第2話「路線バスの旅」
プロローグ 第2話~第5話終盤までは、本編とイメージがかなり違います。……勢いで書いてしまったので。
鉄道のローカル線を乗り継ぎ、さらにバスに揺られること40分、ようやく目的地が近づいて来た事を実感する、そんな光景が目の前に広がってきた。
「おお~~!」
思わず声が漏れるほどに、それは視覚全てを多い尽くす、まさにコンクリートの巨壁だった。
そしてバスがカーブを曲がりきって、ダムが一望出来るその丁度いいタイミングで、上部に設置されている5門のラジアルゲートと呼ばれる方流設備から放水が始まった。
「これは、ダムが人気になるのも納得の光景だな~」
そんな事を呟き、暫し圧巻の光景を眺めながら、ふと#入広瀬優希__いりひろせゆうき__#はバスの車内を見回した。少々古い型だが、まだまだ現役のようだ。
しかし、車内には一人だけ……、というか、始発から乗客は自分一人だけだった。よく廃線にならないものだと他人事ながら心配になってくる。
いや、村の事もあるし、手伝いで買出しも行く事になった場合を考えると自分事なのかと、足下にあるクーラーボックスを見て、苦笑いを浮かべた。
これには、旅館で使う食材がギッシリと詰まっているらしく、ショルダーベルトが肩に食い込んで痛いほどに重い。
丁度、バスに乗車しようと思ったタイミングを狙い済ましたかのように、祖父からの電話で、受け取ってくるよう頼まれたのだが、梱包などは済んでいて受け取るだけだったはずなのに、対応してくれたおばちゃんがおしゃべり好きで、あやうくバスに乗り損ねるところだったのだ。
幸いにも、バスの運転手さんが、出発を遅らせてまで待っていてくれたおかげで事なきを得たが、その運転手さん曰く「この路線は日に2往復しかしていなくて、これを逃すとタクシーを拾うしかない」との事だった。ちなみに駅前ロータリーにタクシーは一台も止まっていなかった……。
運転手さんさんには感謝しきりである。
そんなこんなに思いを馳せていると車内アナウンスが「次は鳥居ダム管理所広場前、終点、鳥居ダム管理所広場前です。お忘れ物ないよう……」それに被せるように「ご乗車ありがとうございました、終点、鳥居ダム前です。バスが停車するまでそのままでお待ち下さい」と運転手さんが渋い声でマイクを使っていた。
ようやく着いたらしい。
バスが軋むようなブレーキ音を響かせてしっかりと停止するのを確認したあと、おもむろに立ち上がった優希は大きめのバックパックを背負うと、クーラーボックスを・・・とりあえず両手で持つ事にして、多少覚束ない感じで運転席横の運賃箱に向かった。
「お世話になりました。あと、ありがとうございます、待ってていただいて」
「ああ、構わないよ、ここの平日の下りはいつもこんなだから。休日の朝なら少しは居るんだけど、基本、ダム関係者専用だから、この路線は」
「そうなんですか?」
「まあ、見ての通り赤字だろうけど、ダム側と提携してるから委託って形で存続してるんだよ。もっとも、そこの従業員もマイカー通勤多いんで、こっちの利用者は少ないんだけどね」
運転手さんが親指で指した方に目を向けると、確かに建物横の駐車場に数台の車が止まっていた。優希が何とはなしに管理所らしき建物を見ていると、
「そういえば、お客さん、どこかで見た事あるような? ダムの関係者には見えないし、ここの売店の……は違うか。う~ん……」
何やら考え込んでしまった運転手さん相手に、優希は料金を支払ってバスを降りるタイミングを完全に見失ってしまったが、もしかすると思って思い切って自己紹介してみた。
「広瀬館って知ってます? 自分、入広瀬っていって旅館の……」
「ああっ! 言われて見れば広瀬館の若女将さんそっくりだ! 道理で見覚えがあると……という事は、入広瀬さんとこの優希ちゃんか~。大っきくなったもんだ」
「は、はい。ははは……」
どうやら思いっきりご近所さんだったらしい。『子供の頃の自分を知っている知り合いは苦手な法則』が発動しつつあった優希だったが、次の一言で一瞬思考が停止した。
