第36話「新たな疑惑とミラーレ外縁事情」
ミラーレ観光案内猫妖精ピアンタ。
早朝、ピアンタはガルデーニャを伴って隊商の天幕を訪れていた。
驚いた事に早い時間の訪問にも関わらず、既にメラグラーナが天幕の入り口に近衛兵の略装で待機していた。
ピアンタとメラグラーナがお互いに礼を執ると、それを寝ぼけ眼で見ていたガルデーニャも慌てて礼を執った。
メラグラーナが僅かに眼を細めると、ガルデーニャは素早く直立不動の姿勢を取り真面目さを装った。
その様子に呆れつつもメラグラーナは労いの声を掛けた。
「急な護衛任務ご苦労、ガルデーニャ。ですが……」
そこで言葉を切ると、ガルデーニャをじろりと睨んだ。
「仮にも商談に赴く事もある商人の護衛が、旅装束のままでは猫妖精の国の護衛としての示しがつきません。商会長ピアンタの護衛任務は此方で引継ぎますから、貴方は入浴し第二略装に着替えなさい。今すぐにです」
「はい。隊長!」
ガルデーニャは飛び跳ねるように敬礼すると一瞬で視界から消えていった。
「……おはよう御座います、護衛隊長。お待たせしてしまいましたか?」
先程のやり取りは見なかった事にしてピアンタはメラグラーナに話し掛けた。
「おはよう御座います。私の事はメラグナと呼んで頂いて構いませんよ、商会長ピアンタ」
「分かりましたメラグナ。では、私もピアンタとだけ。……何かお話があるのでしょうか?」
早朝から直接、護衛隊長から出迎えを受ける意味が分からなかったので正直に聞くと意外な答えが返ってきた。
「いえ。本日の商会長ピアンタの護衛は私が勤めさせて頂きます」
「!? ミラーレ公との謁見には参加しないのですか? てっきり、その為の略装だと思っていましたが……」
猫妖精の国の近衛兵の略装は、緑を基本色として白のフレアに黒い縁取りがアクセントとなっている。
この略装に紋章付きマントや胸当て、帽子などが加わると儀仗近衛兵の礼装になる。
その為、略装とはいえ商人を護衛するには格が高過ぎる筈だ。それに隊商長の次に地位の高い護衛隊長が式典に参加しないのもおかしいと感じ、ピアンタはその事を質問してみた。
「ああ、こちらは予備なので問題ありませんよ。それにこの略装が近衛兵の物だと分かる者は猫妖精以外には居ません。しかし『猫の口に戸は立てられぬ』とも言います。商人達の話題のネタ位なら提供しても構わないでしょう」
その商人達の話題のネタになるのはピアンタもなのだが、目立つ事に意味があると考えているのだろう、静かに聞き手に回る。
「式典の方はキアシュ卿にお願いしてあります。今回はあちらが正式な護衛隊長ですから。勿論、カロージャの顔を立てるという意味もありますが、例の件はまだ公に出来ないので」
王女殿下来訪はまだ表向き秘密のようだ。目ざとい商人なら気付くかも知れないが。
「謁見は遠慮しましたが夜会には出席する予定です。今回の件が無ければ商会長ピアンタも呼ばれて居ましたよ」
「……それは初耳ですが」
ガイエンフォール城の大ホールで開催されたものなら留学時に一度だけ参加した事があるが、あれは商業協会主催の懇親会のようなものだった。
ピアンタにはミラーレ公主催の夜会に招待されるような心当たりは無かった。
「自覚が無いようですが、貴方は猫の玩具隊商を立ち上げたイリス隊長、唯一の忘れ形見です。ミラーレではイリス・カタルティロイの名はあまり知られていないようなので、隊商長が貴方を推薦したのです」
成程、あの隊商長が関わっていればありそうな話だとピアンタは思った。
だが同時に、ここミラーレで位は母の名を出さないで欲しいとも思っていた。
「それでノーチェが見つかるのならば幾らでも参加しますが……。ともかく、そろそろ開門の時間です。続きは歩きながらという事で」
「では、身辺警護は任せて下さい。ですが私はミラーレは初めてですので先導はお任せします」
「分かりました。まずは南門を通り市街地西部にあるミラーレ学院の敷地内にある教員用の宿舎に向かいます」
二人は連れ立って宿営地を抜け街道に出ると、まずは南門を目指した。
「所で何方を訪ねるのでしょう? 教員か商業協会の関係者でしょうか」
「そういえば、お話していませんでしたね。今のミラーレ学院には中央からアルヴァー先生がいらっしゃっています。私が在籍中に森林地帯の調査を計画されていましたから、協力を仰げれば捜索も捗ると思うのです」
