第46話「異世界探訪」
時は少し戻り、優希、アルヴァー、ノーチェの三人は広瀬村の霧の結界を抜け、異世界側の森に足を踏み入れていた。
「うわぁ~! これが異世界……か?――ぁ……」
優希は思わずといった様子で全身で期待感を表そうとしたが、その感情は途中で尻すぼみになっていった。
「にゃ? どうしたのにゃ? ……怖くなったのかにゃ?」
ノーチェが優希の様子を伺うように覗き込むと、そっと手を握ってきた。
優希は手に毛のふさふさ感と肉球の柔らかさを感じ癒されたが、ふとノーチェの手が僅かに震えているのを感じた。
一見すると平気そうな顔をしているが、腰が引けているのか爪先立ちで、歩幅は狭く歩みは遅かった。
優希はノーチェの手を包み込むように握り返すと、少々大げさな表現を取った。
「う~ん、もっと見た事もない巨大植物が、こうドーン! と生えてて、ザ・異世界って感じかと思ったんですが、――何て言うか、あっちの森の中と同じと言うか……寧ろ違いが分からなくて、肩透かし? な気分です」
本当に違いが分からなくて、あちこちに視線を彷徨わせていると、アルヴァーも周囲を観察しつつ答えた。
「それは、この森の植生が、あちらの世界のものだからだろうな」
「えっ? そうなんですか?」
「少なくとも、結界を中心にかなり広範囲に渡って、こちらの世界とは違う動植物が生息している。とはいえ、観察した限りでは、大きく種が異なる訳ではないようだ。此方でも亜種程度の分類に収まるだろう」
アルヴァーは近くの植物の葉を裏返しながら説明した。
ノーチェも周囲に視線を彷徨わせていたが、これは危険をいち早く察知しようという行動のようだった。
そんな中、優希は、あの日、クルアランと呼ばれた魔術師が深夜に訪問した時に感じたものと、同じ感覚を覚えていた。
つまり自分の感覚が広い範囲に拡張され、周囲の状況がある程度、把握出来るという、ある種の万能感にも似た状態だ。
それは、まるで自分が何かの達人になったかのような錯覚を覚える。おそらくは魔力由来の何かなのだろう。
ただ、今まで意識していなかったので、優希の中では戸惑いの方が大きいというのが本音だった。
この不思議な感覚の事を詳しく聞こうとアルヴァーを見ると、彼は瞳を閉じ、まるで瞑想しているかのようにその場に佇んでいた。
優希は、アルヴァーが再び目を開けるのを待ち、この感覚の正体を聞いてみた。
「それは魔力感知能力か、それに類するものだろうな」
「感知能力……ですか?」
「今、私が行っていたのが魔力感知だが、同じように瞳を閉じ、周囲へ広がる、その感覚を感じてみてくれ。――魔力と同化するように」
優希はノーチェの手を離すと、二人から数歩離れた位置に移動して、ゆっくりと瞳を閉じた。
初めこそ両耳から入ってくる聴覚情報に気を取られていたものの、魔力の気配ともいえるものに意識を集中させると、徐々に周囲の状況が感覚的に理解出来るようになって来た。
「――川の流れを強く感じます。そこから拡散するように周辺の様子も……。ただ、川やその周囲はかなり遠くまで分かるんですが、それ以外は、あんまり……」
ゲーム的に表現するとオートマッピングで川沿いに歩いたマップを見ているような感じだった。それ以外の所の地形などは何となく分かるものの、靄が掛かってる様な感じで判然としない。
「成程。では、私やノーチェはどう感じる?」
アルヴァーの問い掛けで二人に意識を集中させるが、地形と違い判別が難しかった。それ所か二人の区別も付き難く、ともすれば周辺の魔力で存在を見失いそうになる。
「……魔力だけを追おうとすると存在を見失いそうです」
「なら、これならばどうだ?」
そう言うとアルヴァーは、魔力遮断効果のあるマントを脱ぐと、川岸から離れて森の中に足を踏み入れた。
必然、優希との距離も開いたが、驚いた事に距離が離れるに従いアルヴァーの魔力をはっきりと認識出来る様になっていった。
「凄い! アルヴァーさんが移動しているをはっきりと感じられます」
驚いて思わず大声を上げた優希だったが、アルヴァーは窘めるでもなく、次の検証に入った。
「ノーチェも優希から離れ此方に来てくれ!」
ノーチェは一瞬、ビクッとしたが、先程の魔力探知で、周辺に魔獣は存在しなかったと説明されると、恐る恐る森の中に入って行った。
