第22話「料理人ノーチェ」
作品をシリーズ化して第1章の設定資料を追加しました。
そこそこ読み応えのある内容だと思いますよ?
「にゃ? 何の事かにゃ?」
お刺身という、美食の余韻に浸っているノーチェが首を傾げた。
アルヴァーは周囲を見回すと、全員に聞かせるように話し始めた。
「まず、商人組合の所属員なら殆どは商会の従業員という事になる。隊商なら尚更だろう。そして、最も手っ取り早く資金を調達するなら何か価値のある物を売却するのが確実だ。――つまり、ノーチェの所属する商会なり伝手を使って資金を調達しようと考えている」
「何かを売ってお金に換えるのは分かりました。でも、その前に、猫妖精の隊商の規模とか、その辺の事を知りたいんですけど――」
優希の疑問には、ノーチェが詳しく説明してくれた。
「にゃ! まず猫妖精の国には、国営の大きな隊商が三つあって、それぞれに持ち回りがあるのにゃ。猫の玩具隊商は交易都市ミラーレへの往復だけなのにゃ。距離があるので大変だけど、魔道具がお安く仕入れられるので人気の隊商にゃ!」
「へえ~、国営なんですね」
「隊商長を中心に、役人とか騎士やら剣士、あと大きな商会の代表代理とか、大体100人位が、お国に直接、雇われているのにゃ。それに大小の商会やらが沢山参加してるにゃ。後は、周辺の人間の国から、護衛に傭兵組合の傭兵を雇っているにゃ」
その後、少し考える様子を見せたノーチェだが、思い出すように話した。
「――確か今回は800人は参加していたはずにゃ。人間の商人を含むと1,000人は超えてるにゃ!」
かなり大規模な隊商だった。その事に驚いていると、その後をアルヴァーが引き継いだ。
「かなり変則的になるが、まずはミラーレの商会に直接、商品を売却するよりも、猫妖精の商会に卸した方が、出所をある程度は誤魔化せるうえ、おそらく売却も容易だろう」
その辺りの事情に疎い優希は、アルヴァーに詳しく聞いてみた。
「一度の取引数が多くなると組合員、つまり商人同士でないと売買が成立し難いのが現状だ。逆に数点の高額な品を売却しようとすると、こちらの信用も必要になる。何より、より上位の商業組合での扱いになる可能性がある」
「つまり、猫妖精に売るのが一番都合が良いと?」
「そうだ。ここに不足しているものは現在、三つ。こちらの通貨でもある交易通貨。つまりは資金。次に人材――」
ノーチェを一瞬見てアルヴァーは続けた。
「最初の二つは、今回の件が上手く行けば解消されるだろう。こちらの物品を猫妖精に売却して資金を稼ぐ。その元手があれば、人を雇う事も出来る。今の所は、信用や魔力濃度などの問題もあるが――」
再度、会話を止めてアルヴァーは結論を語った。
「最後は権力。――強力な後ろ盾でも良いが、最終的には、どの勢力からも影響を受けないように出来るのが望ましいと思っている」
すると、それまで大人しく食事を楽しんでいたノーチェが不思議な顔をして聞いてきた。
「にゃにゃ。さっきから良く分からない話をしているのにゃ。朝からこんなに豪華な食事が出ているのに、お金がないのかにゃ?」
今更過ぎる疑問に苦笑しつつも、優希はこれまでの事や広瀬村の成り立ちなどを説明した。ノーチェは、憎めない所もあったし、今までの言動からも自然と信頼出来る気がしたのだ。
「――にゃ~。驚きだけど、そう考えるとしっくりくる所もあるにゃ。大体、森の奥に、こんな立派なお屋敷が建っている事の方が異常だったのにゃ」
ノーチェは、驚きながらも納得げに辺りを見回していたが、急に真面目な顔になると、ゲンさんに向き直り深々と頭を下げてこう言った。
「師匠と呼ばせて貰いたいのにゃ。そして弟子として一から料理を教えて欲しいのにゃ!」
