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 エリックはそっと側を離れる。それに入れ替わるように、女の子二人が近付く。


「……」

「……」


 私も、女の子達も、お互い無言で見つめ合う。

 一人の女の子が私の手を優しく包み込んだ。それに呼応するようにもう一人の女の子も重ねて手を握る。


「……ずっと無理をしていたのね」

「!」

「もう、我慢しなくていいの」


 パリン、とどこからかガラスの割れる音がした。そして高い所から破片が崩れ落ちてくる。


 我慢していたのか、私は……。知らない間に自分の感情を抑えつけていたのか。


 女の子は私の手を強く引いて肩に手を回し、抱きしめる。予想以上に温かく柔らかい手だ。


「これからは好きなようにしていいの」

「好きなように……」


 クリスティーヌとしてではなく、他でもない『私』の好きなように――。


 私はギュッと唇を噛み締め、コクリと頷く。


 目の前にはもう古臭い鏡はない。


 私は女の子に手を回す。唇の端だけを上にあげる。


「そう、ね。もう自分を抑えつけるのはやめるわ」




 キンコンと鐘が鳴り、午前中の授業が終わる。その途端、あの女の子達が私に近付いて来る。


 あの後、授業が始まる鐘が鳴って私は適当な席に着く。隣にはまた黒いフード。エリックが無言で席に着く。あの女の子達は私から少し離れて座った。先程までの会話はなかったかのように。

 けれど、今、女の子達は私に自然な顔で私の目の前にいる。


「クリスティーヌさんはお昼どうするの」

「えっと……。お弁当持ってきていなくて」

「それじゃあ、一緒に学食行こうよ」

「……学食」


 『歌学』本編がふと頭によぎる。確かルル―学園に入学してメグと学食に行くと、あの女に会ってしまう。


 メグとではないけれど、もしここで学食に行ってしまったら――。


「妹と会う」

「「え?」」


 ハッとして思わず口を押える。無意識のうちに言葉を発してしまった。


「今のは、その」となんとか取り繕おうとするものの、一度発した言葉は簡単には取り消せない。女の子達は早く口を割れと言わんばかりに私を見ている。


 一瞬戸惑う。けれど懸念はすぐに消えた。私は数分前に好きなようにすると決めた。

 もし、ここで私が妹を嫌っていると攻略対象、ファントムに知られてもそこまで問題ないだろう。私は乙女ゲームのヒロイン、クリスティーヌ。きっと入学式の時と同じで補正がきくはずだ。


「あのー。ここで学食に行ったら妹と会う……気がする」

「……」


 二人の女の子はキョトンと目が止まる。


 それはそうだ。私はここの住民ではないからこそ知り得ている情報であって、普通の生徒は未来が分からない。


 やがて女の子達はお互いに顔を見合わせた後、肩からフッと息を吐き出した。


「だったら何だって言うの」

「え」


 突然の言葉に思わず言葉を失う。


「妹がいるかもしれないから学食に行くのをやめるの? 」


 その言葉になるほど、と一人心の中で頷く。どうやら女の子達は私の考えとは別に、妹がいるから学食に行きたくないと捉えたらしい。けれどその捉え方は私の考えと間違ってはいなかった。むしろ見事に合っている。


 私はなんだか無性に泣きたくなった。その気持ちを断ち切るように首を振る。


「ううん。行くよ、学食に行く」

「じゃ、早く行きましょう。聞いた話だとかなり人気があるらしいの」


 ここでやっと席を立つ。女の子達に続いて歩き出す。


 泣きたい気持ちは既に消えていた。




 ワイワイと喧騒が聞こえる。意味もなく長い廊下を歩くと、木製の暖かみのある小さな扉が現れる。女の子がギッとドアノブを捻って学食に入っていく。学食は小さな扉と違い広々とした造りになっていて、ルル―学園の生徒だけでなく一般の人も集まっている。


 妹の気配を逃すまいと感覚を研ぎ澄ましながら、配膳の列に並ぶ。今日のメニューはカレー。お盆にホクホクと湯気の出ているカレーが乗せられ、その隣にはバケットのパンが乗っている。


「さて、問題は席ね」と女の子が辺りを見渡しながら先陣を歩いていく。


 私はその後ろを歩いていきながら、ふと、とある人物に目をつける。やがてその人物の隣に横並びに座っていた男子三人組が楽し気に笑いながら席を立った。


「あそこはどう?」


 薄気味悪く笑いながら女の子達に声をかける。女の子は私をハッと振り返る。


「いいの? あそこの席は……」


 そして女の子は私の視線の先に顔を向けた。視線の先には妹のリトルがポツンと一人で座っている。


「いいの。もう決めたの。我慢も無理も、逃げもしないって」

「そう。吹っ切れたみたいでよかった」


 あえて妹の隣の席にドカと派手な音を立てて座る。妹の恐ろし気な視線が私に向けられる。

 優越感に浸りながら女の子達に手招きする。女の子達は妹と反対側に座る。僅かだが女子に囲まれている私と対照的に、妹はどこかビクビクしながら独りで昼食を食べている。それが例えヒロインだからだとしても得意で仕方なかった。


