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第1話

小さい頃から、僕は物語が好きだった。


 媒体は何でも良い。小説でも、漫画でも、アニメでも、ドラマでも、劇でも、ゲームでも。物語と名の付くものは何でも大好きだった。

 僕の家は片親で、その親も仕事で忙しかった。家にはいつも僕一人だった。だから、僕は物語の世界に飛び込んでは、登場人物達と遊んでいるような気持ちになっていた。それで、寂しさを誤魔化していたのだ。

 僕がとりわけ好きなのは、仲間と共に世界を救う、勧善懲悪の英雄譚。頼れる仲間達と共に一つの目標に進んでいく彼らは眩しくて、憧れていた。小さい頃は、僕もこんな風になれるだろうかと夢想して、いる筈もない神様に願ったりもした。


 今となっては、僕が世界を救う英雄になんてなれるわけもないとわかっている。

なのに、心の中にはいまだ憧れだけが燻っている。





 まだ蝉が鳴き出すには早い時期、空がまだ青く光だけがほんのり柔らかくなった頃に僕、緑川空は帰路を歩んでいた。とはいっても、少し離れた中学校にバス通学で通う僕が今歩いているのはバス停までの道なのだが。


「でさー。なあ、緑川お前聞いてるか?」

 中学三年生になってクラス替えにも馴染み、新しく出来た友達に聞いてるよ、と返しながら僕は歩く。

 僕の隣を歩く友達は僕の歩調に合わせ、自転車を押して歩いてくれている。彼の歩くリズムに合わせて時々キイと鳴る彼の自転車は、きっと彼に乗られてきて長いのだろう。漠然と、そう思った。

 舗装されたアスファルトの上を、僕と僕以外のスニーカーがいくつもの音を立てている。前を歩く名前も知らない女子が歩く度、彼女のリュックサックに下がる赤いストラップがチリチリと音を立てた。


 大勢の足音と話し声、時々混ざる自転車やストラップ達が立てる音。僕らの横を凄いスピードで通りすぎていく車の走行音。そしてずっと後ろからは、吹奏楽部が練習している楽器の音色が聞こえてくる。

 この色んな音に満たされた賑やかな空間に、明日も僕はいるのだと思っていた。



 バス停の前の十字路で友達と別れ、僕は一人でバスを待つ。ぼうっとしながら、意識しないようにしても考えてしまうのは、幼い頃から大好きな英雄達の事だった。

 もう中学生、しかも三年生になったのだから、そんな事からは離れないといけないだろうという事はわかっている。進路の事を考えろと、先生や親など周りの大人は言うし、それが迫ってきている事も僕自身わかっている。高校というものは、きっと多くの大人からしたらそこまで重要視はしていないのだろう。だけど、僕ら中学生の周りの大人達は高校というものがまるで凄く凄く大きなもののように話すのだ。きっと学力に合ったところに行けば間違いは無いのだろう。でも、大人達は良く考えろ、と同じ言葉を繰り返す。その上、やっぱり僕には英雄譚以外に好きな事が思い付かない。



 将来、なんて不確定なものから逃げて、どこか遠くへ行ってしまいたい。いっそ、それこそ異世界に行って英雄になってしまえたらどれだけいいか。

そんな風に非現実な事ばかり妄想しては、僕は将来というものから目を逸らしている。

 ふう、と仰いだ空は青く清々しい。なのに、僕を照らす光は橙色を帯びているのだ。



 エンジン音が近づいてくると共に、バスがやって来る。定期を使って、僕はバスに乗り込む。

 僕と同じ方向から僕の中学校に通っている人は他におらず、その上中学生も僕以外には一人しかいなかった。

もう一人の中学生というのは、隣町にある私立中学のセーラー服を着ている女子生徒だ。綺麗な顔立ちをした彼女は、いつも後ろから三番目の同じ席に座って本を読んでいる。

 その種類はまちまちで、単行本、新書、文庫など形状すら多岐に及んだ。しかも彼女は小説だけに留まらず実用書も読んでいるらしい。そしてその種類も、様々なものを読んでいた。

 小説ならライトノベルから海外文学まで。ジャンルもミステリー、ファンタジー、恋愛など雑多だった。

 実用書なら、以前は『だれでもできる!お手軽1週間レシピ』のようにライトなものから、僕にはタイトルすら理解できないような専門的で難解なものまで。

 彼女が読むものは、本当に多種多様でどんな脳みその作りをしているのだろうかと思う。



 しかし、今日は珍しい。いつもはもう少し人がいるのだが、今日このバスの乗客は僕と彼女を含めて四人しかいなかった。

 一番後ろの席の、端っこで俯いている男の人と、その一つ前の席にうたた寝をしているよれたスーツを着たおじさんが座っている。

 僕はバスの車内をなんとなしにぐるりと見回した後、乗降口から一番近い窓際の席に腰を降ろした。

 ガラガラの車内では、少女がページを捲る音とおじさんが時たま立てるいびき、そしてバスのエンジン音やけに大きく響いていた。





 バスが一際大きく車体を揺らした事で、僕の意識は浮上する。いつのまにか、僕もうたた寝をしてしまっていたらしい。俯いていた僕は、いまだ寝惚けたままの目を開けて車窓を見る。今、どこを走っているのだろう。

