第21話「ミクシータ猫妖精と猫に金塊」
朝食は、昨日の四人から七人になり一気に賑やかになった。撫子の登場には驚いたが、一先ずノーチェとは引き離した。内容によっては、再度、引き渡すこともあるだろうと優希は考えている。
撫子の呼び名は迷ったが、日本名だと違和感があり過ぎたので、優希は短縮してファノさんと呼ぶ事にした。――多少、可愛い感じになってしまったが、呼び難いよりは良いだろうという考えだった。
その後、食事を食べながら猫妖精に付いて幾つか質問してみた。それによると同じ猫妖精でも種族によってかなり違いがあり、特に撫子のような山猫は、数こそ少ないものの人間以上の身体能力があるらしい。
そして、色々と会話する内にノーチェへの折檻の話になった。
「それじゃあ、ノーチェが納屋に保存してあった備蓄のジャムを勝手に食べちゃったって事ですか?」
「そうだね」
ノーチェを簀巻きにして吊るした理由を尋ねると、思いがけずシンプルな答えが返ってきた。――ただ、まあ、盗み食いは確かに悪い事だが道に迷って仕方がなく、といった面もあるので、そこまでするのかという純粋な疑問もあった。まさか、娘を梁に吊るすと言っていた恵子に影響を受けた訳でもないだろうが、異世界では窃盗への一般的な対応なのだろうか? その事を聞いてみた。
「流石に、好物のジャムを一瓶全部食べられたからといって、そこまではしないよ」
――あくまでも好物を食べられたからではないらしい。しかし結局は吊るした辺り別の理由があるのだろうか?
再度、その事を質問してみた。
「そこの町猫は、よりにもよって娘に口止めとしてジャムを一口食べさせたんだ」
撫子が睨んだ事により、優希の隣にいたノーチェは、ビクンとして箸で摘んでいた卵焼きを半分に割って落としてしまった。
驚く事に、ここでの暮らしが長いらしい撫子はともかく、アルヴァーやノーチェまで普通に箸を使えたのだ。
理由を聞くとある時期に新しい食器として一気に広まったとの事。アルヴァーは、ここで暮らしていた迷い人が帰った後に広めたのではないかとの仮説を立てていた。
異世界に普通に箸が普及していた驚きはともかく、ジャムの一口位でこれ程、怒るものだろうか? ――そういえば榛名ちゃんは、今はご飯を頬張っているが、少し前は体調が悪かったはず。優希はそのジャムに対しアレルギー反応が出ているのではと考えた。しかし答えは思いも付かない意外な原因だった。
「サルナシのジャムだったからですか?」
サルナシはコクワ、輸入物だとベビーキウイ、キウイベリーとも呼ばれている果物で、山間地に自生もしているが、あまり手間が掛からないので地域おこしで栽培されている事も多い。家にもたまにサルナシやその加工品が届いていたから、ここでも栽培されているのだろう。
サルナシは一言で言えば、小粒で毛のない緑色(少し紫がかる事もある)のキウイフルーツで栄養価も高いが、それで榛名ちゃんに影響が……と、考えていて優希は気付いた。サルナシはマタタビ科の植物だと。猫妖精だけに猫に近い性質があるようだ。
「それじゃあ、榛名ちゃんのさっきのはマタタビ成分に酔っていたと?」
「個人差はあるが子供なので平気かと思ったが、娘は特に弱いらしい……まったく誰に似たんだか」
最後の呟きは小さかったが聞き取れた。考えるまでもなく、母親似のはずだが言わない方がいいのだろう。ノーチェも口を噤んでいた。
「にゃ~。その件は悪かったにゃ。でも榛名が混血猫妖精だったなんて分からなかったにゃ」
優希は改めて榛名ちゃんを見たが、ノーチェの言う通り、ネコ耳フード以外に猫要素は皆無に見えた。
ネコ耳フードに注目が集まっている事に気付いたのか撫子は榛名ちゃんを見ると口を開いた。
