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嫌悪

 三年生の授業は一気に少なくなり、数科目の座学と週二回の演習のみである。それ以外の時間はというと、二年生までに成績が不十分であった科目の再履修か、それもない時間は自習・自主練習のためにあるという名目である。しかし実際には、自習と称してボードゲームに興じたり自主練習と称してスポーツに打ち込んだりする生徒がほとんどだった。よほどガリ勉な生徒を除けば、いくら魔術が好きであってもやはり自由時間はそれ以外のことをしたいのである。

 朝の点呼前に起きて、朝食を済ませ、授業があったりなかったりする午前中を過ごし、昼食を食べる。そして、やはり授業があったりなかったりする午後を過ごし、夕飯を食べ、入浴を済ませたらバディや友達と歓談して寝る。これが三年生の基本的な生活だった。ニーアとアイリスは成績が優秀なほうであり、再履修科目など一つもなかったため、授業のない時間が多かった。通常であればこれが最も嬉しい時間割のはずだが、二人の場合は例外である。二人きりで顔を合わせている時間が長いことは、彼女たちにとって嬉しいことではなかったからだ。二人は最初の週のうちにどの時間に何をするか議論し――希望を交互に述べたらたまたま互いに嫌なものがなかっただけであるが――自主的に時間割を埋めた。こうすれば、以降は授業があろうがなかろうが時間割に従って行動するだけなので、ほとんど会話をせずに済むと思ったからだ。

 そうして三年生最初の一週間が終わり、バディ生活初めての週末がやってきた。土日は全員授業がなく、まとまった時間が取りやすいので、朝食を済ませるなり友人と連れ立って街へ出かける生徒が多い。新三年生たちは、やはり仲良くなったバディと一緒に出かける生徒が多いようだった。しかしニーアとアイリスは、こんなやつと一緒に街へ行くなど御免だと互いに思っていた。

「私、週末を有意義に過ごしたいんで、一人で街へ出かけますね」ニーアがてきぱきと身支度をしながら言った。

「どうぞご勝手に。私も用があるけど、あなたの姿が見えなくなるまで待ってから出かけますから」アイリスは、しばらくゆっくりしてからのんびりと支度をするつもりだった。ニーアとタイミングをずらすためではなく、そういう性格なだけだが。

 ニーアは校舎の南側にある玄関を出た。玄関の前からは、敷地の端まで屋根付きの真っ直ぐな歩道が続いている。敷地の南端は単線の線路に面していて、さらに遠くまで見渡せば山脈が東西に横たわっている。青々とした山脈を背景にして、ちょうど列車が東へと走っていくのが柵越しに見えた。歩道の東側は、駐車場が一面に広がっている。普段は教官たちの車しかないためガラガラだが、東門の自動車出入口には料金所のようなものがあって、暇そうな守衛が常にゲートを監視している。西側には緑色のネットで囲われた広いグラウンドがあって、週末もスポーツに興じる生徒たちの姿が見えた。ニーアはグラウンドに沿って続く道を歩き、敷地の西端にある裏門を出た。駐車場には繋がっていないため、ここは歩行者の出入り専用である。裏門の脇に立っている警備員が「いってらっしゃい」と挨拶をしたので、ニーアも「いってきます」と返した。

 裏門を出ると片側一車線の道路が横切っている。左へ進めば、さっき見えた電車に乗れる「魔術学校前」駅がある。右へ進めば学校の北側を通る国道に出る。ニーアは右に進んだ。国道沿いに賑わう街の店舗を巡るのが、多くの生徒に人気の週末の過ごし方なのだ。

 ニーアは片側二車線の国道に沿って歩道を西へ進み、本屋に向かった。本屋の西側には大きな川が南から北へと流れていて、国道はそれを大きな橋で跨いでいる。南側に目をやると、川は少し上流の方でほとんど90度西へ曲がっており、そのカーブの右岸――つまり、本屋と同じ側の岸――には河川公園が広がっている。河川公園には曲線を組み合わせてデザインされたタワーが立っており、全高の半分くらいの高さのところに設置された黒地のデジタル時計が「8:31」を示していた。このタワーは夜になると光るらしいが、門限が厳しいので第一黎明の生徒が見ることはできなかった。北のほうを見ると、川がここからは見えない海を目指して真っ直ぐに流れているほか、左岸の遠くにピンク色の商業施設の看板が霞んで見えた。

 ニーアは本屋でしばらく時間を潰した。勉強はさほど好きではないが本は好きで、たまに本屋に行けば何時間でも居られる気がした。ニーアは最後に「嫌いな人がいるあなたへ」という本を買って本屋を後にすると。美味しいスイーツを目当てにカフェへと向かった。そこは毎週のようにおすすめスイーツが入れ替わり、レパートリーも豊富だったため、何度行っても飽きなかった。

