公演前
オペラ部の公演は明日に迫っていた。部員たちはそれぞれ準備に明け暮れている。
そんな中、私はファントムとかなり長い間練習を共にしていた。
「よし、クリスティーヌ。最初から最後まで通しで合わせてみよう」
「は、はい」
私はふぅ、と少し長めに息を吐いて呼吸を整える。
オペラの最初は私の独唱から始まる。私は大きく深呼吸をして口を開いた。――が、歌おうとした瞬間お馴染みのパンパンと手を叩く音が隣で響く。
アマンド部長が「まぁまぁ」と私とファントムの間に入ってくる。
「張り切るのもいいけれど休みも必要だよ。これ以上喉を使ったら明日の本番ではガラガラになってしまう」
そう言われファントムと顔を見合わせる。ファントムは「そうだな」と言葉を発した。
「確かに部長の言うとおりだな。今日はここまでにして明日に備えよう」
「はい」
明日が本番だと思うと不安になるが、一応はきちんと練習していたし大丈夫だろう。と、なんとか心を落ち着かせる。
それよりも、だ。気になるのはクリスティーヌの妹リトルだ。ドレスを破られてもオペラに参加し、さらには今、笑顔でバレリーナ達とおしゃべりをしている。
全くめげていない。
その様子にイライラしてしまうが、心を落ち着かせてリトルから無理にファントムへと視線を変える。
ファントムは私が見ているのに気付いて、微かに笑みを浮かべる。
ああ、やっぱり……。顔がいいなぁ。
「それじゃあ、部屋に戻る」
「はい」
ファントムは制服をなびかせながら踵を返す。
「おやすみ。また明日」
「おやすみなさい」
ファントムはミフロイドを連れ添って、音楽室から出ていった。音楽室の扉が閉まりファントムがいなくなったのを確認してから、私は大きく伸びをする。
ファントムと練習するのは楽しいし、励みになる。のだけれども、気が抜けないのでちょっと疲れる。
私は妹へ目を向ける。まだバレリーナの子達と和気あいあいと練習している。同じ部屋のメグも一緒だ。
メグと一緒に帰ろうと思っていたけれど、喋りかけづらくて一人音楽室から出ていく。
寂しい……。
明日が本番だというのに何故か心が苦しくて眠れそうになかった。
ふわっとキツイ匂いが鼻につく。
私は夕飯を食べた後、ラベンダーが咲く裏庭へ来ていた。
空はまだ明るい。夕日が完全に沈むまで時間はかかりそうだ。
ここに来るのは久しぶりだった。ここ最近はオペラ部の練習で忙しかったから、この紫一面の光景を見ていなかった。
そして――。
「ここにいていいのか」
「ええ。今日の練習は終わりましたから」
そして――こうやってエリックと話すのも久しぶりだ。もちろん教室では顔を合わせてはいたけれど、きちんと話をしたのはリサとカナと一緒にクレープを食べた時で、それ以降はまともに話していない。
私は数メートル先でラベンダーの世話をしていたエリックへ近寄る。
「いつも会う時は夜だったから、こんな明るいうちにいるなんてちょっとびっくりしました。まぁ、いるかもしれないとは思っていましたけれど」
「いつも夜にいることが多いが、気分が落ち着かなくてな」
明日の公演のことでモヤモヤしている私はともかく、エリックも?
気にはなったものの、まぁいいかと木製の椅子に座る。エリックも私から拳一つ分開けて隣に座った。
二人で静かに夕日の橙とラベンダーの紫を見る。風が頬に当たり、心地がいい。
「……明日が公演らしいな」
「知っていたんですか」
「まぁな」
フードからエリックが微かに笑みを浮かべているのが見える。
「上手くいきそうか」
「どうでしょう。不安ではありますけど、でもやれることをやるだけですから」
「そうか」
しばらくの無言。エリックとは会話が弾まないことの方が多いが、別に嫌じゃない。エリックは攻略対象じゃない。だからクリスティーヌを演じなくていいからだ。
自分のままでいられる。気が楽だ。会話を弾ませなくてもいい。私が無言でも気にしなくていい。
「そういえばリサとカナが明日の公演、見に来てくれるって言ってました」
風で揺れているラベンダーを見ながらポツリと話す。
「エリックは……来てくれるんですか」
エリックはオペラ部ではないもののアドバイスもしてくれたし、いろいろと助けてもらった。一応は誘うのが礼儀だろう。
でも、本当は。
私はエリックの横顔を見つめる。エリックは目の前を見つめたままだ。
本当は私が見に来てほしいだけだ。――何故かは分からないけれど。
妙にドキドキと胸を高鳴らせながらエリックの反応を待つ。
「……ああ。見に行くつもりだ」
「そうですか」
その返事を聞いてホッと息を吐きながら、首を傾げる。
今無意識にホッと安心してしまったけれど、別に安心する必要はなかったのに。
夕日はどんどん沈んでいく。景色が赤から黒に変わるのも時間の問題だ。
「クリスティーヌ……いや、君に伝えたいことが」
「何ですか」
エリックに呼びかけられて耳を傾ける。いつになく真剣な声色だ。
「君に言ったことがあるな。ファントムを恨んでいる、と。そしてもう復讐は始まっていると」
「ええ」
「明日、全ては明日だ」
「明日?」
オペラ部の公演以外に何かあったけ。いや、もしかして公演中に何かするつもりなのか。
蛇の刺繍に目を向けた。微かにうねっているようにも見えた。
別に気味が悪いというわけでもないけれど。不思議な光景で目が離せなくなる。
「誰だっ!」
その時、急にエリックが険しい顔でバッと後ろを振り返る。妙にゆっくりと立ち上がって、ラベンダーを抜けた校舎を睨みつけている。
私も立ち上がって校舎を見るも、人影は特に見えなかった。
「誰かいたの」と小声で問いかけてみる。
「……視線がしたような気がしたんだが。気のせいだったみたいだな」
そうは言っているもののエリックの視線は校舎を睨みつけたままだ。
「君はもう帰った方がいい。明日は忙しいんだろう」
どこか有無を言わせないその言葉に、ここにいたいと思う気持ちを抑えつけて静かに頷いた。
「分かりました。その、あの……」
「なんだ」
「あの、また明日」
「ああ」
エリックは目だけをこちらに向けた後、また校舎へと目を向ける。
夕日は沈んで星が徐々に出始めている中、私はなんだか嫌な予感を感じていた。




