第50話「サンドイッチと忠誠の誓い」
マティアス達の勘違いは、特に訂正される要素もなく継続中だったが、アルヴァーも、それに気付く事なく情報のすり合わせを始めた。
「確認するが、君達、隠されし守護者の契約主は、イリス商会のピアンタで、目的はノーチェの捜索。――だな?」
「あ、いや。優先依頼主は先生の弟子のトトだ。そのトトがピアンタ嬢と護衛を連れて来て同時契約を交わした。元々は先生の捜索依頼で呼び出されたんだ」
マティアスの言葉に、アルヴァーと優希は顔を見合わせた。
「君達がトトから依頼を受けたのは何時だ?」
「昨日の朝の刻だが、正確には一昨日だ。先生が戻らなかったら、翌日に依頼を出すって話で請け負った」
マティアスの話を詳しく聞き、アルヴァーは眉間に皺を寄せた。
「魔術師クルアランは報告しなかったのか? ……いや、情報が途中で止められた?」
アルヴァーが考え込んでいると、その言葉にリリーが反応した。
「紅蓮の魔術師なら中央に行ったんじゃないかって、ちょっとした騒ぎになってる」
「何!? 詳しい話を聞きたい」
「たまたま耳に入っただけだけで確証はない。何でも式典に出席してなくて、それで探していたら北門の外で目撃されてた。その時の状況から中央に向かったんじゃないかって」
「……それが事実なら面倒な事になったな」
優希はアルヴァーを見たが、会話が筒抜けになる状況のため口を噤んだ。
魔術師クルアランと勘違いとはいえ敵対してしまったのは、失敗だったかも知れないが、今、話す事ではないだろう。
そんな二人の様子を見ていたマティアスは首を傾げた。
「あのデブの腰巾着が、どうかしたのか?」
「マティ!!!」
マティアスの言い様に、ルーシェが思わず大声でたしなめたため、全員の耳元で大声が響き渡った。
――『妖精の囁き』……この支援魔法は、対象者同士の声を、どんなに小さな囁きだろうと耳元に届けるという効果があるが、同時に大声もそのままの音量で耳元に届けてしまうという特性があった。
――発音者以外に。
ただ、ルーシェ自身も誰かの叫び声を拾ってしまい、耳を押さえて蹲っていた……。
悶絶寸前、死屍累々といった様相だったが、時間が経ち全員が幾分か回復して来たタイミングで、マティアスがルーシェに文句を言おうと激しい様子で立ち上がり、口を開きかけた。
悲劇が繰り返させるかと思われた瞬間、いち早くその行動を察知したリリーが、マティアスの口を片手で塞いだ。ついでに鼻も塞いだ。……革製の防具を付けていなければ、鳩尾に躊躇なく打撃を加えていただろう。
リリーは「しーっ」と口元に人差し指を立てるポーズを取った。
マティアスは最初こそ抵抗していたが、呼吸が苦しくなったのか顔が赤くなり、唸りながらリリーの腕を激しく叩いた。
限界を見極めていた様子のリリーが手を離すと、マティアスは新鮮な空気を求めて激しく呼吸を繰り返した。
やがて落ち着いたのかリリーを睨んできたが、お前が元凶だと言わんばかりの視線を向けられると、不貞腐れながらも渋々といった感じで引き下がった。
「うう……、すいません、すいません、すいません――……」
全員が何とか回復すると、ルーシェはマティアスに続き、地に付かんばかりに頭を下げた。
優希は、異世界でも静かにして欲しい時のゼスチャーは同じなんだなーと思いながら、ノーチェの様子を確認した。
猫妖精は聴力が人間より高いらしく心配ではあったが、どうやら杞憂だったらしく無事に元気な様子を見せていた。
ただ、驚いた拍子に食べかけのサンドイッチを落としたらしく、耳を寝かせながら表面の汚れを落としている……。
その様子を見ながら、そういえば昼食はまだだったなと思い出し、川の水で手を洗うと、適当な大きさの岩に腰を下ろして、魔法瓶とサンドイッチの包みを取り出した。
食パンを二つ切りにした一口サイズの手作りサンドイッチは、シンプルだがバランスに拘ったBLTサンド。
マスタードを使ったちょっとピリ辛のたまごサンド。