「榛名、お行儀が悪いから食事中はフードを脱ぎなさいといったでしょう」
お母さんの撫子に注意された榛名ちゃんは最初は嫌がっていたが、撫子に「ここにいる人達は大丈夫だから」と言うと、おずおずとフードを外した。すると、母親似の明るいブラウン色の髪と同じ色ネコ耳が見えた。よく見れば、瞳孔も収縮しているのか、昨日とは違い瞳の色がアンバー色になっていた。
「あっ可愛いね榛名ちゃん」
思わず声に出してしまったので、榛名ちゃんは赤くなってもじもじしだした。
撫子は娘に「よかったな」と声を掛けていたが、優希に対してはじっと睨むような覗き込むような視線を向けていた。優希は居た堪れなくなり話題を逸らすことにした。
「その、混血猫妖精はみんな榛名ちゃんみたいな感じなんですか?」
「にゃ? 混血猫妖精自体とっても珍しいにゃ。正直、会ったのは榛名が初めてにゃ!」
「生理学的には混血猫妖精は非常に生まれ難いとされている。榛名の場合は相手が山猫だったからか、または別の要因があるのか……」
なんと、ノーチェは会った事もなかったらしい。猫妖精の国でも珍しい事に驚いたが、アルヴァーがこちらの方を向いて何やら考えているのが優希には気になった。
だが、これ以上、本人を前にして色々考察するのは気が引けたので、アルヴァーがこちらに注目している内に、優希はこれからの方針を話し合う事にした。
「アルヴァーさんは、これからすぐにミラーレでしたっけ……近くの都市に戻るんですよね?」
優希が昨日聞いていた予定を確認すると、アルヴァーは少し考え込んでから答えた。
「――いや、昨日までとは状況が変わってしまった。急いだ方が良いのには違いないが、そちらにも準備が必要だろう。急な話で驚くだろうが、優希も一緒にミラーレに同行して欲しい」
「え? どういう事です?」
突然の提案にテーブルに着いていたほぼ全員がアルヴァーに注目した。榛名ちゃんだけはご飯に夢中だった。
「昨日までは、ここの存在を知られないように準備を進めるつもりだった。しかし、深夜、魔術師クルアランが来訪した事によって、この場所の存在が領主に露見してしまった」
「にゃにゃ! あの紅蓮のクルアランが居たのかにゃ!?」
「何ですか、その物騒な二つ名!?」
「にゃ? 知らないのかにゃ? 魔獣の群れを森ごと焼き払った事からそう呼ばれるようになったらしいにゃ」
『怖っ! そんな人に刀で戦いを挑んだ自分自身にびっくりだった』
脱線しそうになった流れを修正するように、アルヴァーは続けて語った。
「その、魔術師クルアランによって、私の生存が伝えられるだろうから、こちらの都合だけなら急いで帰還する必要はなくなった。だが、不足がある内に、権力者と交渉しなければならなくなるのは、歓迎出来るものではない」
「つまり、その不足分を補うために、坊ちゃんに同行して欲しいと?」
ゲンさんは、料理以外で珍しく、険しい目つきをアルヴァーに向けた。恵子も心配そうに優希を見ていて、そんな二人を撫子が好ましい視線を向けていた。アルヴァーは、そんな広瀬館の面々を説得するために話を続けた。
「――そういう事になる。これは出来るだけ早めに、しかもなるべく多く集める必要があるだろう」
「……集めるんですか?」
優希は、今の時点で何を集めるのか全く見当が付かなかったので、自然に口にしていた。
これに対しアルヴァーの返答は明確だった。
「そう、この交易通貨をだ」
そういって、昨日、見せた交易通貨を再び取り出した。そしてもう一枚、今度は大振りで厚みがある楕円形の金の塊らしきものを取り出してテーブルの上に置いた。
と、それを見たノーチェの耳がピクッとしたかと思うと勢い良く立ち上がって叫んだ。
