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憧れの人

 入学式が終わり、生徒達は私の横を素通りしてそれぞれの教室へ向かっていく。私はただただ呆然と立ち尽くしていた。


 今の私にはもちろんだがセーブ機能はついていない。歌で失敗してもロードが出来ない。

 どこかで軌道修正をかけなければ。


 私はフッと息を吐いて後ろにいるメグを振り返る。


 幸い、私とメグは同じ教室だ。他の攻略対象は違う教室なのだけれど。


「メグ、そろそろ教室に入ろうか。確か、一緒の教室だよね」

「え……」


 メグは固まったようにこちらを見つめる。そして「違うけど」と疑うように私を見た。


「私はマリアだけど、クリスティーヌはマールスだったはずよ」

「え。そ、そうだったけ」


 私は苦笑いを浮かべながら取り繕うように言葉を続ける。


「ちょっと。その。緊張しているみたいで。物忘れが酷いみたい」

「平気なの」

「ええ。大丈夫」


 やっぱりさっきの歌といい、おかしい。崩れ始めている。


 『歌学』では私とメグは同じマリアの教室。王子のファントムと護衛の騎士団長ミフロイドはクロス、幼馴染のラウルはナザレの教室だったはず。

 なのにどうして。そもそもマールスなんて教室、『歌学』では一切聞いた事がない。

 それともここは『歌学』の世界じゃないのか……。似たような別の世界に来てしまったとか。

 そう考えればこのおかしな状況にも説明がつく。そうだとすると。

 ――私の大好きなファントムとはきっと会えない――


 私はガックリと肩を落しながらメグと体育館の外へ出る。


 廊下はまだまだ人で溢れかえっている。嫌な考えを振り切りたくてマジマジと人の顔を見てしまう。話せなくてもいいから、せめて一目でもファントムを見たい。


「おい」


 後ろから聞き覚えのある声が呼びかける。


「おい」


 何度も、何度も、何度も。ゲームで聞いた心地よい声だ。この声の主を間違えるはずがない。


「……ファントム」


 後ろを振り返ると、やっぱり……。ファントムだった。艶のある黒い髪、凛々しい目つき。赤で統一された服が美しい顔を引き立たせる。

 そしてその後ろにはファントムを護衛しているミフロイド。眼鏡をかけていて紺に似た髪。服は茶色。見た目通り性格も真面目。


「お前、入学式で歌っていたクリスティーヌだろ」

「は、はいっ」


 あのファントムに声をかけられている。さっきまで会う事すら半ば諦めていたのに。憧れのキャラが今、他でもない私に話しかけている。

 本当にここは『歌学』の世界。そして私は正真正銘、このゲームのヒロインだ。


 メグは私の腕の裾を掴んで「王子に声かけられてるよ」と興奮気味に話している。


「さっきの歌、聞いていた。歌は普通だったが、お前の度胸は惹かれるものがあった」

「え」

「一緒にオペラ部に入らないか」


 おかしい部分もあったけれど、これは完全に『歌学』のストーリーそのもの。ストーリー補正みたいなものがかけられているのか? 

 いや、もう、そんなことはどうでもいい。あのファントムにオペラ部に入ろうと誘われているのだから答えなんかとっくに決まっている。


「はいっ、もちろんです」


 私は勢いのまま、ファントムの手をグッと強く握る。

 手は滑々でほんのりと温かい。気持ちが穏やかになる。


「歌の面に関しては俺がお前の歌の先生になってやる」

「は、はい」


 しかもしかも、あのファントムが先生に……。『歌学』と同じように、クリスティーヌに歌を付きっきりで教えてくれるのはファントムだ。


 やっぱり。どれだけ失敗しても私の姿がヒロインである限り……。

 ――『歌学』のストーリーと同じになる――


「あ。そういえば私もオペラ部に入ろうと思っているの」


 メグは王子に声をかけられたことが嬉しいのか、目をキラキラと輝かせてファントムに話しかける。


「そうなのか」

「ええ、バレリーナ志望なんだけどね」


 ファントムとメグはにこやかに笑い合っている。


 美男美女。二人共ものすごく絵になる。けれど今の私はクリスティーヌだから、他人からしてみれば私とファントムもそれ以上に絵になる光景なのかもしれない。


「王子」


 後ろにいたミフロイドが静かに声をかける。


「そろそろ教室に行きませんと」

「ああ、そうだな」


 ファントムはスッと私の手をどけて、その手を軽く上に振り上げた。


「また音楽室で」

「あ、また」


 ファントムは赤くなった私の横をいい匂いと共に横切っていく。


 ファントムに、あの憧れのファントムに会えた。話しかけられた。手に触れられた。また、と再会の言葉をかけられた。たったそれだけのことで私の口元はだらしなく緩んでしまう。

