第16話「深夜の侵入者」
温泉を堪能した優希は、自分の部屋に向かう途中プレイルームを覗いてみた。予想通りというかアルヴァーはピンボールのプレイ中で、隣ではゲンさんがブランデーのグラスを二人分持ち、それを観戦していた。
優希は話し掛けてみたが案の定、空返事で余程プレイに集中しているようだった。
「……それじゃあ、先に部屋に戻りますね。おやすみなさい」
「ああ。坊ちゃん、おやすみ」
ただ、ゲンさんと違いアルヴァーはピンボール・マシンから目を離さず「ああ」とだけ答えて二人で肩をすくめるのだった。
食堂に上がり、恵子に挨拶をして宛がわれた部屋へ向かう。
優希の部屋は、以前、広瀬館に住んでいた頃と同じ部屋が用意されていた。当時の子供向けの家具は、今住んでいる家に持って行ったが、記憶にある備え付けらしいものと、予備らしいアンティークの事務机が持ち込まれていた。
新しい家具の引き出しを開け閉めしたり、手触りを確かめたりと一通り確認した後、ベットに飛び込んだ。
恵子が整えたらしく、ベットメイクが完璧で、清潔なシーツは爽やかな香りがした。仲居の他にホテル従業員としても優秀なようだ。優希は女性のホテル従業員をどう呼べば良いか考えた。ホテリエという呼び方もあるが、ホテル関係の経営者やレビュアーなどもホテリエと呼ぶらしく色々と混乱する。
優希はいっそメイドでも良いか異世界だし、などと取り留めなく考えている内に眠りに落ちていった。
深夜、草木も眠る丑三つ時とも呼ばれる時刻に優希は唐突に目を覚ました。部屋は常夜灯の僅かな明かりだけだったが、それに構わず寝汗で若干不快になった浴衣を脱ぎ、用意してあった着替えに袖を通す。着替えが済むとカーテンを開けて暗闇に覆われている外を確認した。
優希の部屋は洋館の裏側に位置しているため、本館の明かりは確認できないが、宿泊客が居る時は点灯している裏庭の夜間照明も、今日ばかりは夜を照らす事もなく月明かりだけが頼りなく周囲の状況を伝えてきた。
夜の先を見つめながら優希は「侵入者が居る」と呟いた。そして自分自身の発言に驚愕した。
優希は広瀬村に帰って来てからの自身の変化には気付いていたが、村の結界を超えて来る存在まで察知出来た事に驚いた。ただ、これは村全体の出来事を感知出来るといった事ではないようで、侵入者以外の気配は感じ取れなかった。
この事態にアルヴァーを起してでも助けを求めようかとも思ったが、優希の方が先に就寝したために、どの部屋を使っているのか分からない事に気が付いた。
大声を出すか、いっそ非常ベルでも鳴らそうかとも思ったが、その場合でも時間を取られる事に変わりはなく、何より相手を刺激する可能性を考えると実行は躊躇われた。
結局、洋館に近付かない内に接触した方が良いという結論に達し、素早く部屋を出ると、一階にある応接室に向かった。幸い扉には鍵が掛かっておらず、優希は部屋の奥に進むと、そこにあるガラスケースに展示されていた日本刀を見つけた。ケースには鍵が掛かっていたが、仕組みを知っている優希は、ケースの台座の裏に手を差し込むと仕掛けを作動させる事で鍵を解除したのだった。
――優希は日本刀を手に取り、静かに鯉口を切ると、瞬間、抜刀し刀身を確かめた。確認が済むとゆっくり納刀し、履いているジーンズのベルトループに下緒を通して鞘を簡易的に固定した。次に棒手裏剣を二本、鍔に挿すと、その状態で柄の握り具合を確認し、最後に深く息を吐き出した。
「……よし行こう!」
小さく囁くような気合を入れると裏庭に向かう。そして更に奥の竹林に足を踏み入れた。
相手の足取りはゆっくりだが留まる事なく、確実にこちらに近付いてきており、このままお互いが進めば、丁度、竹林の中心で出会う事になるだろうと思われた。
優希は僅かに足を速めて、洋館との距離を稼ぐ事にした。
――それは、最初、闇に滲む赤い染みのように見えた。やがて竹林に差し込む月明かりの元でも姿が確認出来ると、まるで血を思わせるような鮮紅色のローブを纏った人物だった。身長は150cm程だろうか、あまり高くは見えないが、フードを目深に被り表情はおろか顔も窺い知れない。
ローブには絹糸のような光沢のある黒糸が幾何学模様を描いて刺繍されていたが、本来高級感を演出するはずのそれは、見る者を逆に不安にさせた。
