第5話「再会と帰郷」
優希は振り向いたことを早くも後悔していた。というのも頬に相手の指が刺さるという、お約束のいたずらを仕掛けられてしまったから。しかも、次の瞬間には両肩をガッチリ押さえられて、相手をうまく見ることが出来なくなっていた。
背後の女性の拘束力は技巧的かつ驚くほど強く、何とか振りほどこうとしている優希に対して、両手の力加減を調整しつつも左右から挟みこむように、両側を掴んだまま下に押し込むような力を加えることで完全なイニシアチブを握っていた。
優希は斉藤3佐に助けを求めるような視線を向けたが、おそらく奥にいる人物を見たのだろう視線を横にずらした後、諦めた様子で微妙に視線をそらされ軽く頭を振られてしまった。処置なしといった感じで。
……これは自分で交渉して自由を勝ち取れということなのだろうか? 優希がそんな事を考えていると、相手の方から交渉を持ちかけられた。
「あれ、私のこと忘れちゃったの?」
優希は予想外の言葉を投げかけられて若干混乱してしまったが、ということは知り合いということなんだろうか?
ここは、あせらずじっくり考えてみることにした。相手の行動から顔を見せる気はまだないようだ。ということは声で判断しろということで、声を聞けば分かるくらいの知り合いということになる。
ただ、相手のセリフからは最近の交流はなく、今いるこの場を考えても幼い頃の顔見知りの可能性が高い。とすると結論、広瀬村の誰かという事になる。
女性の声は、まだ若い感じなので、ひょっとして子供の頃に一緒に遊んだこともあるんじゃないだろうか?
うんうん正解に近づいたかも知れないと優希が一人納得して首を振っていると、
「思い出した?」
すると両肩の拘束が弱まった感じがして、相手の手のひらから優しさのような感覚も伝わってきた。
「ね? 思い出した?」
「あっ、いえ、まだなんですガぁ……」
さっきより優しい声色でささやかれて、早く思い出さなければという思いが強くなってきたのと、とりあえず何か話をしなければととっさに声を出たのだが、これが失敗だったらしい。
「少し刺激を与えると思い出しやすいかも」
と何やらあやしい言葉を呟いたかと思うと、肩を掴む両手の握力が少しずつ強くなり始めてしまった。
「あ、あの、す、少し強いんですけど、もう少し弱めに……」
「んー思い出したのかな?」
「それは、もう少し力を緩めてくれると考えもまとまるというか……」
何だろうこの理不尽さ……昔に感じたことがあるような何かを思い出せそうな気もするが、肩が痛くなってきて肝心の記憶がすぐにリセットされている気がしてならない。
そんな様子が焦らさせたのか、
「揺らしてみるのも効果があるかもね」
と恐ろしいことを呟いたと思うと、優希を前後に激しく揺すぶり始めた。
ガクガクと優希の頭が激しく上下すると、まるで頭の中までシェイクされるようだったが、何のショックが記憶のシナプスを呼び起こしたのか、炭酸が発泡するようにかつての記憶を次々と沸き上がらせて来た。
「ちょ、ちょっと、いい加減やめてよ、ゆう姉ちゃん」
思わずそう口にした瞬間、今までの暴挙は鳴りを潜め肩を支える力は優しいものになり、まるで、これまでの痛みを取り除くかのようにゆっくりと擦るような仕草になった。
優希は、つい発してしまった自分の言葉に驚いてもいたが同時に納得もしていた。そう、まるで姉弟のようだった幼なじみを思い出したのだ。
……思えば、扉を潜ってからの微妙ないやがらせの被害は、昔も多かったような気がする。バスの運転手さんも言っていた、水無瀬さんのとこの子のことと、昔は泣き虫だったって。今思えばあれは泣かされたことも多かった記憶がある、もちろん優しくされたこともあったが……ゆう姉ちゃんのおさがりを着ていて女の子に間違われていた記憶は封印することにして。
そうやって昔の記憶が次々とよみがえってくると、拘束も緩んだ今さっきまでのことに文句の一つも言いたくなってきた優希だったが、振り返って久しぶりに見た水無瀬優香は、嬉しさとせつなさが綯い交ぜになったような表情をしていて、そのうるんだ瞳を見ていると何も言えなくなってしまった。
……久しぶりの感動の再会、幼い頃から姉代わりとして面倒を見ていた弟を前に優香は、右手をゆっくりと優希の頬に添えて優しく微笑むと、
「ちょっぷ!」
びしっと擬音が出るような見事なツッコミを決めたのだった。
「ちょっと酷いよ優姉」
その後、色々とやり合ったものの、過去の恥ずかしい話が出てきた辺りで優希がギブアップした。その辺の年長者の有利は覆らないらしい姉とはそういうものだと諦めるしかなかった。とはいえ、色々と突っ込んで聞くべきことは残っているので、はぐらかされないように注意して質問してみた。
「それはそうと聞いた話だと地方公務員になったとか聞いてたんで、てっきり役所で働いてると思ってたんだけど何で自衛隊? それにその制服、自衛隊のにしてはおかしいというか何というか、見たことない形だし随分とクラシックじゃない?」
「えー自衛隊も同じ公務員じゃない」
「いやいや、確か特別職って言ったっけ、国家公務員じゃないの?」