「私でも、その名は知っています。確か長命種のエルフで、何でも200~300年前から中央院に在籍しているとか。……もうご老体なのでしょうか?」
「驚く事に、まだお若い容姿ですよ。おそらく調査もご自分で行なうでしょう」
野営地を離れると僅かの間、周囲から人の気配が消えた。そのタイミングを見計らった様にメラグラーナが囁いた。
「……昨日の好戦派の話ですが」
「はい?」
ピアンタはメラグラーナの様子を窺ったが、本人は視線を合わせる事なく前を見続けていた。なので此方もそれに倣う事にした。
「カロージャの好戦派と平原猫の一部権力者との間に接触があるようです。イリス隊長がお隠れになった今、我々は平原猫の忠誠を疑わざるを得ない状況になりました」
「っ!?」
思わず声を上げそうになって慌てて飲み込んだ。
ただ、カロージャの好戦派と平原猫に繋がりが出来たとして、それが今の猫妖精の国やカロージャ王国を揺るがすとは思えない。
一方で昨日、反対派の話題が出た時のブライン卿の大げさな反応の意味も理解した。
国家騎士のキアシュ卿と隊商長ランダは、どちら側にしろ盛大な腹の探り合いをしていた訳だ。
ピアンタは殊更に声を潜め、その事を問いただした。
「キアシュ卿を含めカロージャ側は此方の要請を受ける形で派遣されています。人選にも問題ない筈です。――問題は隊商長ですが……」
少し言葉を濁してメラグラーナは答えた。
「ランダは私同様、再編された猫の玩具隊商からの隊商員ですが、それ以前の草原を巡っていた時代からイリス隊長とは面識があったようです」
「それは知りませんでした」
「彼の一族が、カロージャの好戦派と接触を持った所までは分かっていますが、ランダの猫の玩具隊商とそれを率いたイリス隊長への執着も本物です。隊商の存続や自分の立場を危うくする様な行動は取らないと思いたいのですが……」
「母への執着ですか? ――私は母ではないのですが」
結局、隊商長への疑惑が露呈しただけだったが、彼の言葉を信じるなら、ノーチェの件に積極的に関与しているとも思えなかった。
考える事が多すぎる。ピアンタはそう思わずにはいられなかった。
犯人探しは後回しにして、ノーチェ捜索に全力を尽くすべきだと考え捜索の進捗状況を尋ねた。
「どちらの足取りも掴めないというのが現状です。逆に言えばやはり森林地帯から出ていないという結論になってしまいますが」
この森林地帯は興味深い事に境界線がはっきりしている。それは人が手を加えた事によるもので、初期は木材や薪などの為に伐採されていたが、ある時期から伐採は禁止され、替わりに針葉樹などの成長の早い樹木の植林が開始された。
これは時代が移った帝国への街道整備時にも行なわれ、従来の森林地帯の周囲に薄く人の手の入った施業地帯が覆い、それを避けるように東へ向かう街道が続くという奇妙な地形が生まれた。
そこに至った経緯は良く分かっていないが、結果としてミラーレの需要を賄う施業は今でも継続され、森林地帯と広大な平原地帯とを物理的に遮断していた。
その為、人の手で管理された森から出ると非常に人目に付き易く、かといって森の浅い部分に潜めば何らかの痕跡が発見される事になる。
結果、本格的に森深く探索する手段を探る必要があった。
「昨夜もミラーレ側と情報交換しましたが、そもそも魔獣が森林地帯に生息しているのかも不明なのだそうです。林業組合によると、少なくとも今まで奥地から魔獣が出てきた事や作業中の目撃情報すらないようなのです」
「……不思議としか言いようがないですね」
「ええ。本来は魔獣の棲家ですからね。或いは、もっと山岳地帯よりが生息域という事も考えられますが」
一口に魔獣と言っても様々な種類が居るが、特に森林では生息数が多い。しかし、ここミラーレではその常識は通用しない。
だが、それ故に人々はこの森に足を踏み入れるのを躊躇うのだった。
右手に植林された森を望みながら進むとミラーレ第二城塞南門に近付いてきた。
ミラーレは城壁外部にも居住地が野放図に広がっているが、安全確保の為、街道から1トール(約50m)までは厳しく建物の建築が規制されていた。
メラグラーナが視線を向けると、居住地の端で屋台などの露天商が軒を連ねて人々が集まっているのが見えた。