優希とローブの人物、お互いがお互いを認識し歩みを止めた。
「こんばんは。広瀬館へようこそ。……本日は、どのようなご用件でしょう?」
と優希は声を掛けた。自分でも間抜けな挨拶だとは思ったが、他に思いつかなかったのが本当の所だ。こういった緊迫した状況は初めてだったのもあるが、場合によっては命のやり取りもあるかも知れない。自分自身が緊張しないために普段通りの応対になったのかも知れなかった。
相手は、確信は持てないがアルヴァーの言っていた魔法使い、それもより上位の魔術師の可能性もあった。
相手の全身は鮮紅色のローブに覆われ、およそ露出した部分がなかった。ゆったりとした作りの袖は長く、指先すら隠していた。優希からは見えないが、おそらく唯一顔だけが露出している部分と言えるだろう。ただ、ローブに刺繍された繊細な柄が時折、真紅に発光して、より警戒感を抱かせた。
優希は実際の魔法を見た事がない。その辺をもっと詳しく聞いておけばよかったと後悔したが、あのアルヴァーが警戒するというのは余程の事だし、間合いによっては勝機がないと言っていた。だが魔法発動までのイメージが掴みにくく、優希は無意識に間合いを近づけてしまっていた。
それに対し相手は敏感に反応し、右腕をゆっくりと上げていった。
唐突に風が吹き抜け竹林がざわめくと緊張が極限に達した。
優希は見た。風に煽られ右腕のローブの袖から水晶体が覗いていたのを。
瞬間、優希はその場で僅かに飛び跳ねる動作をした。だが実際には地に足は着いたままのフェイントで、姿勢を素早く沈めると同時に弾丸の如く飛び出した。
対して相手は素早く水晶体だけを袖から出し優希に向けた。
杖の大きさによって魔法の威力が変わるなら、ローブの袖の中に隠せる魔法発動体を使いこなす存在は魔術師に違いないと優希は確信した。
次の瞬間には、柄に手を掛けて抜刀すると見せかけて鍔に刺さっていた棒手裏剣を手首を捻るように素早く投擲していた。
棒手裏剣は狙いたがわず魔術師の持つ水晶体に吸い込まれるように向かい抵抗無く命中すると思われた。
だが次の瞬間、水晶体が、ひときわ強く発光すると、周囲が一瞬だけ昼間と見紛うばかりに明るくなり、続いて派手な金属音が聞こえた。
まるで光を吸収したかの様に再び周囲が暗闇に覆われると、魔術師の前からは優希の姿が消えていた。
一瞬、沈黙の空気が流れた後、魔術師は何かを確認するかの様に一歩前に踏み出した。だが、一歩目の足が地面に着く瞬間を狙っていた様に、相手の死角から左肩を狙った優希の必殺の一撃が放たれた。
必至の斬撃が命中すると思われた瞬間、魔術師のローブが一際強く紅蓮に輝き、ローブ全体に複雑な幾何学模様が浮かぶと、刀身が『ギン!』というあり得ない金属音を響かせて弾かれた。
この袈裟斬りで決着が着いたと考えていた優希は驚きつつも、ローブの表面を撫で切るように刀身を滑らせた。魔術師が左腕を上げて防御すると、刀身と接触したローブは布とは思えない耳障りな金属音を響かせながら紅蓮に発光した。刀身の切先が袖に達する瞬間、切り裂くように力を加えたが、ローブは小揺るぎもぜず、逆にまるで刀身を拒絶するかのように強い反発力を示した。
『ローブが魔道具? なら露出が最小限なのも納得がいくしローブに触れるのは危険かっ!?』
魔術師が再び水晶体を優希に向けると、優希は、それを狙って刺突を繰り出した。相手はそれを嫌ってか左手で覆うように回避するが、防御に自信があるのか体勢を変える事はなかった。
優希が攻撃を繰り出すたび、ローブから紅蓮の光が溢れ金属音が周囲に鳴り響く。時折、打撃以上の反発力があったが、優希は見事な太刀捌きでそれを調整し続けた。
果てしなく真正面からの攻防が続くかと思われたが、優希が不意に刀を引くと霞の構えを取った。次の瞬間には相手の喉元目掛けて猛烈な突きを放った。魔術師は左手で防ぐが優希は半歩踏み出し切先を滑らすように相手のフードの中を狙う。
魔術師がそれを嫌い一歩引いたのに合わせ、さらに半歩踏み出すと、柄頭に手を掛け、思いきり刀身を押し込んだ。
今までと違い魔術師のローブは金属音に加え悲鳴のような雑音を響かせた。そして切先から生じた歪みから紅蓮に輝くの粒子を撒き散らせて、魔術師は後方に吹き飛んだ。





