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翌朝、ニーアが目を覚ますと、目の前にアイリスの姿があった。先に目を覚ましていたらしい。
「ん……アイリス、おはよう」
「おはよう、ニーア」
「アイリス、私すっごく変な夢を見たよ」
「その夢っていうのは、あなたがいきなり私を抱きしめて、私に何度も愛の告白を強要して、しまいには私を泣かせた、なんていう内容じゃないでしょうね」
「なにそれ、まるで私があなたをいじめてたみたいじゃない」
ひどく悪意のある言い方だとニーアは思ったが、少なくとも昨晩のことが夢でなかったことはわかった。
「昨日はあんな情けない顔してたからやさーしく悩みを聞いてあげたのに、一晩明けたらこれなんだから。恩知らずなものね」
「変な夢とか自分で言っておいて、なにが優しくよ! どうせ、私と付き合うなんて悪夢だって思ってたんでしょ!」
そう、あれが夢でなかったということは、今の自分とアイリスは恋人同士ということだ。ニーアはそう思うと、アイリスが「彼女」であるという事実を急に意識し始めてしまったのを感じた。
「そんなこと思うわけないでしょ! 私だってあなたのことが好きって言ったじゃない!」
「なっ……」
ニーアが顔を赤らめながら言った言葉に、アイリスもまた顔が火照るのを感じた。昨日一度聞いたことではあったが、こうもはっきり言われるとやはりドキッとするものだった。
「もう、恋人になって最初の朝がこれだなんて、先が思いやられるわね」ニーアが呆れた口調で言った。
「まったくよ。ほんとに面倒な女と恋人になってしまったものだわ」
二人とも、敵対していた期間のほうが――バディになってからの期間に限っても――長いので、憎まれ口のレパートリーは豊富だった。それでも、今は言葉や口調の端々で好意を隠しきれていないところが、あの頃と違っていた。
恋人になったからといって、普段の生活が大きく変わることはなかった。二人は今までどおり、仲良く食事を済ませ、一緒に課題に取り組み、ゆっくり風呂に浸かり、そして一つのベッドで寝るという日々を過ごしていた。おかげで、二人が付き合い始めたことは他のバディたちにもまったく気づかれなかった。
変わったことがあるとすれば? それは、キスよりも上位のスキンシップの存在を意識するようになったことであろう。女同士というちょっと特殊な事情があるとはいえ、恋人であればもっと積極的な行為があってもおかしくはないと二人は思っていた。しかし二人の心境はというと、それを期待しているというよりは、むしろその日が来るのを恐れているというような感じだった。理由は単純である。ニーアもアイリスも、キスでさえあの夜が初めてだったからだ――赤子のときに親からされたキスを除けば。
そんな日が続いたある晩。この日も二人は、ベッドでレベルの低いスキンシップに興じていた。
「ほら! アイリスのお腹のほうがつまめるじゃない」
「それは必要な肉だからいいの! ニーアこそ、こんなとこぷにぷにさせるくらいならちょっとはそのお胸に回したほうがいいんじゃない?」
「なっ、ちょっと胸が大きいからって偉そうに……! 恋人にもなって、二度とキス以上のことなんてしてこないくせに!」
カチンと来た勢いで、最近ちょっと気になっていたことが口を衝いて出てしまった。
「キ、キス以上って、なによ? まさかニーア、一回私の胸をつついたことがあるぐらいで偉いなんて思ってるんじゃないでしょうね?」
アイリスも少し気がかりだったので、突然話題に出されてうろたえた。
「はあ? そんなバカみたいなことでマウントとるわけないでしょ! 私ばっかり触ってずるいって思ってるんなら、やり返しておあいこにすればいいじゃない!」
勢い余ったニーアはそう言って、アイリスのよりは小ぶりな胸を指さした。
「ちょ、ニーア、なに言って……」
ニーアの予想外の発言に、アイリスは顔を赤くした。ニーアも、女同士とはいえ胸を触るなどという行為を要求してしまったことがだんだん恥ずかしくなってきた。しかし、いまさら引っ込みがつかず、弱々しい声でアイリスに促した。
「ほ、ほら……あのことを根に持ってるんなら……あなたも触ればいいじゃない……」
「根に持ってなんかないってば! そんなことするわけ……」
アイリスはそう言いかけた。しかし、ニーアの様子を見て、言葉が途切れた。ニーアは、勢いで胸を触れと言ってしまっただけでも恥ずかしいのに、それに対して冷静に対処されてしまったことで、恥ずかしさが最高潮に達していたのだ。ニーアは今の流れをなかったことにしたくてたまらなかったが、どうしたらいいかわからず涙目になって固まっていた。
「あーもう、仕方ないわね。べつに根に持ってなんかないけど、私だけ触られてるのが癪だから仕返しするわ。それで気が済むでしょ」
アイリスはそう言ってニーアの面目を保つためにしばらく触ってやった。しかし、調子に乗って触りすぎ、そのあとニーアにそっくり仕返しされてしまった。ようやくニーアの気が済んだところで、アイリスが口を開いた。
「これでおあいこだって言うの?」
アイリスは、ニーアの閉じた目を見ながら話しかけた。
「ええ、そうよ。まだなにか?」ニーアは目を閉じたままぶっきらぼうに答えた。
「べっつにー。ただ、ニーアが自分から胸を触ってほしいなんて言うへんた――」
「言うな、言うなぁーっ!」
アイリスがからかうとニーアはまた目を開け、真っ赤な顔でアイリスの脇をくすぐって妨害した。
「あはっ! ひゃっ! ニーア! やめてっ!……ギブ、ギブ……!」
