第38話「カシータ・ガルディスト」
「これは、また……さっきまで通ってきた街並みとは、えらく違いますね」
メラグラーナは第一城壁内に広がる光景に圧倒されていた。
第一市街地内の建造物は、窓枠一つにしても歴史を感じさせる古さを備えつつ細部にまで非常に拘った技巧で装飾されていた。
まるで都市全てが芸術品のような美しさで魅せられるようだった。
「まさか、ここまでの差があるとは思いませんでした。……確かにここに店舗を構えられたなら一流の商人で間違いないのでしょうね」
そう言って、メラグラーナは最も近い商店に視線を向けた。
その商店は決して大きくはなく寧ろ周囲の店舗に比べ小さい部類だったが、鍛鉄の看板は金や宝玉が埋め込まれているようで非常に豪華なものだった。
第二市街地にあれば、おそらく次の日には高確率で無くなっているだろうそれが、惜しげも無く風雨に晒させているとなれば、ここの住人の豊かさも自ずと理解出来るというものだ。
「私も初めてここを訪れた時は随分と驚きました」
ただ元々、防衛を優先して設計された厳つく威厳がある建築様式の為に、物理的にも威圧感が強く、幾ら王宮勤めとはいえ余り長居はしたくないと思ったメラグラーナだった。
隣を歩くピアンタも若干窮屈そうな顔をしていた事から同じ様な気持ちなのだろう。
そんな二人を案内するトトは慣れた様子で通りを進んでいた。
「ミラーレの各組合は、第二城壁建築時に不要になった第一城壁の城塞を改築して利用してます。とは言っても商人組合と、これから向かう傭兵組合は規模が大きいので拡張部分の方が広いですけど」
暫く進むと、城壁に張り付くように拡張された建造物が視界に入ってきた。
「ほら見えて来ました。あの建物です」
「思っていたよりも豪華ですが、あまり広くはありませんよね?」
目的地の傭兵組合は、控えめながら街並みに合わせた美しい建物だったが、元の城塞部分を含めても他都市の傭兵組合と比べて同程度か比較的規模が小さく感じられた。
その事を素直に口に出すと、ピアンタが思い出した様に補足してくれた。
「こちら側は広くないんですよ。第二市街地側の建物は、かなり大きいですよ」
「そういう事ですか。確かに向こう側の方が利用者は多そうです」
「ええ。それに商業組合所属の商人は、専属が居るか、こちらまで出向かず組合に呼び出す事も多いですから」
三人は建物内に入り受付に向かうと、妙齢の女性が立ちあがり深く礼をした。
「カンバー様お待ちしていました。二階の第二応接室へご案内致します。――お連れの方もご一緒でしょうか?」
「はいそうです。よろしくお願いします」
「では、こちらへどうぞ」
受付嬢の案内に従い揃ってニ階へと上がる。
「ご要望の探索者は既に全員揃っています。交渉に関して立会い人をご希望になられますか?」
「いいえ。雇用条件に関しては昨日の内にある程度は合意しているので」
「そうでしたか。では、お手数ですが、後ほどこちらの書類に契約内容をご記入下さい」
「分かりました」
トトは書類を受け取ると脇に抱えた。
程なく第二応接室に到着すると、受付嬢は扉をノックした後、静かに開き入室するよう促した。
「終わりましたら、何時も通り室内のベル紐をお引き下さい。それでは失礼します」
開かれた扉の前には、大きめの衝立が設置され奥まで視線が通らない様になっていた。この辺りの細かい配慮は流石に大都市の組合だと思われた。
回り込んで部屋が見渡せるようになると、四人の男女の姿が確認出来た。彼らがトトが呼んだ探索者なのだろう。
若手とは聞いていたが、全員、想像していたよりもずっと若かった事に若干驚いた二人だったが、まずはお互いに向かい合い挨拶を交わした。
「こちらが今回依頼している『隠されし守護者』の皆さんです」
「俺、いや自分が『隠されし守護者』の代表、マティアス。剣士だ」
