第10話「入広瀬優希の秘密」
周囲には沸き水が流れる音だけが響き、時折、涼しい風が木々の間を通り抜ける。
二人の間に暫く無言の時間が過ぎる。相手の出方を窺っている様にも見えるが、お互い相手がこちらには手を出してこない事が分かっているような沈黙だった。
「何時から気付いていました?」
「確証を得たのは先程の魔力感知の時だ。……貴方を見つけた時にも魔力感知を使ったが、その時と今ではまるで魔力の質が違う」
「どう違います?」
「最初に感知した時の優希の魔力が、ここに来るまでに薄れていくのを感じた。最初は、この集落に満ちている結界の魔力の影響で、自分の感覚が麻痺してきたのかと考えたが……先程、飲んだ湧き水は魔水が多量に含まれていた。私がここに来る事になった切っ掛けでもあるが。――問題はそこでは無いな……」
一旦そこで話を区切るとアルヴァーは相手を見て確認するように続きを語った。
「この地の魔水を吸収して再び感覚が鋭くなったのを実感したが、隣で湧き水を飲んでいた優希の存在をさらに感じられなくなっていった。例え魔水を大量に摂取したとしてもこれは異常だ」
アルヴァーの指摘通り、体内に吸収され易い魔水という形で魔力を取り込めば、一時的には魔力が均一化され個々が持つ固有魔力は希釈される。ただ、魔力Aと魔力Bを混合しても総量の増えた魔力A+Bとして魔力自体は変質するが本質が変化する訳では無いのだ。ただ、魔力感知などでは、結合した魔力を個別に認識できる能力が無いと判別は難しい。
「そうですね、自分の存在が薄れていく……確かに異常な事態ですね」
あくまで落ち着いた態度を崩さず、余裕さえある態度で接している。
そんな存在にアルヴァーは心当たりがあった。
より正確に言うなら、実在の可能性を否定出来ないものとして、長年研究者として頭を悩ませ続けてきた。
恐らく、相手に敵対の意思はないだろうが、本性を暴かれた場合の反応は未知数だった。
アルヴァーは、魔獣と対峙した時より遥かに緊張した面持ちで、しかし、明確な意思を持って会話を続けた。
「結界を構成する強力な魔力。この地に満ちた濃厚な魔力。どれも同じ質の魔力だ。この地に湧いて外界に溢れだす魔水がこの魔力の源流だと思ったが……、貴方を感じて考えが――変わりました」
「それで、どう変わりました?」
「私は異生物植物学者として、研究に向かった先で人智を超える現象に遭遇した事があります。最初は、その謎を解き明かそうと躍起になり、様々な資料を取り寄せ、時には現地にも向かい調査しました。が、満足な結果は得られませんでした」
その存在は静かに耳を傾けていた。
「そんな日々を過ごしていたある日、たまたま神話や御伽噺を纏めている民俗学者と知り合いになりました。といっても、お互いの研究は類似性はあっても方向性はまるで違いましたが。当時、研究に行き詰った私は、思い切ってその時に体験した事を話しました。……彼女は、最初こそ驚いたものの、ある資料を私に見せてくれました」
アルヴァーは、苦い過去を思い出して少し視線を下げた。彼女と意見を交し合った日々を思う。そして人間の寿命という儚さも。だがすぐに切り替え再び視線を上げた。
「それは、御伽噺の存在だと考えられていた存在の、実在の可能性を示唆する資料でした。……そして彼女は言いました『私も同じ経験があるのよ』と。その後、二人で長い年月を掛けて、その存在や現象の痕跡を追いました。結局は同じ様な現象には出会えませんでしたが、最終的には、我々の人智を超えた存在を認めざるを得ませんでした」
一呼吸置いて結論を言葉にした。
「……そして今の貴方からは魔力を感知出来ませんでした。可能性としては2つ。1つは強力な魔力が近くにあって魔力感知が妨害されているから。ただ、これは魔水を大量に含む湧き水を飲む事で否定されました。魔力感知で周辺の状況は探れましたから。とすれば、残る可能性は、感知出来ないのではなく、貴方が周囲の魔力と同一のもの、つまりこの膨大な魔力は貴方そのものという事になります」
アルヴァーは、一時的にこの魔力を取り込む事で、その魔力の影響を受け難くなった。そして、放出された魔力は周辺からの影響で少しずつ変質していく。その変化を魔力感知で精査して周辺情報を得る訳だが、目の前の存在からは、周辺との魔力の差を全く感じなかった。
全く魔力を感知出来ない。信じるしかないが、この結界内に満ちている魔力の全てが目の前の存在からという事になる。
「流石、アールヴは魔力に関しての造詣が深いですね。それにあなた自身も非常に聡明なようです」
「……私の目の前に現れた事に何か意味があると? ここに招かれた事も?」