アイリスが笑い転げた。その姿を見て、ニーアもクスクスと笑った。
一連の夜戦を終えると、ニーアもアイリスも体力を使い果たし、二人は朝まで深い眠りについた。
二人の関係がより密接なものになると――互いの胸の感触を覚えることを「密接になる」と表現するならばだが――戦闘での連携もますます上達した気がした。夏休みが終わって後期に入ったある日の演習は、とりわけ大きな怪物を仕留めるというものだった。足は遅いが、細長い触手をすばやく振り回すため、近づくだけで一苦労だった。
「せぇーのっ!」
アイリスが掛け声を発し、いつものように二人で拘束魔法を撃ちにかかるが、たちまち触手に邪魔されてしまう。
「もう! なんだってこんなにしぶといのよ……」ニーアが文句を行った。
細長い上に動き回る触手は、魔法を一発当てるだけでも一苦労だったのに、一本抑えるのに相当な回数の拘束魔法を要した。直接本体に攻撃を試みても、二人まとめて弾かれてしまう。
「アイリス! 向こうへ回って!」
「わかった!」
ニーアは銃で数発撃ち込んで怪物を引きつけ、アイリスが後ろへ回る隙を作った。
「ほらほら! こっちへ来なさい!」
この怪物は足が遅いので、一定の距離を保って誘導するのは容易だった。
「そう、こっちだけを見てなさい……!」
しばらくすると、ニーア、怪物、アイリスがこの順で一直線に並ぶ位置関係になった。
「こっちも忘れるんじゃあないわよ!」アイリスも銃を撃って威嚇した。
怪物がアイリスの方を向こうと振り返り始めたとき、ニーアとアイリスは互いに目配せし、同時に頷いた。
「やぁぁぁぁぁあっ!」
二人は同時に大声を上げて、怪物を挟み撃ちにした。怪物はどちらを攻撃するか迷い、その遅い足をまごつかせた。闇雲に暴れている触手の間をすり抜け、アイリスが先に本体に辿り着いた。
「これでも食らえ!」
アイリスは怪物の本体に、ライトセーバー状の武器を深々と突き刺した。魔法が怪物の半身に広がり、そちら側の触手が動かせなくなったようだ。しかし――
「いやあっ!」
怪物はまだ動かせる触手をアイリスに集中させ、アイリスを自分から引き剥がした。アイリスは地面に尻餅をついた。
「こっちががら空きよっ!」
その隙に、ニーアが怪物の反対側に武器を突き刺した。怪物はついに全身が拘束魔法に包み込まれ、身動きが取れなくなった。
「アイリス、大丈夫?」
ニーアはすぐアイリスの方へ歩み寄って右手を差し伸べた。
「ああ、大丈夫……平気平気」
アイリスは手に付いた砂を払うと、右手でニーアの手を取った。
アイリスが立ち上がると、ニーアがちょっと照れながら左手につなぎ替えた。二人は校舎に戻るまで、互いの活躍について称え合いながら、手をつないで歩いた。
その日、二人は自分たちのプレーに――自画自賛気味だったが――興奮しており、寝る前になるとまた語り合わずにはいられなかった。
「ニーア、見た? 私が後ろに回り込むときの、とっさの――」
「もちろんよ! でもあなたが飛ばされてからとどめを刺しに行った私の――」
「いやー、ニーアが気をそらしてくれてるうちに私がとどめを刺したかったんだけどなー、そしたら完璧だったのに」
「なに言ってるのよ、あなたがあいつの触手を引きつけて、私がとどめを刺したの。これぞ連携プレーでしょ」
「いやいや、確かに挟み撃ちまでの連携は素晴らしかった。でも最後は、先にたどり着いた私がスパッととどめを刺すほうが――」
「なによ、自分ばっかりとどめを刺そうとしちゃって。あのときだって、あなたが勝手に私の獲物にとどめを刺したのよ。あれ、許したわけじゃないんだからね」
「え? あのとき? ニーア、まーだあのこと根に持ってるんだぁ」
ニーアが言っているのは初対面のあの演習のことだとすぐわかった。あのとき獲物を奪い合ったことこそが、二人が知り合ったきっかけであり、二年以上も敵意を向け合うことになるきっかけでもあった。
「私だって、ニーアに敵の目の前で手足を封じられたこと、許すなんてまだ言ってないんだからね」アイリスが口を尖らせた。
「先に横取りしたアイリスが悪いに決まってるじゃない」
「横取りとは人聞きが悪いわね。『あ、あんなか弱そうな子が一人で、大丈夫かしら』ってずっと見守ってて、あとちょっとのとこでダメそうだったから、手伝ってあげただけなのに」
「え? いきなりあなたが横から入ってきたんじゃない!」
「もしかしてニーア、私がずっと後ろにいたの、気づいてなかったの?」
「それは……ええと……」
ニーアはあのとき、目の前の怪物に全神経を集中させていて、背後に人がいるとは露ほども気づいていなかった。
「ふふふっ。あんなに長くいがみ合うきっかけも、蓋を開けてみればこんなことか。ニーアって意外と鈍感だったんだね」
「なっ……こうやってされるまで自分の気持ちにも気づかなかった人に言われたくないわ!」
ニーアはあのときのようにアイリスの胸をつついた。
「ちょっ……なによいきなり! 触ったやつは触り返される運命なの、わかってやってる?」
アイリスもニーアの胸をつつき返した。二人はしばらく、得意の意地の張り合いでまた互いの胸を触り合っていた。いくらやり返してもニーアが平気そうなのが面白くなかったアイリスがニーアの尻に手を出すと、一時的にアイリスが優勢となった。その後、勢いを取り戻したニーアがアイリスに同じことをやり返しておあいこに戻ったところで、二人とも落ちるように眠った。あの怪物と戦ったことに加えて遅くまで夜戦をしてしまったので、二人の疲れはピークに達していた。




