自分の目指すもの その四
「どちら様ですか? 見覚えが無いんですけど」
現れたのは女の人だった。
ブロンドの髪は軽くウェーブがかかり背にする夕日を跳ね返し眩く輝いている。 俺を見つめる垂れ気味みの目は一見するとお嬢様のように見える……、見えるのに空気が違う。
明らかに雰囲気が違う。
纏っているオーラが違う。
父さんから格闘技を教えてもらっていた時に感じた気迫を今感じている。
逃げられるか? 周囲から人もいないし、助けを求められそうもない。
「見覚えは無いと思うぞ。私とお前は初対面だ」
「それなら、俺に何の用ですか? 道に迷ったわけじゃないでしょ?」
「一般人から魔法使いになった実力が見たいなと思って」
やっぱり魔法使いか。
この異常事態を引き起こせるのは魔法使いだけだしな。
「篭手調べで今から右手で殴る。避けろよ」
見た目とは違う暴力的な言葉遣い。
何かが引っかかるが、今回も考えている時間はないらしい。
「五、四――」
手を開いたと思ったら指を一本ずつ折り始める。
カウントダウンのつもりか。
逃げるか、戦うか。
「――三、二」
ここは、逃げる方が早そうだな。
魔法を使い足をバネに変える。
思いっきり踏み込み、螺旋を描く足が折りたためなくなるまで力を溜める。
「一」
相手の右手の指が全て折られる前に俺は跳び出す。
体に加速の負荷がかかる。
「零」
互いの距離が近づき、向こうは拳を握り締めこちらに焦点を合わせる。
この速度が相手でもしっかり捉えられるのかよ!
しかしこっちの方がわずかに早く、俺は女性の脇をすり抜けて離脱する。
このまま一度学園に戻って助けを呼――
「お帰り」
なぜか俺の進行方向にブロンドの髪が見えた。
夕日の赤い光を受ける顔はお嬢様というよりも鬼に近い。
鬼は固めた拳を真っすぐに突き出す。
これは失敗だった。
最速で学園に向かうつもりだったのに、それが仇となった。
この速度でぶつかれば頭から突っ込む俺が危ない。
そう思った時、右手が自然と動いた。
無意識にブレーキをかけようとしていた。
ブレーキが壊れた自転車を足で止めるように、俺の手は地面に触れようとしていた。
手を高質化するば速度は落ちるが、どの道あちらの攻撃は俺に当たってしまう。
それなら書換るのは手ではなく地面の方だ。
手が地面に触れる。
最初に触れた中指がわずかに痛む。
そして触れた中指からコンクリートは砂に変わる。
中指、薬指と右手が徐々に砂の中に埋もれていき、加速した速度を利用して砂を巻き上げる。
周囲に砂煙を巻き上げながら速度は落ちていき、やがて止まった。
それと同時に舞い上がる砂塵は相手の右手一本で掻き消えた。
「かすりもしないとは思ってなかった」
「こっちは死にかけたんだけどな」
俺にとっては全身全霊の動きでも、向こうからしたらただ一発殴っただけ。
それほどの力量差。
ここから勝てるイメージを作らないといけない。
「一年でこれなら期待が持てる。家の愚弟よりもマシだな」
「愚弟?」
「私の名前は猪川瑠衣。猪川猿弥の姉だ。弟と麗奈から話を聞いて是非一度手合わせ願いたかったんだ。噂に違わぬ強さで満足だ」
いまだに思考が追いつかないのは、全力で戦ったからか、俺が馬鹿だからなのか……。
猪川の姉を名乗るこの人は、放心している俺を置いて話を続ける。
「一般人が二か月でこうまで使えるようになるとはな。もしかして他の一般人も同じようにできるのか? それならすぐに強そうなのを片っ端から誘いたい」
「無理だと思います。学園長も草部先生も珍しいって言ってたので」
この人が二年生最強の魔法使いか。
改めて観察すると、戦意がないからか空気も穏やかで琥珀色の目もキラキラとしている。
庶民の生活に初めて触れたお嬢様みたいだ。
「それは残念だな」
「猪川先輩、さっきのパンチは何割くらいですか?」
「三割ほどだな。全力で殴って後輩を殺してしまうわけにはいかないからな。それと私は瑠衣でいい」
今ので三割。
たったの三割でさえ俺が死を感じるレベル。
そしてこの人の上にはまだ強い人がうじゃうじゃいる。
ふと宮内先輩の話を思い出す。
守れる男じゃないと麗奈には釣り合わない。
それは千歳にも言えることだと実感した。
千歳が襲われた時に、俺は助けられるだろうか?