「あそこは朝から随分と賑わっていますね」
「ああ、あれはゴブリン市ですよ。市が立つのは不定期らしいですが、隊商滞在中は何時もあんな感じらしいですね」
「ゴブリン市? らしいと言う事は商会長ピアンタ自身は行った事がないのですか?」
「――ピアンタだけで構わないのですが。……ええ。正直、闇市の側面もあるので地元市民でも慣れていない人は近付きませんが、盗難された品が並べられる事もあるので、無くしたと思っていた物が見つかる事もあるようですよ」
「……それはまた」
「他にも真贋不明の品が多いようですが、――ほら」
その言葉と共にピアンタが指差した先を注視すると、フードを被っているが、明らかに猫妖精の商人とその護衛らしき人物が人混みに混じっていた。
「目利きに自信がある商人は掘り出し物を求めて足を運ぶようです。ただ滞在期間の限られている猫妖精はカモにされる事も多いとか」
ゴブリンは悪い妖精と云う意味の悪口だ。言葉通りの光景があの場所では行なわれているらしい。
「商会長ピアンタは魔道具の鑑定なら得意ではないんですか?」
ピアンタが何時も掛けている片眼鏡は、魔力の流れを観る事が出来ると云われている。ならば、魔道具の真贋が簡単に確かめられるとメラグラーナ考えたが、世の中はそれほど甘くはないようだ。
「……確かに魔力の流れは観えますが、それだけで本当の魔道具の劣化具合が分かる訳ではないので。やはり専門的な知識がないと厳しいですね」
多少、言葉を濁したもののピアンタの答えは魔道具の目利きの難しさを語るものだった。
そのような事を話しながら門を目指していると、体格の良い人々が、街道の左右に屯する光景が目に留まった。
「彼らはなんでしょう?」
南門城塞の近くに目立つように待機している為、物取りの類ではないだろうが、メラグラーナは不審に思い質問した。
「東西南北に四つある第二城塞は平和な時代になってから建造されたものですが、かといって城塞本来の機能を放棄している訳ではないのです」
そう言って前を向いたピアンタの視線を追うと、威圧感を増した南門城塞が迫って来ていた。
南門城塞は高さが2ミール(約10m)以上はあるアーチ状の通路があり、奥に非常に大きな門扉が見えたが、今は開放されておらず固く閉ざされていた。
ただ、人々の流れを見ると普段からアーチ途中の通路から出入りしているようで、開放される事は稀なのだろうと思われた。
この光景を見ても彼らとの関連が理解出来ず首を捻っていると、ピアンタが足下を見てこう答えた。
「ここは急な上り坂になっているでしょう? しかし安全の為に城門への大型輓獣での乗り入れは禁止されているのです。そのせいか通常の輓獣に引かせて、途中で立ち往生したり、大荷物で動けなくなる事が多いのです。彼らはそんな人達が雇う臨時の人足ですね」
「――成程。しかし彼らは、壁の外の住人ではないのですか? ……その盗難など問題が起こったりはしないんですか?」
「確かに外縁部は治安の良くない地域があるのも事実ですが、人口の増加で第二市街の地価が上がって来ているので、あえて城壁の外に住む人も居るんですよ。特に駆け出しの傭兵には多いようです」
ピアンタは視線を移すとメラグラーナの疑問に答えた。
「ほら、彼らの中にも傭兵組合の身分章を腰のベルトに付けている人が多いでしょう?」
「――本当ですね」
「傭兵になったからといって、すぐに仕事が回ってくる訳ではないので、ああして日銭を稼いだり、商人達に顔を売り込んでいるんですよ」
「平和な時代ならではですね」
坂を登り、南門通行の列に並ぶと程なく順番が来た。
普段、隊商にはあまり同行する事のない山猫の身長に驚かれはしたが、事前に用意されていた通行許可証を提示すると態度が一変。煩雑な手続きなどを一切無視して通行が許可された。
「あんな隊商長でも役に立ちますね」
ランダの悪口を言い合いながら薄暗い通路を進み、外へ出ると眩しさから一瞬立ち止まる。眼がなれてくると、目の前には美しい町並みの大通りが広がっていた。
「ただいまミラーレ」
ピアンタは小さく呟いた。
施業 = 林業における森林の管理や経営などの事。
ゴブリン市 = 妖精ではなく人間が市を立てているが、ゴブリン・マーケット本来の意味が名前の由来らしい。