ゲンさんは渋い顔でノーチェを睨んでいた。
「猫の嬢ちゃん。……いやノーチェ。今までの話を聞いた限り、そっちの世界の食文化は正直言って、こっち側よりかなり遅れてる。農作物の品種もそうだし、流通にしても、こっちじゃ鮮度を保ったまま海を越えて来るなんて普通の事だ」
ノーチェは驚いた表情を見せたが、魚の鮮度に関して思う所があったのだろう、また真面目な表情に戻った。
「――それにだ。こっちの世界でも一流の料理人になるには長い修行が必要だ。ノーチェ。お前はさっき、一から料理を教えて欲しいと言ったが、まずは、お前自身が一にならなきゃ話にもならん。……この意味が分かるか?」
「にゃにゃ!? それは料理の腕を疑っているのかにゃ!?」
ノーチェは憤慨したようだったが、ゲンさんは冷やかな目を向けると、他の面子に視線を向けた。
意外な事に撫子が明確に答えを口にした。
「それは、ノーチェがこちら側、……ゲンさんの作るような料理を今まで食べてこなかったからだな」
「にゃ!? それはどう言う事……にゃ……――」
ゲンさんや撫子が言いたかった事に途中で気付いたらしく、みるみる声が尻すぼみになっていった。
「分かったようだな。お前さんの料理の腕は知らんが、こっち側の料理の知識が殆どない状態ってのは、ゼロ処かマイナスでのスタートになるんだ。今まで積み上げてきた己の技術すら捨てなきゃならん。――場合によってはな」
ノーチェは耳をペタリと寝かせて俯いた。
料理には一切の妥協を許さない『鬼のゲンジ』が現れている間は、優希が仲介しても無駄だろうと思えた。
だが、気落ちしていただろうノーチェは、一転、強い意思のこもった瞳で、再度「弟子にして下さいにゃ」と言って頭を下げた。
そんなノーチェの頑な面を見せられ、流石のゲンさんも首を縦に振るだろうと、優希は思ったが、肝心のゲンさんは、返答を躊躇い視線を彷徨わせて何かに迷っているらしい事に気付いた。普段の『鬼のゲンジ』なら、こと料理に関しては女子供だろうが容赦しないはずだが、今のゲンさんはノーチェの何かに対して明らかに言い淀んでいるようだった。
「ゲンさん。差し出口かもですが、ノーチェに何か言いたい事があるんじゃないですか?」
優希が指摘すると、ゲンさんはそれまでの厳しさを引っ込め、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「あーーっ、何ていうかこういう事は、猫の嬢ちゃんにはセクハラになるかも知れんから言い難かったんだが。その……毛がな、料理人としては許容出来ないんだよ」
ノーチェが頭を上げると、きょとんとした顔をした。優希はノーチェの顔を見て納得の表情を浮かべたが、それに反論するように撫子が口を開いた。
「我々猫妖精は内在魔力を体毛に蓄える関係で、――の猫のように抜け毛が多いという事はないよ」
「にゃ? 毛が抜けるのは病気の時位にゃ。人間の間では猫妖精の抜け毛は珍しいから、お守りにする事もあるらしいのにゃ」
異世界の衝撃の事実を知った時の、ゲンさんの何ともいえない顔は見物だったので、スマホで撮影したら面白いと思った優希だったが、昨日、完全に破損したのを思い出した。村の結界の中まで電波が届くか分からなかったが、壊れたままだと色々と不便だろう。
優希がスマホをどうしようか考えていると、ゲンさんがノーチェと向き合って真面目な表情を見せた。
「まあ、弟子の件は一先ず保留だ。とりあえずは、坊ちゃんの手伝いをして猫妖精との繋ぎ役をして欲しい。――こっちは今、正に猫の手も借りたいんだ。余裕が出来たら調理場も手伝って貰うが、まずは皿洗いからだぞ」