釣り合えているだろうか?
「瑠衣先輩。もう一度手合わせお願いできますか?」
自然と口から零れた言葉は俺の本心だった。
好きな女子を守れるくらいには強くならないといけない。
二か月前の俺なら考えもしなかったが、この二か月圧倒的に強い人たちとの戦いで自分の無力さを知った。
もっと強ければスポーツテストであんな無茶をしなくてよかった。
もっと強ければ校外学習で全員を救えた。
まずは強くなろう。
偉大な魔法使いになると言っていた千歳の隣に立つために。
「いいよ。元々そういうのが好きなんだ。言ってくれればいくらでも相手になってあげるよ」
瑠衣先輩は体から力を抜いた。
腕はだらんと垂れ、頭も左に傾き、呼吸の度に体がわずかに揺れる。
まるで骨が無くなったと勘違いするほどの脱力。
それに対して俺はしっかりと構える。
相手に対して半身になり、防御に使う左半身を先頭に右半身はいつでも攻撃をできるようわずかに後ろに引く。
「じゃあ、行きます」
半身のまま一歩踏み出す。
着地に合わせ、足、腰、肩の順に力が流れるように拳を突き出す。
俺の拳との間に見えない棒が付いているように、瑠衣先輩は一定の距離を保ちながら体を引き、伸びた俺の手を掴み自分の肩に乗せる。
投げられる!
咄嗟に重心を後ろに戻すが、それを待っていたように先輩も重心を俺に被せる。
このまま俺を倒すのが目的。
それなら望み通りに倒れてやる。
拘束が緩んだ右手を先輩の首に絡ませる。
首元に確実に腕が絡んだ。
裸締めが決まれば無理に起き上がるのは難しい。
そのまま倒れ込む姿勢のまま魔法を使う。
足元にあるコンクリートを砂に変える。
範囲は広く、先輩も足元が突然変異したことにより足を滑らせる。
そのまま俺を下に倒れ込む。
砂がクッションになっているとはいえ、それなりの衝撃に一瞬だけ呼吸が止まる。
ここからが本番だ。
自分の体もろとも、砂を鉄に書換拘束する。
先輩の力なら力ずくで裸締めを振り切るかもしれない。
それなら高速の数を増やすだけだ。
両手足、胴体、関節全てを鉄で拘束し、自分の腕も固定する。
首を絞められながらイメージはできないはず。
魔法で勝てないなら魔法以外で戦う。
このまま閉め落とせば俺の勝ちだ。
「手際が良いよ。でも、私も魔法使いだ」
首を全力で締め上げているのに、どこから声が出てるんだ?
次の瞬間、俺の体が急激に熱くなる。
燃え盛る火の側にいるような暑さが、じりじりと俺の体を焼いていく。
そう思った矢先、裸締めと拘束ができているはずの先輩が起き上がる。
「格闘技経験者ってわけだ。でもそれって人間用だろ? 炎を相手にはしていないよな?」
起き上がった先輩の体は燃えていた。
ブロンドの髪は夕日のように赤く、先輩の後ろは陽炎のように揺らめく。
「まだ思考が一般人だな。ありえないことまでイメージして捕らえるんだ【悪魔の右手】」
そして初撃以来初めて先輩は構える。
構える右手は炭化したように黒く、所々から炎が噴き出す。
周囲が揺らぐほどの高温、熱が無くても切り裂くような鋭利な爪、力負けしないように倍以上に肥大する。
マクロの通り、悪魔の様な造形に書換られた腕を距離も関係なくただ横に振る。
一瞬だけ景色が揺らめき、また次の瞬間には足元の砂はガラスに変化していた。
砂がガラスになるほどの高温……。
その事実に俺は座り込んでしまう。
「流石にこれをぶつけては手合わせではないからな。今回は私の勝ちだ」
足元から視線を先輩に向けると、右手は元の姿に戻っていた。
「一年にこれを使うとは思わなかったよ。私は君が気に入った。格闘技も素晴らしい。いつでも声をかけてくれ、いつでも相手になってあげるよ」
去って行った瑠衣先輩をただ茫然と見つめる。
いつの間にか元の場所に戻っており、道の真ん中にへたり込む俺を通行人が不思議そうな顔で眺めていた。