「…………は?」

 思わず、そんな声が溢れた。だって、仕方がないだろう。

 僕は見た事もない場所にいたのだ。それも、到底バスなんて走らないだろう場所に。

「なんで、森に……」

 そう、僕、いや、僕らを乗せたバスは森の中にあったのだ。


 そしてその森の中で何より目を引くのは、バスの車窓から見るのではどれだけ首を逸らせたって天辺が見えない程に高くそびえる大樹だった。僕が窓に手を掛けて見上げているそれは、まるでファンタジーの中に出てくるような神聖な雰囲気を持っている。窓越しでもひしひしと感じるそれは、まるで生きていて、木自体に意思や感情があるように思わせた。

 どっしりとした幹と、天高く沢山の葉を茂らせるそれは今まで見た事がない程大きい。それに、僕が見つめているこの数秒の間にも大樹の葉の色は緩やかに変わっているのだ。こんなところ、僕は知らない。



 口を開けて阿呆みたいな顔を晒していると、控えめに肩を叩かれた。振り返ってみると、そこには絶世の美女がいた。

 緩やかに波打ち、腰までを覆う茶色の髪は艶やかで、絹よりも柔らかそうだ。垂れた目元は優しげで、宝石のような深い青の瞳を縁取る睫毛は影を落とす程長い。

 何故かバスの運転手の制服を着ているが、まるで女神のようなその美しさが損なわれる事はなかった。

 というか、なんでこの美女は運転手の制服を着ているのだ。


 そんな僕の思考を読んだのか何なのか、美女は小さくあ、と声を漏らすとぱちんと指を鳴らした。

 すると驚く事に、彼女の身に纏っているものが一瞬にして変わった。

 バスの運転手の制服から、真っ白でゆったりとした服へ。一片の汚れもないその服ときらびやかながらも品のある装飾品は、とても神聖な雰囲気を放っている。

 人が身に纏う事を、許されたものではないのではないか。

 そしてそれらを身に纏った美女はまさしく、神話の世界からやって来た女神のようだった。

 そう思ってしまう程に、僕の目の前にある光景は美しかったのだ。

「これで、皆さんにお話ができますね」

 そう言ってバスの後方へと顔を向けた彼女は、乗客全員の顔を見回した。そして、ゆっくりとその桜色の唇を開いた。


 「私は、この世界の女神です。あなた達にお願いがあって、こちらへ召喚させていただきました」

 僕は、驚きに口が塞がらなかった。

 だって、そんな物語のような事が現実に起こるなんて思った事すらなかったから。物語を読んで没頭するのは好きだったが、それは現実には起こり得ないと思っていたから。

 でも、彼女の瞳に偽りは見えなくて、真一文字に引き結ばれた唇から嘘は感じ取れなかった。

「あなた達には、勇者代理として魔王を討ち滅ぼしていただきたいのです……!」

 その美しいかんばせを悲痛に歪めて、異世界の女神は訴える。

 だが、それを信じられない者もいるわけで。

「どういう事です。これは新手のドッキリ番組か何かですか?」

 信じたようすなど微塵もなく、よれたスーツを着た疲れ気味のサラリーマンらしいおじさんが女神に問う。

「俺は、これからも仕事があるんです。こんな事に時間を割いている暇はないんだ」

 相当仕事が詰まっているのか、彼は語調に怒気を滲ませている。

 それに女神ははっとした様子で佇まいを正す。

「すみません。説明不足でした。これから詳しく説明させていただきます」

 依然として悲痛に歪んだ顔のまま、しかし先程よりは落ち着いたようだ。女神は一つ咳払いをした後、滔々と語り出す。

 そして彼女の口から語られるのは、おとぎ話のような英雄譚。しかしそれは、この世界で昔々、本当にあった事だという。




ーー昔々、それこそ、神様がまだ普通に生活していたくらい昔の世界。そこは、魔王に支配されていた。

 魔王は悪行を繰り返し、人々は魔王の所業に怯えていた。希望など抱けるはずもなく、ただ魔王の為に働き、疲れ果てて眠るだけ毎日。

 ある日、そんな日々に一筋の光が差し込んだ。それは、異なる世界から来たという、一人の青年。

 彼は勇敢にも怯えた世界の人々を救う為、剣を取った。魔王を討伐する、旅へ出た。

 紆余曲折の末に、彼は仲間達と共に魔王を討った。そして、その世界には平和が訪れた。

 その旅が終わり、青年は恋仲になった一人の村娘と共に、彼の世界に帰っていったという。

 これは、この世界に伝わる古の物語。この物語が嘘なのか、真なのか。長い時を経た現在、それを知る者は、この世界を生きる者の中にいないだろう。ーー




「しかし、新しい魔王が現れました。新しい魔王を討伐するため、数年前に勇者として旅立たれた方かおられました。しかし、その方はもう……」

 何と言っていいのかわからないという風に、女神は俯く。そんな彼女に、おじさんがもういい、と言った。それは先程のものとは違う、優しくて柔らかいものだった。

「ですので、勇者の代わりをしてくれる方を探すしかなかったのです。しかし、この世界に魔王を打ち倒せる程の力を持った方はもういませんでした。昔のように、異世界の方に頼る他なかったのです……!」