「それにしても、どうして妹が憎いって気付いたの」


 わざと妹に聞こえる、けれど周りに聞こえない程度に女の子達に話しかける。女の子達も私の意図に気付いたのか、ほんの少し声のトーンを上げて応えてくれる。


「そりゃあ分かるわよ。ムカつくじゃない」

「いきなり妹だなんて。ちょっと考えれば怪しい話だって分かるのにねぇ」


 三人でクスクスと笑い合う。


 きっと周りから見れば女の子の仲良し三人組。


 私は優越感に浸りながらカレーに手をつける。現実世界ではしぶしぶ食べていたものが、この乙女ゲームの世界では美味しく感じ、みるみるうちにカレーが減っていく。

 それに比例するように喉が渇き、水もグイグイと飲んでいく。


「私、水もらって来る」

「それじゃあ私も」


 私の水の減りように気付いたのか、女の子二人は一緒に立ち上がる。それに置いて行かれないように、私も半ば腰を浮かす。が、「クリスティーヌさんはいいのよ。そこにいて、ね」と言われてしまう。

 女の子達は半ば強引に、けれど繊細に私のコップを奪って食堂の奥にあるウォーターサーバへ向かっていってしまう。

 そのまま腰を浮かしておくのも変なので、軽く椅子に腰かける。

 チラリと妹を横目で見る。相変わらず独りでモソモソとカレーを頬張っている。


 自分の思い通りにいかない妹に段々と息が詰まり、勝手に口が開いていく。


「私、あなたのこと嫌いって言ったわよね」

「っ!」


 私の言葉にビクリとして妹、リトルは手を止める。無言のまま私を見ようともせず、前を呆然と見ている。


 そんな姿でさえもムカついて仕方がない。腸が煮えくり返る。


「あなたはこの学園の生徒じゃないでしょう。私の有意義な生活を邪魔しないで。あなたの顔を見たくない。オペラ部にも来ないで」

「……」


 私は目をカレーへと移す。


 ここまで言えば普通ならもうここには来ない。けれど……。


「い……、嫌、です」

「っ!」


 今度は私の手が止まる。妹がビクビクしながらも、確かな口調で言い返してきた。


 『歌学』のストーリー的に最後まで妹はオペラ部にいるだろう、と予感はしていた。けれど……まさか言い返されるとは。


「私。お、お姉様に、好かれたいので」

「!」

「お姉様に好かれたいので、オ、オペラ部もやめるわけにはいかない、んです」


 これは初耳だった。妹は私に好かれるためにわざわざ同じオペラ部に入ったのか。けれど、けれどそれは。


「それは、私の気持ちとは関係ない」


 心の奥に重いものを抱えながら冷たく言い放つ。


 すると、水を汲みに行っていた女の子二人がいつの間にか妹の後ろに立っていた。女の子達の目がやけに黒光りしている。

 女の子は妹の背を冷たく見据えると、水の入ったコップを傾ける。


 ――!――


 水がやけにゆっくりと妹の頭上を濡らしていくのが見えた。


「……」


 妹はあまりのことに声が出ず、目を見開いたまま固まってしまっている。だがそれは私もだった。


 まさか彼女達が妹に手を出すとは思っていなかった。


 もう一人の子も水を妹に乱暴にぶちまける。


「ヒャッ! 」と小さく妹は声を上げる。けれどその叫び声は周囲には届いていない。周囲の人たちは食べる事、誰かと時間を過ごすことに夢中で私達は外だ。


「お待たせ」


 女の子達は水で満たされたコップを机の上に丁寧に置く。


「あ、ありがとう」


 妹に向ける視線とは違う、満面の笑みを浮かべながら女の子達は席に着く。


 モヤモヤとコップから黒い煙がモヤモヤと湧き上がっていた。だがその煙に罪悪感や違和感はない。


「……」


 私はコップをジッと見つめる。黒い煙は徐々に小さくなっていく。それに反応するように私の心も迷いがなくなっていった。


 どうせ乙女ゲームのヒロインなのだから。今の私は……。

 ――何をしてもいい――


 煙が小指程の大きさになっていくのを見ながら、手の甲をコップに向ける。そして、思い切りコップを横に飛ばした。


「っ!」


 コップは机の上を滑り、妹の皿に派手に当たる。その反動でコップは傾き、水が皿の中に沈んでいく。カレーが水と合わさり、白に近い茶になっていた。


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