第9話「広瀬村の秘密」
優希とアルヴァーは連れ立って、夕暮れの道を進んでいた。
「もう少し行くと、美味しい湧き水が飲める所があるんです。そこで、ちょっと休みましょう」
優希は額に汗を浮かべながらクーラーボックスを抱え直した。この先は軽い上り坂になっていて微妙に体力を奪っていく。目的地はここから15分も掛からないので、たとえ暗くなったとしても問題ないだろう。アルヴァーさんも道に迷っていたと言っていたし休憩も必要だろうと優希は考えた。
「それで問題ない。私にも必要だろうから。……ところで、その荷物は随分重そうだが何が入っているのか聞いてもいいだろうか?」
アルヴァーは、どちらかと言うと箱の中身より箱状の入れ物の方が気になっていた。それは、こちらの世界では、ごく一般的な青い色のクーラーボックスだったが、彼にとっては未知の素材で出来ている不思議な箱だった。
プラスチックで出来たケースは何かの樹脂を固めたものなのではと当たりを付けたが、見た事も無い質感と加工技術だった。さらに、それに付けられているベルトは、皮製ではなく灰色の厚みのある布製で、繊維が太く独特のツヤがありつつも高い柔軟性があった。
『あのベルトも興味深い。仕上げの美しさから恐らく強度には問題ないのだろうが、どうやって加工しているのか。ん? 金属の加工も見事だな』
「中身ですか? 色々入っていると思いますけど、主に魚かな? 肉とかも入っているでしょうけど、受け取りはしたんですけど中は確認してなかったので」
その様子から余程中身が気になっていると思われたのだろう、優希は笑いながら答えた。最初はアルヴァーも中身に興味はなかったが、魚を運んでいるというのには興味が沸いた。川魚だったら、ここまで厳重な箱には収めないと思ったのだ。
「ひょっとして海から運んできた魚だろうか。どのような状態で?」
「えっ? まあそうですね。西京漬けは旅館の定番なんで入ってると思いますが、お刺身もありますよ。あっ、SASIMIは大丈夫ですか? 最近は海外でも人気ですけど、生魚が駄目な人も居るので」
サシミという単語は分からなかったが、どうやら生のまま魚を運んでいるらしい。それであの箱なんだろうか。本当に魚の鮮度を保ったまま運べるとすると、かなり高度な魔道具なのだろうとアルヴァーは考えた。
そして、猫妖精が魔道具の買付けに訪れていると睨んでいるが、魚は扱っていなかったはずだと思い出し、別の取引相手の存在も考慮する。
しかし、それにも少し疑問が残った。アルヴァーは現在、ミラーレの教育機関で講師も引き受けているのだが、そこには商業協会の会館が併設されているのだ。しかも、協会の出資比率が高い為、自然と商業関連の情報が集まり易い環境が整っていた。
目の前の彼の感じだと、閉鎖的な集落ではないようだ。だとするとミラーレ商業協会を通さないというのは考え難い。
だが、ここの森林地帯を調査したいと話した時の協会員の対応はこうだった『あの森を調査したいだなんて先生は変わっている』と。
こうしてアルヴァーは思考の海に沈んで行く。
「え~と駄目でした? 生魚。ファーンラントさん、ひょっとしてヴィーガンとかでした?」
反応の無い事を不思議に思った優希は、様子を窺っていた。菜食主義者だった場合、メニューを考えなくてはならない。もっとも考えるのは優希ではなく料理長だったが。
「ああ、すまない少し考え事をしていた。それとアルヴァーで構わない。ファーンラントだと紛らわしいからな」
「じゃあ、アルヴァーさんで。あっ! 私まだ名乗ってなかったですね」
そう言うと、アルヴァーときっちり向き合い、ゆっくりと頭を下げた。
「私の名前は入広瀬優希です。優希と呼んでください」
二人は、湧き水で喉を潤すと腰を落ち着けて休憩した。
冷たい湧き水が体内に入ると全身に活力が戻ってきたように感じ、少し火照って汗ばむ身体をゆっくりと冷やしていく。
中身に興味のあったらしいアルヴァーの為に、優希がクーラーボックスを開けると、早速に興味を示した。
優希は、中の食材に問題が無い事を確認すると、幾つか取り出して説明した。
「成程、加工した物を密封して冷やすことで腐敗し難くする工夫がしてあるのか」
「アルヴァーさんは面白い所に興味を示しますね。てっきり味の方が気になるのかと思っていましたが」
「ふむ。幾つか見た事の無い食材もあるが、この透明の素材の方が気になるというのが正直な所だな。その容器は特に気になるが、魔道具にしては不自然な所もある」
「ああ、この容器はただ熱を遮断するだけの少し頑丈な箱ですよ。クーラーボックスと言います。中身を冷やしているのは底にある保冷剤と、ほら、これです」
その氷は透明度が無く雪を凝固した様な白い色のキューブ状の物体だった。それから白い煙が少しずつ漏れていた。
優希は湧き水を飲んだ時に使った柄杓で水をすくうとその中にキューブを1つ入れる。
すると、激しく白い泡を吐き出しながら、白い煙が上がって来た。
「ドライアイスといいます。激しく反応していますが、毒性も無く安全ですよ。かなり冷たい為、素手で触ると皮膚にくっ付いてしまいますが」
非常に興味を惹かれたアルヴァーは、優希に幾つか質問すると暫く観察を続けた。
「なるほど大変興味深かった。気体を固体にする技術が使われているのには驚いたが、一番の驚きは、それが水以外の物質だということだ。――ここの技術力は大変高度なのだな」
「ここというより、あちらのと言った方が良いかも知れませんが、まあ、ここの技術でもありますね。もっとも……ここで造っている訳ではありませんが」
アルヴァーとしては、軽い鎌かけのつもりの問い掛けだったが、予想外の答えが返ってきた。
『あちらというのが何処を指すのかは分からないが、ここと同じ様な場所が他にもあるという事か? 我々アールヴ以外にも高度な技術を秘匿する存在が。……いや我々アールヴよりも……か』
向こうから簡単に情報を話した事に驚いたが、なるべく、それを顔には出さずに会話を重ねていく。
会話が途切れたタイミングで、アルヴァーは一度、深く目を閉じる。
やがて、ゆっくりと目を開けると優希を強く見つめ問い掛ける。
「ところで、お前は誰だ? 優希では無いのだろう?」
それは、にこやかにアルヴァーを見つめていた。