 切羽詰まったその声に、すぐさま否定を返せる筈がなかった。

「お願いです! もうあなた達しかいないのです! どうか、勇者代理となって魔王を討ち滅ぼしてください……!」

 切実なその願いを、僕は無下にしたくなかった。しかし、何と言葉を返すのが正しいのかわからなかった。

 僕が何と言えば良いのか、そもそも何を言いたいのかもわからずにいたその時。

「聞きたい事が、いくつかある」

 今までだんまりを貫いていた男の人が、口を開いた。

先程はよくわからなかったが、彼も中々整った顔立ちをしている。

 頭の下の方で一つに束ねられたさらりとした長めの銀髪は、日本人には珍しい。染めているのだろう。鋭利な刃物を思わせる鋭い目元。その瞳は黒い。

 どこか、不思議な雰囲気を纏う青年だ。


「はいっ! 何でしょう?」

 勢いよく顔を上げた女神の眼前に、青年はぴっと指を三本立てる。

「一つ目。仮にこちらで何年も過ごした場合、俺達が元いた世界でも時間は経過するのか?」

「いいえ、それはありません。皆様がお帰りになる際は、皆様がこちらに来た時間ぴったりに元の世界へお戻しします」

 確かに魔王を倒すのに時間がかかってしまった場合、元の世界の時間も経過していたら自分達はその時間分行方不明という扱いになるだろう。だとしたら、元の世界に戻った時に時間経過がないという事はかなり都合がいい。

「二つ目。いきなり身一つで魔王に挑めというのか? 多少の武器や防具、その他必需品は支給してはくれないのか?」

「いいえ。いきなり魔王に挑んでいただくわけではありません。あなた達は勇者として魔王に挑み、勝つ見込みがありますが、それは今の状態でではありません。鍛練を積み、魔王の誘惑に負けない精神を育んでこそ、私はあなた達を安心して魔王との戦いに送れます。なので、皆様には魔王と戦い、勝てるようになるまで鍛練を積んでいただかなくてはなりません」

 良かった。僕はひっそりと息を吐いた。

 今の僕達はこの世界の金も持っていなければ、文化も、地理も何も知らない。身一つで今すぐ、魔王などという強大なものに挑めるはずがない。

「三つ目。もしも俺達がここで死んだ場合、どうなる?」

 淡々と、彼はその問いの内容にそぐわぬ調子で訊ねた。

僕が息を飲んだ事は、きっと彼は知らない。

「あなた達がこちらで死んだ場合、元の世界へと戻り生きていただきます。しかし、死なないという訳ではありません」

 女神は空達に見えやすいよう差し出した手のひらに、一枚の葉を出現させる。その葉は光が当たる角度が変わった訳でもないのに、自らの色を緩やかに変化させ続けていた。

「この葉は、世界樹の葉です。私達の目の前にある、この大樹。これが、世界樹です」

 女神は顔を世界樹に向け、葉を持っていない方の手で幹に触れた。

「この葉は、一度だけあなた達を生き返らせてくれます。そして、私がこれに術を掛けておきます。あなた達が生き返ったと同時に、元の世界へ戻れるように」

 女神はそういうと、空達へ弱々しい笑みを向けた。

「あなた達に、流石に命まで懸けていただくわけにはいきませんから」

 そう言う女神に、僕はえも知れぬ恐れを感じた。

 弱々しい笑みで、下手に出ているような言い方。まるで僕達を気遣い、自分は二の次だと言っているような態度。

 しかし、その実は恐ろしく利己的だ。

 命まで懸けてもらうわけにはいかない。

 女神はそう言うが、生き返るという事は一度死んでいるのだ。

 矛盾しているが、彼女は自身のそれに気付いてはいない。

 彼女の精神は清いまま、残酷な事と知らずに希う。

それはいっそ、何も知らぬ清純な少女のようだった。



 軽々しく、答えを出してはいけない。

 僕はそう悟った。いくら幼い頃から憧れた、英雄になれるチャンスだとしても。

 安請け合いは、してはいけない。

「もし……」

 空の頭を巡る思考を突如、鈴のように軽やかで可愛らしい声が遮った。その声の主は、セーラー服の少女だった。

「もし、私達が女神様のお願いを断ったら、どうなるんですか?」

 彼女のその遠慮がちな問いに、女神は微笑んで返す。まるで、お手本のように綺麗な笑みで。


「あなた達を、元の世界に返しません」

 綺麗な、まさしく女神に相応しい笑みを浮かべた彼女から飛び出したのは、そんな言葉だった。

 その様はまるで作り物のようで、背中を嫌なものが駆け上がっていった。





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