若く自信過剰そうな見た目と違い、非常に綺麗な騎士の礼をした青年に続き、小柄でこの中では最年少に見える少女が口を開いた。
「マルケリリー。斥候。リリーと呼んで」
「タイエン。重戦士」
肌の白さから北部出身だと思われる大柄で朴訥そうな青年が挨拶した後、白いローブを身に纏った少女が一歩前に踏み出した。
「ルーシェです。一応、支援魔法使いですが、探知魔法も使えます」
「ピアンタです。急な事で驚かれたでしょうが、お願いしたい事があります。同席してもよろしいでしょうか?」
「メラグラーナです。今日は商会長ピアンタの護衛として来ています」
すると魔法使いのルーシェが少し考える仕草をした。
「ピアンタさんですか? 確か学院に留学していた猫妖精の方ですよね? お話を聞いた事があります」
「私も聞いた事がありますよ。海を渡って遥々南部からやって来た魔法使いルシエン・ヌーディアル。別名、アマルガーノ・ルシエン。探索者になっていたとは知りませんでしたが――」
ルーシェは驚いた表情を隠そうとはしなかったが、元々魔法使いの人数は多くない事もあり、彼女の様な南部出身特有の褐色の肌と、渾名の元になった銀色の髪という分かり易い特徴があれば、たとえ愛称で紹介されても間違えようがなかった。
だが、予想外に過剰に反応した人物もいた。
「待て。幾らトトが連れてきたとはいえ、そちらとは何の契約もしてない。あまりこちらを詮索しないでくれ」
探索者側のリーダーから拒絶とも取れる発言が出て困惑していると、ルーシェは困ったようにマティアスを嗜めた。
「マティ、お相手の方に失礼です。それに先に詮索したのは私の方です。――不用意に依頼人のお名前を出してしまいました。お詫び致します」
そのまま深々と頭を下げ、横目でちらとマティアスを見た。
「――すまなかった」
マティアスは納得していない顔を隠そうともしなかったが、ルーシェに促され渋々といった形で頭を下げた。
「リーダーは床に頭を叩き付けて反省すべき。トトさんからの依頼が無くなって困るのはこっち」
見た目と違いあまり変化のない表情で毒を吐いたリリーは音を立てず滑る様にマティアスの横に移動した。
直後「ぐっ!」っとくぐもった声が聞こえたが、ピアンタの位置からは何をやったのか見えなかった。
ただ、メラグラーナは妙に感心した様子を見せていた事から的確に急所を狙った一撃を放ったのだろう。見た目と違い中々腕の立つ斥候のようだ。
「……わ、悪かったから」
マティアスが音を上げた辺りで、にこやかに見ていたトトが口を開いた。
「皆さん相変わらずですね。ただ時間もありません。腰を据えてお話しましょう」
お互い向かい合い備え付けのソファに腰を下ろす。メラグラーナとタイエンは立ったまま後ろに控える形を取り、ルーシェは意外な事に「お茶を淹れて来ます」と言って席を離れた。
本来なら給仕などの雑務をこなす人員をこちらが用意すべきだったと反省したピアンタだったが、まさかメラグラーナにお願いする訳にもいかない。
それに、この場の自然な様子から、トトとの面会時には何時もの事らしいと気付き、素直に甘える事にした。
「ではこちらの用件から終わらせてしまいましょう。――先生がまだ帰って来ていません。昨日お話した通り探索をお願いします」
「分かった。念の為、先生がどのルートで森に侵入して何処に向かったか改めて確認したい」
マティアスは森林地帯の詳しい地図を取り出すとトトと打ち合わせを始めた。
一方、ピアンタは目の前に広げられた地図を見つめた。やはり隊商が使用する地図と違い森林内部が詳しく記載されている。
驚きつつ興味深く見ていると、その様子に目敏く反応したリリーがマティアスの方を睨んだ。
トトが連れて来たとはいえ、未だ契約前の依頼人に手の内を晒している脇の甘さを歯痒く思っているが、交渉中で手が出せないといった感じだろうか?