「んー、出向ってやつ? こう地方から、ばびゅ~っと」
優香の供述は擬音を使い出して怪しい感じになってきていた。
「じゃあ、その制服は? 自衛隊員じゃないのに着ていいものなの?」
「あ~、……広報担当ってやつ? ほら、普通の制服と違うでしょ、そう、コスプレ、コスプレ」
「へぇ~……」
優希が疑いのじと目で見つめると、さすがに目をそらしたが、切り返しは早く、
「それより、ほら書類に記入しないとでしょ? 説明してあげるから、ちゃちゃっと終わらせないと、暗くなってきちゃうし食材痛んじゃうかもよ? しかもお爺ちゃん怒っちゃうかも」
「うん、なるはやでお願いします」
こうして慌しく手続きすることになった。書類の内容は、大まかには何か事故が
あったら特別予算から出しますよーといった内容らしい、後はいま居る施設の通行許可だった。
「はい、それじゃあこのカード渡しとくね。これの表面を各所に設置されているカメラにかざせば通行出来るから。あっ、落とさないようにヒモ通しておくね。首からさげてなくさないように」
受け取ったカードが通行許可証らしく、カードの半分近くをホログラムシートが占めているのが表面という話だった。何でも特殊な画像解析技術で持ち主を判別するらしくQRコードなどの既存の画像解析とはまた違った方法で情報を読み込んでいるとのことだった。そのため現状複製をつくるのは非常に難しいらしい。
ここに、そんな最新のセキュリティが設置されているのはなんだか不思議な感じだったが、斉藤3佐の話によると、実地テストも兼ねているらしく、やがては自衛隊で普及するかも知れないとのこと。そういえば、ここは、昔はどんな施設で今は何に使っているのだろうか? 少し気になり斉藤3佐に聞いてみることにした。
「斉藤さん、ここの施設こと聞いてもいいですか? えーと注意することとか具体的にはここは入っちゃだめだとか、この時間は通行できないみたいな」
「そうですね、この施設に関しては重要な機材や、管理には十分な配慮をしていますが銃器なども運び込んでいるので、基本、民間の方はこの通路以外は立ち入り出来ないようになっています」
そう言って優希が手に持っているカードを指し示した後、一呼吸おいて、
「……ここは建設時からのダム関係者の病院棟だったんですよ。当時は工事が思いのほか難航していたらしくて――残念なことです」
「――そうだったんですか道理で。ところで……」
そう優希は周囲を見回して納得した表情をしたが、カウンター奥のある一点を見つめると幾度か口を開きかけて最終的には口をつぐんだ。
それを見ていた斉藤3佐が、後ろの水無瀬優香に目で合図するような仕草をすると、優香はいたずらが見つかった子供のような表情で、
「見つかっちゃった。懐かしいでしょ~、あげようか?」
「いらないよ。ていうかここの備品じゃ……ないの?」
それにしてはおかしいと言うことは優希は見つけてしまった時から気付いていたが、よくわからない物とは考えたが、使い方はよく分かっている。ただ拵えが独特で違和感があった。それは柄巻と鞘どちらも深緑色の日本刀、それが四振り立て掛けてあったから……。
「それ本物? 使うことあるの?」
それを聞いた優香は、ふいに真面目な声で、
「どうだろ、でも使う場面がきたら……使うよ」
少し驚いて優希が振り向いたときには、すでに胡散臭いまでの笑顔で、
「な~んて、コスプレ衣装だよ。さながらサムライ親善大使って感じ?」
そんなことを言ったので、優希は若干呆れたのだった。
程なく全ての手続きが終了すると、どこかしんみりとした空気になってきた。
そんな雰囲気を感じたのか斉藤3佐が気を利かせて、
「久しぶりの再会で積もる話もあるでしょうが、我々は当分ここに駐留しますし休養日になれば会う機会もあるでしょう。優希くんの通行を許可します。水無瀬……くんは出口まで誘導してください」
そう言って手を差し出してきた。優希はその手を握り返すと、
「お世話になりました。うちにお越しの際は歓迎いたしますので他の隊員の方にもそうお伝えください」
「はははっ、分かりました。では入広瀬信憲さんによろしくお伝えください」
「それじゃあ、こっちだよ優希ちゃん」
優香に連れられて通路を進み幾つかの扉を潜った先にそれはあった。今までのどの扉よりも巨大で重厚な合金製の扉が。
「なんだか、随分と物々しいね……」
巨大な扉を眺めながらそんなことをつぶやいたが、隣にいる優香の反応がないことに気付いて様子をうかがってみると、静かな表情で扉のその先にあるものを見通すかのよな視線を向けていた。
やがて扉がゆっくりと開いていき人が一人分通れるくらいの幅で停止した。
向こうは霧でも出ているのか白いもやが扉の隙間から漏れ出てきて、濃い空気を運んできたのか多少の息苦しさのようなものを感じた。
優香は正面を向いたまま、
「この先の道を真っ直ぐ行けば知ってる所に出るから。ここでいったんお別れだね。……それじゃあ元気でね。気をつけて」
「あっうん、優姉も元気でね。休みが取れたらこっちにも遊びにきてね」
お互い挨拶を交わすと、優希は深い霧の中に一歩踏み出した。