「うわぁ……並んでる……」

 カフェの店頭に着くと、店外まで短い行列ができていた。店の中を覗いて混み具合を見ながら、最後尾に並んだ。

「あ、落としましたよ」

 ニーアの前に並んでいる少女が、二つ前の中年女性のカバンから落ちたハンカチを拾ってあげていた。

「あらいけない。ありがとう」

 ニーアは少女の声に聞き覚えがあった。少女の後ろ姿を見ると、どこかで見た長い黒髪だ。

「ア……アイリス!?」ニーアは思わず声を上げてしまった。

 少女が驚いて振り返った。

「ニーア!?……いつの間に」アイリスが引きつった顔で言った。

「いま来たところよ。こんなとこで何してるのよ」ニーアは答えを知りたくてというより、アイリスがいることに憤慨して訊ねた。

「おすすめスイーツに決まってますけど? あんただってどうせそうでしょ」アイリスは頬を染めて目を逸らしながら言った。

「あらあなたたち、お友達? もしかして第一黎明の子?」二つ前の女性が言った。

「あ……はい」アイリスが二つ目の質問にだけ答えた。

「やっぱりねぇ。何年生?」

「三年生になったばかりです」今度はニーアが答えた。

「まあそう。お勉強大変だと思うけど、頑張ってね」

「ありがとうございます……」アイリスが歯切れ悪く言った。

 ニーアとアイリスは可愛い趣味を相手に見られてきまりが悪く、一刻も早く逃げ出したかったが、先に立ち去れば自分だけスイーツを逃すことになるのが癪だったので頑なに並んでいた。すでにニーアの後ろにも何人か続いていた。


 ようやく二人が店内に入り、中年女性が案内されてしばらくすると、二人のもとに店員がやってきた。

「お待たせしました。お客様、一名様でお待ちでしょうか? お次の方も、一名様でしょうか? 恐れ入りますが、二名様ご相席でお願いできますでしょうか」

「えー……まあ、はい」アイリスが答えた。なんならさっきの中年女性と相席のほうが良かったと思った。

「大丈夫です……」続いてニーアも答えた。ニーアも後ろのカップルと三人掛けのほうが()()に思えた。

 席について注文を済ませ、お目当てのものがやってくると、二人は向かいに座っている人間など目に入らなくなった。今週はまばゆいほどに輝くパフェだった。スプーンで一口すくって口に運ぶと、口の中に幸せが広がった。誰がなんと言おうと、美味しいものは美味しい。気の食わない人間が一緒にいたって、やっぱり美味しい。

「ん~最高~!」アイリスは声まで抑えきれないようだった。

 幸せを飲み込んで目を開けると、二人とも相手が完全に無防備な笑顔をしているのに気づいた。慌ててテーブルのパフェに目を落とし、以降は絶対に相手に顔を向けないようにして幸せを噛み締めた。


「じゃあ、私は東のお店に行きますから。あんたは西の本屋にでも行ったら」カフェを出ると、ニーアが突き放すように言った。

「言われなくたってそうしますよ。それじゃ」と言いつつアイリスは本屋に全く興味がなかったので、西にある適当な店で時間を潰すことに決めた。

 こうして二人は完全に別行動をし、門限の少し前に部屋に戻ると、いつものように一緒に夕飯を摂って入浴し、部屋でしばしの無言タイムを過ごしてから就寝した。カフェで出会ってしまったというただ一つのハプニングを除けば、二人の最初の土曜日はそれなりに有意義だったように感じられた。


 翌日は日曜日。日曜はどちらかというと校内でのんびりする生徒が多い。ニーアとアイリスもそのつもりだったが、二人で一緒に過ごすのはもちろん避けたかった。アイリスは朝食を済ませると、北玄関に続く廊下へ向かった。ニーアは部屋に戻るようだった。昨日買ってきた本でも読むのだろう。ニーアがカフェで本屋の袋を提げていたのを覚えているアイリスはそう思った。

 北玄関を出ると、前方と左右に歩道が続いている。前方の道は人の身長くらいの高さのブロック塀で行き止まりになっていて、穴の開いた部分から北側の国道を通る車の影が見える。右手の道は体育館の南側に沿って敷地の東端まで続き、そこでまた南北に分岐する。左手の道は演習場の南側に沿ってやはり敷地の西端に続き、そのまま左に折れて裏門やグラウンドがある方に向かう。

 アイリスは前方の道を進んだ。前方の道の左側は一面が演習場だ。演習場は特別高くて分厚い塀に囲まれていて、怪物たちとの戦いで周囲に危害が及ばないようになっている。道の右手にはまず体育館があるが、さらに北へと足を進めると別の建物がある。演習で使う怪物たちの飼育小屋だ。便宜上飼育()()と呼ばれているが、大きな怪物も飼っているため体育館の半分くらいの大きさはあったし、間違っても怪物たちが逃げないよう頑丈なコンクリートでできている。アイリスは飼育小屋の中に入った。