ノーチェのリクエストだと思われるツナマヨサンド。
そして、カリッと炒めたコンビーフにポテトとタマネギを入れたコンビーフポテトオニオンサンドは優希のお気に入りだった。
それが二切れずつ全部で八切れと、軽食とは思えないボリューム感満載の昼食だ。
幸い血生臭い現場を(自ら作り出したとはいえ)経験したものの、食欲は落ちていないようだ。
熱いお茶を一口飲み、さて、どれから食べようかと迷っていると、複数の視線を感じた。それと同時に滝の音以外は周囲がやけに静かで、誰も言葉を発していないのに気付いた。
優希は、サンドイッチに伸ばし掛けた手を止めた。
そして、周囲を見回したい衝動に駆られたが、より熱い視線が自分より少し手前、つまりサンドイッチに集中しているのを感じて、何となく顔を上げるのを躊躇った。
とはいえ、ずっとこのままとはいかず、恐る恐る顔を上げる。
すると、先程、紹介された探索者の面々が興味津々といった様子で、優希の昼食に注目していた。
流石に、これだけの注目を集めながら、平然と昼食を食べられる程、優希の神経は太くなかった。
そこで、妥協案としてサンドイッチを勧めてみる事にする。
一切れずつ提供しても十分な量がそこにはあった。
「皆さん、宜しければ食事でもどうですか? 沢山ありますので、おひとつどうぞ」
優希がサンドイッチの包みを差し出すと、全員がギラっとした目を向けてきたが、遠慮があるのか、お互い見つめ合い直ぐには手を出すことはなかった。
――だがそれは早計だった。
マティアス達の視線は力強さを増し一触即発の空気を漂わせてきていた。
どうやら遠慮ではなく牽制で睨み合っていたようだ。
サンドイッチの具は二切ずつ、それぞれ狙っている具材があるらしい。
ただ、優希としては一通り食べてみたかったので、出来れば同じ具を二切れとも持って行かれるのは遠慮して欲しい所だった。
「あ――……」
その事を言おうと口を開いたが僅かに遅く、リリーが神速の手業でコンビーフサンドを抜き取ると、続くタイエンも同じ具材を選び、少し遅れて、ゆっくりとルーシェがたまごサンドを手に取った。
マティアスは、意外にも手を少し出しかけた状態で硬直していた。
一見、粗野な雰囲気もあるが容姿や仕草から育ちの良さが窺えるので、食事を取り合うといった行動は苦手なのかも知れないと優希は思った。
そして優希が、余りにもじっと見つめたため、居たたまれなくなったのか差し出した手を引こうとしていたので、マティアスに笑いかけ、サンドイッチの包みを差し出した。
「どうぞ。マティアスさんも、お好きなのを手に取って下さい」
「あ、ああ――……」
優希は、好物のコンビーフサンドを死守出来なかった時点で、具材へのこだわりは無くなっていた。
――たとえ、たまごサンドを選ばれると二種類しか残らないとしても……。
マティアスは少し迷っていたようだったが、BLTサンドを手に取った。
優希もマティアスに倣いBLTサンドを選択した。
サンドイッチの中で、唯一オーツ麦を使ったブラウン色のパンは、トマトとレタスの鮮やかさが加わる事で、実に健康的な色合いに仕上がっている。
「それじゃあ、いただきましょう。いただきます」
二人は同時に食べ始めた。
一口噛むと、レタスのシャキッとした歯応えに、肉厚で水分の少ないビーフステーキトマト特有の甘味、カリッとしたベーコンの程良い硬さが続き、全体を纏めるオーロラソースの酸味が噛むごとに食欲を増進させた。
優希は、ゲンさんの妥協無き仕事具合に大変満足した。
一方、マティアスは、一口食べると目を見開き、優希に何か言いかけたが、それは他の面々の言葉に遮られた。
「とても美味しい! 凄く美味しい!」
「……旨い」
リリーとタイエンの語彙が単純化した。
「と て も 良かったです。コンビーフは僕も大好きですから!」
意趣返しという訳でもないが、多少の非難も込めて返事をしたものの、一見すると、どちらも冷静そうな二人は、よほど興奮しているのか優希の皮肉は耳に入らなかったようだ。見事にスルーされた。
