第37話「トート・モレン・カンバー」
ミラーレ第二市街地の大通りは如何にも活気がある大都市といった雰囲気が漂っていた。
「この通りを真っ直ぐ進むと大広間に出ます。幸い早い時間なので人通りは少ないですが、もう少しするとかなりの人混みになります。そうなる前に移動しましょう」
「分かりました。……しかし、この大通りは建物で視線が遮られていますね、先が見通せません」
「ええ。それも都市防衛の役割を果たすとか。この南大通りはかなり蛇行していますし、脇道も無いんですよ」
ピアンタの言う通り、建築物の隙間はどこも建物と同じ石材で塞がれていて扉すら付いていなかった。
また、大通り左右の建物は殆どが六階建ての高層建築で、一階部分はどれも店舗になっていた。
「しかし、この建物の向こうに住居は広がっているんでしょう? この通りの商店に来る為に大回りしないといけないのなら不便なのではないですか?」
「実は住人しか知らない秘密の通り道があるんです。――まあ分かり難いだけで建物を通り抜け出来るだけですけどね」
良く観察すれば、店舗脇の扉で人の出入りの多いものが見受けられた。てっきり住人の為の上階への扉だと思われたが違うものもあるようだ。或いは向こう側はこちらと違う造りなのかも知れないと思ったメラグラーナだった。
「良く見れば、ドアノブや取っ手がない扉もありますね」
「それは分かり易くした一方通行の扉です。狭い通路が向こうまで続いているか、逆に通り抜けは出来なくて上の住人しか使わないといった物が多いですが、扉の前は事故も起こりやすいので、その対策でもありますね」
殆どの店舗が未だ開店前だったので、そちらに気を取られる事もなく二人は大通りを抜けて円形の大広場に出た。
広場の中央には見上げるほど巨大な黒曜石と大理石を組み合わせて出来た四角柱の記念塔がそびえ立っていた。
「あの記念塔は見事ですね。柱の先端の人物が初代のミラーレ公だと言うのは分かるのですが、柱の中央付近にある像は誰を模ったものなんでしょう? 見た感じ、どれも違う人物のようですが」
メラグラーナの指摘通り、南面には、剣を突き立て立ち塞がる騎士の大理石像が、丁度二人を見下ろすように配置されている。
こちら側からは側面しか見えないが、ピアンタの記憶では、左手、西側には同じく大理石で出来た商人風の男の石像が。
東側には杖を掲げた魔法使いの女性がこちらは黒曜石で。
そして、ここからでは見えないが、北側、つまりガイエンフォール城を正面から見つめ手を組み祈りを捧げる女性が、同じく黒曜石で模られていた。
「すいません。ミラーレを象徴した四方を守護する像だと云うのは聞いていましたが、具体的にどなたをモデルにされたのかまでは……」
「そうですか。しかし今夜の夜会での話題にはなりそうです。……それまで覚えていたらですが」
「ふふっ、その時はモデルがどんな人物だったか教えて下さいね」
「ええ、分かりました。――そして、ようやく商会長ピアンタの笑顔を見れました。昨日から張り詰めた表情ばかりだったので、少し心配だったのです」
ピアンタは思わず顔の表情を確かめるように頬を揉んだ。
「そんな顔をしていましたか?」
「ええ。でも、ミラーレ市街に近付くにつれて、何と言うか緊張が解けて肩の力が抜けていくのを感じました。……きっとココには良い思い出ばかりなんでしょうね」
言われて改めて考えて見る。――勉強ばかりで最後は慌しく故郷に帰省したが、確かにミラーレでの日々はどれも充実した時間だった。
「……そう、かも知れません。こんな時に不謹慎とは思いますが、不思議と落ち着いている自分を感じます」
「それで言いと思いますよ。それで次はどちらに向かえば良いんでしょうか。このまま広間を抜けて真っ直ぐですか?」
「いえ、そちらは行き止まりの小広間に出る道です。左の通りを西に向かって進むと、目的地に自然と着きますよ。……それで、あの」
何か言いたそうな言葉を遮って、メラグラーナはピアンタを促し先に歩き出した。
「さあ、一刻も早く隊商員ノーチェを探索する手筈を整えなければ。急ぎますよ、ピアンタ」
「ちょっと待ってください! って、えっ!? 今、私の名前……」
「何か言いましたか? 商会長ピアンタ」
「……いえ。そうですね、急ぎましょう」
ミラーレ学院に続く西の大通りを進んで行くと、第二城壁の半分程の高さの壁が見えてきた。
「あの壁の向こう側がミラーレ学院とミラーレ商業協会の敷地になります。これと同じ物が北側の市街地にもあって、第二城壁内を北と南に二重に分断しています。東側も同じですね」
「東側には何があるんですか?」
「東は大型輓獣も乗り入れ出来ますから、石材、木材といった建材や麦などの食料まで、様々な物の搬入搬出口になっています。その為、資材置き場や後は倉庫街になっていますね。ミラーレでは、東に倉庫を構える事が一流の商人の証のようになっています」
「では、ここでは何処に店舗を構えるのが一流になるのでしょう? 先程の南門の大通りですか?」
ふと気になってピアンタに聞いてみた。
「ああ。それは決まっています。っと、もう入り口ですね。この話は後ほど」
そう言うとピアンタは、門の脇に立っている守衛に話し掛けようとしたが、先にあちらから話し掛けられた。