 さっきまでどこか冷たくて先の見えなかった廊下も、今は桃色に輝いて廊下の奥で固まって楽しくおしゃべりしている生徒達の姿が見える。


「さて、そろそろ私達も行かないとね」とメグ。


「うん」


 私とメグは生徒をかき分けながら一年の教室へと向かう。


 さっきまで変に意識してしまっていたシャンデリアや大理石も、今はもうただの景色だ。


 長い廊下を突き進むと、教室が見えてくる。一番手前の教室がファントムとミフロイドがいるクロス。十字架の小さな絵が天井から吊るされている。その次はナザレ。吊るされている絵は山と家といった町が描かれている。ここはまだ会っていないけれど幼馴染のラウルの教室だ。

 そしてその次はマリア。ふくよかな聖母をイメージしているこの教室は、本来メグと私のクラスだったはずだ。


 メグは一歩教室に足を踏み入れて私を振り返る。


「それじゃあ」

「うん」

「またオペラ部でね」


 メグはどこか軽い足取りで教室へ入っていく。

 反対に私は重い足取りでマールスの教室を目指す。


 マールスってどんな絵が吊るされているのだろう……。攻略対象がいる教室は専用のスチルがあったから、すぐに分かるけれど。


 キョロキョロとしながらしばらく歩くと、攻略対象達の教室とはかなり離れたところにポツンとある教室を見つける。

 天井に吊るされている絵は鮮やかな赤いりんごだ。そのりんごの下に「malus」と小さく書いてある。


 なんだか攻略対象達の教室の絵とは違ってデザイン性がないというか。良く言えばシンプル、悪く言えば地味でダサい。


 私は何度目か分からないため息を吐いて、教室へと足を踏み入れる。

 教室を見渡すと、木製の暖かみのある長机がズラリと列をなしている。生徒達は好きな場所に座り、既に仲の良くなった人達で固まっておしゃべりしている。

 もちろん、私の知らない人たちばかりだ。


 完全に出遅れた……。


 焦る気持ちを静めながら早足で一番後ろに座る。


 入学式や新学期は一番初めが肝心なのに。初めにクラスの子と仲良くなってある程度のグループを作っておかなければならない。そうでなければこのまま……。

 ――孤立する――


 ガンッと小さく音を鳴らして机に頭をぶつける。


 終わった……。


 涙目になりながら今後の学校生活を考える。


 この先どうしようか。確か『歌学』の最後のイベントは修学旅行だったはず。さすがに修学旅行で一人ぼっちは辛い。辛すぎる。

 いや、でも、待てよ。ここはなんやかんやあるけれど『歌学』の世界。そして私はヒロインのクリスティーヌ。ということは、この全く知らない生徒達とも仲良くなれるスキルか何か持っているんじゃ。


 私は勢いを付けて顔を上げる。すると隣からガタンと誰かが椅子に座った音がする。


 ほら、やっぱり。私が心配する事なんて何もなかった。


 口元がにやけるのを堪えながら隣を見る。


「……」


 視界に黒が映る。

 隣の人は黒いフードを目深に被っていた。


 この人は確か、入学式に行く前にぶつかってよく分からない言葉を残していった不思議な人。


 フードの男性は私に顔を向けることなく、ジッと前を見つめている。


 この人は一体誰なんだろう。


 私はジッと男性を見つめる。男性は相変わらずこちらに話しかけるどころか、やはりこちらを見ようともしない。

 ただ一つ気付いたことといえば、男性の着ている黒い服の左肩の部分に蛇が刺繍されていることだけだった。

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