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指導

「それじゃあまた明日、クリスティーヌさん」


 午後の授業も終わり女の子達は手を振りながら先に帰っていく。二人は特に部活には入っていないようで、オペラ部にも興味はないようだった。

 私も手を振って女の子達を見送る。そして一息つくと、コツコツと足音を立てて廊下を歩き出した。

 昨日とは打って変わって胸を張って一人、堂々と歩いていく。


「お前は……」と突然声がかかる。


 目の前にはよく見知った人物。同じオペラ部でファントムの護衛役をしているミフロイドだ。


「こんにちは。ミフロイド」

「ああ。こんにちは。クリスティーヌ」


 そういえば、と思う。ファントムのことで頭がいっぱいだったけれど、ここでミフロイドから話しかけられるのはゲーム通りのシナリオだ。


 そう気付いた途端、顔がほころんでしまう。やっぱり、『歌学』の世界はいい。


「今日はファントムの側にはいないんですか」


 わざわざ無意味な質問をする。シナリオではファントムはこの時すでに音楽室にいる。だからこんな質問する必要はないのだが、ここはあえて『歌学』のクリスティーヌのセリフを吐く。


「いや、もうファントムはオペラ部に向かっているよ」

「そうですか。ミフロイドもオペラ部に行くんでしょう」

「ええ。その前に行くところがあるので、それを終わらせてからですが……」


 それだけ聞くと私はニッコリと笑って、ミフロイドに軽く会釈をする。


「それでは私は先に練習していますね」


 ミフロイドを横切ってまた廊下を進む。


 ミフロイドに着いていってミフロイドの手伝いをするという選択肢もあったのだが、そうするとミフロイドの好感度が一気に上がってしまう。予定通りファントムと上手く行くためには、他キャラに気を付けなければ。


 ミフロイドと別れ、音楽室の前に辿り着く。ギッと扉を開けると、赤い夕陽に照らされているファントムを見つける。


「ファントム!」


 少し高めの声で彼の名を呼ぶ。


「クリスティーヌ……来たか」


 サラサラと揺れる夕日の赤と黒い髪を見つめていると、視界の隅に嫌な存在を見かける。妹はいつの間にか着替えたのか昼とは違う淡い服を着ている。その淡い服に夕日が当たり、ファントムと違い血の赤を連想させて気味が悪い。


「どうした?」

「い、いえ。何でも」


 ファントムに呼ばれ、ハッとして妹から強引に目を背ける。私はファントムに笑顔を向けながら近付いていく。


「それよりも練習しましょう。今日もお願いしますね、ファントム」

「ああ。こちらこそ頼む」


 ファントムの教え方は上手い。けれども、ゲームのシナリオで聞いた通りの言葉の羅列で正直暇だった。


「クリスティーヌ」とファントムから呼ばれる。


「はい」

「歌はよくなっていているな」


 褒められる。シナリオ通りの言葉だ。


「だが」と続く。


「歌以外はまだだな。特に……、心がこもっていない」

「え……?」


 ――心がこもっていない?――


 今までにない展開で、クリスティーヌではない本来の自分が出てしまう。ここは本来だったら違うセリフだったはずだ。


 どうして……。一体何が起こったの。


「声量じゃないんですか」


 あまりの出来事に口が滑ってしまう。


 その言葉にファントムは眉をひそめた。私を鋭い瞳で見つめている。


「どうしてそう思うんだ」

「……いえ、その」


 慌ただしく瞳が右に左にと動いていく。


 この状況はマズイ。私の言葉も、そしてファントムのセリフも『歌学』にはないセリフだ。


 私はなんとかヒロインらしい明るい笑みを浮かべて、目の前の渋い顔をしているファントムに向き合う。


「自分に足りないものは何だろうと考えていたんです。おそらく声量じゃないかって。違ったみたいですね」

「……声量は十分に足りている。自分でも、直そうとしていたから、ではないか」


 私に答えるファントムは、言葉とは裏腹に納得のいかない表情だ。けれどその表情とは反対に、ファントムの言葉に心がストンと腑に落ちる。


 『歌学』のストーリーが分かっているがゆえに、無意識に大きな声を出していたのかもしれない。だからファントムは「声量」と指摘しなかった。


「確かに声量を意識していたからかもしれないですね」と比較的にクリスティーヌらしい言葉を選ぶ。


「それで。心がこもっていないというのは」


 『歌学』のストーリーと違う展開になっているとは分かってはいるものの、ヒロインだし大丈夫だろうという安心感。そして何よりもファントムの指導が気になって仕方がない。


「言葉の通りだ。歌に心がこもっていない。故に緩急がない」

「……緩急、ですか」


 少し眉を潜める。


 歌に心がこもっていない? なんだか難しいことを言われている。


 ファントムは楽譜を隣から見せてくる。自然と頬と頬が近付いていく。

 急に顔を近づけられ、一気に体温が熱くなり胸がドクドクと高鳴る。口元がにやけていくのを、グッと堪える。

 そんな私のことなど気にもせず、ファントムは長い人差し指で楽譜を指した。


「町娘の気持ちだ。身投げするならもっと切なく歌うはずだ」

「切なく……」

「王子との出会いとのシーンとの差を歌声で出して見ろ」


 やっぱりよく分からない。とは思いつつも、「はい」と頷く。


 町娘の気持ち。緩急。きっと声の大きさを変えただけじゃファントムは納得しない。けれど、どうしたらいいのか考えても答えは出ない。


 そのうちにファントムが盛大にため息を吐く。その姿すらどこか色っぽい。


「今日の指導はここまでにしよう」

「え」


 思わずビクリと肩を硬直させる。

 急に体が凍えて、白い息を吐き出す。息はゆったりと頭上を通過し、空気と溶けていった。


「どうして」


 小声でファントムに問いかける。


「このまま練習しても無意味だと判断した」

「……」

「今のクリスティーヌは集中力が欠けている。それに歌も先程の指摘から直っていないようだ」

「……そう、ですね」


 ファントムが向ける目線に耐えられず、コクンと頷いてしまう。

 するとさすがはファントム、というべきか。先程の暗い雰囲気を打ち消すように爽やかな笑みをこちらに向ける。


「そう落ち込むな。また明日、リフレッシュして頑張ろう」

「はい」


 また明日、と頷いたのはいいものの、どうしたらいいものか。歌に心をこめる、か。


 頭の中がゴチャゴチャとしている中、ファントムに見送られ音楽室を出ようとする。と、あいつと目が合った。妹のリトルはバレリーナに囲まれながら心配そうにこちらを見ている。

 頭のズキズキという痛みに耐えながら、妹を睨む。


 ――忌々しい――


 あの妹にあんな目で見られるなんて。


 妹から冷たく視線を逸らし、音楽室から出る。

 あいつのことを考えるのは止めよう。今はファントムのことだけを考えないと。ファントムの攻略に、明日の練習。あいつ一人にかけている時間が勿体ない。




 それから丸一日中、心のこもった歌い方を考えた。が、答えは出ない。

 そして次の日も、また次の日もファントムから褒められることはなかった。


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