第20話「斉藤 撫子」
「なるほどにゃ。今、猫妖精を襲ったら、シャレにならない事は分かったのにゃ。でもどうして成りすましなのかにゃ?」
ノーチェは納得げな顔で首を傾けるという器用な仕草をした。
「君は商人組合の所属員なのだろう?」
「にゃ? そうにゃ。どうして分かったのにゃ?」
「雑用は所属員の仕事というのもあるが、組合員ではないという結論に達した話は今は重要ではない」
ここで一呼吸置いてアルヴァーは疑問を呈した。
「重要なのは、苦労して手に入れた組合員の権利を簡単に手放せるかだ」
ノーチェは顔を洗うような仕草をして難しい顔をした。考える時のクセなのだろうか? 優希は、黙って聞き手に回った。
「それは当然ありえないにゃ。所属員になるのも面倒な手続きとか試験とか必要だったのにゃ。年会費が掛かるとはいえ組合員になれれば、将来は左団扇だにゃ!」
何か資格試験みたいだなと優希は思った。『これで君の将来は安泰だ!』といった、うたい文句なのだろうか?
「成りすまし商人の事例は幾つかあるが、殆どの場合、素行の悪さによって早期に暴かれている。大胆にも大きい隊商に紛れ込めたという事は、元々は同業者かそれに近い者の可能性もあるな」
「でも、商売なんですから失敗して破産する事もありますよね? それで夜逃げしてとかじゃないんですか?」
「その可能性は低い。勿論、身分証を返納する場合もない訳ではないが、組合員であり続ける事の優位性の方が大きい。――破産した場合は、大手の商会の雇われとなる事が多いな」
異世界の利権団体の相互扶助には驚くばかりだ。
「……つまり、本人なら猫妖精の隊商みたいな大きな所ではトラブルは起こさないが、偽者なら可能性があると。人質を取る場合は……」
「それも同じ事だ。協会は誘拐犯のちょっとした特徴から主犯を辿る事など容易いと考えていい。それ程、商人達の情報網は侮れないという事でもあるが――」
アルヴァーは窓の外に視線を向けた。
「王女来訪絡みとなると荒れそうだが、どちらにしろ、今は静観するしかないな」
三人が一様にわだかまりが残る感情を抱いていたが、不意に、きゅるるっとお腹が鳴る音が響いた。見るとノーチェがお腹を押さえて項垂れていた。
「そういえば、迷っていたのなら何も食べていないんじゃないですか? とりあえず朝食にしましょう」
優希の言葉に、瞳孔が収縮したノーチェだったが、その後、急に挙動不審になり、辺りを見回した。
「そ、そうだにゃ~。折角だから、ありがたく頂く事にするのにゃ!」
そして、優希の後ろに回って背中をグイグイと押した。……ただ、早く食べたいというよりは、何かから身を守るための盾にしているような感じがした。その事を優希が尋ねようとした時、タイミング良く、恵子が食事の用意が整ったと呼びに来た。
ノーチェの行動には不振さを感じたが、とりあえず食堂にはそのままの状態で向かったのだった。
食堂のダイニングテーブルには、これぞ日本の朝食といった感じの和食が七人前並べられていた。洋館に和食というとミスマッチに感じるが、色鮮やかな食器をふんだんに使う事で見事な調和を見せていた。
「にゃにゃ! 朝から凄い、ご馳走だにゃ!」
「確かに非常に美しい仕上がりだ。食器もだが、料理にも大変な手間が掛かっているのが一目で分かる」
異世界からの来客の反応は大変好意的だったが、優希はゲンさんが微妙に渋い顔をしているのを見て、もっと凝った料理が作りたかったんだろうなと思ったが、口には出さなかった。何故ならとなりにいる恵子がゲンさんをそれとなく睨んでいたから――。
「あれ? 朝は七人前なんですね。後の二人は誰ですか?」
「本当は、昨日の夕食をご一緒した時に紹介したかったんですが、いきなりは驚くと思いましたので。榛名ちゃんとそのお母さんの撫子さんです」
その事を聞いた瞬間、後ろにへばり付いていたノーチェが一瞬、ビクッとした。
「なんだ。別に気を使う必要もないのに。昨日はご馳走だったから一緒に食べれば良かったんじゃないですか?」
ご馳走という言葉を聞いて、優希の背中を押す力が強まった気がしたが、そのおかげで、ノーチェの出現に驚きすぎて、榛名ちゃんの容体を聞くのを忘れていたのを思い出した。
「榛名ちゃんなら、もう大丈夫ですよ。朝食も一緒に食べられます」
「えっ? そうなんだ。てっきり何か子供が罹る病気かと思ったんだけど。……って、あれ?」
会話の途中で、後ろからの圧力が消えた事を不思議に思って振り向くと、ノーチェが食堂から廊下に出ようとしている所だった。
だが、扉のハンドルに手を掛けた瞬間、扉が開かれ、前に大きく体勢を崩してしまった。
「どこに行こうとしているんだ?」
ノーチェを受け止めたのは、身長が190cmはある、まるでバレー選手のような細身の女性で、恵子が昨日着ていたのと同じ赤朽葉色の仲居の着物に身を包んでいた。
後ろからネコ耳フードが覗いていて、そこには榛名ちゃんが足にしがみ付くようにしていた事から、彼女が母親の撫子で間違いないだろう。
ただ、一点どうしても気になる事があった。同時に恵子が驚くと言った意味を今更ながらに理解した優希だった。
そう彼女もまた猫だったのだ。
ただどうしても、ノーチェと同じ猫妖精には見えない。ノーチェが子供だというのなら、ある程度納得もするが、先程の会話からも既に成人(成猫?)に近い年齢のようだった。
どういう事かと周りを見回したが、アルヴァーは驚きの表情を浮かべ、恵子とゲンさんは、ばつの悪そうな顔をしていた。
再び視線を戻すと、ノーチェは小刻みに震え、助けを求めるような視線を優希に送って来ていて、対する撫子は獲物を見つけた猛獣のような様子で、瞳孔が収縮していた。
正直、間に入るのは遠慮したいと思った優希だったが、この様子だとおそらく露天風呂の屋根の梁にノーチェを簀巻きにして吊るしたのは撫子だろう。とりあえず理由を聞くまでは保護しようと思った。
「え~と、撫子さんで良いですか? 初めまして。入広瀬優希です。これまでも旅館をお手伝いしてくれていたそうで、ありがとうございます」
優希が頭を下げると、それを暫くジッと見ていた撫子だったが、こちらも頭を下げ挨拶した。
「こちらこそ、娘共々お世話になっている。斉藤・ガロファノ=撫子だ。撫子はこちらに来て戸籍を取る際に夫が付けてくれた名前になるが、ガロファノが本名なので、違和感があるならどちらでも好きな方で呼んで貰って構わない」
驚く事にまるで男役の舞台俳優のような語りで、かつ非常に美声だった。ただ、それだけにノーチェ以上に違和感が大きい。慣れるまでは時間が掛かりそうだと優希は思った。