「私は基本的にここを離れられません、今は、ですが。確かに貴方が危険に晒された時に多少の手助けはしましたが、危機を脱したのは貴方自身の力です。そして……」
その存在は、ゆっくりと湧き水に視線を移した。
「ここに来るまでに息苦しさや違和感を感じていました。貴方は外に放出している魔力を摂取したので、まだ、それ程の影響は現れていませんが、ここは、今、事情があって私の魔力濃度が濃くなっています」
「それが人体に影響を与える程だとすると、体内に取り込む事である程度、中和出来るという事ですか?」
「限度はありますが、おおむねその通りです。ただ今の濃度では、貴方や内在魔力の多い種族以外は、ここに立ち入るのは難しいでしょう」
アルヴァーは暫し考えた後、会話を続けた。
「成程、魔水の流出は、てっきり結界の不備によるものだと思っていましたが、魔力を外部に流すことでここの濃度を薄めている訳ですか。とすると、外部の魔獣が集まって来る事になる。……結界の内部に魔獣は進入できますか? いや、確か自衛隊の許可と言っていましたね。2匹目を倒したのは、その自衛組織が?」
「ああ。いえ、自衛隊は此方とは関係ありません。……その辺の事情も私から話した方が良さそうですね」
目の前の存在は、ゆっくりと瞳を閉じると、静かに語りだした。
「まずはこの結界の中の事から。ここは広瀬村。貴方がたとは別の世界にあったものです」
その後、優希を通して、その存在から語られた話は、アルヴァーにも理解の範疇を超えるものだった。俄かには信じられないが、恐らく事実だろう。優希の持つ品がその片鱗とも言えた。そちらにも少し興味を惹かれたが、今は目の前の現実と向き合う事がより重要だと考えた。
「正直、混乱しています。こちらの世界の理が事実だとすると大変な事だと思いますが、理解には時間が掛かりそうです」
「まあ、そうでしょうね。しかし我々がどちらの世界にも干渉しているのは、お話した通りの理由からですよ」
「――検証するにしても……いや、という事はここ以外にも同じ様な場所が!?」
「否定はしませんが、既に役割を終えている場合も多いでしょう。……あくまでこちら側の視点での話でですが。ですが、結界だけ残っている土地もあるでしょう。たとえばファーンラントのように」
これには流石のアルヴァーも絶句するしかなかった。故郷であるファーンラントの結界との類似性は感じていたが、まさか結界がアールヴの技術では無かった事に。だがそうすると我々アールヴは元々はこちらの世界の住人ではないのではないか。という疑問が出てくる。が、それには答えを得られた。
「アールヴに関しては、かつて結界の維持を条件に居住を許可したという歴史があるようです。……勿論それだけではないようですが」
含みのある言葉だが、ある程度は納得出来る内容だった。その後、幾つかの返答を得られたが、どれも、おいそれと話せる内容ではなかった。だが、一個人の胸の内に秘めて置くにも重すぎる内容ではあった。
「……どうして、そのような話を? 何か意図があるのか、何を成せば正解なのか正直、計り兼ねています」
「――真実を知る人物が必要なのと、私、優希のこちらの世界での導き手になって欲しいのです。ある程度で構いませんが、こちらの世界との不幸な行き違いはなるべく避けねばなりませんから」
そう言うと静かに見つめてきた。アルヴァーは彼には珍しく、躊躇した様子を見せたが、目を閉じ暫し考え込むと、やがて答えを出した。
「――分かりました。出来る限りは考慮しましょう。こちらにも利があるようですし。……最後に貴方の名前を教えて戴けませんか?」
好奇心だろうか、この存在に名前があるのなら知っておきたいとアルヴァーは思った。
「アルヴァーさんが、どう捉えたかは分かりませんが、私は優希ですよ。概念的な話になるので説明は省きますが。しかし、その考えは少々硬すぎるのではないですか?」
「硬すぎる……ですか? しかし」
「ありのままを受け入れよとは言いませんが、柔軟な思考も大事だと思うのです。他にも私に似た存在の心当たりはあるのでしょう? 優希は巫女としては不安定な存在ですが、優秀ではあります」
優希はそう言うと、にっこりと微笑んだあと言葉を繋いだ。
「――それにアルヴァーは何時も通りの学者然としている方が似合います。……その方が彼女も喜んだと思いますよ」
最後の言葉でアルヴァーは、またしても絶句したが、同時に納得もしていた。彼女が探し求めていた存在が目の前に居るという事に。
「……分かり――いや、分かった。しかし、とりあえず優希には宿に案内して貰わなければ……」
「――そうですね、では優希をお願いします」
そう言った後、付け足すように、
「旅館は気に入ると思いますよ。今は人手不足ですけどね」
そして、ゆっくりと瞳を閉じた。





