第35話「ブルーオ・ガルデーニャ」
ピアンタがイリス商会の馬車引き住居に戻ると、年長で補佐役のセーナペが真っ先に出迎えてくれた。
「お帰りなさい商会長。ノーチェの件どうなりました?」
「ただいま戻りました。予定を変更して、朝一でミラーレ学院の宿舎に向かいます。あと此方に護衛が派遣されているという話ですが……」
ピアンタの言葉に、セーナペは隊商との交渉は空振りだったと感じたが、あえて聞き返す事はしなかった。
「護衛の方なら、あちらに……」
「何か不味そうな夕食っスね。あのイリス商会の食事だから期待したんスけど、折角ミラーレに着いたのに何が悲しくて何処も保存食なんて食ってるんスかね?」
「そう思うならつまみ食いしようとしないでぇ!」
「ちょっとくらい良いじゃないっスか~。って、うわっマズ! このねっちょりした感じが最悪っスね」
「……いらっしゃるようですよ」
流石に商会の従業員としての経験が長いセーナペでも笑顔が引きつっていた。
今日の夕食はアチェロが作っているらしい。確かに彼女の料理の腕はイマイチだし、残りの保存食で美味しい食事を作るのはノーチェでも難しいが……。
ピアンタは護衛なら護衛隊長であるメラグラーナの領分なのだろうが、隊商長に呪詛を吐きたい気持ちになった。
「「おかえりにゃ~ピアンタ。あの無法者をにゃんとかするにゃん!」」
双子のメーラ、メーロが指差す先を見たくない気持ちもあったが、無視する訳にもいかない。
ピアンタが近付くと相手は視線をこちらに向けると悪意のなさそうな笑顔を見せた。
「隊長からの指示で護衛を任される事になったガルデーニャっス。皆からはガルって呼ばれてますけど、正直可愛くないっスよね? 何で山猫は古臭い名前に拘るんっスかね? 自分も町猫みたいな可愛い名前が良かったっスのに」
「……イリス商会のピアンタです。護衛任務ご苦労さまです」
ピアンタは出来るだけ丁寧に商人式の礼を執った。
「そんな堅苦しくなくて平気っスよ。自分そういうの苦手なんっスよ。隊長の居ない所では寛ぎたいんっスよ~」
どうやら此方がことさら丁寧に接する事での遠まわしな抗議は理解されなかったようだ。
ピアンタは小さく溜め息を吐いた。
「お疲れっスか? まあ隊商長は何かキモいっスからね~。……それにココだけの話」
ガルデーニャは声を潜めた。
「たま~に、イリス商会の馬車引きの近くに行ったり、ピアンタ商会長が居れば眼で追ってる事があるんっスよ。あれは隊商長じゃなかったら不審者の付き纏いで護衛に連行されてるっスね」
「…………」
ランダ隊商長と対面した時の悪寒の正体はそれだったのかとピアンタは思った。
ガルデーニャの言葉で今も悪寒を感じてはいるが……。
「良いっスよね~、ピアンタ商会長の毛並みは真っ白で。小さな真珠とか可愛い渾名付いてるのも羨ましいっス。自分なんて騒音っスよ騒音。それってただの悪口じゃないっスか!」
その渾名の意味を今まさにイリス商会の全員が感じている所だ。
ガルデーニャの毛並みや柄も十分美しいと思うピアンタだったが、山猫名を持つにしては、体型がやや小柄で逆に耳は大きく長く伸びていた。おそらくは平原猫の血が入っているのだろうが……しかし、それとは別に気になる点があった。
「しかし、オッド・アイは戦士向きじゃないっスけど、男性受けは良いっスよね~。隊商長は何か虹彩異色の神秘性とかキモい事言ってたっスけど」
「――あの……」
「あっ、夕食貰っちゃって良いっスかね? 正直、急にこっちに来る事になって夕食まだなんスよ。あ~あ、抜け出して屋台で買い食いの計画がぁ……。知ってるっスか? ミラーレの屋台の連中、魔獣が出るからって早めに切り上げるなんて言うんスよ」
