第32話「イリス=ピアンタ」
天幕の中は、複数の魔力灯で照らされ、野外よりも明るく快適な空間になっていた。
ピアンタは、自分の瞳が収縮するのを感じながら、僅かに周囲を見回した。
天幕の中央には、簡素だが質の良さと頑丈さを兼ね備えた軍議用と思われる長テーブルが置かれて、足下を見れば、質の良い絨毯が敷かれている。他にも周囲には書類用の棚や複数のチェストが持ち込まれ、あまつさえ、豪華な銀皿が目立つ食器棚には、数種類の酒類の瓶が置かれているのも見て取れた。
ピアンタの視線が動き、正面の間仕切り幕の奥を見つめると、付き添いの兵士が「そのまま奥へお進みください」といって、歩哨の任に戻って行った。
その人物達は、ピアンタがゆっくりと近付くのを静かに見つめていた。
ピアンタは、幕の外側で止まると、左手を胸に当てる商人式の礼を執り挨拶した。
「イリス商会の、イリス=ピアンタです。お呼びとの事で伺いました」
その言葉に、豪華な事務机の中央に座る猫妖精が口を開いた。
「――ああ、ご苦労様。とりあえず中へ。……呼び出した件は分かっているとは思うが」
「はい、隊商長。私の商会員であるノーチェの失踪……ですね」
「私の隊商員でもある。ピアンタ、君も隊商に参加している間は、我々、猫の玩具隊商の隊商員でもあると云う事をもう少し自覚すべきだね」
隊商長の言葉に、ピアンタは、一瞬、背中の毛が逆立つのを感じた。
今、この場には、ピアンタの他には四人しかいない。……これから話される内容の為の人払いがされているようだが、残りの三人は、それぞれ、猫妖精側の護衛隊長と、傭兵組合が派遣した傭兵を統括する護衛隊長、その補佐官といった武官ばかりだ。
だが、戦闘力では劣り常に微笑を絶やさないとも云われる隊商長の事を一番警戒しているのが現状だった。
そんな警戒が相手に伝わったのだろうか? 隊商長は一瞬表情を変えると、何を考えているか分からないアルカイク・スマイルを浮かべた。
「――早速だが時間もない。本題に入ろう。……よろしく頼むよ、ブライン卿」
視線を後ろに控えていた補佐官に向けると、相手は一歩前に出て騎士式の礼を執った。
「カロージャ王国、騎士補佐官ブライン・メイラーです。――まずは現状の確認から。本日、昼3刻(午後1時半)頃、隊商が昼の休憩中、イリス商店所属のノーチェ商会員が街道を離れ森に侵入。目的は昼食用の水の採取と推定されるが、昼4刻(午後2時)になるも帰還せず。同商会員四人で捜索するも発見出来ず、その後は大規模な捜索が行なわれるも現在まで失踪中。……ここまでは良いですね?」
「それは! ……いえ、はい」
ノーチェのせいではない。と伝えようとして、言い淀んで、……焦っては駄目だと自分に言い聞かせた。
「では、続けます。同時刻には複数人の森への出入りがありましたが、この中でさらに二人失踪した人物がいます、正確には三人。森に入った同行商人の護衛二人と同行商人本人です。ノーチェ商会員を加えれば、計四人が消息不明になっています」
「っ! その人物達は今何処に!? 足取りは掴めないのですか?」
「焦る気持ちも分かるが、少し落ち着きなさい。隊商員ピアンタ」
そう声を掛けてきたのは、猫妖精の国の近衛兵を務めている護衛隊長のメラグラーナだった。女性の山猫で、国でも一二を争う実力の持ち主の彼女は、今回特別に隊商に同行していた。
「まず商人組合の組合員一人と、傭兵組合の傭兵二人の身分証は間違いなく本物でした。魔力同調でも確認済みです」
「――成程。……という事は」
「ええ、おそらく成りすましでしょう。現在、目撃者からの情報を元に人相書きを制作しています。また、彼らの素性に付いては不明です。身分証の所属は、どちらも帝国北部の辺境地域の物でした。照会にも時間が掛かります」
ここまで淀みなく語ったブライン卿は、優秀な補佐官なのだろう。
だが、肝心のノーチェの捜索や自身の扱いに関して、まだ何も発言していない事に、ピアンタは珍しく自分が苛立っているのを感じていた。
その様子に、メラグラーナは小さく溜め息を吐き出すと隊商長を促した。
「隊商長ランダ。確認手続きも大切だが、今は緊急事態です。結論を簡潔に述べるべきでしょう」
メラグラーナの意見に、隊商長ランダは耳だけを向け、視線はピアンタを見つめ続けた。
「――まあ、そうだね。では、カタルティロイ・ピアンタ。……今回、君への処分は不問とする」
隊商長ランダの言葉に、ピアンタは、思わず瞳孔が開いてしまった。
「確かに、彼らを我々の隊商に招き入れたのは君だが、最終決断をしたのは隊商運営側だ。報告では彼らはピアンタの事を知っていたとか? 君が留学していたミラーレ学院は、教育機関として帝国側でも有名だし、関係者ならば信頼も置けるが……」
ランダは、呆れたように溜め息を吐き出すと続きを語った。
「君は如何に自分が目立つ存在か自覚がないようだね。我々も定期的に此処を訪れているとはいえ、君は猫妖精で初めてミラーレ学院に入学したんだ。それにその容姿だ。話題にならない方がおかしい」
だが肝心のピアンタは、意味が分からないという様子を見せていた。
これには、後ろで控えていたメラグラーナや、発言したランダ本人さえ驚きを通り越して呆れるしかなかった。
「いいかい。君のその新雪の如き純白の毛並みは非常に目を引くし、立ち姿や仕草も非常に洗練されて美しい。特にそのオッド・アイだ。何故、何時も片眼鏡を掛けて目立たないようにしているのか。確かに、その容姿も含め魔道具もイリス女史の遺産なのだろうが……」
そこまで語った所で、ピアンタの表情が抜け落ちているのに気付いた。
そして、ランダは自身の発言の迂闊さに気付いた。おそらくピアンタには未だに彼女の母親の影が付き纏っている。自分ですらそうなのだ。彼女の母親の姿を無意識に彼女に重ね合わせていた。
陸の真珠とまで呼ばれた、偉大な大商人イリスの影を。
今更な解説「キャラバンとキャラバノなど表記の違い」
キャラバノは第一交易文字由来の発音で商業関係者が主に使っていますが、人間側の商人は普通にキャラバンと発音したりもします。猫妖精がキャラバノと統一しているのは、スラングを防ぐ意味もあり、スラングも普通に翻訳されますが、その意味も同時に相手に伝わってしまうのを避ける為です。つまり、猫妖精社会には隊商のスラングが多いのです。
アルヴァーが、混血猫妖精を混血猫妖精と発音したのは、学術用語として記憶していたから。
他、武具などは、商業系組合の取り扱いが制限されているうえに、古くからある表現を安易に変えたくないという意見が多く、文字のみ制定された経緯があります。





