蛇の顔
――傷。
まず目についたのが傷だ。頬から口元へ裂けた傷。傷口は昔のもののようでふさがっているが、肌と肌の継ぎ目がいびつで痛々しい。
けれどそれ以外は、攻略対象ほどではないけれど整った顔をしている。さすが『歌学』のキャラクターである。黒髪に黒い目、薄い唇。きめの細かい肌。
傷さえなければ……と思う。
「その傷、どうしたの」
隠し通さずズバリ、と聞いてしまう。こういうのは聞かない方が失礼なのだ。
エリックの瞳は紫に揺らめいた。スッと息を吸う音が聞こえる。
「これは……。戒めだ」
「戒め?」
「母を死なせたことを、ファントムの身勝手を、忘れないために」
その言葉に思わずエリックを凝視する。
つまり、頬の傷を自分で傷つけたということになる。そこまでファントムを恨んでいるのか。一生、後に残るような傷をつけるまで。
私はエリックに問いかける。
「それでどうするつもりなんですか。ファントムのこと」
「やはりそうきたか」
夜はまだ長い。星が瞬いている。
私はチラリと空を見ながら欠伸を噛みしめる。
ファントムがエリックにしたことは酷いとは思うけれど。でも、ファントムは私の憧れの人なわけだから。ファントムにどういう仕返しをするのか、知りたい。
ファントムはエリックの母を間接的ではあるとしても死なせた。
「まさかファントムを殺すなんてことは……」
「大丈夫だ。君の心配しているようなことにはならない」
「そう」
その一言にひとまず安心する。そうして目だけで「だったら何をするつもりなのか」と問いかける。
エリックは私が欠伸を噛みしめている中、裂けている唇を大きく開けて一つ欠伸をする。
「それにもう始まっている」
「始まっている?」
どういうことかとエリックに目をやるが、何も読み取れない。それでも何を考えているのかと凝視していると、急にエリックは立ち上がる。
ザァと風が吹いてエリックの黒髪が揺れる。ファントムとはまた違った黒。真っ黒で光が差さない。けれど、その黒が居心地がいい。
エリックは私を振り返る。そして自分自身の唇に人差し指をそっと当てた。
「それは秘密だ」
「ここまで言っておいてお預けですか」
「……言わなくちゃいけないことか」
「……」
少し間を置く。その間、私は堪えられず大口を開けて欠伸をした。『歌学』のヒロインあるまじき姿だ。
ここ最近いろいろあったからか、なんだかものすごく眠い。そんな思考が定まらない頭で言葉を選ぶ。
「……まぁ別にいいけれど。これは私の問題でなく、あなたの問題だから。ただ、その。気をつけて、やりすぎないように」
エリックは目を細めてフッと笑い「善処する」とだけ答えた。そして「それではまた」と手を振ってここからどこかへ去っていく。
何なんだ一体、とまた大あくびをしながらグッと伸びをして私も立ち上がる。
ファントムに何をするのかも気になるが、エリックのことも気になる。もしエリックが何をするかは分からないけれど、仕返しをやりすぎてファントムの怒りをかうようなことがあったら……。ファントムは第一王国の王子。エリックを裁くことの出来る人物だ。
私の「やりすぎないように」の意味を見透かしてくれているといいのだけれど。
私は一度風に揺れるラベンダーを見た後、歩き出す。
エリックが何をするのかも気になるけれど。人のことを気にしている場合じゃない。自分のことで手一杯なのだ。ファントムの攻略、妹の存在。そしてドレスを破った犯人が私だと疑われていること。煩わしいことが多い。
足音を立てないように自分の部屋の扉の前に立つ。そして同室のメグを起こさないようにドアを開けた。メグはこじんまりと横になって眠っている。
よかった。起きてない。途中で起きて私がいないことに気付かれでもしたら……。別に悪いことはしていないけれど。エリックのことを話したいとも思えないし、いい説明も思いつかないし。眠ってくれていた方が助かる。
私はベッドの上に布団もかけず寝そべる。よほど眠かったのか、いつの間に気絶したように眠りについた。