この言葉にノーチェは耳をピンと立てるとゲンさんにお礼をいい、優希と向かい合った。
そして、メイド服を着ていたノーチェはスカートを軽く摘み綺麗なカテーシーをして挨拶した。
「若旦那様、これからよろしくお願いしますにゃ」
こうして広瀬館に新しい従業員が一人増えたのだった。
「あっ、うん。よろしくお願いします。……ところでノーチェは何処かの商会の従業員じゃないの? 今頃は隊商も大騒ぎで捜索されてたりするだろうし、これから合流するにしても勝手に辞めてたら問題にならないかな?」
「多分、大丈夫にゃ。捜索費用なんかは、隊商長との交渉が面倒かも知れないけど、売れるものを持ち込めば歓迎されると思うし、イリス商会の方も問題ないにゃ」
「では、まずはノーチェの雇い主のイリスという人物に話を通す事になるな」
「にゃ? 商会の代表はピアンタにゃ」
予想と違うノーチェの言葉にアルヴァーは驚いたが、やがて納得の表情になった。
「そうか、ピアンタの両親の商会を継ぐという意思に変わりはないのだったな」
この発言にノーチェは予想以上の反応を見せ、身体全体がピンと立ったようになった。
「にゃにゃ!? アルヴァーはピアンタを知っているのかにゃ?」
「――ピアンタは、国費でミラーレ学院に留学していた才女だ。学院でも猫妖精の受け入れは初だったので、非常に目立っていた」
「アルヴァーさんは、教師をしているって言ってましたっけ。じゃあ、そのピアンタさんも教え子だったんですか?」
「ああ。優秀な人材だったので、組合からも勧誘があったが、売買契約許可免許を取得して組合員になってすぐ、国に帰ってしまった。……私も学院に残るよう誘ったのだがな」
「にゃ~。ピアンタがミラーレに留学してたのは知ってたけど、知り合いだったのは驚きだにゃ!」
ノーチェは少し考えを纏めるように自分の商会について詳しく話した。
「今、お世話になってるイリス商会は町猫ばかりで、6人全員が今回の隊商に参加しているのにゃ。ピアンタは国に店を持つ積もりみたいだけど、正直、今は猫妖精の土地で店を持つのは難しいのにゃ」
そして、少し間をおくと意外な提案をしてきた。
「お願いだにゃ! ここにピアンタのイリス商会の店舗を構えさせて欲しいのにゃ」
そう言って頭を下げたノーチェに、優希はどうしたものかと恵子の方を見た。
恵子は無言で頷くと、一歩踏み出して答えた。
「幸いと言っては何ですが、広瀬の里の殆どは空き店舗になってしまいました。ここ広瀬館も大事ですが、里の店舗の維持も大事です。それならいっその事、こちらの人々に店舗を貸し出しては如何でしょうか」
ノーチェは仰け反りそうになるほどの速さで頭を上げると、期待のこもった眼差しで優希を見た。
優希は中々良い案だと思ったが、念のため周囲を見回して確認を求めた。
「猫妖精に店を貸し出すのは良い考えだ。上手く行けば間接的に猫妖精の国の後ろ盾を得られて交渉事も優位に進められる」
「猫の嬢ちゃん達が働く、田舎の観光地ってのもシュールな光景だが、異世界じゃこれが普通になるんだろうな」
「流石に人手が足りなさ過ぎると思っていた所だ。同胞が増えるなら歓迎しよう」
「猫ちゃん増えるの楽しそう」
アルヴァー。ゲンさん。撫子。榛名ちゃん。それぞれに歓迎ムードだった。
「分かりました。そのピアンタさんの返答次第ですけれど、広瀬の里の店舗を貸し出しましょう」
「にゃにゃ! ありがとうにゃ! ……これでピアンタのやつに借りを作れるのにゃ。当分、頭が上がらなくなるといいにゃ」
最後の本音っぽい黒い呟きは聞かなかった事にして、猫妖精の隊商に売るものを話し合おうと思った優希だった。