しかし、ピアンタに見られているのに気付いたのか、無表情に戻って逆に見つめ返して来た。
その様子に頭を軽く振る事で答えると、二人の交渉が終わるのを静かに待った。
「じゃあ、街道沿いの、このルートからの北上したとして……」
「先生は、この辺りを重点的に調べると言ってました」
「――なら、この辺りまでは捜索した方がいいか。流石に川を越える事はないと思うが……」
途中、ルーシェが給仕室からお茶を運んで来てくれた。
「先生は魔力感知も得意ですし実戦経験も豊富です。きっとご無事ですよ」
「ルシエンさんはアルヴァー先生をよくご存知なんですか?」
「はい。魔力感知のコツを教わりに先生の元に暫く通いましたから。おかげで探知魔法を習得する事が出来ました」
「勉強熱心なんですね。魔法使いは攻撃魔法偏重かと思っていました」
会話の途中、ふとルーシェが淹れてくれたお茶の香りが鼻腔をくすぐった。控えめながら今まで嗅いだ事のない匂いに引き寄せられるように口に含む。
瞬間、何とも言えない花の様な香りが鼻を抜けていった。
「――このお茶はとても美味しいですね」
「花の香りを茶葉に移したものでフローロテオと言います。私の故郷のお茶ですが、スコール産の最高級品が思いのほか安かったので思い切って購入しました」
ピアンタはカップの中を見つめ思案気な表情をした。
背後でお茶の香りを楽しんでいたメラグラーナも同じ事を思ったらしくルーシェに質問していた。
「これだけの品が今の時期に安くなっていたんですか?」
猫妖精の隊商が滞在する期間は物価、特に高級品の類は値段が上がる傾向にある。逆に安くなったという事は何か訳ありな品なのだろうか?
その答えはルーシェがあっさりと口にした。
「ええ。ゴブリン市で見つけました」
その言葉を聞いた瞬間、トトと打ち合わせをしていたマティアスが口を挟んできた。
「あそこは治安があまり良くないから行くなと何度も言ってるだろう」
「マティは心配し過ぎです。確かに強面の人もいるけど、知り合いも多いし今まで危ない目に遭った事はありません」
おそらく魔法使いに喧嘩を売る命知らずが滅多にいないからだろうが、ゴブリン市からという事は盗品という訳あり品だったから安かったのだろうか?
ピアンタは出来るだけ表情を変えないように努めたが、メラグラーナは思い切り訝しげな表情を見せた。
そんな様子を見ていたルーシェは少し微笑むと種明かしをした。
「実はフローロテオは淹れるのが大変難しいお茶なんです。茶葉の量、お湯の温度、蒸らし時間、どれを間違っても香りが飛んだり苦味が出てしまいます」
「想像以上に繊細な品なんですね」
「ええ。それで、露天の店主さんに話を聞いたんですが、どうやらこれを持ち込んだ商人は正しい入れ方の知識がなく、商談時に飲んだ味と余りにも違った為に偽者か船旅で痛んだ品を掴まされたと思ったらしいです」
「――それで少しでも元を取る為にゴブリン市の露天に持ち込んだ……と」
「私もこちらに来てからは初めて目にしました。南部でも滅多に出回らない高級品ですから、こちらでは誰も本当の価値が分からないのかも知れません」
ピアンタは再度、カップの中に残るお茶に視線を移すと、ゆっくりと味わうように口に含んだ。メラグラーナも一転、喜色を浮かべてお茶を楽しんでいた。
途中、メラグラーナはお土産にどうだろうかとルーシェに質問していたが、淹れ方の難しさや、店頭に出ていた分は買い占めたので在庫が不明な事。それ目的で足を運ぶと足下を見られる可能性がある事を指摘されると、非常に残念そうな表情を見せていた。
そうして取り留めのない会話に花を咲かせていると、マティアスとトトが立ち上がり握手を交わすのが視界に入った。
「どうやら、あちらの契約は無事成立したようですね」
メラグラーナは、カップに残るお茶を飲み干しルーシェに礼を言うと、ピアンタの後ろに控える位置に静かに移動した。
たったそれだけの動きで、ピアンタの周囲に、突如、不可侵の領域が発生した錯覚に陥った。それと同時に先程と違いピリッとした緊張を伴う空気が漂うのさえ感じ取れる様だった。
そんな周囲の変化にも表情を変えず、それを当たり前の事と捉えている様子のピアンタの表情を見て、マティアスは一瞬、気圧されながらも『隠されし守護者』の他のメンバーに視線を巡らせると、挑戦的な視線をピアンタに向けた。
「よし。それじゃあ、そちらとの交渉を始めようか」
それに対しピアンタはゆっくりと頷いた。