「おおっ。やはりピアンタさんじゃないですか。売買契約許可免許を取得された後は、本国に帰ったと窺いましたが、今回の隊商に同行されていたのですね」
「え、ええ、そうです。こんにちは」
名前までは知らないが、見覚えのある顔が親しく話し掛けてきた。少し戸惑ったものの、友好的でこちらの事を知っているのなら話も通り易いだろう。
「――それで、本日はどのような御用件でこちらへ?」
「ええ。実は急な事で申し訳ないのですが、急ぎアルヴァー先生と面会したいのです。取り次いで貰えませんか?」
「アルヴァー講師ですか?」
守衛が、門の脇に併設されている守衛所の中に待機していた人物に目配せすると、その守衛は頷き教員宿舎の方へ早足で向かって行った。
「私は専ら内勤なので駆り出されませんでしたが、魔獣騒ぎでそちらも大変でしょう」
「そうですね……」
その後、返事を待つ間、雑談を交えつつ、最近のミラーレの様子を聞きだし、自分の現状を少し話していると、先程の守衛が一人の人物を伴って戻ってくるのが見えた。
その人物は、ピアンタの望んだアルヴァーではなかったが、鮮やかな赤毛の持ち主で、本人は小柄ながらそれが遠目からでも非常に目立っており目の離せない存在だった。
一見、妖精種のように見えるものの、赤毛以外は人間種のものだったので、混血種なのだろうとしか分からなかった。
ただ、ピアンタの見立てでは、混血によく見られる内在魔力の濁りのような混在が感じられないばかりか、魔法使いかそれ以上の魔力を内に秘めているのが感じ取れた。
だとすれば珍しい事だが、かつての妖精種の血が顕現した、先祖返りという現象なのではないかと考えた。
そんな不躾とも取れる視線に晒されながらも、無邪気とも云える笑顔で、その人物は挨拶した。
「初めまして。アルヴァー先生の元で勉強しているトート・モレン・カンバーと言います。気軽にトトと呼んで下さい」
見た目通りな幼い声色と違い、非常に洗礼された宮廷式の礼を執ると、守衛に礼を言い、ピアンタとメラグラーナの二人を中に招き入れた。
改めて、お互いに挨拶を交わすと、ピアンタが早速、用件を切り出した。
「お呼び立てして申し訳ありません。実は先生にぜひ協力して欲しい事があるのですが、お時間の都合は付くでしょうか?」
その答えはピアンタにとって好ましい物ではなかった。
「すいません。実は先生は昨日から森へ入っていて、まだ帰って来てないんです」
「えっ!? 先生も森に入られてお帰りになっていないんですか?」
「先生も、という事は別の何方かが森へ入って行方不明なんですか?」
ピアンタは、ニセの商人と護衛が自分の商会員を誘拐したかも知れない事。
森林の奥に潜んでいる可能性が高いが誘拐犯が魔獣に遭遇した場合、見捨てられる可能性が高い事。
先生が森林の調査を計画されていた事を思い出し協力を仰ぎたく朝から訪問した事など、これまでの経緯を掻い摘んで説明した。
トトは顎に手を当て一瞬考え込むような仕草を見せたが、直ぐに結論に達したらしく、こんな提案をしてきた。
「これから傭兵組合に行くんですが、一緒にどうでしょう?」
「それは、先生を探す探索者を雇うという事でしょうか?」
「だが、我々の隊商の護衛と都市の防衛を考えると人手は足りないのではないですか?」
二人は外縁部の様子から、そこに暮らす人々はそれ程、危機感を持っていないのではないのかと感じていた。
しかし、だからといって未踏の地を探索出来るような優秀な人材が、今、確保出来るかは疑問だった。
その疑問はトトの言葉で氷解したが。
「実は魔獣の情報を知ったのは先生が出かけた後だったんです。慌てて追いかけたんですが、もう森に入ってしまっていて。それで念の為、探索者の方に連絡を取っておいたんです。一日経って戻って来ないようなら探索してくれる手筈になってます」
「あの森に入る依頼を受ける方が居たのですね。……その探索者は、私の商会員も探してくれるでしょうか?」」
「追加の報酬次第でしょうか? 探索者としては、まだ若手ですが事前に森の奥を調査して頂いた方々ですし実力は保障しますよ」
「ミラーレの住人は、あの森の奥には足を踏み入れないと聞いていたんですが、例外もあるんですね」
メラグラーナの言葉にトトは頷いた。
「事前の実地調査では、いつもお世話になってます。――あっ、そろそろ約束の時間ですね」
校内向けらしい鐘の音が響くとトトは視線を向けてきた。
「分かりました。御好意に甘えて御一緒させて頂きます、トトさん」
「はい。それじゃあ早速移動しましょう。――ここからだと教員用の出入り口が近いかな?」
二人はトトに先導されて学院の敷地内を壁沿いに移動した。
学舎らしい建物に遮られていたが、奥には商業協会の会館らしい豪奢な建造物が僅かに見えた。
程なく第二城壁とは年季が違う城壁に行き着いた。
「これは第一城壁ですよね? という事は、この先の第一市街地を通って行くんでしょうか?」
「はい。ここを通った方が近道なので」
トトは気軽に答えたが、メラグラーナの聞いた限りでは、ミラーレの住人でも気軽には立ち入る事が出来ない高級住宅地になっているという話だった筈だ。
「そういえば、メラグナは何処に店舗を構えるのが一流の商人か聞いていましたよね」
「え? ええ」
「今から向かう第一市街地。特に大通りに店を構えるのが一流の商人の証ですよ」
そう言って、壁の向こうに視線を向けるピアンタだった。