ルーシェは比較的、落ち着ていたが、それでも食べるスピードはとても速かった。
「たまごにマスタードで辛みが付いていて、少し刺激がありますけど美味しいです」
「お口に合ったようで何よりです。――マティアスさんはどうでしたか?」
優希は、マティアスに話しかけたが、今は黙々とサンドイッチを消化する機械のようになっていた。
その変化を少し不思議に思ったが、概ね満足してくれていると感じた。
そうなると、もう少し喜ばせたいという心理が働き、サンドイッチの包みから二切残っていたツナマヨサンドを手に取ると、残りをマティアスの前に差し出した。
「良ければ残りもどうぞ」
そう言った瞬間、狙いすましたかのように、たまごサンドが包みから消えた。
見ると至極真面目な顔をしたリリーが、宝物のように両手で抱えている。
量が多く柔らかいたまごサンドの具を、全くはみ出させずに、あれ程の速度で取り出した技術は驚くべきものだった。
当のリリーは直ぐには食べ始めず、冷静さを装いつつも興奮した目つきで、色々な角度から戦利品を観察している――。
そうして、優希が無駄に感心している間にも、残りはツナサンド一切れになっていた。
そういえば、一見すると地味にも見えるコンビーフサンドが速攻で売れたのは、見るからに『肉』だったからではないだろうか?
とすると、ツナマヨは、マティアス達にとっては良く分からない具材という事も考えられる……。
「これは、ツナといって、マグロって海の魚を煮たものをマヨネーズで和えたものに――……」
海の魚といった辺りで、マティアスが僅かに興味を示したが、そのマティアスを飛び越えるように後ろから腕が伸びてきて、最後のサンドイッチを持ち去って行った。
「珍しい品だ。有難く頂こう」
タイエンは優希に礼を述べると、今度は少しずつ味わうように食べ始めた。
マティアスはタイエンの行動に驚きながらも、サンドイッチが消えた包みを呆然と見つめた。
「申し訳ありません。ユーキさんの食事を分けて頂いて。――その大変、珍しいものだったので……つい」
ルーシェは、消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にしたが、一切れだけでは食べ足りないと顔に書いてあるようだった。
そんな様子にほっこりしつつも、持参した、おやつ替わりの携帯食を食べさせてみて、反応を確かめる絶好の機会なのではと考えた。
「元々、多めに持って来ていたので構いませんよ。それに携帯食も多めに持参しています。甘いのがお好きならこちらをどうぞ」
黒い稲妻のお菓子はノーチェへの貢ぎ物になったので、携帯のケーキバーをルーシェに差し出した。
「ありがとうございます。――とても奇麗な包みですね?」
ルーシェは携帯食と言われたケーキバーを手に取ったが、自分がイメージする携帯食との違いに困惑しているのだろう、首をしきりにかしげて疑問符を浮かべた。
その様子を見て、優希はパッケージがシンプルなブロックバーの方にした方が良かったのではと思ったが、開封した後の包装紙は回収する事にして、開封の仕方をレクチャーし、味の感想を促した。
「!? これは!!!」
ケーキバーを一口齧ったルーシェは、驚きからか挙動不審気味になった。
「あの! ……これは本当に携帯食なんでしょうか? 何処かの高級なお菓子では? 上品な甘さでとても美味しいのですけど……」
既にたまごサンドを食べ終わっていたリリーが、これを目敏く見つけると、ルーシェのケーキバーをジッと見つめた。
穴が開きそうなほど見つめていたが、どうやらルーシェは、その視線には気付いていないらしい。蕩けそうな笑顔で、ケーキバーを消化していった。
「えーと、リリーさん? リリーさんも宜しければどうぞ」
ルーシェのケーキバーが小さくなるにつれ、表情を表には出さないが気落ちしていく様子を見せるリリーを見かねて、優希はチョコバーを手渡した。
