第8話「必然の邂逅」
前半はアルヴァー視点、後半は優希視点。
猫を追いかけて異界に迷い込んだようだ。
アルヴァーの最初の感想だ。
強力な魔力の霧を抜けると、今までの森林地帯が嘘のように穏やかな村落に立っていた。
稲の水耕栽培だろうか、非常に整った棚田が見える。
興味を惹かれスケッチしようと紙を取り出したが、水を吸って皺が寄っていた。
アルヴァーの蒼いマントは撥水するが、内ポケットに水が入れば意味が無い。
幸いスケッチ済みの紙は濡れていなかった。
『非常に興味深い光景だが、今は不用意な行動は避けるべきだったな……』
スケッチするにしても住人かここの長に話を通さないと、間者と間違われてしまう可能性も有る。
念の為、フードを被り直し付近を散策する風を装い注意深く観察する。
夕暮れ近くなった周囲は鮮やかな赤みを帯び始めた。
緩やかな風が流れ稲穂が靡き、植えてある白い花を咲かせた樹木が揺れ、花弁が僅かに散った。
所々に置かれた石造りのオブジェも周辺に上手く溶け込んでいる。
道端に設置されていた小型の石造を軽く撫でると、表面の劣化具合を確認した。
『改めて見ても大変な手間を掛けて環境を整えてある。少なくとも数百年はここを維持し続けていた筈だ。だが、この地はミラーレ所か今まで見た文化様式のどれとも異なる様に見える』
周辺は複雑な地形になっていて見通しが悪かった。
だが、魔力感知には都合が良かった。
物陰に入り念の為、周辺を警戒しつつ集中力を高める。
『……感知出来る範囲には何も感じられない。もう少し進まないと集落に辿り付けないのか、または隠蔽されているか。いや、もしや先程の様にこの地に満ちた魔力が感知を阻害している? それとも……ん?』
思考と魔力探知を中断すると意識してゆっくり立ち上がり、自分自身の姿を見下ろし不自然さがないか確認した。
そして、同じくゆっくりと物陰から出て道を進む。
先程の魔力感知で認識した人物に接触する為だ。
その人物は大きな箱状の荷物を抱え、多少覚束ない足取りで歩いていた。
黒髪で男性? ……長めで綺麗に艶がある髪。
細身の体型で、肌は日焼けしていないのか白く透明感があった。
警戒させない様、敢えて相手の視界に入るような位置取りで歩き向こうの反応を待つ。
相手がアルヴィーに気付くと少し首を傾げて近付いてきた。
此方から話しかける事にして口を開く。
「すまない、少し良いだろうか?」
「あっ、こんにちは。……変わった格好ですね。外国の方ですか?」
アルヴァーの装いはマントの色が独特の蒼色とはいえ一般的な装いだった。
どちらかというと、相手側が少々変わった格好をしているとアルヴァーは考えた。
『……いや、集落の中でフードを被っている事を指摘されたのか? 外国と言うのは、外の人間に対してのものか、または独立権があるのか……』
目の前の人物からは敵意は感じない。ある程度は胸襟を開く必要があるだろう、覚悟を決め、フードを脱ぎ素顔を晒す。
「私の名は、ファーンラント・アルヴァー。ここへは外からやって来た。不躾だが、ここの代表者への面会か、もしくは何処か宿泊できる所はないだろうか?」
アルヴァーは、赤く染まる空を見上げる。それは結界の影響なのか、不思議な七色の光を湛えて、まるで水中を覗き込んでいるようだった。
――――――
入広瀬優希は、実家の旅館を手伝う為、広瀬村に帰って来ていた。
途中、お使いを頼まれ、重いクーラーボックスを運んだり、自衛隊が演習に使う関係で、ダムの中のトンネルを通らされたり、そこで従姉弟のお姉さんと再会したり、途中で霧に巻かれたりと波乱万丈だったが、何とか日暮れ前には旅館に着きそうだ。
久々の帰郷に、懐かしさと同時に、何やら違和感や息苦しさも感じた。
恐らくクーラーボックスが重すぎるのだろうと結論付けた優希は、今、一休みするべきか迷ったが、喉が渇いて来たので湧き水が飲める場所まで移動する事にした。