「二人とも存在感は増しましたけど、殆ど同じ感じで、やっぱり区別が出来ませんね」
優希は話し合うには距離が開き過ぎた為、二人に合流すると感じた事を説明した。
「ふむ。という事は、広瀬村の魔力……つまり優希自身の内在魔力だな、これのみを感知しているという結論になる」
「え~と、つまり?」
「訓練次第で、魔力を使いこなせるようになる可能性はある。――地域限定かも知れないが……」
「おおっ!? という事は魔法を使えるようになるかもですよね?」
地域限定とはいえ、念願を叶えられるかもと優希が興奮気味に話す中、あくまで冷静にアルヴァーが答える。
「確かに魔力変換に成功すれば、魔法使いと呼ばれるが、その道程は険しい。魔力変換には、ある種の才能が必要だからな。とはいえ、魔力を操る訓練は無駄にはならないだろう」
その後は、アルヴァーに先導され歩き易い場所を選んで川沿いに下って行く。
やがて、中州が在る少し広めの河原が見えてくると、優希とノーチェにその場に留まるように言い、アルヴァーは先行して周辺を調べ始めた。
数分後、アルヴァーが手で合図を送って二人を呼び寄せると、ある地点を指し示した。
「先日、ここで魔獣ジャウードと遭遇し、これを仕留めたが、亡骸は持ち運ベず、そこに放置した。……だが、どうやら何者かに持ち去られたようだ」
「何者か……ですか?」
「ああ。動物ではなく人間の手によってだな。――あるいは、あの時の人物か?」
詳しく話を聞くと、アルヴァーが魔獣を倒した後、近くにいた、もう一匹を誰かが倒したとの事。
その人物は魔力隠蔽に優れ、魔法を使った形跡がなかった事から、その後、見つけた猫妖精の足跡、つまりノーチェの移動した痕跡から、猫妖精か取引相手が雇った腕の立つ傭兵ではないかと推測したと語った。
「初めこそ魔脈か同族の集落があるかとも考えていた。結果として想像の上を行くものだったが……」
そこまで話を聞いた優希は、ふとノーチェを見ると、分かりやすく情緒不安定になっていた。
「にゃにゃ。あの時の魔獣がこの辺まで迫って来ていたのにゃ!? それに、もう一匹いたなんて聞いてないにゃ。って事は、危うく挟み撃ちだったのかにゃ? ぜ、全力で逃げて正解だったのにゃ~……」
ノーチェは独り言を呟きつつ、一人で結論を出すと肩の力を抜いた。
……フォローは必要ないだろうと、優希はアルヴァーとの会話を進める。
「その魔獣を倒したという人って誰なんでしょうね?」
アルヴァーは暫く思考を彷徨わせている風だったが、答えには確信があるのか自身有り気に答えた。
「消えかかっているが、ブーツの跡が僅かだが残っている。ジャウードを運ぶ際に重量が増えたのが幸いしたな。そして、その跡には特徴的な溝が彫られている様だ。――それは」
「それは?」
「君やノーチェが履いているのと同じではないが、ほぼ同様のものだな。つまりは、広瀬村の住人の誰かか、あるいは……。――という事になるだろう」
優希が広瀬村の住人で荒事に慣れた人物で、最初に思い浮かべたのは、山猫のファノさん、撫子と、後一人……。
「まさか、お爺ちゃん!?」
「ふむ。広瀬館の主人、優希の祖父は刀だったか……の使い手としての実力があるようだな」
「え、ええ。おじぃ……祖父から剣術を習いましたから……でも、えーホントに?」
最後の方は小さく自問した呟きだったようだが、旅館の経営を丸投げして、やっている事が、異世界のモンスター退治だったとは予想外だったようだ。
何やら考え込む優希に、アルヴァーは周辺の調査結果を語った。
「ジャウードの体躯は人間大はある。移動させるのは一人では難しい。まあ川に流す位は可能だろうが、足跡は複数人あるようだ」
今の広瀬村に異世界側に平気で出向けるのは、後は撫子位だろうが、話を聞いた限りでは、村の中を見回る事はあるが、こちらの世界に足を踏み入れる事はしないらしい。
とすると、残る可能性は、自衛隊員だが……。
「まあ、今は気にしても仕方ありません。村に帰った後で誰かに聞いてみましょう」
「そうだな」
そう結論付けると、三人は先を急ぐ事にした。まだ時間に余裕はあるが、魔獣を避ける為に迂回した場合に、到着が遅れ日暮れ近くになると、取次ぎに時間が掛かったり、交渉が翌日以降にずれ込む可能性もあったからだ。
