泥
ファントムが部屋を出るのを見送って、メグを探す。同じ部屋だし、どうせなら一緒に帰りたい。
外はすっかり丸い月が出てしまっている。早く帰らなきゃ。
メグはバレリーナで私は歌手希望。パートが違うから部活では顔を合わせられなかったけれど、どこかにはいるはず。
大きな音楽室の隅にバレリーナが集まっているのが見える。バレリーナは女の子の志望者が多いからか、妙に若々しい雰囲気がその辺りだけ漂っている。
ポツンとただただ立っている私だけが取り残されている。それが寂しくて集団に割って入っていく。集団に入っていくと、すぐにメグは見つかった。けれど……。
――リトルと一緒にいる――
「……」
メグとリトルは楽しそうに話している。
――あの女……。
歯をギリギリと食いしばる。石の足を強引に前へ前へと動かし、集団の中を裂いていく。
「メグ!」
大声で叫ぶと一斉に視線が私に集まる。もちろん、メグとあの女、リトルも。私はなんとか強張った顔で笑顔を作って、メグとリトルに近付く。
「よかった、探していたの」
「そうだったの」
「ええ。同じ部屋でしょ。一緒に帰ろうと思って」
メグの右腕をグイと引っ張って、リトルから距離をとる。
「ね、行こう」
メグの腕を引っ張って集団の中から抜け出す。メグは戸惑った顔をしているものの、やがて自分から部室の外へと足を踏み出してくれた。
私達はお互い無言のまま部屋を目指して一直線に進む。私は口を開けては閉ざし、閉ざしては開けを繰り返していた。
リトルと何の話をしていたか聞くべきか、否か。聞くのは癪に障る。でも聞かないと後悔する。モヤモヤとい黒い感情から逃れるように、空気を求めて口を開ける。
やがて自室の前に着く。私は扉を開けて、メグに先に中に入ってもらう。私のベッドにメグは腰かける。それを見届けてからメグの隣に浅く腰かけた。
「それで一体、どうしたの」とメグ。
「何でも、ないよ。ただ早く帰りたかっただけで」
「そう……」
メグは言葉では頷きつつも、表情は納得していない。
リトルのことを聞くべきか、否か。化粧台をただただ呆然と見ながら考える。
聞くのは負けたようで嫌だ。でも聞きたい、聞きたい、聞きたい。あの女と何を話していたのかを。聞きたい。
「あの、メグ。ちょっと気になったんだけど」
「ん?」
「あの、私がメグに会いに行くまで。その。女の子と話していたけれど」
うまい具合に誤魔化しながら話す。するとメグは「やっぱり」と掠れ声を出す。
「やっぱり?」
「ええ」
メグは相変わらずの掠れ声だ。おまけに目はキョロキョロとせわしなく動かし、手遊びをしている。何かに怯えているようだ。その対象は――。
「どういうこと」
その先の思考を断ち切って質問する。
「私があの子のこと、気になっているって分かっていたの」
「うん。その。……聞いちゃって」
「聞いたって何を」
メグは一瞬、目線を手に落として沈黙。
ガタガタと風で扉が鳴る。
そしてスッと息を吸う音が聞こえて、メグが口を開く。
「あの子。リトルって子が。――妹だって聞いたの」
――ドタン――
けたたましい音。扉が何かに叩きつけられた音。
俯くと扉の下から赤黒い泥が流れてくるのが見えた。ポコポコとやけに愉快な音を立てて、泥は部屋に侵入してくる。
「誰から聞いたの」
私は努めて明るく笑顔で接する。
「その……リトルから」
「そう」
泥は部屋全体を多いはじめ、足元をゆっくりと濡らしていく。気味が悪い。猫の下のむず痒い感触だ。
口角が下がり、口元がひきつる。なんとか口から言葉を吐き出す。
「なんだ、知っていたんだ。ごめんね、教えなくて。私もつい最近知ってさ。メグもビックリしたと思うけど、私もそれはもうビックリしちゃってさ」
息継ぎする暇もなく、次から次へとマニュアルのようなセリフ。けれど無意識に口から出る言葉とは反対に頭は働いていた。
結局はあの女のせい、か。
『歌学』をプレイしていた頃は、リトルがクリスティーヌの妹だと周囲に認識されているのは自然な成り行きだと思っていたけれど。裏ではあの女が言いふらしていたのか。そうか。そうだったのか。全部。
――アノオンナノセイ――
泥は相変わらず部屋に雪崩込み、ベッドの高さを軽々と超えていく。凄まじいスピードで段々追い込まれていく。なのに、私に、逃げ場は……ない。
「いろいろと落ち着いてから皆には言おうと思っていたの。ごめんなさいね」
「ううん。それは別にいいのだけれど。その。大丈夫なの?」
「大丈夫?」
ナニガ……。
言葉に詰まった私を見て、メグが身を乗り出す。
「その、いきなり妹が出来て戸惑うところや面倒なこともあるだろうから。だからその……。何か困ったことがあったら言ってね」
「ええ」と私はとびっきりの笑顔で頷く。メグは本心から私のことを心配してくれているのが伝わる。
だからこそ、ここは私ではなく「クリスティーヌ」として答えなければならない。
「困ったことなんて何もないわ。私、ずっと一人ぼっちだったから嬉しかったの。妹が出来て。このルルー学園に入学することが出来て幸せよ。メグのような素敵な友達にも出会えたもの」
私の言葉にメグははにかみながら、愛らしく笑う。
反対にその隣にいる私は汚らしい。泥が体中を覆いつくしていた。首から下は泥まみれで動かない。重い、苦しい。下唇まで泥が這い上がってきている。
私はベッドにの後ろに倒れ込んだ。吐き気を懸命に抑えつけながら天を見つめ、やっとの思いで口を開く。
「そろそろ寝ようか。入学早々疲れちゃった」
「そうだよね。おやすみ、クリスティーヌ」
パチンと小さな音がして目の前が真っ暗になる。メグが部屋の電気を消した音だ。
目をつむる。相変わらず泥はこびりついたまま。顔をザラザラと撫で、頭の上まで包み込まれていくのを感じる。
せっかく『歌学』の世界に転生して、ファントムに会えたのに。それなのに――この泥と一生付き合っていくのかと思うと辟易した。
体が異常に硬い、動かない。
重みでベッドに沈み込んでのめり込んでいく。深く、深く。




