第33話「大商人イリス・カタルティロイ」
イリスは、猫妖精の国では知らない者は居ないとされる程の猫妖精だ。
夫亡き後、商会を継いだイリスは持ち前の商才を開花させ、瞬く間に王室御用達の商人となった。
御用商人となったイリスは、王室行事に呼ばれるようになると、美しい所作と、真珠のような毛並みから、やがて陸の真珠と称えられるようになる。
商会は順調に事業を拡大していき、大商人となったイリスは、ある時、女王陛下より、平原猫への対応を相談される。
絶対王政を敷き、都市国家を成立させていた猫妖精の国では、遊牧的な暮らしを続け、国家への帰属意識が低い平原猫が、しばしば問題を起こしていた為だ。
平原猫は、猫妖精の中では最も混血が進んだ種族とされ、中には妖精種ではない猫獣人の血を受け継ぐ者も居るとされていた。
その為か、個体差はあるものの、山猫程ではないが、高い身体能力を有していて、小柄で都会暮らしの長い町猫では、手に余る存在だった。
相談を受けたイリスは、当時、最強と謳われた山猫の剣士を勧誘。許可を得て、山猫の兵士を借り受けると武装隊商を結成した。
その隊商こそが、猫の玩具隊商の前身であり、今の猫妖精の隊商全ての基礎となった、始まりの国営隊商だった。
カタルティロイ・イリスと呼ばれるようになった彼女は、猫妖精の国の草原地帯を巡り、平原猫達と交流を深めていく。
最初こそ、殲滅隊商と揶揄されていたが、武力に拠らず対話によって物事を進めて行く姿勢が平原猫の有力者達の支持を得た辺りで風向きが変わった。
町猫との交流も増えるに伴い、平原猫達も隊商を組み商人として交易を始めると、やがて草原地帯に秩序が生まれ、それが更なる交流を促すに至ると、平原猫の有力者達は代表を送り出し国王陛下の拝謁を賜った。
国王陛下は、その場にて国営の隊商の設立を宣言し、隊商の運営への参加を平原猫の有力者達に指示。
この宣言により事実上、平原猫達も国王の傘下に入る事に同意したとされ、新たな猫妖精の国の歴史が幕を開けた。
イリスは、この功績により、カタルティロイの姓を与えられ、陸の真珠イリス・カタルティロイと称されるようになる。
そして、兼ねてより計画されていた、新たな交易先として中央連邦の交易都市ミラーレとの貿易協定締結を目指し、再編された猫の玩具隊商の隊商長として、交易路の開拓を指揮していく事になった。
帝国を跨ぐ行程は大変な困難が予想されたが、魔道具取引量の多いミラーレとの交渉が成立すれば、猫妖精の国に更なる発展をもたらすと期待されていた。
人間国家との交渉は当初、難航したが、隣接するカロージャ王国との護衛契約の交渉中、傭兵組合経由で周辺国より傭兵を雇う案にヒントを得て、各領地の傭兵組合に領地通過時には護衛任務を依頼するという提案が成されると、状況は一変。
各傭兵組合が協力的になった事で、領主への話が通り易くなり、結果として商業協会の協力も取り付け易くなった。
この提案は、一時的とはいえ長期的な防衛力の低下を懸念したカロージャ王国側の事情とも合致し、多少、調整は難航したものの、最終的には二割ほどの護衛を逐次入れ替えるという契約が交わされた。
――全てが順調に運ぶと思われた矢先の事だった。
イリス率いる猫の玩具隊商は、運悪く魔獣の群れと遭遇。これを辛うじて撃退するも、武装隊商時代からの護衛を含む多くの仲間を失った。
その中には、イリスが長年に渡り最も信頼していた、最強の剣士も含まれており、イリスは志半ばで、自ら隊商長の座を退いて帰国した。
晩年は、復帰を望まれながらも表舞台に出る事は決してなく、失意の内に亡くなったとされている。
その陸の真珠の一粒種が、小さな真珠とも呼ばれているピアンタだ。
ランダは、ピアンタに関しては優秀なイリスの娘という認識しかない。
勿論、国費でミラーレ学院に入学し、売買契約許可免許を若くして取得したという話は聞いていた。
イリス商会で下積みを積んだとは思うが、隊商員としての経験は、また別の話なので、イリス商会として隊商の一員に参加したのには少々驚いたが、母の意思を引き継ぐものだと勝手に思い込んでいた。
「ピアンタ、君にはピアンタ・カタルティロイになる事を期待しているのだがね」
ランダの言葉に、ピアンタの瞳に感情の色が戻ると、その口から静かな声が漏れ出た。
「……ランダ・カタルティロイのご期待には添えそうにありません」
「隊商長ではあるが、カタルティロイ・ランダだ。そこは間違えないで欲しい」
