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練習開始

 リトルが、妹が、来た。


 きっとこうなるだろうと思っていたから、驚きはしないけれど。でも、腹立たしい。憎たらしい。


「あーそうなのか。それはありがたいな」


 部長はうんうんと力強く頷き、リトルに楽譜を手渡す。

 リトルはチラリと楽譜に目を通したかと思うと、視線を前に向ける。そして……目が合った。


「……」

「……」


 鈍い色をした沈黙。お互いに目を逸らさない。

 最初に動いたのはリトルだった。リトルは苦しい笑みを浮かべながら、ペコリと会釈する。


 本当は顔を合わせたくなかったくせに、無理して笑うところも。お辞儀をするところも。大嫌いだ。


 ルルー学園では部活に年齢は関係ない。それこそおじいちゃん、おばあちゃんからまだよちよち歩きのどこか危うい子供まで。だからこそリトルは授業はともかくとして、学園内には入ることが出来る。

 『歌学』ではリトルは部活の時間以外にも学園に遊びに来て、たまにクリスティーヌとおしゃべりをするのだけど。クリスティーヌが私に代わったとしても、きっとそういうところは変わらない。


 ふとパンパンと手を叩く音が聞こえる。


「さ、仕切り直そうか」


 私のグチャグチャとした思考を斬り裂くように、部長が一声を発した。


「さっきの配役の話だけど、ここは新入生がたくさん来てくれたくれたことだし一年生にやらせたい。そこで王子役は正真正銘のファントムに任せたいんだけど、どうだい」


 アマンド部長はゆっくりとファントムに目を向ける。ファントムは優雅な足取りで前に出て、しっかりとした口調で「はい」と答えた。


「で、町娘役はクリスティーヌにお願いしたい」

「はい」


 私も大きくしっかりとした口調で答える。それこそファントムに負けないくらい。


 ファントムをチラリと見てみる。ファントムは向かい側にある白く反射する黒いピアノの隣で譜面を黙々と読んでいる。ただそれだけの仕草に見惚れてしまう。


 音楽室に一瞬、爽やかな風が吹く。真っ赤な薔薇の花びらが宙を舞って鮮やかな気分。


 ファントムと目が合った。


「!」


 バクバクと胸が高鳴る。

 ファントムの凛々しい目元に飲み込まれていく。一人で海を漂っていく。どこまでも深く潜っていくのに日が当たって眩しい。綺麗。


 ファントムの口が開く。


「クリスティーヌ」

「は、はい」


 呼ばれた。


 いつ聞いても安心する声。心地がいい。


「練習しよう」


 手をゆっくりと差し伸べられる。私は真っ直ぐファントムに向かって歩いていく。


 黒光りするピアノは先程より影が濃い。夕日の赤がオペラ部員の顔を照らし出していく。その赤の中に妹はいない。


 安心して張り詰めていた肩を息と共におろす。


「ええ」


 私はファントムの手を取る。


 手を取るだけで胸が躍る。ひらひらとスカートを舞い上げる。くるりくるりと回り出す。

 転生する前だったらきっと面倒だった稽古も、大好きなファントムとだったら嬉しくてたまらない。


「あの、すみません。ファントム」とはるか後ろでこちらを窺っていたミフロイドが小声で話しかける。


「私は少しお側を離れますので。くれぐれも気をつけて」

「分かっている」


 ミフロイドは踵を返して、ラウルと同じ方向へ歩いていく。


 ミフロイドはファントムの為にオペラ部に入部。最初はファントムの為にバイオリン担当として入部するが、クリスティーヌと接するうちにファントムの為でなくオペラ部の為に頑張っていく。


 ミフロイドルートも素敵なんだよなー。あ、でも。


 私はブンブンと首を振る。


 そうは言っても私はファントム一筋。今はファントムに集中しないと。


「まずクリスティーヌの歌だが」

「は、はい」

「元は悪くない」

「! 」


 ファントムを熟知しつくした私だからこそ、分かる。今の言葉はファントムなりに褒めてくれている。

 まぁ、本来ならきっちりと褒めてくれるのだけれど。それでも褒めていることが伝わってくるだけで、嬉しい。


「だが、基礎がなってないな」

「……基礎」

「ただ歌えばいいだけじゃない。ビブラートの使いどころ、声の出し方、抑揚。自分の持っているもの全てで表さなければ、それは歌ではない」


 眼差しが私を捉える。胸が熱くなる。


「お前の場合はまず姿勢からだ」


 姿勢?


 胸に手を当てながら微かに首を傾げる。姿勢ってどういうことなんだろうか。


「入学式の時だが……姿勢が悪かった。全くリラックス出来ていない」

「……」


 確かに。あの時、姿勢にまでは気を遣っていなかった。転生したことに気付いて頭がいっぱいだったし。緊張してそれどころじゃなかった。


「お前、自信がないんだろ」

「っ! 」


 自信が、ない。その通りだ。私は……。


 ――自分自身に対して自信がない――

 誰からも好かれていない。愛されていない。


 ボコボコと水の音が耳に入る。空気の泡。私の口から空気が漏れ出している。


 苦しい、苦しい。


「大丈夫だ」


 ファントムの優しい声。


 水の中に白い手が差し伸べられる。


「お前も歌に自信が持てるようになる」

「え?」

「これから俺について練習すればな」


 ああ。そういうことか、と一人納得。


 白い手を掴もうと私も手を伸ばすが、軽く小指に触れただけで白い手は私の手を取ってはくれない。


 自信がないって歌のことか。


 私は笑顔を作って『歌学』のクリスティーヌと同じセリフを喋る。


「ご指導おねがいします」

「ああ」


 空の色が赤から黒くなっていくのを感じながら、ペコリとお辞儀をする。ファントムの視線は変わらず優しいままだ。




 パンパンとふと手を叩く音が聞こえる。ハッとして目をファントムからアマンド部長へと移す。


「もう遅いから今日の練習はここまで。明日もこの時間だから、忘れずに来るように」


 ファントムは窓を見つめている。私もそれにつられて窓を見てみると真っ暗。月と星がキラキラと輝いている。

 ファントムが隣にいるからか、『歌学』の世界だからか夜の景色が美しい。


「クリスティーヌ」

「は、はい」


 ファントムに名前を呼ばれる。


 いよいよ、だ。いよいよ『歌学』最初の選択肢の場面。


「明日もよろしく頼む」

「あ、はい」


 よし、ここで選択肢。「ありがとうございました」と「明日もお願いします」の二択。どちらも正しく見えるけれど、ここは……。


「ありがとうございました。いろいろと教えていただいて」

「いや、礼を言われるほどのことでもない。それに勝手にお前の先生を名乗っているわけだしな」

「いえ。私、嬉しいです。ファントムに教えてもらって。この一日だけでもかなり上達しましたし。明日ももっと上達したいです。だから、明日もお願いします」

「ああ」


 ファントムはフッと微笑む。ここはスチルにもあったシーン。


 風がフッと髪を撫でる。木々の揺れる音が聞こえる。川の水がわずかに跳ねる。


 やっぱりいいなぁ、ファントムの微笑み。


「また、明日な」

「はい」


 ファントムは軽く手を挙げて誰よりも早く部室を去っていく。それに続いてミフロイドが慌てた様子で出ていった。


 また明日。明日もファントムに会える。嬉しい。



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