ピアンタはガルデーニャを見つめたまま無言でセーナペの前へ手を差し出した。
意図に気付いたセーナペは懐から慌てて硬貨袋を取り出すと、ピアンタの掌に数枚の大銅貨を乗せた。
「此方も急なお話でしたので護衛様の夕食の準備が整っておりません。ですので宜しければ此方をお持ちになって屋台で何かお召し上がりになっては如何でしょうか?」
ガルデーニャは一瞬、大銅貨に手を伸ばしかけたが寸での所で思いとどまった。
「いやいや駄目っス。これでも一応、護衛任務中なんスから、この場を離れる訳には行かないっスよ」
案外、護衛としては誠実なのだろうかと思いながらも、ピアンタはわざとらしく周囲を見回して答えた。
「今は夕食時で慌しいですが、この周囲には多くの目も御座います。護衛様が多少席を外されても問題ありませんよ?」
「いやでもっス。任務をサボったと知られたら隊長にどんなお仕置きを受けるか分からないっス」
「では、こうしましょう。私共の従業員の一人を屋台へ買い出しに向かわせます。護衛様には、その護衛をお願いしたいのです。――これなら問題ありませんでしょう?」
途端にガルデーニャの瞳が輝き出し手を差し出した。
ピアンタはその手を取り、そっと大銅貨を握らせると、アチェロに視線を移した。
アチェロは懇願するような瞳を向けてきたが、ピアンタが「ではアチェロ。夕食の買い出しをお願いします」と言うと、途端に絶望した顔になった。
他の面々はアチェロに同情しつつも、ホッとした表情を隠し切れなかった。
「アチェロ。何事も商売の勉強になります。出来るだけゆっくり屋台を巡って将来の糧として下さい」
「ピアンタ商会長~……。これも試練だと思って諦めますけど、後で甘い物を用意しないと恨みますよぅ~」
「商人になるって云うのも案外大変なんっスね。あっ聞いてっス。隊長ったら酷いんスから―――……」
騒がしさが遠ざかっていくとピアンタは改めて一息ついた。
その後、セーナペと明日の事を軽く打合わせをすると入浴するように促された。
「先程の呼び出しには間に合いませんでしたが、長旅の埃も落とさずに面会されるのは、お相手の方にも失礼にあたります」
入浴の必要性は感じているが、どうにも気乗りしないのが顔に出ていたのか、セーナペが気を利かせてくれた。
「とっておきの魔香油使っても良いですから、冷めないうちに身綺麗にして下さい」
「それなら入ります」
早速、馬車引き住居の中に設置されている小さな浴室に向かうと、お気に入りの魔香油を入れ掻き混ぜる。ピアンタは、この湯に溶ける魔力の流れを見るのが好きだった。
熱めの湯に浸かると、体毛が揺らぎ体が湯と一体化したような感覚になる。
瞳を閉じ、暫し全てを忘れてその感覚に身を委ねる。
すると思考が高速回転を始め、冷静な第ニのピアンタが顔を覗かせる。
そのピアンタは囁く。
『ガルデーニャは騒がしいけれど、あれなら犯人は下手に手出し出来ない。退けた今なら絶好の機会だけど、あの隊商長の事だから、他にも護衛を付けてる筈……』
「私は護衛対象でもあり、おとりでもある……ノーチェが誘拐されたのなら、相手から何かしらの要求が私に直接あると考えた?」
『なら生きている可能性はあるけど、相手がまだ森に潜んでいるなら魔獣に遭遇したら見捨てられる可能性もある』
その後とりとめもない考えが浮かんでは消えていく中、外が騒がしくなった事で、ガルデーニャとアチェロが帰ってきた事を知らせてきた。
「――とにかく急がないと。明日、上手く協力が取り付けられるといいのだけど……」
こうしてミラーレに到着した初日は過ぎて行った。





