第11話「広瀬の里と広瀬館」
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優希は、自分が分裂して再び統合したような違和感ともつかぬ感覚を覚えていた。ただ、完全に一体にはなっていないらしく、お互いの情報を補完し合って、新しい自分を構築したような、夢の世界で自身を客観視しているような不思議な状態が暫く続いた。
やがて、自分が自分だと確証が持てると、ゆっくりと覚醒していった。
目を開くと、神妙な顔をしたアルヴァーが居たが、何やら思考の海に沈んでいるようで、こちらの変化には気付いていないようだった。
優希自身がアルヴァーに何か重大な秘密を語った。という記憶はあるものの、目覚めると夢の内容を急速に忘れていく、といった状態になっていて、やはり内容は思い出せなかった。
先程、優希自身で自分を巫女と言っていた。男性で巫女というのもどうかと思ったが、ならばさっきのは神降ろしなどと呼ばれる現象なのだろうか? しかし、アルヴァーの言う人智を超える存在と自分が同じだという感覚もある。……これが優秀だという事なんだろうか? 考えすぎると自己を保てなくなりそうな怖さもあったので、優希は考えるのを止めて、アルヴァーに話しかけた。
「何か色々とすいません。自分がおかしなお願いをしたみたいで……」
声をかけると、アルヴァーは目を少し見開いて僅かに驚いた表情を見せたものの、直ぐに平静さを取り戻した。
「――いや構わない。今は最初に出会った優希とは違うと感じるものの存在は同じだと思える。……実に奇妙だが」
「それは、例の魔力感知の能力でって事ですか? 具体的にどういった技術なんです?」
アルヴァーは、その言葉を聞いて訝しげな表情をしたが、優希の顔が純粋に好奇心に満ちているのを見て考えを改めた。
「簡単に言えば周囲の魔力の強さや流れから対象の状況を把握する能力になる。人や獣、魔獣と自然界にある魔力はそれぞれ性質が異なる。経験が必要になるが交じり合った魔力も識別可能だ。……今の優希は例外だがな」
そう言うと皮肉交じりの笑顔を見せた。初めて会った時と比べて随分と柔らかい雰囲気になったと優希は思った。
「――魔力ですか。少し前の自分なら信じなかったでしょうが事実なんですよね。あっ! じゃあ、魔法とか使えたりするんですか? ――こう、攻撃したり防御して回復したり、とか?」
「ふむ。――優希に聞いた話では、そちらの世界に魔力は存在しないか、または発見されていないという話だったか。空想の魔法との差異は不明だが、こちらの魔力は一種の自然界の力として捉えられている、広義の意味ではだが。この自然というのには、勿論、生物としての我々も含まれる。通常では、生物が持つ魔力の方が強い力を発しているが、例外として人工的に魔力を集積させた場合や、長い年月を掛けて自然界の魔力が蓄積され非常に強力な力になっている場合もある。――ここのように」
アルヴァーは周囲を見回して答えた。その後も魔法について色々聞きたがった優希だったが、本格的に日が暮れかかってくると、アルヴァーに促され慌てて案内を再開した。
「この道を上がり切ると民家が見えてきますから」
周囲に自然と畑しかない事が不安にならないように配慮した発言だったが、人の営みがある集落の実際のその光景を目の当たりにすると優希の方が呆気に取られてしまっていた。
「あ、あれ、ここ何処だろ? 間違えて別の村に来ちゃった? ――何処に帰れば良いんだろう」
余程、混乱しているのかな意味不明な事を口走る優希だったが、一方のアルヴァーは、その光景に感動を覚えていた。
「ほう、これは素晴らしい光景だ。周囲の建物は商店か何かだろうか。平屋建てが周囲の圧迫感を無くし非常に開放的だ。しかも、一見すると農村の民家のようだが――良く見れば、足下の石畳同様、非常に高度な技術で加工された事が窺われる」
そして、商店と通路の間に流れている広めの水路を覗き込むと感嘆の吐息を洩らした。
「目にも鮮やかな大降りの魚が優雅に泳いでいる。――様々な柄が確認出来るが皆同じ種類のようだ。……という事は、もしや観賞用に交配されたものなのか?」
「……ええ、確かにそれは観賞魚で錦鯉っていいます。何でも最近は海外でも人気だとか。――高いのだと数千万もするらしいですよ。」
話を聞いて、アルヴァーは、その観賞魚、錦鯉をもう少し眺めていたかったが、いよいよ周囲が薄暗くなってきてしまった。その事を残念に思っていると、近くにあった四角い箱型の置物が一斉に発光し周囲を幻想的に照らした。
「ああ等間隔で設置されていたので何かと思ったが、ランプだったのか。――ん? だが魔力灯ではないな。それに一斉に点灯するとは一体どうやって……」
アルヴァーが興味深く周囲を散策している頃、優希はようやく調子を取り戻していた。
久しぶりに実家に顔を出してみれば、すっかり観光地になってしまっていた。元々観光地ではあったはずだが、宿泊施設である広瀬館以外は目ぼしい建物が無かったのも事実だった。
「これは……あれだ! 〇〇〇〇の里とかいって全国にある観光地そのものだ!」
優希は、周囲を忙しなく見回すと、目的の物を見つけてしまった。それは黒塗りの木製看板に白文字で『広瀬の里』と右読みで書かれていた。
「あれ? 『ひろせ』じゃなくて『こうらい』なんだ」
普通は『広瀬の里』と読ませるのが一般的なはずだが、敢えて音読みにする意味が分からなかった。広瀬館との繋がりからだろうか?
