能です」を書いたあとで、「ヒロインは、なんでこんな無能な人と婚約することになったんだろう。親がよく認めたもんだな」と思ってるうちに出来た短編です。
さらに、この次のお話を6月12日投稿しました。再びヒロインが主人公です。
もし時間がおありなら、楽しんでいただけると幸いです。