最強を願った結果5
最後のトラックを回って直線の残り100メートル。
私は突然の心臓の痛みと共に目の前が暗くなって、真っ白な空間で白いひげのいかにも神様な格好をしたお爺さんと対面するという体験をしている。
ああ、残りの100メートルさえ耐え抜けば優勝できたのに。優勝して県大会へと進めたのに。
うじうじと考えていると老人が少しいらだってきた。
「これ、聞いておるのか?残念ながらあのまま走り切っても僅差で2位じゃ。県大会へも出場できん。
そんな事より神の仕事が押しておるので、早くおぬしの希望を言わんか。
転生するなら完璧に希望の条件とはいかんかもしれんが、武力だろうが有り余る金だろうが望みのまま叶えてやろう。
当然ワシが管理する6億余りの世界のうちで条件に合うものが無ければ無理だがの。」
くそう、もう少し甘い夢を見せてくれたっていいじゃあないか。
夢半ばで倒れ死んだ若者のための手向けの言葉っていう物があってもいいじゃないか。
「すまんのう、世界に対する影響があるゆえ神は嘘をついてはならぬのじゃ。
それより、ほれ、おぬしの願いはなんじゃ?」
そうだなあ、今度は人生の途中で死にたくないし、絶対に病気にならないような健康な体かな。
それとやっぱり陸上が好きだから、世界にも通用するほどの運動の才能なんかがあったら嬉しい。
「なんじゃ、その程度でいいのか。
死病の蔓延する只中に居ようと、肺を焼き皮膚を爛れさせる毒ガスを浴びようと絶対に健康を損なわぬ頑健な肉体を与えよう。
才能は世界大会で優勝できる程度でいいのじゃな。
些細な希望じゃったし、行ける世界の選択肢は多いぞ。どんな世界に行きたいのじゃ?」
もう一度陸上がしたいから、現代社会がいいです。
ああ、歩けるようになってから今の記憶が引き継がれれば、英才教育ですごい練習がこなせるかもしれない。
「よかろう、頑健なおぬしの記憶と才能は5歳で目覚める。
いかなる状況においてもおぬしは病むことも傷つくことも無く、健康を体現したかのような生涯を送れるじゃろう。
それでは新天地へゆくがよい。再び相まみえることは無かろうが、良い人生を!」
お爺さんの言葉と共に目の前に光が広がり全てが光の奔流に飲み込まれていった。
そして唐突に訪れる闇。
「この子ったら走るのが好きねえ。きっと将来は陸上選手にでもなるのかしら。
危ないからあまり遠くへ行っちゃだめよ。」
母親の言葉を後ろに聞きながら走る。走る。
今年で5歳になったがこの体は最高だ!筋肉痛や疲労、眠気すら健康ではない状態にカウントされているのだろう。
朝から晩までいくら走っても疲れることも筋肉が痛みを覚えることも無い。
トップスピードで転倒した時に負ったかすり傷も、痛みは感じはしたがみるみる間に消えていった。
ハハハ、素晴らしい。短距離で負けないように体を鍛えれば、どんな距離でも勝てる。
スタミナやペースの配分なんて考える必要ないのだから。
予想通り僕は距離を問わない陸上選手として『韋駄天王子』の二つ名と共に華々しくデビューした。
スプリントからマラソンまで、あらゆる距離の大会でぶっちぎりの優勝をさらったし、世界記録も次々と更新した。
多くのスポンサーもついたし、コマーシャルやバラエティ番組にも出た。
僕をモデルにした玩具やグッズが販売されたし、大手メイカーと提携してプロデュースしたランニングシューズは社会現象になるほどの売れ行きを見せた。
小さなアパートだったわが家は郊外の戸建てから大豪邸へと変貌し、他国に別荘も買った。
そう、僕は人生の最盛期にいた。一度目の生涯から夢見ていた輝かしい日々だ。
地位も名声も、カネにも不自由しない。何もかもがうまくいく。
好きな陸上をやっていればそれだけですべてが転がり込んでくる。
こんな日々がずっと続くんだ。
それから40年、微塵も老いを見せず未だ20代の様な若さを保った私は人から隠れるように人生を送っている。
老化は病とみなされたのだろう。老いを見せない私に、最初周囲はうらやんだ。
でもそれが明らかに人間の域を離脱し始めると、人々は疑惑の目を向けるか怯えるようになった。
何度も薬物疑惑がかけられ、検査されたがそのたびに年齢不相応の健康な状態が表示されるだけ。
友人も離れて行ったし、スポーツ界からもテレビ業界からも干された。
・・・あれから千年。アフリカのど真ん中や中国の山奥ですら戸籍が管理され、隠れ住むのも難しくなった。
船や航空機に頼らなくても泳いで大洋を横断できるので不便はないが、いったいどこへ行ったらいいのだろう。
キラヴエアの火口に飛び込んで死のうとしたのは失敗だった。
ガスによる息苦しさとマグマに延々と焼かれる痛みを脱出するまでの20年味わい続けた。
某国の諜報機関に掴まった時はひどい目に遭った。
不老不死の秘密を解き明かそうとした科学者共にメスを何度も突き立てられ、血液や毛髪を抜かれ、内臓も抉られた。
結局肉体的にはただの人間と何ら変わらない事が証明されただけだったが。
あの国が崩壊した混乱に紛れて逃げ出せたのは幸運以外の何物でもなかった。
・・・・・・いったい何年の月日が経ったのだろう。
1万年くらいを境に数えるのを止めてしまったから、よく分からない。
赤茶けてひび割れた大地を踏みしめるごとに足の裏からジュッと肉が焼ける音がする。
見上げれば真っ赤に燃えた巨大な太陽。眼が焼かれて、視界が白濁しては再生を繰り返している。
新天地を求めて宇宙へと散って行った新人類達は今どのあたりだろう。
旧人類で市民IDすらない吾に宇宙船の席などあろうはずもないが。
夢を見ていた。神と呼ばれる存在に出会った日からの遠い夢。
本来なら眠る必要も無いが、分子の欠片とも出会うことの少ない宇宙空間を長く漂えば夢を見ることくらいしかやる事は無い。
地球も太陽に飲まれ、太陽すら寿命を迎えて崩壊した。
崩壊の余波で恒星を形作っていたガスと共にあてのない宇宙の旅路へ放り出されたは幸か不幸か。
膝を抱えてすべての終わりをじっと待つ。
この宇宙が寿命を迎えたら、吾は共に死ぬのだろうか。
もはや生きる、死ぬなどどうでもいいが、少しだけ気になる。
また目を閉じて夢を見よう。あの日から今日までの長くて短い夢を。
「む?世界が滅びた後じゃというのに生命の痕跡が残っておる。
まあよいわ、そのままの状態で再生する新たな世界へと放り込んでやろう。」