「やぁ、こんにちは」飼育係の一人の男性が挨拶した。彼らは教官でも魔術師でもない、怪物の専門家たちだ。

「こんにちは」そう言ってアイリスは飼育小屋の奥へと進んだ。

 通路の左右で、ガチャガチャ、ワウワウとやかましい音が聞こえた。どの怪物もアイリスに向かって威嚇している。人に懐かない怪物ばかり選ばれて――そうでないと演習にならない――連れてこられるので、人を見るだけで激しく警戒するのだ。さすがに毎日餌をやっている飼育員にはもう慣れているようだったが、部外者のアイリスが入ってきたのでみんな興奮していた。

 アイリスは大蛇によく似た怪物の前で立ち止まった。演習で生徒に危害が及ばないように牙が抜かれているが、顔は凶悪そのものである。ガラス越しにアイリスを見るなり、牙のない口でアイリスに噛み付く素振りをした。

「あんたらってほんとに可愛げがないわよねえ……そうなりたくて生まれてきたんじゃないだろうけど」

 大蛇はアイリスを見つめながらとぐろを解いたが、窮屈そうだった。次の演習で暴れまわるのを心待ちにしているに違いないと思った。演習はもちろん生徒たちの練度向上が主目的だったが、怪物たちにとっても本能をむき出しにして戦える貴重な時間だったのだ。もっとも、最後には必ず生徒か教官に捕らえられて終わるのだが。

 飼育小屋の最奥には一台のフォークリフトがある。演習に使う怪物は一旦拘束魔法がかけられ、このフォークリフトで演習場まで運ばれるのだ。そして演習場で教官が拘束魔法を解いて演習開始というわけである。

 アイリスは次に演習場へと向かった。演習場はグラウンドと違って塀で囲われているほか、草が生えていたり障害物が置いてあったりする。塀には3つの入口があって、一つは怪物の搬入口、もう一つは演習をする生徒が入場する入り口、そして最後に柵で仕切られた安全地帯につながる入り口である。演習場では、運動不足解消のために演習時間以外にも怪物が放されていることがあって、アイリスは何か面白い怪物が放されてるかもしれないと思ったのだ。

 安全地帯の入り口から演習場に入ると、柵の向こうで何かが疾走しているのが見えた。青いチーターのような怪物が二匹、追いかけっこをして走り回っていたのである。安全地帯の中には担当の飼育員と、銃を持った教官がいた。教官は、怪物を飼育小屋に戻すときや万一の事態が起こったときに拘束魔法をかけるためにいる。二人とも暇そうだった。

「いやぁ……生き物を扱う仕事は土曜も日曜もないですからねぇ」飼育員が言った。

「まったくですよ。まだ、こいつらは見てて面白いからいい。緑色の牛のときなんて、あいつら人間がいないと草を食べてるだけだから暇で暇で……」教官も愚痴を言った。

 二匹のチーターがじゃれあってるのを尻目に、アイリスは演習場を後にした。


 アイリスは一人で昼食を終えると、午後は校舎内で時間を潰した。とりあえず図書室へ行ったが、アイリスは本に興味がない。課題をやるのにどうしても必要なとき以外はアイリスと無縁の場所であることを再確認し、すぐに図書室を去った。

 アイリスは校舎一階のど真ん中に出た。玄関から北玄関へと続く南北の廊下と、東西に長く続く廊下の交差点である。校舎は東西に長く、さらにその両端に寮が続いているので、東西の廊下のほうが圧倒的に長かった。東へ行けば、男子寮。女子は通常、入れない。西へ行けば、女子寮。ニーアに出会う可能性が高くなる。もう一つの選択肢として、二階へ行くという手がある。二階は中央に広い談話室があり、そこで過ごすのも悪くない気がした。アイリスは二階へと続く階段を上った。

 談話室は南側に面していて、大きな窓から太陽の光が燦燦(さんさん)と降り注いでいた。アイリスが窓辺で南の景色を眺めていると、横から声をかけられた。二年生までの仲良しグループのうちの四人――おそらくバディ二組だ――が、すぐ脇のテーブルでおしゃべりをしていたのである。アイリスは懐かしさを感じながらテーブルに加わり、近況について――バディの会話がないのはニーアが恥ずかしがり屋だからとごまかして――話し合った。

 夕飯前に部屋に戻ると、ニーアはやっぱり本を読んでいた。アイリスは相変わらずの無愛想な態度でニーアと一緒に夕飯を済ませて風呂に入ると、今日あったことについて語らうこともなく――おそらくニーアはそもそも語らうような話題などないだろうと思ったが――就寝した。

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