優希が目の前の光景と折り合いを付けた頃、アルヴァーも一通り観察を終えて満足したようだった。
「――成程、ここは敢えて、あちらの世界の農村らしさを再現したものなのか」
「あ~~まあ、そういったものです。国内だけでなく、最近は海外からの観光客も多いので……」
あちらの世界の観光事情を話しつつ通りを暫く進むと、ようやく目的の建物が見えて来た。
優希は玄関先に先回りすると、アルヴァーと向き合い姿勢を正した。
「いらっしゃいませ。ようこそ広瀬館にお越しくださいました」
そして綺麗な姿勢で深々とお辞儀をしたのだった。
広瀬館は、元々、大正時代に建てられた洋館を大戦前に、広瀬村に移築したのが始まりだった。
かつての持ち主は、開国後の外国との貿易で財を成した一族で広瀬村出身だったと云われている。
当初は疎開目的で家族ごと移住していたが、家長が大戦中に亡くなると家業が傾き屋敷を手放さなくてはならなくなった。
その時、名乗りを上げたのが入広瀬家の曽祖父で、屋敷を買取ると戦後に改修工事をして旅館業を始めたのが広瀬館の由来であり、それが現在まで続いていた。
「そんな訳で奥にある洋館は、そろそろ百年近く経ちます。宿泊に関しては、お客様のご希望があった場合と長期滞在のお客様などがご利用になります。また、一部、立ち入り禁止となってる区画は従業員用となっていますので、予めご了承下さい」
丁寧な口調を心掛けて優希は説明を続けた。
「現在では洋館の手前に新たに建築した和風一部平屋建ての新館が主に利用されています。部屋数は五室と少ないですが、それぞれに内風呂も完備しています。また露天風呂も24時間利用出来ます。また、新館と洋館は通路で繋がっていますので、バーカウンターやプレイルームなどを利用される場合は、こちらをご利用下さい。他には大広間がニつと……」
アルヴァーは説明を聞きながら庭に続く飛び石や日よけ暖簾を興味深く見ていたが、玄関が開く音を聞くと、そちらに視線を向け、念のため再びフードを被った。 ――始めはミラーレや猫妖精と交流があると考えていたが、優希の話を聞くと、どうやらそのようでもないらしい。詳しい事情が分かるまでは、なるべく正体は伏せた方が得策だろうと考えた。
程なく赤朽葉色のシンプルで清潔そうな民族衣装を身に纏った、若々しい中年女性が近寄ってきた。
「ようこそ、お越し下さいました。広瀬館へようこそ」
静かに頭を下げると、次に優希に近付いてを少し呆れた感じで見ると、手を当てて耳元で囁いた。
「優希の坊ちゃん。まずはお客様を玄関ロビーにご案内する。お客様そっちのけで解説しないで下さい」
そう言うと、クーラーボックスをいつの間にか手に持ち、二人を玄関ロビーに促した。
「あっ恵子さん、ただいま。あと、それは自分が持つから――」
――玄関には椅子とお湯の入った木製のたらいが置いてあった。アルヴァーは自分の姿を改めて見ると、ブーツには泥が跳ねてマントまで汚しているのが見えた。
「こちらのお席へどうぞ。上着とお履物はこちらでお預かりします」
アルヴァーは暫し考え、フードだけ脱ぐことにした。そうした時の相手の反応も気にはなったが、マントの下はともかく、内ポケットや裏地にも幾つか重要な物が入っている。おいそれと他人に預けるのは躊躇してしまった。
「では、濡れタオルをご用意いたしますね。上着はそちらで拭いて下さい。お履物は、こちらでお手入れ致しますので、足を濯いで、こちらに履き替えて下さい。
エルフの特徴である尖った耳を見ても微笑を絶やさずに、恵子は仲居としての仕事を続けた。
その姿勢にアルヴァーは大いに感心して、早速、お湯に足を浸した。お湯の温度は丁度良く僅かに爽やかな香りが漂っていた。
アルヴァーが旅館のお出迎えサービスに満足している頃、優希はフロントに入っていた料理長のゲンさんに話し掛けようとしたが、急に後ろから右手を引っ張られてしまった。
慌てて振り向くと、ネコ耳フードを被った小学生低学年位の女の子がいた。女の子は両手で優希の手を掴んだかと思うと手のひらに顔を近付けてこう言った。
「すんすん。おとーさんの匂いがする」
優希の思考は完全に停止した。