よろよろとクーラーボックスを抱えて歩いてると、前方から変わった格好をした人が歩いてきた。
『何だろう、青いレインコート……袖が無いからポンチョかな? どうしてフードを被っているんだろう、霧は出ていたけど、雨も降ってないし……』
優希は首を捻るが、地元民では無さそうなので、旅館の宿泊客かも知れないと考え先に進む。
お互い十分に視認出来る距離になると、相手の不思議な格好が目に入った。
『てっきり雨具の類かと思ったけど、ファンタジー的なマント? 化学繊維じゃなくて革製品のようだし。まあ、マントも雨具ではあるか、この人、結構濡れてるから。服装は何だろ、腰に色々付いてるし、コスプレ? 何のキャラかは分からないけど』
フードの中から覗く顔が、外国人だったので、余計に疑問が残るが、近年の旅行者の増加で、田舎を巡りつつ画像や動画をアップする人も居る。
優希は色々と考えていた為、相手から話しかけられて少々焦ってしまった。
「すまない、少し良いだろうか?」
「あっ、こんにちは。……変わった格好ですね。外国の方ですか?」
相手の日本語が随分と流暢だったので驚いたが、同時に、優希は失礼な事を言ってしまったと反省した。
ただ、相手は少し考える素振りを見せたものの、特に気にしていないのか、実は言われ慣れているのか、落ち着いた態度を崩さず、フードをゆっくりと脱ぐと口を開いた。
「私の名はファーンラント・アルヴァー。ここへは外からやって来た。不躾だが、ここの代表者への面会か、もしくは、何処か宿泊できる所はないだろうか?」
ファーンラント・アルヴァーと名乗った男性は落ち着いた雰囲気で、年齢は30歳前後に見えるが、外見年齢以上の知性を感じさせる。
鮮やかな金髪が夕日に赤く染まり、アーモンド形の瞳は深い蒼色を湛えている。マントの前を開いた事で見えた体つきは、小顔で首が長くしなやかさを感じさせる体型が、まるでバレエダンサーを思わせた。
ただ、優希の興味を激しく引いたのは耳の形だった。
引き上がった耳は耳たぶが小さく、本来丸みの有る耳輪と呼ばれる部分の上部が尖っていたのだ。
『……特殊メイク? にしては違和感がまるで無いし、夕日に照らさせて少し透けている感じもする。本物!?』
その時、アルヴァーが不意に空を見上げ、優希も釣られる様に見上げる。
夕暮れ時を迎えた空は複雑な色を帯びてきていたが、時々、七色に揺らぐ時があった。
奇妙な違和感を感じたが理由は分からなかった。
「どうだろうか? 泊まれるなら納屋でも構わないが」
話し掛けられた優希は慌てて視線を戻すと、少し考えてから答えた。
「流石に納屋は泊まるところじゃ……、いや外国だとあるのかな。えーと、宿泊に関しては問題ありません。この辺で泊まれる所は一軒だけですが、部屋は用意できると思うので。……今から町に帰るのはちょっと無理そうですしね」
「助かる。そろそろ日も暮れるようだ」
「後、代表者というか、その辺りの偉い人と話したいって事ですよね? う~ん、どう言った内容なのかにもよると思うんですけど……」
「ここへの立ち入りに付いて少し話しを通して置こうと思っているのだが、会うのは難しいのだろうか?」
「えーと、何て言ったらいいのかな? 今だとコミセン長とかが、地域の代表みたいな感じになっていますけど、誰がやっているのかとか、ちょっと分からなくて……」
優希は少し考えていたが、ここの今の状況を思い出す。
「あっ、でも立ち入りについては、今は、自衛隊が駐屯しているからか。なら通行は許可して貰わないと。一応、あっちは知り合いが居るので何とか……なるかな?」
ここに来るまでにあった出来事を思い出し、少し苦笑いした後、結論を出した。
「まあ、おじいちゃ……家の祖父に話を通しておけば大丈夫でしょう。商売柄、顔は広いですし」
「それは有り難い。後、出来れば道案内を頼みたいのだが構わないだろうか?」
「どうぞ。これから丁度そこに向かう所なので一緒に行きましょう」
そうして、二人は夕暮れの中、連れ立って歩き出した。