アルヴァーが時折、魔力探知で周辺を警戒し慎重に進んで行く。今の所、移動は順調で魔獣の影も見えなかった。
「もう少し進むと大きな滝になってるけど、かなり迂回しないと下まで降りれないにゃ」
「ふむ。なら、あの辺りから森に入り大回りするか」
アルヴァーは持参の地図を片手に魔力探知で周囲を入念に調べると、経路を指し示した。
「河川から離れる事によって、私達、二人の魔力を強く感じ取れるようになってくる筈だ。正確には広瀬村由来の魔力だが、移動しながらでも問題ないなら、その魔力に意識を集中させ、私達、本来の内在魔力を慎重に探ってみるといい」
アルヴァー、優希、ノーチェの順に、距離を開け藪をかき分けつつ木々の間を進む。
アルヴァーは、木々の枝が重なり合い進み難い道なき道を、まるで透過しているかのような足取りで進んで行く。時折、枝を払っているが、これは、後ろ二人への配慮のようだった。
一方、最後尾に付けたノーチェは、腰に差した剣鉈を抜き放ち、嬉々として振るっているようだ。
優希の後ろから忙しなく、植物を薙ぎ払う音に混じり刃物が空を切る音が聞こえてくる……。
ノーチェとの距離も十分に開いている事から、後ろを振り返る事はあえてしなかった。
やがて川との距離が十分に開くと、アルヴァーとノーチェの動きが手に取るように分かってきた。
『でも相変わらず二人の区別は付かない。――身長とかの違いは分かるけど……。でも、むむむ――……』
二人の違いを見つけようと魔力の気配に意識を集中した。――すると、今までとは違う魔力が、ほんの僅かだが感じられた。
『これが二人の持つ本来の魔力なのかな? この気配をもっと感じられるようになるには……』
優希は、二つの魔力を引き離すように意識を集中させる。――広瀬村由来の魔力を脇に追いやるように意識すると、魔力の質の違いが明確になったような気がした。
――しかし。
前を歩く、アルヴァーが何時の間にか立ち止まっていて、危うくぶつかりそうになってしまった。
「っつ! アルヴァーさん? 何……か……」
肩に手を置いてもアルヴァーは、まるで硬直したかのように動かなかった。不審に思った優希は、もう一度、声を掛けようとしたが、あれだけ騒がしかった後ろが、やけに静かで、ノーチェとの距離が開いている事に気付き、慌てて後ろを振り返った。
ノーチェは驚きからか瞳孔が大きく開き、剣鉈を振り上げたままの体勢で硬直していた。
「ノ、ノーチェ!?」
思わず駆け寄り少々乱暴に揺すると、やがて意識を取り戻したようにハッとして、剣鉈を大きく振り下ろした。
「危なっ!!!」
不幸中の幸いというか手の届く範囲に居たので、ノーチェの体の向きを強引に変えることで事無きを得た。
その際、奇しくも後ろから抱きしめるような格好になった。
「にゃ!? にゃにゃ?? た、助かったのかにゃ?」
ノーチェは、余程、怖かったのか、体が小刻みに震えていたが、優希が暫くノーチェの腕を擦ってあげると落ち着きを取り戻したようだった。
「ありがとうにゃ~。あと、ごめんにゃ。悪気があった訳じゃないのにゃ」
「ちょっとびっくりしたけど、大丈夫ですよ。でも何があったんです?」
「にゃにゃ。それがよく分からないのにゃ。突然、体の自由が利かなくなったのにゃ! 怖かったのにゃ~……」
自分には影響がなかった事を不思議に思いつつ、ノーチェを慰めていると、後ろから声が掛かった。
「……此方も何とか落ち着けたようだ。ノーチェは大丈夫か?」
「あっ! はい。大丈夫だと思います」
どうやらアルヴァーもノーチェと同じような状態になっていたようだった。
優希は、アルヴァーを一瞬だけ忘れていた事を後ろめく思い、謝罪を口にすると謎の原因を尋ねた。
「――その事なんだが……」
続く言葉は優希に取って意外過ぎるものだった。
「えっ!? 僕が原因なんですか?」
「おそらくは。――ただ此方も不用意だった、優希の力を過小評価し過ぎていたのだから……。いや理解出来ていなかったと言うべきかも知れないな……――」
後ろから、じっとりとしたノーチェの視線を感じる……――。
「はははっ……はあっ……――」
取り敢えず笑って誤魔化すしかなく、大きなため息が出た優希だった。





