近付く距離感
エリックに手を取られ、二人きりで廊下を歩いていく。
校舎には鍵もかかっておらず、苦労も何もなく易々と入れてしまった。『歌学』の世界だからか。現代だったら強盗に金目のものを盗まれているなと思うと口元が自然と笑ってしまう。
そういえば……。転生してから自然と笑えていたことが少なかった気がする。もちろん転生前もなかったけれど。
転生してからというもの常にクリスティーヌを演じていなければならなかった。一方、エリックは攻略キャラですらないし『歌学』では名前すら登場しなかったからどう思われても構わない。そういう面ではエリックといるのはかなり楽だ。
長い廊下を歩いていくとやっと音楽室の前に着いた。
ヒュウと冷たい風が吹く。
エリックは振り返って私をフードから眺める。
「私はここで待っている」
「え?」
「あとは一人で好きにやるといい」
「でも」
手伝ってくれるというのは音楽室まで一緒に行くだけだったのか……。
私が何も言わずジッとしているとエリックは軽く息を吐く。
「本当に音楽室まで着いて行っていいのか」
質問の意図が分からず私は首を傾げた。エリックは変わらずフードから私を見ている。
「ドレスを引き裂くのを手伝っていいのか」
「……」
一瞬考える。
確かに、エリックにドレスを引き裂かれても困る。きっとモヤモヤするだろう。これは私の問題だ。エリックの問題ではない。だからここで手を出されてもいい気はしない……か。
エリックは私が口を開く前に話しかける。
「私はここで君が帰ってくるのを待っていよう」
「分かりました」
エリックはまたしても私の心を勝手に読んだわけだけど、もう驚きはしない。
私は音楽室の扉を開ける。エリックは扉の真横に腕を組みながら、壁を背に預けた。
「あの」と扉を開けた状態で、咄嗟にエリックに話しかける。
「どうした」
腕を組みながら顔だけを私に向けた。
「その、ありがとう」
「……」
「ここまで一緒に来てくれたのもそうだけど。音楽室を見張ってくれるんでしょう」
僅かなフードの隙間からエリックが目を丸くしているのが見える。ファントムとはまた違った黒い髪がユラリと揺れる。薄暗い廊下なのにやけにエリックの顔だけが明るい。
「君もそんな言葉を口に出来るのか」
「人を何だと思っているんですか。ありがとう、くらい言えますよ」
「そうか」
エリックの雰囲気が柔らかくなる。普段は真っ暗なのにをしているのに、今だけは明るく様々に色づいているようだ。
なんだか変なの。調子が狂う。
「それじゃあ」
一声エリックに声をかけて扉を閉める。
これから憎しみと恨みを込めるのに、気分は妙に爽やかだった。
パタンと音楽室を閉じる。ヒタヒタと床を歩いていく。
私は一直線に衣装棚へと向かう。目的のものはすぐに見つかった。ファントムの右側に私が着る黒いドレス、左側に淡い青のドレスがあったからだ。
「……」
その並び順も気に入らない。ファントムの衣装の青と並んでその二着だけが輝いて見える。それもそのはずだ。この二着は本来のゲーム本編ならば対になっているのだから。
それをあの妹、リトルが着る……。
そう思うと、先ほどまでの爽やかな気分から一気に重くなる。
私は一瞬黒いドレスを見た後、青のドレスへと手をかけた。そして思い切り服を衣装棚から引き抜く。
窓からは月は出ておらず、微かに太陽の光が見えてきている。
私はドレスを握っている手に力を込める。
やるなら急げ。急がないと日が昇ってしまう。
私は握った左右の手をグッとお互いに引く。ありったけの力を込めて。
ビリビリ、と小さくではあるがドレスに亀裂が入る。
そこからは早かった。特に力を入れずとも簡単に糸は縺れ、遂には真二つになった。
「よし」
廊下に出る。エリックは私が音楽室に入る前と変わらず腕を組み、壁に背を向けていた。太陽が地平線から徐々に昇っていくのが見える。
「早く戻るぞ」
「うん」
「太陽が出始めたとはいえ、まだ暗い。送っていこう」
エリックはやけにゆっくりとした動作で壁から背を離し、私に一歩近づく。そしてここまで導いてくれた時のようにまた手を差し出す。私はその手をためらわず握った。
エリックは私が手を取ったのを確認すると少し早足で歩きだす。
「……」
音楽室に来た時と少し違った景色が見える。明るいからだろうか。鼻から息を吸い込むと冷たい空気が体に染み渡る。
妹の服を破いたからか、自分を飾らなくていいからか。それともその両方からなのか、やけに気分がいい。
私は窓から山を見ながら、エリックの手をほんの少し強く握る。
「ねぇ」
「何だ」
「この前何を考えているのかって聞いたとき、ある人物への恨みだと言っていましたよね」
「……」
「その人物って誰なんですか」
エリックの雰囲気が変わっていく。どす黒いものがエリックを取り巻く。けれどその黒いものの先は私じゃない。
エリックは速度を緩めることなく歩く。私も手を引かれるままついていきながら、エリックの言葉を待つ。
「君は」
やっとエリックが言葉を発する。
「君は聞くべきじゃない」
「何故?」
エリックはピタリと足を止めた。そしてやけに怖い顔で私を見る。
睨みつけられてはいない。恨みは私には向いていない。
エリックの目は私をとらえては、いない。
「後悔するからだ」
「――しません」
私はエリックへと一歩近づく。エリックの瞳にやっと私が映り込んだ。
エリックは少し肩を落として小さく息を吐く。
「……、だ」
「はい?」
「ファントムだ」