その言葉に多少、驚きはしたものの、幾分、冷静さを取り戻したピアンタは、当初の目的を思い出し交渉に臨む体勢を整えた。
「単刀直入に言います隊商長。ノーチェの捜索にどれ程の人員を割いて下さいますか?」
ランダは、ブライン卿に視線を送ると、事前に打ち合わせは済んでいたのだろう淀みない返答が返ってきた。
「現在、こちらの使節がガイエンフォール城に入城し調整中です。また、先行させていた斥候隊の一部を、主要街道及びミラーレ外縁部の居住地にて情報収集に当たらせています。門の内側、市街地に関しては、現在、通行制限中に付き、通行者の照会のみ申告しています。これは南門を含めた全てです」
そこで、ブライン卿は一旦話を止めると視線を僅かに上に向け、改めてピアンタに向き直った。
「残念ながら現在の状況では、行方不明者捜索にそれ程の人員は割けません。それはミラーレ側も同様でしょう」
「……魔獣ですか?」
「はい。国境を越える際ミラーレ側の護衛からも改めて報告がありましたが、魔獣の目撃情報がミラーレ周辺でここ数日頻発しています。帝国側の傭兵組合には護衛任務の延長を打診しましたが、協議待ちの状態です。――結論には数日掛かるでしょう」
帝国で最もミラーレに近い都市インデニア。
商業組合は、ミラーレ商業協会所属で、帝国と中央連邦との交易を担う重要な拠点となっている。
通常であれば護衛任務での越境に問題はないが、多人数で三十日近くも、かつての敵国に滞在するとなると、事前調整なしは現在でも不可能だった。
「……森林地帯の捜索を何故途中で打ち切ったのですか?」
「魔獣が彷徨く地の利がない場所での捜索の危険性と、隊商の安全を最大限配慮した結果だよ。それに、ミラーレに留学していたなら分かると思うが、あそこは元々帝国との緩衝地帯として進入を制限されている場所だ。まずはミラーレ公に話を通す必要がある」
「それは何時頃になりますか?」
その問いにはブライン卿が答えた。
「我々が入城するのが、明朝、朝7刻(午前9時半)になります。早ければ、その時に探索の許可が下りるでしょう。しかし、ミラーレ傭兵組合との調整には時間が――」
その会話を、今まで沈黙を貫いてきた、もう一人の護衛隊長が手を軽く上げる事で遮った。
どちらかというと痩身のブライン卿と違い、胸板は非常に厚く、二の腕は腕を上げた為激しく隆起し如何にも屈強な戦士といった雰囲気を漂わせているが、不思議な落ち着きがある人物だった。
ブライン卿は騎士式の礼を執ると半歩下がり、護衛隊長が口を開いた。
「中央連邦に入ってから隊商を離れる時は、護衛を伴う事という指示を出したのはこちらだが、それが裏目に出たな」
「やはり王女殿下の来訪絡みだと?」
傭兵組合から派遣されてきた護衛隊長の発言へのメラグラーナの返答に、ピアンタが驚いて、思わずカロージャ王国側の人間を凝視してしまった。
その様子を観察していたランダが、
「その様子だと王女から話は聞いていたようだね」
「お嬢さんの気持ちも分かるが、もう日も落ちた。今日は情報収集が精一杯だ。ああ、挨拶がまだだったな。自分はカロージャ国家騎士ハンズィ・ジャーゲン=キアシュだ」
荒々しささえ感じる風貌や口調からは想像も出来ない高位の騎士だった。
国により国家騎士の立場は少々異なるが、ピアンタの持つ知識だと、カロージャ王国では国王の委任状を任せられるか、領地を持つ騎士が国家騎士と呼ばれた筈だ。
護衛隊長を改めて見ると、大柄で色素の薄い肌は、北部人によく見られる特徴だった。
カロージャ王国は、北部よりではあるが、中部に位置する国なので、おそらく委任状を持つ前者なのだろうと思われた。
ピアンタは、護衛隊長に向き合うと、商人式の礼を執った。
「改めてご挨拶を騎士様。……何とお呼びすれば?」
「どちらでも構わんが、公式の場ではキアシュだな」
「では、キアシュ卿と」
「……まあ、お嬢さんの好きにすればいい。今回の失踪はカロージャとも無関係ではないのでな。既に打てる手は打ったが、本国ではないので無茶は出来ん。今、ミラーレとの関係悪化だけはどうしても避けねばならんのでね」
ピアンタは、周囲を見回すと改めて四人を見つめた。少人数での面会は、自分への配慮ではなく別の意味があるようだ。
ピアンタの瞳に知性の光が宿ると、その様子を見ていたキアシュ卿は思わず「ほう」と唸り、
「中々賢いお嬢さんだな」
と呟くのだった。