「そうそう、昔は泣き虫だったお嬢ちゃんが、随分とべっぴんさんになったもんだ」
優希は瞬間、顔を赤く染めるが少しずつ冷静さを取り戻すと、じっくり絞り込むような声で答えた。
「私、いや自分、おとこ……男性なんですけど……」
「えっ!? いやいやだって、いつも水無瀬さんとこの子のお下がりを着てて……ん? でも、入広瀬の大旦那は、跡取りが出来たって喜んでたような……」
確認のためなのか、運転手さんが何度も顔や全身へ視線をせわしなく上下させるが確証が得られないようだった。やがてお互い見つめあうような感じになってしばし、再度、優希が力のこもった瞳で、それでいて何処か祈るような口調で、
「お・と・こ・で・す・よ・ね?」
と念を押すようにつぶやいた、疑惑が晴れるようにと。
「ソ、ソウデス……ネ?」
しかし、運転手さんの疑念は払拭されないのであった。
運転手さんとの色々はあったものの、とりあえず棚上げにすることにした。
優希が女性、どちらかと言うと女の子に間違われるのは今更の事で、本人も諦めの境地に達していた。もちろん内心は全くもって納得していなかったが……。
その後は、重かったので下に置いたクーラーボックスをイス代わりに、10分近く運転手さんとしゃべり込んでしまったが、おかげでこの辺りの最近の情報にはずいぶんと詳しくなった。
その内の半分以上は、人間関係のあれやこれやで、何分、子供の頃に引っ越してから全く里帰りしていなかったので、ほとんどの人の名前も顔すら殆ど思い出せなかった。その辺は適当にスルーするしかなかったものの、誰それは村を出て今はどの辺に住んでいるかなどは非常に興味深いものだった。
「皆さん以外と近くに住んでるんですね。てっきり何かと便利だし都会の方に行った方も多いんじゃないかと思ったんですが」
「ん、その辺は、まあ、なんだかんだ言って、この土地に愛着があるからなぁ~、いわゆる地元愛ってやつだ」
「ふふっ、そうですね」
優希がそう言って柔らかく笑うと、運転手さんはちょっとびっくりしたようなそれでいて不思議な物を見るような目で、
「そうやって笑った感じ、若女将、優希ちゃんのお母さんにそっくりだな、まさに親子って感じだよ」
それってやっぱり女性っぽいって事なんだろうか?そんな考えが一瞬過ぎったものの、まあいいやと思い直す。母親に似ていると言われても悪い気はしない。ただ、何と言うか男の沽券に関わるだけなのだ、きっと。
そして、その男の沽券とやらが顔に出ていたらいい。それを見た運転手さんは、ちょっとあせった感じで苦笑いを浮かべて、
「あー時間は大丈夫か? こっちは出発までまだ時間あるが、優希ちゃんは急がないとあっちに着く頃には暗くなってるかもしれないぞ」
「わ、わっ、それじゃお世話になりました」
今までとは違い、なるはやでバスから降りようとして、料金を払っていない事に気づき小銭を落としつつも運賃を払い、出口にクーラーボックスを詰まらせながら、降車用ステップに足を掛けたが最後のステップを踏み外して、優希は前のめりに……見事にこけた。
「ぐふっ」
幸いクーラーボックスがクッション……にはならなかったが、硬いアスファルトとの正面衝突を避けてくれた。だが間に入ったクーラーボックスに胸を強かに打ち付けて、悶えることになったのだった。
そうして、しばらく苦しんだ優希だったが、ようやく痛みも引いて呼吸も楽になってきた、ゆっくり胸をさすってみても酷く痛む場所もないことから肋骨などの骨折なども大丈夫らしい『危うく目的地が病院になるところだった』などと考えていると、運転手さんが無事を確認するように、
「じゃあ、気をつけて……というには遅いが、大旦那や広瀬館の皆によろしく言っといてくれ……ほんとに気をつけてな?」
「はい、も、もう大丈夫ですから。……よっと」
運転手さんに軽く手を振ると、クーラーボックスを抱えてよろよろとしながらも歩き始めるのだった。
優希が去った後もサイドミラーで後ろ姿を確認して、どうやら大丈夫そうだと一息つくと運転手さんは、
「あっちはこれから騒がしくなるのかね~」
と独り言をつぶやいたのだった。