――異世界の住人に海外由来の激甘ヌガーが、どう評価されるのかも興味がある所だった。
「ありがとう。ノーヴラ・ユゥキ」
「?? かなり甘いですから無理そうなら言って下さい」
優希に奇麗な食べ方を教わり、リリーは恐る恐るチョコバーを口に運んだ。
僅かな間を置いて大きく目を見開いたリリーは、暫く口だけを小さく動かしていたが、確かめるように二口目を含むと小さく呟いた。
「――凄く甘い。けど、ハチミツとも違う甘さ。こってり? 色が茶色でビックリしたけど美味しい。――でも喉が渇く……」
「はははっ。お茶をどうぞ」
リリーのお茶を注いでいると、ノーチェが向こうからやって来た。
「確か優希は二人分のサンドイッチを持ってきてた筈にゃ。ツナサンドは余ってませんかにゃ?」
「あー、すいません。皆さんにおすそ分けしたので……もう」
サンドイッチはマティアス達に振る舞ってしまったので、優希が手に持っている齧りかけのツナサンドしか残っていなかった。
しかし、それを目聡く見つけたノーチェが、こんな提案をしてきた。
「にゃにゃ。なら、そっちの食べかけのツナサンドとコンビーフサンドの交換はどうかにゃ?」
「こっちのは半分食べちゃってますよ?」
「正直、休憩中に食べ過ぎて一切れは多いのにゃ。……勿論、ツナサンドは別腹だけどにゃ」
ノーチェ的には、ツナサンドなら幾らでも入るらしいが、コンビーフサンドは結構なボリュームがあるので食べ切れないらしい。
思いがけず大好物が再誕した事になり、優希は喜んでサンドイッチを交換した。
しかし、何気ないその行動に驚く面々もいた。
「あの、気になったと言いますか、ユーキさんとノーチェさんは、その、ひょっとして、そういう関係なんでしょうか?」
「え? どういう関係ですか?」
優希が首を捻る中、ルーシェは頬を染めつつ言い難そうにし、リリーは驚きつつも何かを考えているようだったが、優希の質問には答えず、代わりに質問を重ねてきた。
「依頼主側の個人的な関係は詮索するべきじゃないとは思う。――でも、少し気になった事があるから確認する。さっき、商会員ノーチェは、ピアンタ商会のと言った、イリス商会じゃなく……」
「あっ! そういえばそうですね」
優希もノーチェがピアンタという猫妖精に雇われているが、商会名はイリスだと話しているのを聞いていた。
ただ、その時の会話からは、異世界では代表の名がそのまま店名に使われるのが一般的らしいと分かった程度だったが――。
「本来なら成り済ましを警戒するけど、アルヴァー先生もいるし、行方不明の猫妖精に成り済ますのは現状無理がある。――じゃあ、何故、自己紹介の時、わざわざピアンタ商会と言ったのか? それを知りたい」
優希を始め、何時の間にか注目していた隠されし守護者の男性陣の視線も受けながら、ノーチェは真面目な顔になった。
そして、口元をニヤッとさせると、胸を張り両手を高く挙げた。
「にゃにゃ! カタルティロイ・ノーチェは此処に新たな忠誠を誓うにゃ! こちらにおられる新たなる主、入広瀬優希様に忠義を尽くすと宣言するにゃ!!!」
この宣言に全員が暫く呆然となった。
唯一離れた所で見守っていたアルヴァーだけが、興味深そうな視線を向けている……。
「私ことノーチェは既に館の料理人見習いとして採用されたのにゃ! その時、我が貴人は、領地に商会長ピアンタが店舗を持つ事をお許しになられたのにゃ!」
この言葉にマティアス達は一転、驚愕の表情を浮かべた。
姿形から高貴な生まれなのでは? と思ってはいたが、まさか領地を持ち、あまつさえ出店の許可さえ出せる地位にあるとは想像の埒外だった。
「ピアンタ商会宣言は、新たな土地での第一歩を踏み出すという意味が含まれているのにゃ!」
そこで一呼吸置くとノーチェは自分の希望を語った。
「そして飲食店舗出店許可書取得の暁には、コウライソン・ノーチェとして店を持つのにゃ!!!」
ノーチェは全員を見回すとゆっくりと手を下ろし、商人式の礼を執った。





