第42話「気配」
翌日、隠されし守護者のメンバーは、再び森へ分け入っていた。
昨日は空振りだったが、懸念していた魔獣の姿や痕跡は確認出来なかったので、より深く潜るには都合が良かった。
「何で、この森は魔獣が居ないんだ?」
「知らない」
マティアスは、周辺を警戒しながらも声を潜めて雑談を始めた。リリーの返事は素っ気ないものだったが、初めて探索した時や昨日よりは、幾分リラックスしている様に見える。
「――これはアルヴァー先生に聞いた事なんですが……」
ルーシェが、手から下げているペンデュラムの水晶体から目を離さずに話し始めた。
「自然界には、時折、この森の様に魔獣が寄り付かない土地があるらしいです」
「ここ以外にも、そんな土地があるのか?」
マティアスは思わず大声を上げそうになって慌てて抑えた。
「じゃあ、先生は魔獣が居ない理由の検討も付いてる?」
リリーの質問に、ルーシェは僅かに首を振る事で答えた。
「そこまでは、分からないそうですが、そんな土地には周辺とは違う独自の生態系があるそうです」
「……何時、聞いたんだか。そういう事はもっと早く知っておきたかったぜ」
「――最初の探索を終えて、植物の標本を持って報告に伺った時です。……マティはミラーレ学院に行くのを嫌がって、私に押し付けてきたじゃないですか」
マティアスの嫉妬とも取れる呟きに軽口で返したが、魔法発動中は滅多に口を開かないルーシェの口数が多い事を不自然に感じ、マティアスとリリーはほぼ同時に視線をルーシェに向けた。
そこには、額に汗を浮かべて焦りさえ感じる表情で水晶体を見つめ続けるルーシェの姿があった。
ルーシェの持つペンデュラムは、探知魔法を使用する際の補助的役割を果たす魔法発動体で、魔力探知を物理現象として発現させる事が出来る。
精度は落ちるものの、アルヴァーの様に集中せずに使用できる利点があった。
ルーシェを見たリリーは、敵の存在を警戒し素早く周囲に視線を走らせ、マティアスは隊列を崩し、ルーシェの傍に駆け付けると、剣の柄に手を掛け臨戦態勢を取った。
「ルーシェ、敵か?」
マティアスが、小さく囁くように聞いたが、ルーシェは直ぐには反応しなかった。しかし、再度問いかけるとようやく返事を返した。
「――すいません。反応はありません。昨日から魔力の通りが悪い感じがして気になっていたんです。それで、初めてここに来た時の事を思い出して……それで」
珍しく歯切れの悪いルーシェを疑問に思いつつも続きを促すと、思いがけない返事が返ってきた。
「関係ないかも知れませんが、先生が昔、調査していた事柄を聞いた事があるんです。……先生はあまり話したがりませんでしたが、私達より上位の存在の痕跡を探していたんだとか……」
ちらっと左腕に嵌まっているリングを見て一呼吸おくと話を続けた。
「実は、初めて森に入った時、何か――すいません。上手く説明出来ないんですが――とにかく何かに見られている気配をずっと感じていたんです。……ただ森に入るのは初めてだったので、ケモノか何かの気配だと思って……」
マティアスは疑問符を浮かべたが、その話を聞いたリリーは目を見開いた。
「私も初めての時、感じてた。……でも今は」
「はい。魔力の通りもそうですが、その気配を感じません。……森が変化したのかも知れません」
「どういう事だ?」
「リーダーは鈍い。仮にこの森が、最初に感じた気配の縄張りだったとしたら……」
「主の不在で魔獣が入り込んでいる可能性が高い、か!」
素早く散開し、今まで以上に慎重に歩みを進めた。しかし、幸いというか魔獣に出くわす事はなかった。
「マティアス」
タイエンの声に皆が武器で指示した先に注目すると、野営したと思しき痕跡があった。
全員がその場に留まり、マティアスとタイエンがルーシェを守るように位置を変えると、リリーが一歩踏み出した。
「ここからは私の出番」
リリーは痕跡を消さないように慎重に足を運ぶと、周囲の地面、そして焚火の後を時間を掛けて調べ始めた。
やがて調査が終わると、他のメンバーに手で合図を送り呼び寄せた。
「結論から言うと、この野営の跡は、おそらく昨日じゃなくて一昨日の物。人数は三人。昨日にしては時間が経ってる。隊商の偽物の方みたいだけど猫妖精の痕跡が見当たらない」
「袋詰めにされているとかは?」
「確かに荷物の跡もあるけど、小柄とはいえ猫妖精が入っているならもっと大きい筈……」
マティアスは頭を乱暴に掻くと「捕まえ損ねたなら良いんだが」と呟くと「どっちに行ったか分かるか?」と尋ねた。
「川に向かってる足跡があるけど、水を汲みに行っただけかも知れない」
「マティ、時間が経ち過ぎているので魔力の痕跡では追えません」
先程まで集中していたルーシェだったが、魔力の流れを掴む事は出来なかったようだ。
「仕方ない、川まで行って痕跡を探す。見つからなかったら、当初の予定通り川沿いにさらに奥に進む。――まあ、見つかっても今からだと追い付くのは無理だろうが……」
「先導する」
リリーが足跡を辿り始めると、自然と隊列が入れ替わり、ラージシールドを背中に回し両手でポールアックスを持ったタイエンが殿になった。
そのまま警戒しつつ先に進む。地図上ではもう少し上流に行くと滝つぼに出る筈だが、視界が悪い森の中では方向感覚が狂いやすい。皆より一層、慎重に進んだ。
やがて川が見えてくると、僅かに散開し周囲の安全を確認する。
その間も偽物の痕跡を慎重に辿り一人川岸を調べていたリリーだったが、川の流れを確認すると皆と合流する為に戻ってきた。
「向こう岸も調べる必要があるけど、思ったより川の流れが急で深い」
今の状況で、濡れたまま進むというのは得策ではないし、上手く渡れる所があれば戻って来てもいいが、追跡は猫妖精に任せても良いかも知れないと考え、マティアスは目印になる物を置いた。
そして、滝を迂回して滝口に出るルートを思い描いていた時、ルーシェの鋭い声が響いた。
「魔獣です!」