「にゃにゃ! 王金交易通貨にゃ! もの凄い大金だにゃ!!!」
騒がしいノーチェに比べて、優希達は価値が分からなかったので静かだったが、撫子の瞳孔が驚きからか大きく開かれたのを見ると、持ち運ぶには大金過ぎるのだろうと思われた。
その王金交易通貨を、アルヴァーは恵子の方に押し出すと意外な言葉を口にした。
「とりあえずの宿泊費をこちらで支払っておく。――もし今後、不足と感じたなら追加を用意しよう」
その言葉にノーチェは卒倒しそうになったが、何とか踏ん張ると、急に辺りを見回しプルプルと震えだした。
「にゃにゃ! もしかして、ここは、ものすごーくお高い宿屋だったのかにゃ?」
その様子の変化に皆が注目していると、懐を探って、お財布らしい小さな革袋を取り出した。そして中身を確認すると、耳をペタンとさせて小さく呟いた。
「そんなに持ち合わせがないにゃ。このままじゃ破産まっしぐらにゃ~……」
その変わりやすい表情に、皆は思わず表情を綻ばせた。
その後、ノーチェが散々迷った末、一番高価だと思われる通貨を、そ~っと差し出した。
その可愛い仕草に思わず笑いが出てしまって、情けない顔をしたノーチェに凄く睨まれたが、優希が、お代は取らないと言うと途端に笑顔になった。
「にゃ~。そういう事はもっと早く言って欲しかったにゃ。むぐむぐ」
無料と聞いたからか、はたまた今までの緊張から開放されたからか遠慮がなくなったノーチェは、おかわりしまくっていた。既に用意された朝食分は食べ終わっており、今は昨日の歓迎会で出された料理を食べまくっている。
「しかし、猫の嬢ちゃんは良く食べるねぇ~。そんなに腹が減ってたのかい?」
「むぐぐにゃ。それもあるけど隊商の食事は、どうしても簡素になりがちだからにゃ。特に最近は保存食を食べ切らないとだったから余計に美味しく感じるにゃ!」
ノーチェに美味しいと言われて、まんざらでもない表情だったゲンさんが席を少し離れ、刺身の盛り合わせを持ってくると思わぬご馳走の登場に、途端に目を輝かせた。
ただ、すぐに手を付けるかと思っていたノーチェは、視線をテーブルぎりぎりまで下げ、真剣な表情で、魚の切り身をじっくりと観察しだした。
「すんすん。海から遠く離れた森の中なのに、まったく鮮度が落ちてない所か、逆にもの凄く新鮮だにゃ。……それに、白身の魚は海藻っぽい香りが僅かにするのにゃ」
思わぬ言動に皆の注目が集まるが、それを意に介さずノーチェは観察を続けた。
「それに一切れ一切れが、とんでもなく薄いのもあれば、角がはっきりと分かるほどのものもあるにゃ。……一体どうやって切り分けているのかにゃ~?」
「猫の嬢ちゃん、料理に興味があるのかい?」
ゲンさんが珍しく真剣な表情をしていた。優希が知る限りこれは料理人を見極める時のクセのようなものだったはずだ。
「――にゃ。将来は料理のお店を持ちたいと思っているのにゃ。今は商人見習いだけど、商人組合は飲食店の許可も仕切ってるから、商人組合の所属員になっておくと有利なのにゃ」
そう言うとノーチェは観察は済んだとばかりに切り身に箸を伸ばし、一口食べると恍惚とした表情を浮かべた。
それを横目で見ながら、優希は、アルヴァーの話の続きが中断されたままだった事に気付き、様子をうかがってみた。
当のアルヴァーはノーチェの様子を観察するように見ていて、先程の話の続きを促す事もないようだった。思えば、アルヴァーとの会話は専門的な事が多かったが、話がしばしば脱線しがちだったような気がした。やはり教育者というよりは研究者に近い思考なのだろうと感じた優希だった。
その、アルヴァーが不意に呟いた言葉に皆が注目する事になった。
「そうだ。ノーチェ。君が使えるかも知れない」





